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研究特区編
リンファオお茶にお呼ばれする
しおりを挟むウィリアム・アターソンが、何故本当のことを護衛の子供にだけは話しておこうと思ったのか、それは分からない。
とても二歳違いには見えないだろうが、彼の息子と年齢が近いからだろうか。
もしかすると、死期が近いことを感じていたのかもしれない。
リンファオは後になってからそう考えた。
リンファオはお茶に呼ばれて、つくねんと椅子の上に座っていた。
温度計の刺さった実験用の大きな炉以外、普通の家と変わらない作りの部屋だった。
テーブルには、ウィリアム自らが焼いたというクッキーが綺麗に並べられた皿がある。紅茶にミルクをそそぐその様は手馴れていて、とても天才発明家と呼ばれている人には見えない。
リンファオのイメージでは、開発者とか研究者というのは、宙を見つめてブツブツしゃべっていたり、突然奇声を発したり、ゲラゲラ笑いながら裸で走り回ったり、ちょっとヤバい感じのオタクだと思っていた。
でも彼は、気のいい近所のおじさんか、親戚のおじさんぽい。まあ、土蜘蛛にそういう存在は無いのだけど。
しげしげと見つめる子供の視線に気づき、ウィリアムは微笑んだ。
「私がこの国の全ての技術を開発したなんて、信じられない、という顔をしているね」
穏やかに言い当てられ、ドキッとしてぶんぶん首を振った。
「いいんだ、本当のことだから」
リンファオは一瞬聞き流してから、え? という視線をウィリアムに向けた。
「陛下や、一部の人間だけしか知らないことさ」
片目を瞑ってみせる。
「もちろん私が考え出した物もあるよ、避妊用の、そのぉ……男性の分身に被せるゴムとか、月のものを止める丸薬とか……。あと独身男性が寂しがらないよう、しかるべき場所に穴の開いた人形なんていう画期的なやつを発明したのはこの私だ」
自慢げに語っているが、そっち系ばっかりじゃないか。リンファオは震え上がった。
「私の家系が代々変人でね。一族の者のほとんどは発明ばっかりしていたんだ。近年、農産物の生産が飛躍的に向上したのは、私の祖父の開発した肥料や農薬、農機具のおかげなんだよ。その息子で、早々と病気で死んだ叔父は、氷と塩を塗るとそのままの温度を保つという冷石を作り出した。それで作った製氷器や保冷庫のおかげで、凶作でもひどい飢饉に陥らなくなった。彼らの研究の賜物だ。遡ってみるともっとすごい。紡績機、力織機の大元はひい爺さん、とび杼と活版印刷機は私のひいひい爺さん。紙はひいひいひいひい……まあ何代前か忘れたけど、とにかくご先祖様でね。わずか十歳で発明したと聞いた。だけど──」
目を白黒させているリンファオから目をそらし、ウィリアムは窓の外を見た。
ちょうど向かいの、木を切り倒して作ったらしい広場に、作業着姿の学生たちが集まっている。
その中にあの眼鏡──ヘンリーも居た。
馬もいないのに箱型の金属製の馬車の上で、ごそごそやっている。
周囲で研究員たちが心配そうに見守っているのが見て取れた。
「アターソンの一族の、まだまともな奴らは、大学で物理や数学を教えたり、医者になったりしてるんだがね。一番の変人と期待されていた倅は今、自動の乗り物を作っている」
鉄の箱がガクガク揺れだしたかと思うと、大きな音を立てて煙を出しながら動き始めた。
周囲から歓声があがった。
それを見て同じくこの護衛の少女が、面の上からも唖然としているのが分かる。
馬がいないのに、動いているのだ。当然だった。
「蒸気を使った動力は、彼が開発したんだ。黒石や燃水を使って、水を沸騰させてね、その蒸気の圧力で羽軸を回転させて、発電にも──ああ、ごめんごめん」
ぶるぶる震えだした子供を見て、慌てて謝る。
「とにかく、今彼はそれにかかりきりだ。動力機関の小型化を目指していて、寝る間もおしんで取り組んでいる。帝都大学から来た熱力学専攻の研修生たちも、倅に遅くまで付き合ってくれてるよ。大きいやつは近々やっと実用化されて、炭鉱の排水だけじゃなく、船にも使われるんだ。帆を張らなくても、船が走るんだよ」
嬉しそうに語っていたその顔が曇る。
「たぶんそれを、敵国が嗅ぎつけたんだな。陛下は、だからご自分の護衛を割いてまでここによこした。国の宝を守らせるために」
リンファオは、彼が何を言いたいのか分からず黙していた。もしゃもしゃとクッキーを頬張る。面は外せないので、ちょっと浮かせて隙間から口に運んでいる。
虫みたいだな、とウィリアムは思った。
「ボロボロこぼして、可愛いな君は。子供みたいだ」
「すす、すみません」
ウィリアムは微笑む。まあ、子供だから仕方ない。それからまた言葉を続けた。
「つまりは、天才発明家は私ではなく、私の息子のことなんだ。君が守るのは私じゃないよ」
なんとウィリアムは息子を守るために、自らが全ての技術を作り上げたことにしているのだ。
「私がどんな目に合わされようと、あの子さえ無事ならいい。図面なんてくれてやれ。誘拐できないなら殺してしまえー、なんて輩が出てくるかもしれないが、そんな時でも、頼む。あの子の命を優先してくれ。動力や火器の開発者がヘンリーだと気づかせないように、彼を守ってくれ」
リンファオは顎の周りにクッキーの欠片を付けながら、感慨深げに呻いた。
ウィリアムの痩せた顔を見つめる。
素敵だ。子を守ろうとする無償の愛がここにはある。土蜘蛛に無いもの。リンファオがずっと憧れていたものだった。
でも、リンファオはウィリアムを守るように命令されている。
タオイェンの指示を仰いだほうがいいのだろうか。ああ、だけど皇帝や幹部は知ってると言っているし……。リンファオはむしゃむしゃやりながらも頭を悩ませた。
「むかし──妻も賛同したこととは言え、胎児の脳に良い影響を与える薬をね……妻に飲ませてしまってね。それが良くなかったんだ。私の探求心が過ぎて、あの子から母親を奪ってしまった。だめだね、研究者は。……亡き妻の代わりに、私があの子を全力で守ると決めたんだ」
その言葉は、親のいないリンファオに飢えに似た渇望を感じさせた。
そんな風に、親は子を思うのか。
自分にもそんな絆が欲しいと思った。そして、彼のために息子を命懸けで守ろうと誓った。クッキーのお礼もあることだし。
──クゥ……。と声がした。
見下ろすと、椅子の近くに青虎が近寄って来ている。今は中型犬サイズだ。
仕方なく、皿の上のを分けてやる。
手まで食べそうな大きな口を開けたが、クッキーだけ受け取る。丸呑みだった。
「よし、じゃあシマちゃんは、この叔父さんを守って」
「え、いや、俺はあまり動物は……」
うろたえるウィリアムに真摯な瞳を向ける。
「かならずご子息をお守りします」
ダンッと青虎がテーブルに飛び乗った。凶暴な顔をググッとウィリアムに向ける。
悲鳴を上げようとする彼の前で、青虎はクッキーをむしゃむしゃやりだした。
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