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アリビア帝国編 Ⅰ
紅玉宮の子供
しおりを挟む磨かれた冷たい床の質感が変わった。
落ち着いた赤色のカーペットが敷き詰められた廊下となる。
そこから先は行ったことはないが、後宮に続くという。サイ国のように奥方やら妾やらゾロゾロ居るわけではなく、単に皇帝とその家族の居住区となる宮殿らしい。
建物内の装飾が赤を基調としているので、宮廷貴族たちからは紅玉宮と呼ばれていた。
ちなみに謁見がとりおこなわれる一番大きな建物は、琥珀宮と呼ばれているが、これは内装ではなく、皇室出身者に琥珀の瞳を持つ者が異常に多いからだとか……。
その紅玉宮の方から七、八歳くらいの女の子がふらふらと歩いてきた。
リンファオは首をかしげた。
宮廷貴族たちは庭園に面した部屋をもらっているが、さすがに後宮にまでは入ってこない。
そこにいるくらいだから、おそらくニコロスの親族のはず。
……具合が悪そうだ。
リンファオは里の稚児たちを思い出して、思わず声をかけた。
「どこか痛いのですか?」
子供が顔をあげた。リンファオはハッとした。
里の外にも、これほど美しい顔の子供がいるとは思わなかった。白金の髪、透き通るような白い肌と、真っ青な瞳。
ぞくっとしたのは、その目が死んでいたこと。子供がする目じゃない。
子供の身体からは、麝香のような香りがした。
リンファオは眉を顰める。この匂いは嗅いだことがある。
(精霊おとしの修行で、うまく入り込めない時に使うやつだ)
稚児には合わない、とスイレンはなるべく使わせなかった。
トランス状態になるのにちょうどいい香だったが、身体にはあまりよくないらしい。こんな小さな子供がどうして。
倒れそうになった子供を慌てて支えた。
リンファオは子供を抱えると、キョロキョロ辺りを見渡し、適当な控え部屋に入り込んで長椅子に寝かせる。
苦しそうな息遣いが気になった。
胸元のリボンを解き、呼吸を楽にしてやろうとした。その手が止まる。
「何だこれは」
リンファオは襟を大きく開いた。
アザだらけの胸元をぞっとした面持ちで見つめる。
急いで袖元をまくりあげた。
細い腕も傷だらけだ。体中アザや傷があるらしい。骨が折れているところもあるのかもしれない。
後宮にいる子供が、なんでここまで痛めつけられているんだ? なぜ何の手当てもしてないのだろう。
「たしか、宮廷医師なんていうのがいるはずだ。呼んで来──」
立ち上がろうとした時、服の裾を掴まれた。
リンファオが子供を見下ろすと、冷めた目が開いた。
「これは私が悪いのだ。気にするな」
横柄な話し方。仕立てのいい服装からして、それなりの身分なのだろう。
「私が父の──陛下の期待に応えないからだ……。だからお叱りを受けた」
ニコロスの娘か!? リンファオは愕然とした。
「陛下から折檻されて、こうなったのですか?」
リンファオは混乱した。
家族というものに憧れていた。
子供のころは一族が家族だと思っていた。だけど違う。
本土に渡る時に乗った輸送用の船にも、乗客として家族が数組居た。
楽しそうに旅をする彼らを見て、外部の家族は──親と子の関係は、土蜘蛛とは明らかに違うと思った。
アリビアの兵士たちの訓練をしていても、耳に入ってくるのは家族について語る雑談。
楽しそうで、幸せそうで──それは養成学校の幼年部の孤児たちにしても同じだった。
殺された家族を思う子供たちを見て、確信した。
シオンが言った通り、土蜘蛛はおかしいのだ。
普通の家族は、剣に選ばれただけで殺そうとはしない。
里じゅうで一人の子供を無視したりしない。家族は守ってくれる存在のはずだ。
リンファオは怒りに打ち震えた。
外の世界の親子像、家族像の幻想を打ち砕いた、皇帝に対する怒りだ。
「なぜ父親がこんなことをするの?」
子供は青い目をぽっかりと開け、天井を見つめたまま呟いた。
「私が忌まれた子だからだそうだ。穢れているのだ、私は」
リンファオは思わず熱を持った子供の体を抱きしめていた。
自分と重なる子供に、ありったけの気を送る。
その心の傷までも、癒したいと思った。
痛みが和らぐのに気づいた時、子供は目を見開いた。
「放せ」
子供は弱々しい力でリンファオを押した。
「治さないでいい」
言いながら身を起こす。
「これは罰だから、いいんだ。いつか、陛下のおっしゃる黄金の血が、私を導いてくれる。それまでは、いいんだ」
「違うっ」
リンファオは、その子供を叱咤した。
「目を見れば分かる。あの男は狂っている」
子供は初めてその虚無の瞳に、感情を浮かべた。驚愕だ。
自分の父親を──力の象徴を──罵倒する人間は、今まで周囲にいなかった。
「あなたは小さいから気づかないだけだ。あなたは悪くないんだよ?」
子供は見開いた目で絶句している。その目にみるみる溢れてくる涙を見て、リンファオは再び彼女を抱きしめていた。
「あなたの、名前は……なんです?」
子供は嗚咽しながらやっとの思いで告げた。
「マリア」
この前処刑された、第二王妃の子供。リンファオはそれを知って、ますますきつくその子を抱きしめていた。
それからしばらくの間、リンファオは皇帝の娘と隠れて会うようになった。
傷を癒してやるのが目的だが、とにかく様子が気になった。
何せ他のニコロスの子供たちと違って、この子には専属の侍女さえもついていない。
世話は乳母がやってくれるそうだが、本当に必要な時だけ。家庭教師との勉強の時間が終わると、いつも一人で遊んでいるという。
(私でもこれほど孤独だったとは思わない)
だって周囲に人が居るのに……。
皆が、まるで見えないかのように、居ないもののようにマリアを扱った。
リンファオはマリアが気の毒でならなかった。
そこで、中庭に連れ出し、運動をかねて太功拳を教えてやった。
初めは周りの人間が警戒して見ていたが、特に止めるものもいなかった。
この子に関わりたくないのが、目に見えて分かった。
それはリンファオの里の人間たちと同じ目だった。
リンファオは何とかマリアの顔に、他の子供たちと同じような年相応の笑顔を浮かばせてやりたかった。
(怖がるかな?)
懐から出した青虎を見せてやる。マリアの顔がパッと輝いた。
リンファオの面を見ても怖がらなかったのだから、豪胆な性格ではあるらしい。
手を伸ばして青虎を手のひらに乗せた。
噛み付くんじゃないかと警戒したリンファオに反して、青虎はグルグルと子供の手のひらの上でくつろぎ、丸くなっている。
「これ、人食い虎なんです、一応……」
そう言ってみたけれど、マリアはまったく怖がっていない。
こちょこちょと指でお腹をいじくっている。
その顔に浮かぶ表情は、どこにでもいる普通の子供だ。
「おい」
突然背後から呼ばれて、二人はビクッとなった。
リンファオにすら気づかせないで近づく人間は、一人しかいない。
紅い牙がすぐに目に入った。
「ロウコ……」
「何を驚いている。いつもおまえを監視していると言ったはずだ」
そしてちらりと金髪の小さな子供に目をやった。
「ふん、血が濃いという点では、皇家と俺たちは似ているな。だが……これ以上馴れ合うな」
リンファオはロウコを睨みつけた。
「それは掟か?」
「青虎は土蜘蛛の神獣だ。本来は里から出すことも許されない。ましてや、外部の人間におもしろ半分に見せびらかしていいはずはない。それに──」
リンファオの背後を指差した。
ニコロスが家臣たちを連れて、回廊を渡ってくるところだった。
立ち止まり、こちらをじっと見つめる。
「皇帝の耳にも入っているぞ。土蜘蛛のガキが自分の子供と関わってるとな」
ニコロスの琥珀の瞳に見据えられ、ぞわっと背筋を寒気が襲う。
気の触れた者の意志をもった目。
なんだろう、人の心を読む術など教わってはいない。だが、なんとなく分かってしまう。
警戒。
何に対してだ?
何かを奪われることを、極端に恐れている目、だろうか。
リンファオは目の前の小さな子供を見つめた。
皇帝は、この子をどうでもいい存在とは思っていないのだ。親子の情とは違うが、明らかに執着がある。
そう感じた瞬間、リンファオは心配になった。
この子はこの先、大丈夫だろうか、と。
だが間もなく、ロウコの警告の必要もなく、そのかなり気になる子供とは別れなければならくなった。
しかしながら、この時リンファオがこの女児に与えた影響は、やがて大きな力となって皇女マリアの生きる糧となっていく。
──が、それは別の話だ。
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