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ラムリム市編

ゲルクの初恋

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 ゲルクの働きっぷりには感心させられた。

 それは村の人たちの評価でも分かる。

 漁に出れば魚の集まる場所をすぐに当て、彼が手伝いにいった釣り船はいつも大漁だった。

 帆の扱いなど、ベテランの大人たちより上手いらしい。

 羊の毛を刈るのも一番早い。紙屋や製鉄屋、革なめし屋、ありとあらゆる大人たちの手伝いをして、小金を持ち込んでくる。

 元来手先が器用なのだろう。

 ラムリム市の港には、どこの王権からも独立した自由都市の商船が、商売に来ることもある。

 帝国の封鎖艦隊の隙をつき、ここで自給できない物を売りに来るのだ。

 そこから荷を運ぶときは、一番大きな男より多く担いだ。

 さらに、思い出したようにちらほらやって来る帝国の軍艦も、砦の砲で追い払う。

 これが、リンファオより歳下の少年の仕事ぶりとは思えなかった。

 彼は明らかに老齢のテレーザの助けになっていた。

 世話になっているのだから、リンファオもできるだけ役に立ちたい。

 ゲルクの仕事を早く覚えて、代わってやれないだろうか、と思うのだが。

 しかし、そんなリンファオをゲルクが止める。

「いいよ、ついてくるなよ、テレーザの機織りを手伝ってやってくれ──」

 ゲルクは憂慮していた。

 同じ砲を担当するドージェが、リンファオの容姿に気づいたのだ。

 この男は市の有力者のドラ息子で、大酒飲みの乱暴者だった。

 町の鼻摘みものなのだ。

 ゲルクはなるべく、リンファオを隠しておきたかった。

 しかし、ドージェはゲルクの家に居候している美少女のことを、やたらと聞きたがった。

「おまえの女なのかよ?」

 ドージェは例によって、砲の点検をしているゲルクに絡んだ。

 無精ひげの生えたあばたヅラをごしごし擦りながら、夢想するように遠くを見た。

「まだガキだが、とびきりの女に成長するぜ。おまえのじゃないなら俺によこせ」
「よこせって言われても、物じゃないし」

 ゲルクは適当にかわしながら、吐き気がするような嫌悪感に耐えていた。

 リンファオはこんな下品な男が想像することも許されないような、神がかった美しさの娘だった。

 ゲルクは思わぬ宝を拾ったことに気づいていたが、どう扱っていいか決めかねていた。

「市長に報告もしてない。それに、まだ一度も寺院に祈りに来ないじゃねーか。異教徒なんじゃねーだろうな」

 ドージェは煙草をふかしながら、ギロリと少年を睨みつける。

 ゲルクは真鍮製の砲身を磨きながら、肩をすくめた。

「海神信仰じゃあ、ないよ」

 天教でも無いけれど……。そもそも天教徒なんて少ないじゃん。

 よけいなことは言わず、せっせと砲の準備をしていると、今度は隣の砲の、トゥクチュという初老の男が会話に入ってくる。

「おまえんとこに転がり込んだ娘っこは、海から拾ってきたんだべ? 教祖が予言の悪魔じゃないかって疑ってるらしいがね」

 ゲルクはひどく驚いて、白髪の混じったヒゲ面をマジマジと見つめた。

 トゥクチュが言うには、教祖ラーマダは遭難した少女にとても関心を抱いているという。

 開祖の作った石の経典に、天教徒の最大の試練として、海から悪魔が現れることが示唆してあるというのだ。

 天教の僧侶たちは皆、その海から来る悪魔を、海神リーヴァイアンを信仰するアリビア水軍のことだと思っていた。

 しかし、このラムリムの天然の市壁内に入ってきた世にも美しい少女の話を聞いて、巷にそんな噂が流れ出したのだ。

(ああ、くだらない)

 ゲルクは捨てられた子供だ。

 孤児院に入る前や、出たあとも飢えを何度か経験した。

 市外の、同じゴミ捨て場で死んでいった子供たちのことも覚えている。

 とっくの昔に、神なるものに期待することはやめていた。

 その神の言葉を綴ったという、石の経典に書かれたことも、まあテレーザには悪いが眉唾だと思っている。

 ゲルクは、リンファオの儚げな美貌を思い出した。

 長い睫毛を伏し目がちにして、艷やかな髪の毛を可愛らしい耳にかける仕草など見ていると、何ともいえない気分になる。

 ゲルクはそっちの方には疎い方だし、まだ男になっていない。

 剥けてはいるが、立派なチェリーだ。

 ところが、ありえないような美しい少女が同じ屋根の下にいる。

 そのことで、やっと思春期的な感覚が目覚めてきたのである。

「おまえにゃあ、もったいないよ」

 ゲルクの表情から、心を読んだドージェがせせ笑った。

「おまえみたいな孤児で、しかも貧民街に住んでいる童貞が囲うにはな、あの娘は上等すぎる」

 囲うってなんだよ、囲ってねーよ。童貞は確かにそうだけど……。

 ゲルクはムッとしたが、黙っていた。

 町の連中といちいちやりあっていたら、テレーザに迷惑をかけてしまう。

 ゲルクは見た目より大人びていた。

 物心つく前に捨てられたゲルクは、誕生日が分からない。幼児期に栄養が行き渡らなかったために、発育が悪いのだと思う。

 十二、三歳位だと言われてきたが、実際はもう一つくらいは上なのだろう。

 見た目はチビでも、感情を制することができるし、理論的な考えができる。

 カッとなって何かを台無しにすることはまず無かった。

 だけどこの意地の悪い乱暴者が、リンファオのことを話すのは嫌だった。感情のまま、殴り飛ばしたくなる。

 美しい女神を、貶められている気になる。

(俺、どうしちまったんだ)

 ゲルクは痛む胸を抑えて、ため息をついた。






 リンファオはかつて無いほど、安定した生活を送っていた。

 海側の砦のすぐ近くは貧しい者が住む場所らしいが、そんなことはまったく気にならなかった。

 任務中は、床下や梁の上での生活があたりまえだったし、里での生活は、辛く孤独だった中洲での暮らしが強烈すぎて思い出したくもない。

 自分より歳下の稚児たちの世話をする、慌ただしい共同生活なら経験したことがあるが、一般家庭がどういうものか分かっていなかった。

 温かいご飯が出てきて、テーブルに座って一緒に食べるなんて生活は、経験したことがなかったのである。


「リンファオは少食だな」

 ゲルクは焼いた鳥肉にかぶりつきながらも、リンファオの食べる様子を見ている。

 初めて彼女を拾った時の食欲はすごかったけれど、それ以来一回にあれほどの量を食べるところは見たことがない。

 白く細い指が上品に肉と骨をわけ、小さい口でちょびちょび食べる。

 リンファオの背筋はいつもピンと伸びている。

 話し方はサバサバしているが、それを別にすれば、ものすごく躾よく育てられたお嬢様のようだ。

 だけど不思議だ。

 動作はむしろきびきびしているのに、何で滑るようにたおやかに動けるのだろう。

(綺麗だなぁ)

 気づくとゲルクは、いつも彼女を目で追っていた。

 テレーザはそれに気づいていて、ゴホンと咳をした。

「食べることに集中しなさい」

 テレーザがゲルクのおかわりを取りに厨房に行くのを見て、彼はついに我慢できなくなった。

「あの、あのさー。もし彼氏とかいないんだったら、俺たち付き合っちゃわない?」

 ものすごく、軽い調子で言ってみた。

 これなら断られても、冗談で済ませられる。

 こズルい考えだが、気まずくなるよりはマシだ。

 ゲルク自身も、恋だの愛だのがよく分かってないので、これは同じ屋根の下に若い娘がいることに対する欲情なのかな? とも思う。

 だけどリンファオは年齢が──おそらく──上なんだから、自分がチェリーでもたもたしていても、色々教えてくれるかもしれない。

 何よりも、自分の彼女ってことにしておけば悪い虫はつかないし。

「俺がガキなのは知ってるけど、その……歳下の男ってのもけっこういいぜ?」

 何がいいのか説明できない。ただ、おばちゃんたちの井戸端会議で聞いた話によれば、年下は可愛いらしい。

 残念ながら自分に可愛げなど無いことを知っているゲルクだったが、ほかの男に狙われるのは阻止したかった。

 言ってから勇気が湧いてきて、さらに将来的には結婚してほしい、そんな台詞を言おうとした矢先、リンファオが口元を抑えた。

 温かい食事で上気していた顔が、すうっと青ざめていくのをゲルクは目にした。

 ダダッと外に飛び出して行く。

 ゲルクは告白し損ねて、慌てて後を追った。

「どうしたんだ!?」
「おうぇっぇええ」

 リンファオは草むらで吐いていた。

「吐くほど嫌だった!?」

 冗談かと思ったが、リンファオは死にそうな顔をしている。

 仰天して慌てて家の中に戻ると、木桶に水を汲み、麻布をもって引き返す。

「大丈夫か? どこか悪いのか?」

 背中をさするゲルクに、リンファオは首を振った。

 大丈夫だ、という意味ではなく、分からない、だ。

 村にはよぼよぼの医者が一人いる。

 すぐに連れて行こうとすると、様子を見に来たテレーザが、ただごとではないのを感じ取り、かけよった。

 彼女が漂着してから二ヶ月、テレーザはリンファオを娘のように大事に思っていた。

「ロバに荷車をつけて。リンファオを乗せるのを手伝って」

 さらに外套を持ってくるように、ゲルクに指示した。


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