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研究特区編
雨宿り
しおりを挟む季節というものをあまり感じられないアリビアの国にも、稀に雨季がある。
やっかいなことに、毎年おなじ時期というわけではない。
例によって、意地の悪いエドワードから森の奥に薬草を採りに行かされていたリンファオは、突然の雨に降られた。
目を開けていられないほどの雨の勢いに、仕方なく休憩をとる。
巨木の根っこの下に大きなウロを見つけ、薬草の入った麻袋を守るように抱えながら潜り込んだ。
里の巫女たちは、雨乞いの祭りで力を統一すると、雨を降らせることができる。
その逆も然りだ。
巫女たちが集団で祈ると、考えられないような奇跡を起こすことができる。
こんな巫女のなりそこないの自分でも、この雨を止ませることができるだろうか。
私事で神落としを実践しようとする輩に、神が力を貸してくれるとは思えないが。
シショウがシェルツェブルクの任務を離れて数ヶ月。
休暇に手紙を持って会いにきてくれていたシショウがいないと、何もかもが色あせて見える。
メイルンの手紙も密かな楽しみだったけれど、赤子の世話の経過報告以来、音信不通になっている。
仕方がない。届けてくれる人がいないのだから。
もしかしたらメイルンは、タオイェン経由で手紙を出しているかもしれない。しかし、それを厄の子のためにわざわざここまで届けてくれる奇特な土蜘蛛は、シショウ以外一人も居ないだろう。
ロウコの腕に恐れをなしたのか、あれから蛟の襲撃は無い。
要するに、今はエドワードのパシリに遣われているだけで、すこぶる退屈だった。
海辺の施設だったら、と思うとぞっとする。
泳げないのに、珊瑚だの貝だの取ってこいとか言われそうだ。
リンファオは降り止まない雨を見上げ、ピィッと口笛を吹いた。
すると、どこからか赤みがかった隼が飛んできた。雨に負けないように、滑空してくる。
そして濡れたことを怒っているかのように、乱暴にリンファオの腕に止まった。毛を膨らませて露を払う。
「痛い、爪を立てないで」
リンファオは、伝書用に隼を飼いならすことに成功した。
と、言っても、一般の人間が使っている鳩のように、帰巣本能を利用した訓練をしたり、犬のように匂いを覚えさせたりするわけではない。
気力で操るのだ。
猛禽類は他の鳥よりその本質が高等で、だからこそ土蜘蛛の一族になら操ることができる。
鳩と違って小さな荷物も送ることができるので、皇帝や皇室関係者、大貴族が欲しがった。
新たな現金収入の市場を狙ってか、里で洗脳したやつを何匹か、王室や大貴族、そして都の新聞社に寄贈したと聞いたことがある。
しかし、一般人が操るとなると、複雑な命令系統を理解できず、大した役にはたってないらしい。
なので、猛禽は基本的には土蜘蛛専用の伝書鳥だ。
「せっかく捕まえても、メイルンに封書を預ける気にはならないな」
忙しいだろうし、厄の子と親しいのは彼女のためにならないだろうし。
寂しそうに呟くと、さらさらとメモ紙に伝言を書く。ヘンリーから貰った、インク入りペンは最高に使い勝手がいい。
それを隼の足に結び付けると、じっとその濡れそぼった鋭い顔を見つめた。
黒い目が見つめ返す。
リンファオはイメージを送った。ヘンリーの纏うオーラを、その赤黒い猛禽に刷り込む。隼は一声鳴いて飛び去った。
『雨が酷いから、少し収まるのを待つ』そうエドワードに伝えたかったのだ。
薬草は自生しているものだし、雨に濡れてしまっても大丈夫だと思うが、念のため持たせなかった。
かさばるし、慣らしたばかりの猛禽が紛失したら、また一から採集し直しだからだ。
「あ、しまった」
リンファオは呟いた。隼が飛んでいった時にエドワードだったら──。ヘンリーのイメージで気を刷り込んだのは、失敗だったかもしれない。
「あいつ、迷うかな」
無事にヘンリーでもエドワードでもいいから、あのメモを届けてくれるといいけど。
何せエドワードの方は短気で、遅れるとめちゃくちゃ怒る。
「二重人格って面倒」
リンファオは両肩を抱いて身体を温めようとした。
温暖な国とは言え、湿った服のままはさすがに冷える。ずぶ濡れ覚悟で帰った方が良かったかな。
しかし、雨足はますます強まり、外は景色が見えないほどだ。
リンファオはこのままうっかり寝てしまわないように姿勢を伸ばし、結跏趺坐する。
瞑想し、外気のパワーを取り入れて身体を温めよう。
──だが、今日に限って気を集中しようとすると、雑念が入ってくる。
(やはりメイルンに手紙を送ればよかった)
もし向こうからシェルツェブルクに封書が届いているなら、返事が来ないことを不審に思うだろう。リンファオのことが心配で夜も眠れなくなるかもしれない。
「いや、やっぱり迷惑をかけてはいけない」
向こうから来るのはいい。他人宛の手紙の中身をいちいち読むほど、都の連中は暇じゃないだろうし、送り主の──メイルンの名前を見たところで何者かなんて分からないだろうから。
だけど、リンファオの名前は里では知れわたっている。
厄の子の名前で送られた手紙がメイルンの元に届いたら、メイルンまで無視されるようになるかもしれない。陰険な巫女も居たから。
もちろん本人は、そんなこと気にしないだろうけど。
「メイルンの子供は男だったのかな、女だったのかな」
前回の手紙で、性別を確認する前にメイルンから取り上げられたことが分かった。
土蜘蛛の子は、里全体の子。母親には何の権利もない。手紙にはその不満が書き連ねてあった。
「メイルン、大丈夫かな」
青虎が近くにいるわけでもないのに、つい独り言が出てしまう。
そういえば、最近ロウコの気配がやたら無くなる。
ここのところリンファオの気力はどんどん上がっているから、気配を読み違えているわけではないと思う。
(もしかして、蛟を張っているのか?)
リンファオは瞑想を諦めた。
今日は駄目だ。
色んなことが頭に浮かんで、集中できそうに無い。
リンファオは、ぼーっと雨の雫を見つめていた。
こんなところで寝たら風邪をひく、そう分かってはいるのだけれど、うつらうつらしてくる。
雨音は嫌いじゃない。
ただ里では青虎が傍に居てくれたから、こんなに寂しくは無かった。
(寂しい?)
リンファオはくすりと笑う。そうか、私は寂しいのか。そう思ったらちょっと笑えた。
人肌のぬくもりを知ってしまったから。
ああ、シショウに会いたい。
シショウが他の誰かと褥を共にしていようが、そんなことどうでもいい。
会いたい。
ほんの一瞬、こっくりと眠ってしまったのは自覚した。
頭がガクッと落ちたから。
だけどすぐに顔をあげてシャンとしたはずだ。
任務中に居眠りなんて絶対に駄目だから、夢なんか見てない。
目を見開いて、木の根っこに手を置いて中を覗き込んでいる、面の少年を茫然と見つめる。
「うそ、どうして?」
「やっと許可が降りた」
シショウは面を外すと、相変わらず素敵な笑顔でリンファオを魅了した。
「ずっと、ずっと会いたかった」
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