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土蜘蛛の里編
二年間の修行
しおりを挟む──二年後──
夜中、リンファオは目を覚ました。
(来た)
飛び起きると、神剣「不死鳥」を頭上に構える。
キンッと音が鳴った。
面をつけた番人は、無言で次の一撃をくれようとする。
リンファオは既に相手の懐に入っていた。
ぎょっとする番人の喉元に、切っ先を突きつけて笑う。
「勝負は付いた」
真夜中、襲撃に遭うのはいつものことだ。
森じゅうに気を巡らせ、気配がもう無いことを確認すると、谷流から引いた水路に行った。
月影の下で服を脱ぐと、水面に裸身が映る。
「もう十四歳になったってのに、痩せっぽちのままか」
月のものも来ていない。巫女として満ちていないのだ。
体は十二歳の時に比べてずっとしなやかになってきてはいるが、やはり成熟した女性のそれではなかった。
リンファオはため息をつくと、身がすくむほど冷たい川で身体を清める。
村の湯治場が懐かしい。焼き石を入れ、もくもくと煙を吐く熱い薬湯で磨くと、肌は珠のように艶々になる。
もっとも、土蜘蛛の身体は汗などの老廃物を──排泄を含め──あまり出さない。汚れない体質なのだ。
「要は気分の問題なのよね」
ブツブツ言いながら、小川で顔を洗う。これでは獣と一緒だ。
そう思った瞬間、グルルと声がして青い毛並みの獣たちが、水場に近づいてきた。
リンファオには見向きもせずにぴちゃぴちゃ水を飲んでいる。
リンファオは息を吐き、その中の一匹の頭を撫でてやった。完全に肉食というわけでは無いらしく、草や木の実を食べているのをよく見かける。それも少量だ。
リンファオの気配に慣れたのか、襲ってこようとはしなくなった。
はっきり言って、もう怖くもなんともない。むしろこの孤独な島では仲間意識すらある。ふと、柔らかい毛を撫でていた手が止まった。
『その子を外に出すなっ』
村人たちの声が耳に響いた。
リンファオは唇を噛み締め、首を振ってその記憶を追い出した。
手早く水浴びを済ませ、体を拭くと、今度は神剣を構える。
シュッという音の一瞬後、その鋒に魚が刺さっていた。
「こんなことに使ってごめんね、不死鳥。さ、朝ご飯朝ご飯」
リンファオはまったく悪びれずに言うと、すっかり独り言が多くなった自分を意識して、口を噤んだ。
空がだんだん白くなってきた頃、パチパチと燃える焚き火から魚の焼けたうまそうな匂いがしてきた。
リンファオの朝は早い。
夜は番人による襲撃がいつくるか分からないから、おちおち寝てもいられないのだが……。
しかも早朝から、老師たちによる厳しい特訓が設けられていた。
試験管理者の小屋の前で、黙々と串に刺した川魚を食べながら、力がみなぎっていくのを感じる。
剣士になって良かったことは、植物以外を口にできることだ。
巫女は生臭いものを口にしてはならない。土蜘蛛はあまり食事を必要としないが、味覚は人一倍まともである。
動く物がこんなに美味しいと思わなかった。
「洗濯はもう済んだのかしら?」
ぎょっとして、背後を振り返る。
食べるのに夢中で気づかなかった。物干し竿に顔を向けた巫女と、その隣に立つ剣士は……。
「レン老師、スイレン様」
二人はいつの間にかすぐ近くに立っていた。気配を見逃すなんて……。リンファオはぞっとした。
不意打ち担当の番人どもだったら殺られていた。
「どんな時でも気を抜くな」
レンの端正な顔が厳しく引き締まる。隣でスイレンが笑う。
「私の術で気配を消しました。レンですら気づきませんよ」
巫女長であるスイレンの術は、神剣遣いすら欺く。
リンファオは二人を交互に見比べて首をかしげた。
「どうしてお二人で?」
スイレンはレンの神剣を持つと、にっこり笑う。
「今日は、巫女舞と剣技、そして古武術チャオタイを混ぜたものを教えます」
「巫女舞と剣技……神楽なら、もう型の中に組み込まれているのでは?」
「そんな子供だましではありません」
つんっとスイレンは横を向く。
巫女長だから百歳近いはずだが、相変わらず美しく、そして子供っぽい。
「あなたはまだ幻影術が使えません。おそらく月が満ちていないからだと思いますが。先にコツだけ覚えてもらいましょう」
リンファオは顔を赤くしながら、ちらりとレン老師を見た。
村八分のように中洲に押し込められてから、話すことができるのは剣技や気功術を教えてくれる老師たちだが、その中でもレンは無口で、まったく話そうとしてくれない。
そんな無骨な男の前で、月のものが来てないとばらされるのは、気まずい。
「もうあまり時間がない。おまえも召集されるだろう」
そのレンの言葉に、リンファオが愕然とした。ここから出られるだって?
「帝都組の交代の時期が来た。次はおまえの初任務となるはずだ」
レンは憮然とした表情でそれだけ告げると、神剣をスイレンに預け、チャオタイの構えをした。
「早く食え、おまえに教えるのは普通のチャオタイではない。巫女舞を合わせた美しい死の舞踊だ。一日や二日では終わらないぞ」
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