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研究特区編
エロの巨匠死す
しおりを挟む騒ぎの元は、蛟の襲撃ではなかった。
ウィリアム・アターソンが居住地区で倒れたのだ。
きょとんとしている青虎を懐にしまうと、青い顔で床に倒れふしたウィリアムに近づく。
駆けつけた研究員たちも心配そうに覗き込む中、ヘンリーは彼の脈を測っている。
「ベッドまで運ぼう」
ウィリアムは病気だったのだ。どうりで、生気が他の人より弱いと思った。やけに痩せているし。
リンファオはオロオロしてヘンリーを見た。
しかしヘンリーの方は、とっくに覚悟していたようで、落ち着いている。
「もう意識は戻らないと思う……今夜が峠だな。僕は、間に合わなかったんだ」
そういうことか。
なぜヘンリーがあれほど焦っていたのかやっと分かった。
ウィリアムの病気を治そうとしていたのだ。
「父さんの病気は、まだ治療法が無い」
ヘンリーは父親の苦しげな寝顔を見ながら、誰にともなく呟く。
リンファオは、こういう時の気遣いが分からない。黙って相手が話すに任せた。
「世の中に治せない病気はたくさんある。外科的手術で病巣を取り除くのも、限界があるしね。僕なりに模索してきたけど……」
声が震える。
「何が天才だよ、自分の父親さえ救うことができない」
リンファオは、じっと静かにそれを聞いていた。
しかし、ヘンリーは黙ったままの護衛に苛立ちを感じたようだった。
眼鏡の奥からリンファオを睨みつける。
「君は刺客の一族なんだろう? 人間の死なんて興味がないんだね。命を奪う者だから」
リンファオは困った。
暗殺者としての仕事は請け負っていないのだが。でも、確かに護衛対象を狙う敵の命を奪うのも、仕事のうちだ。
ただ、雰囲気がシショウに似たこの穏やかな少年に、キツい目で見られたくない、そう思った。
せめて何か、嫌われないような気のきいた言葉をかけられないだろうか。口下手な自分が嫌になる。
そこでふと、思いついたことがある。
リンファオは、ロウコの気配を探った。
部屋の外の森の中。
見つかったら殺しにくるだろうか。
何が掟に触れるのかよく分からないから、いちいち神経を遣う。
おそらく、この規則的な呼吸は寝ている。今なら大丈夫だろう。……たぶん。
「私たちの里の者は、病や怪我は内気功で治します」
驚くヘンリーの横に並ぶと、リンファオは少し躊躇ってから、ウィリアム・アターソンの腹部に手をかざした。
「これを外気功に転じ、他人も治します」
言いながら目を瞑る。
相手の生気のあまりの弱々しさに、リンファオはため息をついた。
──治すのは無理だ。
「ほんの気休めです。相手の力を引き出して自然治癒力を高めることしかできない。生気ありあまる『土蜘蛛』でさえ、死ぬ時は死ぬ」
手のひらがじんわり温かくなる。そこからありったけの力を送り込んだ。
ヘンリーには、手をかざした部位がかすかに光っているように見えた。
あまりに非科学的な光景に息を呑む。
やがて、ウィリアムの顔にほのかな赤みが差し、苦しそうな表情が消えた。
うっすらと目を見開く。
リンファオは手をかざすのをやめた。
ヘンリーは、グラリと傾いたリンファオを慌てて支えた。
多くの力を注ぎすぎて、疲労の極みにあった。
死にかけている人間を治すことは、外気功を施す者の、命に関わる。
「その子はどうしたんだ?」
ウィリアムはそっと身を起こし、蒼白な顔色の気絶した子供を見てそう尋ねた。
ヘンリーが驚いて父親を見上げる。
「父さん、具合は?」
瀕死だった父が、再び力を取り戻すとは思えなかった。これがこの子供の力なのだろうか。
「だいぶいいよ、倒れたのかな?」
父親自身のことかリンファオのことか、一瞬迷ったが頷いた。
「病気がだいぶ進んでいるようです。でも僕がなんとか──」
ウィリアムは、ポンと息子の頭に手を置いた。
「延命は希望してないよ。我々は医者でもある。もう無理なのは知ってるだろう? 人間は誰でも死ぬ。私はおまえという宝を残せた。だから何もしないでくれ。それよりも君と──」
ちょっと息をつくと、ヘンリーの眼鏡を取った。
「エドワード、君にも謝りたい。死ぬ前に、お母さんのことをちゃんと謝りたいんだ」
※ ※ ※ ※ ※
リンファオは目を覚ました。
木漏れ日の差し込む、森の木々が見えた。
一瞬、里の青虎の島に戻ったのかと思った。
孤独に押しつぶされそうになりながら、たった一人で生活していたあの島。
クン、と青虎が鼻面を押し付けてきて、嬉しそうに顔をなめた。
ザラリとした感触に飛び上がる。
「ああ、そうだねシマ。いつもおまえが傍に居たっけ」
呟いた後、目線の先に座ったヘンリーの後ろ姿に気づく。
「アターソン博士は?」
声をかけると、背中を向けて座っていた彼がチラッと振り返る。鼻眼鏡になっていた。
「あ──」
こっちはエドワードの方だ。
彼はいかにも意地悪そうな笑みを浮かべて、リンファオの胸元を見やる。
「一年近く、四六時中俺たちの傍にいたのに、気づかなかった。おまえ、女だったんだな」
胴着が押し開いてある。膨らみかけた胸の谷間を慌てて隠した。
最近やたら張って痛いと思ったら、どんどん膨らんできている気がする。
成長が止まったと思い込んでいたけど、違ったようだ。
「呼吸しやすいように、襟元を緩めてやったんだよ。何だよ、後ずさりしやがって。俺は痴漢じゃねーぞ。それに──」
エドワードは舌打ちして、木の上を仰いだ。
「面もついでに外そうとしたら、えらくグロい面のお仲間が降りてきた。顔を見られたら、おまえも俺も殺さなきゃならないとか言ってたぜ。ぶっそうな世界だな」
リンファオは、胴着の合わせをしっかり結んだ。
頭巾も取られていたので、髪の毛をたくし込んで被りなおした。
そして芝生の上にきちんと置かれていた神剣を担ぐと、勢いよく立ち上がる。
「アターソン博士のところに行く。青虎までここに居たら、彼を守る人がいな──」
「もういい」
「え?」
リンファオが立ち止まる。エドワードは眼鏡をかけたり外したりして遊んでいたけれど、やがて完全に外し、手のひらで弄くりながらぼんやり呟いた。
「逝っちまったからな。てめーのおかげで、最後に長いこと話が出来た」
親子の間で、どんな会話が為されたかは分からない。想像もできない。
ただ、エドワードの険が少しだけ取れたことに、興味を引かれた。
まー普通にやさぐれた悪そうな少年、くらいになっただろうか。
きっと有意義な時間だったのだろう。仲直りできたのかな? 自分の中の喪失感──痛みを無視して、エドワードを気遣う。
「最期にムチムチボーンのお姉ちゃんに囲まれて死にたかった、とのたまってた」
聞くんじゃなかった。
「おまえ──いや、おまえと一匹はこれからどうすんだ? しばらくは何も無いと思うぜ。ウィリアム・アターソンの葬儀は大々的に行うはずだ。誘拐の対象が居なくなったんだから、この施設を襲いにくるやつはいないだろう」
「でも、何か研究の成果を盗みに来るやつらがいるかもしれない」
設計図などの資料がごっそり眠っていることに、変わりは無い。それに、命令がない間はここにいたい。
ここは慣れれば居心地がいい。暇だけど、みんないい人たちなんだもん。
「ちっ、やっと一人になれると思ったのによぉ。この機会に休暇でもとれば? ヘンリーもしばらく休息をとる。今まで必死に作ろうとしていた親父の薬は、後任に引き継ぐだろうし」
そんなに傍に居られるのが嫌なのか、とリンファオはムッとなる。
「あなたは? エドワード」
「俺は連射式の銃やら、スクリュー・プロペラ式動力船の試作品を急かされている。そうのんびりもしてられないけど、まー喪中くらい焦らずやらせてもらうよ」
リンファオは頷いたが、その場から立ち去ることに抵抗を覚えた。
エドワードが……そして彼の中にいるヘンリーが泣いているような気がしたからだ。
ウィリアムともうお茶ができないのは悲しい。青虎もしょげている。
だけど土蜘蛛は、概ね死に関して鈍感だ。
親を失うという悲しみが分からない自分に慰められても、けして癒されないだろう。
そもそも他人を慰めるなんて、やったことがない。
二年の修行生活が元々口下手な子供を、ますます人との接し方が苦手な人間にしていたし、そもそもただの護衛なんだから、慰める必要なんか無いのだ。
リンファオは、躊躇いながらその場を後にした。
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