孤独な美少女剣士は暴君の刺客となる~私を孕ませようなんて百年早いわ!~

世界のボボ誤字王

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研究特区編

エドワード・アターソン

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 そんなわけで、リンファオは必然的にヘンリーの傍にいるようになった。

 もちろん、ウィリアムの傍には青虎を置いてある。


「動力で自走する砲車を急かされているけれど、僕はこういう技術を開発するのは苦手だ」

 護衛のリンファオには、何の役にたつのかさっぱり分からない装置の模型の前で、ヘンリーは腕組みをしながらぼやく。

「うーむ、外燃式でもやっぱり場所をとってしまうな。球体のボイラも二個のでかいシリンダーも邪魔だ。覆水器もないと……給水もまめにしなけりゃならないし」

 呟く言葉も、分からないことばかりだ。特に返事をする必要もなさそうなので、無難に黙って聞いていた。

「燃焼ガスを使ってみるか? シリンダ内で燃料を燃やして……直接流体にすれば車に積んでも──うん、熱効率はその方が良さそうだけど──」

 我慢の限界だった。

 ヘンリーの周囲に危険は迫っていない。

 だからうつらうつらしてしまうのは、きっと罪ではないだろう。だって分からない単語ばかり呟いている。

 リンファオは、落ちて来る瞼と懸命に戦った。

「正直、森の中を歩き回って、自然界の中から薬になるものを探してる方が好きなんだけどな。実際、傍から見てもその方が似合うだろう? リンファオ」

 リンファオはハッと目を見開いた。どうやら独り言ではなく、話しかけてきたようだ。全部聞き流していたのがバレてしまう。

 え、だって難しい話されたって分からないよ?

「あ、えーと医療用の研究の方がお好きなのですか?」

 リンファオは適当に返してみる。

「というか、僕の専門はそっち。自然薬学。……エンジニア分野は仕方なく、ってやつだ。本当は叔父や従兄弟達の──アターソンの研究チームがシェルツェブルクの海軍工廠にいるんだけれどさ──彼らの仕事なんだ」

 彼の顔が曇る。

「でも、あまりいい結果が出せてなくて、こちらに回ってくる。……こっちは時間がないってのに。もっといい薬や、治療方法を見つけたいんだけど、そればかりかかりきりになっていると、研究費用を打ち切られるからね。皇帝は伝染病や軍事費には気前がいいんだけどね」

 ヘンリーは拳をテーブルに叩きつけた。

「……くそっ、もう少しで……特効薬が作れそうなんだけど」

 何の特効薬だろう。

 土蜘蛛には分からないことのひとつ。普通の人間は、よく病気になるらしい。

 聞こうと口を開いたリンファオだが、あまり会話をしてはいけないな、とまた口を閉じた。

 どうせ聞いても分からないもの。

 『土蜘蛛』は、極力警備の対象者とは話さないよう言われていることだし。

「皇帝からの依頼は、いつも期限が短いんだ」

 ヘンリーは、お構い無しに話しかけてくる。

 もしかしたら、あまり年頃の友達がいないから、寂しいのかもしれない。

 研究員たちは大学院からの専門分野の学生が多いが、ある程度結果を出した博士号を持つエリート──つまり成人している者が派遣されてくるのだ。

 ヘンリーはまだ十六だ。

 リンファオ的には、話を──特に研究内容の話を──持ちかけないで欲しいのだが……。


「飛距離の長い大砲も急かされている。鋼鉄のおかげで軽量化は成功しそうだけど、初速の速いやつが欲しいんだって。拉縄を使ったやつだと、点火棒で火をつけなくていいんだけど、はっきり言って砲手が安全かはどうでもいいらしい。命中精度は上がるんだけど、後付けできないから、どうせ一から作るならもっと画期的なやつが欲しいみたい。ガス漏れのない尾栓つきの、後ろから弾を入れられるやつを考えてるんだ。カートリッジを取り替えるやつじゃなくてね」

 だから、難しい話を振られても困るんだってば。

「はあ」

 リンファオは生返事をした。ちんぷんかんぷんだ。

 今日の賄い飯なんだろ。

「……陛下は待ちくたびれている。でもどちらにしろ製造がおいつかないから、しばらくは真鍮製のを改良して使ってもらうしかないな」

 ヘンリーは、ついには座り込んで頭をガリガリ掻き出した。

 リンファオは欠伸をしないように気をつけながら、話を聞いているふりをする。

 お腹すいた。

「……エドワードに代わらなければならないかもしれない。でないと、僕はいつまでも軍需品の開発に携わってなければならないからね」
「エ、エドワード?」

 聞き捨てならない言葉に、もうこりゃあ瞼の上にペンで目玉を描くしかない、と思いながうとうとしかけていたリンファオの目が、ぱっちり覚めた。

 警護対象者がもう一人いるなら、把握していなければならない。

 そもそもアターソンは一族を通して何かしらの開発に携わっているようだし、彼らの名前に集まって勉強している弟子も多い。

 そこからまた天才が生まれ……。

 これは、一人と一匹では荷が重いかも知れない。アターソン親子の他にも他国が狙う技術者がいるとなると、もっと応援がいる。

 どんな刺客からも警護対象を守る自信はあった。ただ、対象をいつも見張れないとなると、話は別だ。

「他の研究員ですか? 元々居た兵士や騎士たちに守らせているのですか?」

 ヘンリーはちょっと返答に困って、土蜘蛛の面を凝視している。

「この前、雷管の試作品を作った奴なんだけど……。そのー。た、たぶん驚くと思うから、先に挨拶させておくよ」

 そう言うと、怪訝そうにするリンファオの前で分厚いガラスの入った眼鏡を取った。

(あ、けっこういい顔してるんだ)

 リンファオはぼんやり思った。父親に似て凡庸な顔立ちだと思っていたが、賢そうな鋭さがある。

 数秒目を閉じていたかと思うと、やっと目を開いたヘンリー。

 しかしその人相はすっかり豹変していた。まるきり別人のような、残酷かつ凶暴そうな目つきと表情。

 困惑して顔を覗き込むと、その彼が口を開いた。

「誰だ、てめー。……そのふざけた奇怪な面は何だ?」

 声質までまるきり違う。低く掠れたそれは、まるで唸り声だ。

「……何の冗談です?」

 リンファオが尋ねた。

 ギャグのつもりにしても面白くない。そもそも、警護対象者と遊んでいる暇は無いのだ。

「何をしているのか分からないけれど、あなたの遊びに付き合っている暇は無い。怖い顔はやめて、さっさと仕事してください」

 ヘンリーが何もかも分かった、というように頷く。

「なるほど、新しい護衛に俺を見せる腹か……。ずいぶん生意気なやつをよこしたもんだ」

 ヘンリーは、ドカッと一人用ソファに身を投げ出す。

「きさま、二重人格者って知ってるか?」
「裏表のある人間のことですか?」

 相変わらず低い声で呻くようにしゃべる彼に、リンファオがソワソワと応えた。早く普通のヘンリーに戻って欲しかった。なんの真似だろう。

「低脳めがっ」

 彼は吐き捨てると、自分を親指で差す。

「このエドワード様と、ヘンリーみたいに、一つの身体に二人いるやつのことを言うんだよ」
「ぷっ、まさか」

 妄想話ワロタ。

「し、信じてないな。まーいい、周りからは精神病だとか言われてるけれど、俺たちはそういうのとはちょっと違う」

 眼鏡を弄びながら語り出す。

「俺らの親父は昔、妙な薬を開発した。天才をこの世に残そうとしてな。あろうことが自分だけでは物足らず、子を宿した妻にまで飲ませたのさ。いわゆる人体実験だ」

 リンファオは、もうこの人と話したくないと思った。

 周囲の研究員たちを見回すと、何人かと目が合った。しかし肩をすくめてみせただけだ。

 どうやら、ヘンリーがこうなるのは珍しいことではないらしい。

 そういえば他の研究員も、リンファオのイメージ通り。いきなり奇声を発したり、ゲラゲラ笑い出したりと、危ないやつが何人かいる。

 頭がいいやつらは、別の意味ですごく怖い。

 ヘンリーはドン引きしているリンファオをよそに、勝手に話し続ける。

「母親は俺たちを生むとすぐに死んだ。かなり衰弱していたらしい。そう、その妙な薬のせいだ。俺たちも死ぬところだった。だから俺とヘンリーはウィリアム・アターソンが好きではないんだ。それどころか俺は──」

 ヘンリーの平和そうだったあのほんわかな笑顔は、いまや微塵も見当たらない。凶悪な顔を歪めて、もったいぶった口調で低い声を搾り出す。

「ウィリアム・アターソンをいつか殺すつもりだ」

「そうですか、では」
「コラコラコラコラ!」

 陰から彼を守ろうと遠ざかる護衛を、ヘンリーが慌てて引きとめた。リンファオが舌打ちしながら振り返る。

「まだ何か?」
「いや、だから──普通母親が亡くなっただのなんだの聞かされたら、そこで同情の言葉とか言うだろうがっ。だいたいなんだその、憐れんだような生温かい目つきは? しかも舌打ちしたよな?」

 リンファオはうんざりした。やっぱり警護対象は遠くから見張るに限る。

 皇帝担当の仲間たちは、その奇妙な姿を目撃されないように、出来るだけ身を潜めて護衛している。

 ここでもそうすべきだった。ここに居れば研究員以外の人間は来ないから、安心していたのだが。

「私たち『土蜘蛛』に親はいません。ですから同情のしようがありません」

 ヘンリーが黙った。ジロリとリンファオを上から下まで眺め回す。

「ふ……ん。そうか『土蜘蛛』を護衛につけたか。嘘だと思うが、おまえら不死身らしいじゃないか。一度生体を研究したい生き物だ。後で腹かっさばかせろ……ん?」

 ブツブツと不穏なセリフを吐いたあと、何かに気づく。

「じゃー俺たちの居場所が、どこかの国にばれたってことだな」
「そうです。アターソン博士はそれを知ってもなお、ヘンリー、貴方を守れとおっしゃっていた。自分が狙われることを承知しながら、自分を守る必要は無いと、そう言ってました」

 ヘンリーはそっけない声で言う。

「俺はエドワードだ。『土蜘蛛』とはいえ、みすぼらしいただのチビかよ。こんな護衛しかよこしてこないなんて、皇帝は俺の価値をずいぶん低くみてるな」

 みすぼらしいチビと言われて、カチンとくる。リンファオはその奇怪な面の奥から思いきり冷たい視線を送った。

「愛を貰いながらそれに気づかない貴方は、いくら天才と呼ばれようがただのバカです。実の父親を殺すだって? そんなことをしたら貴方は家族を大事にできない人間、つまり私たち土蜘蛛と同じ人種だ」

 今度はヘンリーがその灰色の目を細めて、リンファオを睨みつける。

「てめーは親父が自分の妻に何を飲ませたか知らないだろう? オーロックの蕾を煎じた薬だ。猛毒だぞ。しかも、毒素を取り除くことが難しい薬草だ。うまくやれば精子を増やしたり、胎児の脳の発達を促す。動物実験は済んでいたが、その過程で何匹か死んだ。だけど親父は危険を無視して自分の妻に使った。俺たちから母親を奪ったんだ」
「くだらない」

 リンファオは吐き捨てていた。

 ヘンリーが目を剥いて、立ち去ろうとしたリンファオの腕を掴む。

 リンファオは振りかえって、彼の胸を指でついた。

「てっ」
「誰のためを思ってやったことなんですか?」

 この子供は、まるで自分のことのように怒っているな、とヘンリーは首をかしげた。

 どうやら、親子や家族というキーワードが琴線に触れるらしい。

「ヘンリー、貴方はもう、十六歳? それとも十七歳? 小さな子どもじゃないんですから、誰が一番辛かったか考えたらどうです?」

 ヘンリーはもはや何も言い返してこなかった。

 リンファオは掴まれた腕を振り払い、乱暴にお辞儀をすると、天井の梁にでも身を落ち着けようと跳躍した。アリビアの建物は梁が少なくて苦労する。

 彼がおそろしい顔で見上げてくるのが分かったが、無視だ。下から声が追ってくる。

「おい、おまえ。俺にそんな口利いたからにはただで済むと思うなよ。俺の名前はエドワードだ、覚えろよ。おまえは皇帝の命令で、俺を守らなきゃいけないんだ。俺に逆らうことは出来ない。つまり、俺の下僕なんだからな」


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