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ラムリム市編
賊の侵入
しおりを挟む「あいつら海賊だっ」
すぐ隣から叫び声。
ぼんやりとリンファオの正体について考えていたゲルクは、ビクッとして、腰かけていた砲台の柵から落ちそうになった。
望遠鏡でなんとなく港を見ていたトゥルナンが大騒ぎしている。
ドージェが望遠鏡を奪い取るとそれを覗き、慌てて他の仲間に命じた。
「くっそ。警笛を鳴らせ! 急いで城門を閉めさせろ!」
ゲルクは目をすがめて港を見た。
港に停泊した商船から、男たちが溢れ出てきたのだ。
馴染みの商船である識別旗。
謀られたのか、本物なら、見捨てられたのか乗っ取られたか。
とにかく積んでいたのは商売品だけではない。ならずものだ。
「野っ郎、商売が目的で来たわけじゃねえ。略奪だ」
ドージェはそう言うと、青い顔でゲルクに命じる。
「チェモの兄貴を探して、内陸側の城壁に鳥を飛ばすように言ってくれ! このことをあっちに詰めている城砦司令官に知らせねえと」
ゲルクは砦の中に駆け下りていった。
港に出ていた商人たちや港の番兵が入り混じって、とても大砲を撃てる状態では無かったのだ。
港の市民は人質に取られるだろう。
市場に出ている人々は、女子を含む非武装市民だ。
城壁を閉めた後、彼らの命をどうするのか決めるのは市長で、こういう特異な場合の砲撃は、城塞司令官が市長に許可を仰がなければならない。
この貧乏な都市国家に、海賊のふっかける法外な身代金が払えるとは思えない。
不安になりながら、シグメ・チェモは鳩に緊急の手紙を縛り付けて飛ばした。
後は城砦司令官が命令してくれるだろう。
警察長官エメル・ラジスラフもすぐ憲兵を招集してくれる。
寺院からは僧兵が出動する。
だが彼らが門扉の外に出ても、搭載砲をフル使用されたら意味がない。
高い位置からの、砦からの砲撃の方が有利だが、敵はラムリム市民という人間の盾を利用して、砲撃自体を封じるからだ。
シグメはゲルクを見ると、自分の馬の後ろに乗るように言った。
「嫌な予感がするぜ。城門の見回りに付き合ってくれ!」
おそらくシグメ・チェモは、最初から彼にひっかかりを覚えていたのだろう。
ゲルクは、門扉に剣で縫い付けられたかのようにぶら下がっている、門番の死体を見て沈黙した。
続々と大手を振って入ってくる海賊たちを見て、シグメは舌打ちした。
彼らを先導しているのは、新入りのアイザック・デニだ。
いち早く門扉を閉ざした門番たちを殺し、内側から扉を開け放ってしまった。
「市税を前払いでたんまり払ったが、奴の入れ墨が気になってたんだ。武装商戦の──海賊の仲間だったとはな」
シグメ・チェモは憎々しげに言う。
そして、厚かましく笑みを浮かべながら、我が物顔で入城する彼らを睨んだ。
彼らが目の前を通り抜けようとした時、シグメは腰につけていた剣を抜き放った。
「おい、門番の遺体から剣を引きぬけ」
ゲルクに小声で命じる。ゲルクは急いで遺体にかけよった。
「若いのに悪ぃが、付き合ってもらうぜ小僧。僧兵が来るまで時間を稼ぐぞ。居住区まで行かせたら、金品どころか女子どもまで──まあ、皆殺しだろうな」
孤立した都市だ。何をしても許されると思っているだろう。
ゲルクは生唾を飲み込み、シグメと並ぶと頷いた。覚悟を示したのだ。
シグメの目に一瞬罪悪感が浮かぶ。ゲルクはまだ子供だ。
しかし、そうも言っていられないのが、戦場というものだ。
「待てよクズども」
クズという言葉に何人か反応した。その中にはアイザック・デニも居た。
「この城塞都市は俺たちが守るぜ」
シグメは息を吸うと、屈強なならず者たちにうちかかっていった。
※ ※ ※ ※ ※ ※
「思ったより目立たないなぁ」
医師は不思議そうに、リンファオのお腹を見ている。
聴診器をあて、確かにもう一つ鼓動が聞こえることを確認し、また首をかしげた。
「七ヶ月じゃあ、こんなちゃちな聴診器では、心音は聞こえないはずなんだが……やけにはっきり聞こえる。これならもっと大きく育ってそうじゃがのう」
リンファオは笑って、膨らんだお腹をさすった。
土蜘蛛の体質だ。
不格好な妊娠期間をなるべく美しく見せるために、臨月でいきなり腹がせり出す巫女が多かった。
巫女は常に美しさを保つことが義務。それはもう、遺伝子的なレベルで生体をも変えてしまうほど、重要なことなのである。
こんなことを医師に暴露すれば、気味悪がられるだけだなので、もちろん黙っていたが。
「きっと私に似て、小さな子どもなんですよ」
リンファオはごまかした。
そのとき、何かを感じた。肌の表面を撫でる、不穏な気配だ。
突然立ち上がったリンファオを見て、老医師が驚いている。
「なんだ? どうした?」
リンファオは戸口に走った。
それと同時に、砦と寺院の鐘が申し合わせたように、けたたましく鳴り出した。
医院を飛び出し、しばらく辺りの気配を探る。しかし鐘の音は、リンファオの聴覚や触覚を妨害した。
だが、明らかに気が乱れている。人々の気が。
やがて、下の村の住人たちがこちらに走ってくるのを見つけた。
皆、血だらけでフラフラだ。
「うわっ、大怪我じゃないか」
隣に出てきていた医師が、うわずった声で叫ぶ。
「いったい何があったんだ……。おまえらっ、手当てするから早く中に入れ!」
老医師が険しい顔で呼んだ時、リンファオが
「待って」
と耳をすませる。
怪我人たちの後を追うものがいた。
馬に乗った男たちが、通りの角から悠然と姿を現したのだ。
医師はその中の一頭の馬が、交配の末に成功した白地に縞模様の、珍しい種であることに気づく。
「マラキ家の馬だ。だけどあいつらマラキ家に雇われているやつらじゃない。馬泥棒か? 見かけねえ顔のやつらばかりだ」
あろうことが馬に乗った男たちは、通りに立ち並ぶ家の窓に向かって、燃えた松明を次々に投げ入れはじめたではないか。
中を煙だらけにされた家の住人たちが、咳き込みながら転がるように外に出てくる。
医師がやっと、鐘の意味に気づいたようだ。
「な、なんてことを。あいつら野党なのか? 市壁の外のやつらに違いねえっ。一体どこから入った?」
医師は、真っ青になって吐き捨てた。
ならず者たちは、転がり出て逃げ惑う村人たちの中に若い娘がいるのを見つけると、担ぎ上げて馬に積んだ。
追いすがる父親を棍棒で殴り倒す。家の中から食料が運び出される。
軍隊や、大規模な賊の通った後の村は、まるでバッタの大群が畑を襲った後のようになる。
規模は小さいとは言え、まさにそれだった。
──略奪と暴行が行われているのだ。
村の方から、さらに走って逃げてくる若者たち。
ケガをしているにも関わらず、気丈にも漁に使う銛を構えながら、踏みとどまった。
後からさらに、怪我人たちが来る。ぞくぞくと、お互いを支え合うようにして、足を引きずり逃げてくる。
まだマシな状態の若者たちは、銛をかまえて老医師の前に、庇うように立った。
「怪我人の治療をお願いします。まさか天教の聖地に海賊が入ってくるなんて」
「海賊だって?」
医師とリンファオは声をあげた。若者は干物を売りに、港に行く途中だったのだ。
「珍しく商船が来てただろう? みんな久々だから舞い上がっちまって。……注意すべきだった。賊だったんだよ。俺たちはいつも帝国軍にばかり気を取られていたし、その上目先の交易品に、本来ならあるべき警戒を忘れちまったんだ」
帝国艦がうろつく場所に、あまり海賊は来ない。そういった意味での危機感の無さが、城塞都市を危機に陥れていた。
過去取引のあった自由都市の旗を掲げていたことも、油断に繋がった。
あの岩礁だらけの、しかも廃船まで沈めて障害物を作っていた入江の内側に、わざわざ水先案内人を寄越してご招待してしまったと言うわけだ。
ほとんどの村人は固まって、彼らが通り過ぎるのを待っている。
帝国軍すら踏み込めない砦の中に、海賊が踏み込んでくることなんて、今まであり得なかった。
そしてその城壁の中で守られていたラムリム市民は、賊や軍に踏み込まれる経験がなく、あまりに無防備だった。平和ボケというやつだ。
それでも、妻や娘を奪われそうになった夫や親たちは、死にものぐるいで抵抗した。そしてあっけなく打ち殺されていく。
リンファオは体中の血が引いていくのを感じた。すうっと体温が下がる。
警戒しつつも、彼女を追い出さなかった地だ。嫌な奴もいるし、貧富の差も差別もあるところだけど、どこの誰とも分からない自分を置いておいてくれた人たち。
彼らはそれを、当たり前のように破壊している。
無力な人間に襲いかかる群れは、試練の島の、番人たちを思い出させた。
身体の奥から湧き上がったのは純粋な怒り。
リンファオは、近くの若者が持っていた銛を奪い取った。
え? とこちらを見る村人には見向きもせず、すたすたと海賊たちに近づいて行く。
漁師の若者がびっくりしてその肩を掴むが、少女に振り払われた。
次の瞬間、海賊の一人の胸に深々と銛が突き刺さった。
呻き声一つ上げずに落馬した仲間を見て、ざわっと男たちの間に緊張が走り、馬首を巡らせる。
だが目にしたのは、小柄な少女。すぐ近くまで躊躇なく歩いてくる。
「この前の晩は、よくも恥をかかせてくれたな?」
声の主に見覚えがあった。アイザック・デニだ。リンファオは馬上を見上げる。
「あなた、海賊の仲間だったのか。手引きしたのはあなたね?」
綺麗な声だと全員が思った。なめらかなシルクを思わせる艶やかさは、男たちをゾクりとさせた。
「ガキんちょだが、すごい上玉だ」
海賊の一人が叫ぶと、少女を攫おうと馬から身を乗り出した。
戦利品は早い者勝ちだ。
リンファオはその上体を掴み、逆に引き摺り下ろした。
男が叫び声をあげ、起き上がろうとするその背中を、ダンッと足で踏みつける。
身動きできない男の腰から、剣を抜き放った。それから長いスカートの裾を縛り、彼らを見渡す。
怒りのあまり、感情が静まり返っている。
自分のものとも思えないほどの冷めた声で、リンファオは言った。
「生まれてきたことを後悔したいやつから、かかってこい」
馬が怯えたように棒立ちになる。馬に乗っていた一人がなんとか手綱をさばき、落馬を免れた。
それから、訳のわからない恐怖を払うかのように、叫びながら少女にうちかかっていった。
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