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研究特区編
襲撃 2
しおりを挟む蛟の襲撃があったのは、それから二ヶ月ほど経ったある日のことだ。
油断をするつもりはないが、休息をまったくとらないわけにもいかない。
青虎にまかせて寝室で泥のように眠っていた時、悲鳴と大きな物音が聞こえた。
リンファオは飛び起きると、大急ぎで騒ぎのあるほうへ駆け出した。
同じく叫び声を聞いた護衛たちが、後ろから走ってくる。
居住地から研究棟へ伸びた舗装路を走りぬけていく途中で、顔に刺青のある男たちが飛び掛ってきた。複数いる。
リンファオは神剣不死鳥を抜き放つと、切り結びながら走った。彼らを相手にしている暇などない。
蛟と対等に渡り合えるかは疑問だが、後ろの護衛たちを信じて任せることにした。
リンファオが守るのは、ヘンリーただ一人。適当にあしらいながら、ヘンリーのところへかけつけた。
青虎が毛を逆立てて、ヘンリーを庇うように立ちふさがっている。
その向かいには、顔に刺青のある大柄な男──かなり大きい。
蛟も東の大陸の出身だ。こんなアリビア人のような、がっしりした体格の者は珍しい。
(血が混じってきているのか)
ヘンリーが無事なことに少し余裕が出たリンファオは、しげしげとその蛟を眺めた。
こちらを見たその顔は、刺青が入っていても特徴が分かる。北方の人種のような、彫の深い冷たい顔立ちだ。
むしろ蛟の血なんて入ってないのではないか、とすら疑ってしまう。
「おまえが子供の土蜘蛛? 子供というより──」
蛟の視線が、リンファオの身体を這う。
細めた目は酷薄そうで、ゾクゾクッと背筋が寒くなった。その瞳が驚愕に見開かれる。
「貴様、女か?」
ばかな、胸は潰してるぞ。
汗などかかないはずの土蜘蛛であるリンファオ。しかし面の下を、冷や汗が伝ったような気がした。
ヘンリーも焦り、青虎の後ろから叫ぶ。
「女じゃないよっ、その護衛はカマっぽいだけだ」
いや、カマっぽいって……。
リンファオはそう突っ込みたかったけれど、相手から目を離す余裕が無い。
この男、相当な手練だ。
──と、その時、蛟の姿が消えた。
「上だっ、シマ!」
そう教えて、自分も動いていた。
キィーンという音が響いた。
蛟の振り下ろした白刃を、リンファオの神剣が受け止めていた。
ぐぐっと沈みそうな重みに耐える。
青虎は、ヘンリーを庇うように覆いかぶさっていた。
(こいつ、ヤバい)
リンファオは一瞬でそう判断し、刀を弾いて体勢を立て直した。
この男、見た目で油断しそうになったが、蛟の中でもたぶん一級の刺客だ。
一方、蛟の大男は興味を引かれてリンファオの神剣を見つめた。
刀身に浮かぶ、明らかに波紋とは異なる文字に目を見張る。
「女の剣士など聞いた事が無い。それに神剣……? やはり男なのか? あいつらが里の外に女を出すはずが無い。すごい腕だ。……おまえ、名前は?」
リンファオは返事をしない。声で女だとバレるのを恐れたのだ。バレても、どうせこの世から消すのだから問題ないが──。
完璧な殺意を持って、リンファオは蛟に飛びかかった。
逃げようとした男に手のひらを押し当てて、硬気功を発する。
バッ、と室内が発光する。
それとほぼ同時に、パシッという大きな静電気のような音が発せられた。
「ばかなっ!?」
弾かれた。蛟はにやにや笑っている。
「蛟に気功が使える者がいるとは思わなかったか? いたとしても、押し負けるはずがない、とおまえら土蜘蛛は思っているんだろう?」
リンファオが再び身構える。好敵手だ。
蛟の大男は、そんなリンファオを見据えながら続けた。
「体質、血の濃さだけが、気功の全てではない。持って生まれた資質で劣るなら、それが補えるだけ、鍛錬するまでよ」
リンファオの眉が吊りあがる。
それを言うなら、鍛錬で土蜘蛛が負けるはずが無い。
ましてや神剣遣いともなると、常人なら耐えられないような鍛錬をつんできた。
神剣が選ぶのは、その試練を這い上がってきた者たちだけなのだ。
「私たちを舐めるなよ」
思わず呟くと、蛟の男は舌なめずりした。
「甘い声だ。舐めたくなる」
ゾゾッ、となるリンファオ。
毛を逆立てた青虎のように警戒しながら、男を睨みつける。
「まあ聞け。俺は蛟のケン。貴様次第では、この仕事降りてもいい」
「なに?」
リンファオが怪訝そうに、その大柄な刺客──ケンを見つめる。
一度受けた仕事を反故にすることは、一族の信頼を失う行為だ。今後の依頼件数にも関わってくる。
「……どういうことだ」
「雇い主殿は、そちらの白衣を着たヘナヘナした坊ちゃんが欲しい。手に入らないなら殺せ、が命令だ。だけどそいつは、俺たちにとってはどうでもいい存在だ」
どうでもいいって、お金になるじゃないか。リンファオは顔をしかめた。ケンは続けた。
「お前が代わりに、俺たちのところに来るっていうなら……もう狙わない」
青虎に掴まって起き上がったヘンリーが、眼鏡をずりあげて目を丸くしている。
「ま、待ってくれ、それって僕を見逃す代わりに、リンファオを捕まえるってこと?」
「そうとってもらってかまわない」
ザザッと、ケンとリンファオの間に何かが降り立った。
目にも留まらぬ速さで、蛟の刺客は後ろに跳ぶ。
二つの刃は、今までケンが立っていた場所を両断していた。
「あっぶね」
ケンは冷や汗を拭って、突然現れた土蜘蛛の刺客を眺める。
「もう一人居たのか。気配を追えなかった」
ロウコは無言だ。問答無用で切りかかって行く。
ケンは、その神剣を自分の曲刀で何度も受け止めた。
リンファオは呆然と二人の攻防を見る。
まず、ロウコが介入したことに、驚きを隠せなかった。
そしてこの大柄な蛟の男が、ロウコの攻撃を防いでいることに対しての驚きも。
ロウコは無駄な話などいっさいせず、ただ相手を殺そうとする。
彼に理由は要らないのかもしれないが、リンファオには不思議でしょうがなかった。
ロウコの任務は厄の子の見張りだ。
ヘンリーが攫われようと、もちろん、リンファオが殺されようと、どうでもいいはずなのに。
舌打ちし、ついにケンは逃走した。
指笛を吹き、ちらりとリンファオを見てから、換気目的の木の格子がはまった開口部を突き破り、外に転がり出る。
それを追うロウコ。唖然とするリンファオとヘンリー、そして研究員たちの前から二人はいなくなった。
満身創痍の他の護衛が追いつき、二人の元へかけよる。
「刺客は退散しました。何かアターソン博士の資料は盗まれていませんか?」
ヘンリーは首をふった。
他には目もくれず、まっすぐに彼を攫おうとしにきたのだ。
おそらく、蛟の雇い主に目をつけられた。ウィリアム・アターソンの息子の、頭の中身を。
土蜘蛛の護衛が未だについていることから、その息子の存在の大きさを量ったのかもしれない。
「換気口は鉄柵にしないとな」
ヘンリーはポツリと呟いた。
気になってロウコを追ったリンファオは、途中の森の中、蛟の遺体を見つけた。
だが、あのケンとか言う男ではない。
ロウコにやられたのは、見事な切り口で分かる。
(どこだ?)
目を細めて木々の間を見渡す。
気配を追うとき、リンファオは森と一体になるのだ。
「こっちか」
リンファオは走り出した。
まるで足跡のように、蛟の遺体がいくつか落ちていた。
一級の刺客は単独行動が多いと聞いたが、今回は大所帯で来たようだ。
一匹くらい捕まえて、雇い主の名前を吐かせなければ。どうも、ロウコにそのつもりはないらしいから。
その時、森の開けた場所に出た。
再び対峙しているロウコとケン。足ではロウコに敵わないと判断したのだろう。
リンファオは神剣不死鳥を抜き、ロウコの隣に立った。
「蛟に、おまえと渡り合えるほどの剣客がいるとは思わなかった」
リンファオはケンの異質な青い目を見つめながら、隣のロウコに囁いた。
そして今度は、相手にも聞こえるような声でつげる。
「二人なら殺れる」
ロウコがうめき声をあげた。ハッと横を見ると、番人の体が強張っているのが分かる。
まさか、どこかやられたのか?
とっさにケンに目をやったその時、リンファオも見てしまった。ケンの手のひらに描かれた、目の形の刺青を。
(動けない!)
術にかかってしまった。ロウコもこれで動けなかったのだ。
「今日は退いておく」
蛟のケンは、じりじりと後ずさりながらそう言う。
「だからおまえらも追うなよ」
そう言うが否や、一目散に森の中へと駆けていった。
ケンは去ったが、目の呪縛はまだ続いていた。
しばらくして、やっと金縛りが解けた二人はガクりと膝を突いた。
他の蛟が生きていたら、殺られてた。
こんな奇妙な術は、初めて体験した。
もちろん彼らの全てが、あんな奇術を使えるわけではない。おそらく、あのケンという男は特別なのだろう。
「あんなのがいるなんて聞いてない」
リンファオが苦しげに息をつきながら言った、その時だ。
殺気と、白刃が襲い掛かった。反射的に転がってよける。
「ロウコ!?」
フラフラと立ち上がったロウコを見て、気でも触れたのかと思った。
「たった今助けてくれたじゃないか。どうして──」
再び神剣双龍が迫ってくる。殺気は本物だ。
青虎の島で、処刑されそうになった時のことを思い出す。
リンファオは、問答無用で来た三度目の攻撃を不死鳥で受け、そのままロウコに目線を合わせた。
正気だ。
リンファオは丹田に呼吸を溜めた。一瞬躊躇ったのち、ハッと息を吐きながら気を飛ばす。
ロウコはもんどりうって、背後に倒れこんだ。
「きっさま、この俺に手を出していいと思っているのか!?」
やっとロウコが低い声を出した。
しかしそれはこっちの台詞だ。何もしてないのにいきなり殺されかけたのだから。
「どういうことか、理由を話せロウコ」
リンファオの必死の口調が、ロウコの頑固な口を開かせた。
「女だと疑われた。いや、やつは気づいている」
「それの何が問題なんだ?」
わけが分からない。女でも神剣に選ばれた。だから、神の意志を試すために青虎の島に送られたのだ。
「もう試された。女であることが罪ならば、里長は私を外には出さなかったはずだ」
「外部の者に知られてはいけないっ」
リンファオは、困惑して首をかしげた。
「なぜ? 里長がそう言ったのか?」
ロウコは黙った。これはあくまでも自分の判断だ。
だが、一族の力の根底にあるもの。
濃い血が、土蜘蛛という一族の力を支えている。
外に土蜘蛛の能力が漏れるくらいなら、殺したほうがいいのではないかと。
だがまた、土蜘蛛の女を葬るということは、土蜘蛛の衰退にも関わってくる。
気功を操る能力は、女からのみ遺伝するのだ。そして男の血がそれを増幅させる。
年々減っている女児の出生率を考えると、自分のしようとしたことが正しいのか、誤っているのか分からない。
結果、ロウコは黙るしかなかった。
ロウコが少し落ち着いたのを見て、リンファオはそっと彼に近づいた。双龍の間合い──刃が届かない程度に。
「何が……心配なの?」
静かに聞かれ、ロウコはふーっと長い息を漏らすと、仕方なく話しだした。
「そもそもの土蜘蛛の存在意義は、その特殊な能力だ。巫女たちの神落とし。剣士たちの硬気功術。この力の強さは、一族間で契りを成さなければ保てない。外部にその血が漏れれば、質が落ちたその者たちは、もう土蜘蛛とは言えない。もはや土蜘蛛という民族の存続が危ぶまれ──」
「ばっかばかしい」
リンファオは思わず呟いていた。
ものすごく悩んだのに一笑に付されて、ロウコはムッとなった。しかも聞いたのおまえじゃん、という気分だ。
睨まれても、リンファオは軽く肩をすくめる。
「外の人間にも、さっきのような奇術を使う男がいるんだよ? 気功だって──はっきり言って土蜘蛛の能力なんて、そんなに躍起になって守るようなものじゃないと思う」
ロウコはポカンと口をあけた。
元々里の警護と見張りを務める番人の長を務め、土蜘蛛という個体を守ることに命をかけてきた自分を、真っ向から否定されたのだ。
頭が真っ白になる。
新人類、若い世代に対する一種のジェネレーションギャップである。
足元から何か崩れていく。
こいつには、土蜘蛛の一族としての自覚がまったく無い。
(やはり殺すか)
そう考えたその時、リンファオは付け足した。
「それに、ヘンリーから貰った避妊薬を飲んでいる。攫われて無理やり繁殖させられそうになっても、子供はできないよ? だいいち、私を攫うことができる人間なんて、そうはいない」
ああ、それもそうか。
ロウコはそれについては納得した。
この小娘は確かに手強い。
取り急ぎ、抹殺しなければならないという理由は無くなったが……。
不安でしようがなかった。
リンファオには、土蜘蛛の血に対する敬意や誇りがまったくない、ということに気づいたからだ。
しかし、彼女のその考えがどこから来たのか──ロウコに殺されかけ、里人に村八分にされたせいである──と、いうことには、ついぞ気づかなかった。
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