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研究特区編

エドワードはいじわる

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 再び第四施設の梁の上に落ち着いたリンファオに、エドワードがむすっとした声をかけてきた。

 久しぶりだと言うのに、機嫌がすこぶる悪い。

 ある程度の旧式の銃の改造案ができると、今度は何台もの砲身を並べ、前々から言われていた元込め式の試作品を作っているようだ。

 第四施設には、ここのところヘンリーばかりが居たので気の毒だった。

 やっと仕事をする気になったのか、とリンファオが彼を注意深く見守っていると、下から声をかけられる。

「降りてこいよ」

 訳が分からず、言われるがままエドワードの横に降り立つ。

「愛しい恋人は帰ったのか?」
「え? ……はい」

 顔に血が昇り、わざとそっけなく言い返す。

「ちっ、否定はしないのか」

 リンファオの昆虫の面の中は、これ以上ないほど真っ赤になった。熱がこもる。たぶんトマトだ。さっき恋人になったところだ、なんてとても言えない。トマトが破裂する。

 エドワードは、そんなリンファオを疑い深い目で見つめた。

 彼女の真っ白な首筋の、吸われたような痣に気づく。

 エドワードはそれを見ているうちに、嫌な気分になった。

 かつて経験したことがないほど、嫌な気分だ。

 その理由を分析するよりも早く、どろどろと渦巻く感情が噴き出していた。

 低い声でエドワードは言った。

「ああ、恋人などではないな」
「え?」
「土蜘蛛の生態はほとんど不明だが、分かってることだけは勉強させてもらった。貴様らのやってることは、ただの繁殖行為だろ?」

 リンファオの身体が、目に見えて強張る。

 エドワードの辛口は止まらなかった。

「土蜘蛛の男には、そういう感情が無い。一族の存続をかけて、女を孕ませることしか頭に無い」

 私とシショウは違う、リンファオはそう言おうとしたが、喉の奥に何かつっかえたように、反論することが出来なかった。

「あの小僧は、里に戻れば種馬にされるのだろう? 美しい里の女たちと幾夜もすごし、やがてはおまえのことなど忘れる」

 不安を言い当てられたようで、リンファオは黙るしかなかった。

 自分でも、その疑いが捨てられなかったのだ。

 土蜘蛛の男女が結ばれるのは、まさにその行為だけ。想いが重なっても、結ばれるのは肉体。夫婦になれるわけではない。

 家族という外の概念に憧れる少女にとって、それは苦痛だった。

(シショウは、他の女たちとも結ばれる)

 それは仕方ないことだと、自分に言い聞かせてきた。でも、自分は土蜘蛛の考え方とずれているようだ。

──我慢できない。

 堪えきれず、リンファオの目から大粒の涙が溢れる。

 エドワードはぎょっとしたように、少女の面を外そうとした。

 慌てて抑えるリンファオ。

「やめろ、ロウコが見ている」
「だって、泣いてるっ。土蜘蛛は涙を流さないはずなのに」

 慌てふためいたのは、優しい声。ヘンリーに戻ったのだ。

 エドワードは涙を見て、急に引っ込んだようだ。土蜘蛛の涙がショックだったのだろうか。

 リンファオはほっとした。

「ごめん、エドワードが何か酷いことを言ったんだね?」

 顔を見ないようにして、ハンカチで拭いてくれるヘンリー。そしてまた面を戻してくれた。

「あいつは意地悪なだけなんだ。気にしないで」

 やさしいヘンリー。シショウが行ってしまった今、ヘンリーが唯一の慰めだった。

 そんな彼が優しく抱き寄せてくれたから、思わず胸を借りて泣きじゃくる。

「話して。何がそんなに悲しいの?」

 気遣わしげに言われ、リンファオは少しためらった。

 しかし、誰かにこの思いを聞いてほしかった。ロウコに聞かれないように、ヘンリーの耳元で囁く。

「私はシショウが好きだ。シショウも私を好きだと言ってくれた。私とシショウは身体で結ばれたけど、でも……。土蜘蛛には、結婚って言葉がない。家族にはなれないんだ」

 一瞬、ヘンリーの体がこわばった気がした。すぐに力は抜けたけれど。

「それが、不安なの?」

 リンファオは頷いた。

「だって、シショウはこれから里に帰って、いろんな巫女たちの褥に入るから」

 ヘンリーはおずおずと肩をさすってくれる。

「シショウは君を好きだと言ったんだよね? だったら、それを信じるしかないよ」

 リンファオは、真っ赤な目をこすりながら訴えた。

「エドワードが、私とのこともただの繁殖行為だから、他の女ともそうなったら、私のことなんて忘れるって」

 ちっと舌打ちしながら、ヘンリーはもう一人の自分を罵った。

「いいかい、リンファオ。確かに心変わりはあるかもしれない。だけど、それは結婚して、将来を誓い合ったって同じなんだ。家族になったって、しょせん男と女なんだ。ここの皇帝は離婚したいがために宗教改革までしたっていうじゃないか。以来、旧教では禁止されていた離婚が、昨今では当たり前になってる。愛は形があるものではないから、縛れないんだよ。そういう意味では、土蜘蛛も僕らも一緒だ。お互いが強く想い合ってれば、そこに確かにあるんだよ、愛が」

 リンファオはきょとんとしてヘンリーを見つめた。やけに大人に感じる。

 ……え、この人の口から愛という言葉が出るのが、なんか不思議。数式とか元素記号にしか興味ないと思ってた。

……ああ、そうか。

 ぼんやりしていて、研究にしか興味ない人なんだと思っていたけど……。

「現時点で君を好きだから、抱きにきたんだろう? そのことは素直に受け取ってあげなよ。ただの繁殖なら、避妊薬を飲んでる君のところには来ない」

 リンファオはそれを聞いて、やっとほほ笑んだ。たしかに。きっと自分は、結婚とか夫婦とか家族とか、そんなものに、憧れすぎているのだろう。

 不安なのは、ただの嫉妬だ。リンファオは首をかしげた。

「ヘンリーも誰か好きになったことがあるんだね?」

 眼鏡の奥が縮こまった。

「え? ああ、そのー、僕なんかが恋愛なんておかしいかもしれないけど……その……」

 じっと見つめるリンファオに、ヘンリーが諦めたような息をついて頷いた。

「そうなんだ。実は、下の町から食料を届けに来てくれる女の子に手紙を渡した」

 リンファオの声色が、少し高くなる。

「それで?」

 どうやら面の中の顔は、輝いているらしい。

「それで?」

 ヘンリーがうろたえる。女は恋話が好きだ。そしてこんな奇怪な格好をしていても、リンファオは若い娘。どうやら、よけいなことを言ってしまったらしい。

「だから、何て手紙送ったの?」

 食いついてる。

「と、友達になってほしいって」

 かわいい。照れながら言うヘンリーに、リンファオはほほ笑む。好きだから友達になりたい、か。やはり土蜘蛛とは違う。

「もちろんその後は物陰に連れ込んでバスコンバスコン──」

 リンファオは仰天した。すると眼鏡を軽くずらし、邪悪な笑みを浮かべて見ているのはエドワード。

「急に出てこないでっ!」

 リンファオはカンカンに怒った。

「ふん、お綺麗なヘンリーの代弁をしただけだ」

 エドワードは眼鏡を放り上げた。

「男なんてな、結局はやりたいんだ。おまえら女みたいに乙女チックなことは考えてない。ロマンス? はっ!! 好きな女とは、やりたいんだ」
「……す、好きじゃない女とは?」

 恐る恐る聞くリンファオに、エドワードはますます口の端をつりあげた。

「やりたい。よほどのどブスでない限り」

 ショックを隠せないリンファオ。

 シショウはもしかして、ハーレム状態の里での生活をワクワクしながら心待ちにしている?

「据え膳喰わぬは男の恥、という素敵な言葉がある」

 押し黙るリンファオに、エドワードは力説した。

「例え義務じゃなくたって大喜びだよ。土蜘蛛は美女揃いなんだろう? 美女軍団に裸で誘われて、しかも生だしし放題。それって天国じゃん」

 リンファオは顔を覆って、エドワードの傍から走って逃げた。


 エドワードはムスッとしたまま、その背中を見送った。

 一度は泣き止んだようだが、どうやらまた泣かせてしまったらしい。

 青虎がじっと自分を見ている。エドワードが見返すと、欠伸して目をそらした。

 なんで自分はこうなんだろう、といつも後悔するエドワードだった。


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