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研究特区編
ウィリアム・アターソン
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控えめなノックの音。ウィリアムは重い腰を上げると、戸口に向かった。
「どちら様かな?」
「皇帝陛下から派遣された護衛です」
小さな声が聞こえた。ウィリアムはよっこらしょと腰を上げると、扉を開けた。しかし誰もいない。
下を向くと、奇怪な面を被った可愛らしい子供が、ウィリアムを見上げていた。
「このいたずらっ子、どこから入ったんだね? 研究員の連れ子かな?」
ウィリアムは苦笑いしながら子供の頭をなでる。
リンファオは、やたら背の高い、恐ろしく痩せた中年の男を見上げた。口ひげには白い物が混じっている。
「アターソン博士、今日からここで貴方の命を守ります」
紋章入りの封蝋が押された封筒をごそごそ開き、勅命状を開いてみせる。
相手が明らかに困惑しているのは分かったが、仕事だ。追い返されるわけには行かない。
ウィリアム・アターソンはしばらく固まっていたけれど、半信半疑ながらも、仕方なく黒装束の子供を中に入れた。
「報せの鳩は届いていたけれど、君みたいな子供だなんて──」
リンファオは苦い顔をした。
もう十四歳になっているリンファオだが、背丈も体重も、その年齢相応とは言い難いのだ。
しかも男装していれば、声変わりすらしてない男の子に見られるのも当然だった。
「他の護衛は?」
リンファオは、やけに緊張感のない辺りの雰囲気をいぶかし気に見渡しながら聞いた。
ウィリアムは首をかしげる。
「ここは密かな技術開発のための特別区域だ。都から派遣された護衛が、軍隊ぐらいたくさんいるよ。敷地の門の前にも、私服を着たコワモテのおじさんたちがいたろ?」
リンファオはしばし押し黙った。
「……あれか。すみません、私が派遣された護衛だって、説明しても信じてもらえなかったので、あの人たちは全員眠らせました。それ以外は?」
ウィリアムは耳を疑った。
眠らせたって? 簡単に言っているが、軍の白兵師団の出身者と帝都守備隊の憲兵から借りてきている屈強な護衛たちだ。
だが、施設の居住地帯の扉まで普通に辿り着いていたのだから、本当のことなのかもしれない。
「はぁ……なるほどね、見た目とは違って強いんだねぇ」
間延びした声で感心するウィリアム。
「この特区の存在が、どこぞの国の間者にでもバレたのだろう。ここはね、帝都中央大学の一部だと思わせているけど、実は軍の研究施設なんだよね。もしかしたら近々敵国のスパイなんかが来るのかもしれない。だから、君のような護衛を寄越したんだ」
「私は……何も聞かされていません。至急ここへ来るように言われただけです」
土蜘蛛は、命じられた対象者を護る。それだけだ。
「ふぅん。まあ、着いたばかりだ。疲れたろう。お茶でもどうかね」
なんとも緊張感の無い、のんびりした感じの男である。リンファオはまごついた。居ても居ないように護衛するのが土蜘蛛だ。お茶に呼ばれていいのだろうか。
ウィリアムはぶつぶつ何事かぼやきながら、お茶の支度を始めた。
「うーん、護衛ねぇ。もっとわさわさ増えるかと思っていたら、まさか君一人とはねぇ。まぁ、ムサいのばかりに囲まれて嫌だったから、ちょっとほっとしてるけどね。いやぁ、だからと言って、まさか今度は子供とはねぇ。……すごい美人の護衛とかくればいいのに。ムチムチボーンの」
本当に天才発明家というやつなのだろうか。いぶかしむリンファオは、その時気配を感じた。
──外だ。
明らかに、ロウコのものではない気配。複数の殺気が近づいてくる。
このウィリアムの緊張感からして、頻繁に襲われてるわけではなさそうだ。つまりリンファオは、まさにギリギリで駆けつけたことになる。
「来てます。どこか安全なところはありますか?」
「……え? 何が?」
「敵ですよ! なんか殺気だってます」
ウィリアムは、億劫そうにお茶をすする。
「うーん、別に殺されるわけじゃないんじゃない? 研究成果を盗みに来たんでしょ? せいぜい私を誘拐とか。ていうかアリビア帝国より悪い国なんてあるの? 植民地開拓の商船なんて海賊みたいなもんだよ? なんかもうねぇ。殺されるくらいなら、別に連れて行かれてもいいし。研究さえ続けられれば、どこに居ても一緒っていうか……いっそ話し合いの場を設けて命だけでも助けてもらうとか──」
なんだこの人。リンファオは呆れた。どうやら自分の国や皇帝への忠誠心は皆無らしい。
(でもこっちは仕事なんだよ)
リンファオは懐に手をやると、ずっと大人しくしていた青虎を放り投げながら命じた。
「起きて、シマちゃん」
ネズミくらいの獣が床に飛び降りると、ぐぐっと巨大化した。
変な名前をつけられたことに不満なのか、青虎は歯をむき出してぐるぐる唸っている。
ウィリアム・アターソンは、突如室内に現れた巨大な虎に、さすがに腰を抜かす。
「な、なな、な、なんだ──」
「この人を守れ」
そう言うと、リンファオはドアの外に飛び出した。
「どちら様かな?」
「皇帝陛下から派遣された護衛です」
小さな声が聞こえた。ウィリアムはよっこらしょと腰を上げると、扉を開けた。しかし誰もいない。
下を向くと、奇怪な面を被った可愛らしい子供が、ウィリアムを見上げていた。
「このいたずらっ子、どこから入ったんだね? 研究員の連れ子かな?」
ウィリアムは苦笑いしながら子供の頭をなでる。
リンファオは、やたら背の高い、恐ろしく痩せた中年の男を見上げた。口ひげには白い物が混じっている。
「アターソン博士、今日からここで貴方の命を守ります」
紋章入りの封蝋が押された封筒をごそごそ開き、勅命状を開いてみせる。
相手が明らかに困惑しているのは分かったが、仕事だ。追い返されるわけには行かない。
ウィリアム・アターソンはしばらく固まっていたけれど、半信半疑ながらも、仕方なく黒装束の子供を中に入れた。
「報せの鳩は届いていたけれど、君みたいな子供だなんて──」
リンファオは苦い顔をした。
もう十四歳になっているリンファオだが、背丈も体重も、その年齢相応とは言い難いのだ。
しかも男装していれば、声変わりすらしてない男の子に見られるのも当然だった。
「他の護衛は?」
リンファオは、やけに緊張感のない辺りの雰囲気をいぶかし気に見渡しながら聞いた。
ウィリアムは首をかしげる。
「ここは密かな技術開発のための特別区域だ。都から派遣された護衛が、軍隊ぐらいたくさんいるよ。敷地の門の前にも、私服を着たコワモテのおじさんたちがいたろ?」
リンファオはしばし押し黙った。
「……あれか。すみません、私が派遣された護衛だって、説明しても信じてもらえなかったので、あの人たちは全員眠らせました。それ以外は?」
ウィリアムは耳を疑った。
眠らせたって? 簡単に言っているが、軍の白兵師団の出身者と帝都守備隊の憲兵から借りてきている屈強な護衛たちだ。
だが、施設の居住地帯の扉まで普通に辿り着いていたのだから、本当のことなのかもしれない。
「はぁ……なるほどね、見た目とは違って強いんだねぇ」
間延びした声で感心するウィリアム。
「この特区の存在が、どこぞの国の間者にでもバレたのだろう。ここはね、帝都中央大学の一部だと思わせているけど、実は軍の研究施設なんだよね。もしかしたら近々敵国のスパイなんかが来るのかもしれない。だから、君のような護衛を寄越したんだ」
「私は……何も聞かされていません。至急ここへ来るように言われただけです」
土蜘蛛は、命じられた対象者を護る。それだけだ。
「ふぅん。まあ、着いたばかりだ。疲れたろう。お茶でもどうかね」
なんとも緊張感の無い、のんびりした感じの男である。リンファオはまごついた。居ても居ないように護衛するのが土蜘蛛だ。お茶に呼ばれていいのだろうか。
ウィリアムはぶつぶつ何事かぼやきながら、お茶の支度を始めた。
「うーん、護衛ねぇ。もっとわさわさ増えるかと思っていたら、まさか君一人とはねぇ。まぁ、ムサいのばかりに囲まれて嫌だったから、ちょっとほっとしてるけどね。いやぁ、だからと言って、まさか今度は子供とはねぇ。……すごい美人の護衛とかくればいいのに。ムチムチボーンの」
本当に天才発明家というやつなのだろうか。いぶかしむリンファオは、その時気配を感じた。
──外だ。
明らかに、ロウコのものではない気配。複数の殺気が近づいてくる。
このウィリアムの緊張感からして、頻繁に襲われてるわけではなさそうだ。つまりリンファオは、まさにギリギリで駆けつけたことになる。
「来てます。どこか安全なところはありますか?」
「……え? 何が?」
「敵ですよ! なんか殺気だってます」
ウィリアムは、億劫そうにお茶をすする。
「うーん、別に殺されるわけじゃないんじゃない? 研究成果を盗みに来たんでしょ? せいぜい私を誘拐とか。ていうかアリビア帝国より悪い国なんてあるの? 植民地開拓の商船なんて海賊みたいなもんだよ? なんかもうねぇ。殺されるくらいなら、別に連れて行かれてもいいし。研究さえ続けられれば、どこに居ても一緒っていうか……いっそ話し合いの場を設けて命だけでも助けてもらうとか──」
なんだこの人。リンファオは呆れた。どうやら自分の国や皇帝への忠誠心は皆無らしい。
(でもこっちは仕事なんだよ)
リンファオは懐に手をやると、ずっと大人しくしていた青虎を放り投げながら命じた。
「起きて、シマちゃん」
ネズミくらいの獣が床に飛び降りると、ぐぐっと巨大化した。
変な名前をつけられたことに不満なのか、青虎は歯をむき出してぐるぐる唸っている。
ウィリアム・アターソンは、突如室内に現れた巨大な虎に、さすがに腰を抜かす。
「な、なな、な、なんだ──」
「この人を守れ」
そう言うと、リンファオはドアの外に飛び出した。
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