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研究特区編
ロウコ戻る
しおりを挟むロウコの気配を感じられるようになったのは、間も無くだった。
幸いにも、シショウはもう都へと発っていた。しかしタッチの差だ。危なく見つかるところだった、とリンファオは心のなかで冷や汗を拭う。
それにしても、あの監視役がこれほど長く自分から離れていたのは初めてである。
もし、気配を読み取れないのではなく、近くにいなかったのだとしたら、数日リンファオの身辺を離れていたことになる。
「おい」
めったに話しかけてこないロウコに呼ばれて、リンファオはビクッとなる。
湯浴みはしたが、シショウの匂いが染み付いているのかも。土蜘蛛は嗅覚も鋭い。
しかし、ロウコは特に気にした様子もない。
四六時中リンファオを見張っているにしては、疲れた様子が見えないロウコ。
そこから推測すると、おそらく本当に、気配を読めていないときは、傍にいないのだろう。
施設棟から町に降りて食事をし、宿で風呂に入り、寝床でそれなりに身体も休めているに違いない──そう思いたい。
ところが、声をかけてきたその時は、やけに疲れきって見えた。
黒い頭巾にはあちこち葉っぱがくっつき、足袋は泥だらけだ。街で休んで来たという風体ではない。
「どこに行っていたの?」
リンファオは思わず聞いていた。
「蛟のケンという男を調べに行っていた」
ロウコはポンッと巻物を放る。
見ると、あの時の刺客の情報が、やたら几帳面な字で書き連ねてある。
意外に達筆な小筆さばきだ。変なことに気を取られていると、不機嫌な声。
「蛟史上きっての奇術師だ」
ケンの手の平を思い出す。
「あの掌の目は刺青だよね? 気功術ではないの?」
リンファオは首をかしげた。
麒麟の一族にも、やはり気功ではない不思議な術を使う者がいると聞いたことがある。
複雑な円陣を描いて、幻の神獣を呼び出すとかいう……まあ、話を盛っているのだろうが。
蛟の始まりは、元々古代の奴隷集団が起源である。顔に彫る刺青は、逃亡した奴隷と一般人を区別するもの。
手の平に、目の形の刺青を彫る習慣があるなど、聞いたことが無い。
「北の大陸の僻地に伝説がある。あの目と同じ模様を象徴にしている少数民族がいたという。もう滅びて、生き残りを探すのも難しいらしいが」
「クラーシュの民?」
リンファオは巻物から顔をあげて、ロウコを凝視した。リンファオも、姐巫女から聞いたことがある。
「たしかにあの男、北方の顔立ちをしていたものね」
「クラーシュは、土蜘蛛と同じく血を尊んでいたがな。蛟は薄まっていく自分たち一族の能力を憂い、新しい力を捜し求めている。蛟には円陣を描けるやつがいるらしいぞ」
「麒麟の血を取り入れた?」
リンファオは、あっと口を押さえた。各能力者の女を攫っているのか。
そうなると、確かに土蜘蛛の女は狙われやすい。
「堅牢なあの谷の中に居ればいいが、おまえは──」
まずい、なんかまた殺気立ってる。リンファオはロウコから後ずさりする。
「だ、だから、私は里の女たちとは違う。硬気功も使えるし、神剣にも選ばれているんだ」
妙な技を使う新手の蛟が出たら、問答無用で斬り捨てればいい。あの掌の刺青を見ないように、気をつければいいことだ。
「言っとくが、過去に一度だけ、混血が生まれたことがある」
「ええっ?」
「今の里長が番人だった時代だ。谷に閉じ籠っているのが嫌だったのだろう。度々、外にこっそり抜け出ていた一人の巫女が、麒麟と密通したのだ。……それを黙ったまま、里で男児を出産した」
「なぜバレたの? 父親が子を奪いに来たの?」
リンファオが、恐怖に引きつった声で聞く。
「麒麟の一族の者は、成人し、力に目覚めると額に神獣の姿が浮かびあがるらしい。痣みたいにな。それがあの一族の名の由来だ」
気持ち悪っ。またしても神の御技。遺伝子に組み込まれた、恐るべき神威。
「どうなったの? その剣士は」
「出自を知り、自ら逃亡した。……が、番人に追われ殺された。今の里長が殺したらしい」
「ひどい」
リンファオは唇を噛んだ。生まれた子に罪はないのに。
それに、混血の何が悪いのだろうか。土蜘蛛の力の濃度を保つため? ばかばかしい。
土蜘蛛同士の交配ですら、力の無い者が生まれているというのに。
「私は巫女じゃない。剣士よ。……だから大丈夫」
ロウコは顔を歪めた。
「ふんっ、その自信に足元をすくわれなければいいがな」
リンファオは赤くなった。確かに自信はある。
初体験を経験して、一皮向け、なんだか人間的にも成長して大人になった気分だったからだ。
もちろんそんなこと、この処刑人に言えるはずもないけれど。
それに最近考えるのだ。
確かにロウコは手強いけれど、本当に負けて殺されるのは自分なのだろうか、と。
女になった今のリンファオの身体は、かつてないほど気が満ちて、力が溢れている。
土蜘蛛の外見が身体能力の最盛時期を長く留めるなら、どんどん成長している今、最盛ではないということだ。
自分は大人になれば、もっともっと強くなる。
──誰にも、そうこのロウコにすら、劣る気がしなかった。
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