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土蜘蛛の里編

試練の地

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 リンファオは、神剣の持ち手になるための修了試験の内容を初めて知った。

 それは、里から逃げ出そうとした者に対する罰と、ほぼ同じだった。

 谷川の下流に安定した中州がある。

 小島と言っていいほどの二キロ四方の中洲だ。

 ここ数十年のあいだ、この鉄分を含んだ赤い川が氾濫した様子も無く、草木が生い茂り森を形成している。

 移住直後はここに土蜘蛛の村の一つを作る計画もあった。

 結局増水した時のことを考え、そこは剣士たちの鍛錬の場として利用されることになったのだ。

 川の両端には、上流から点々と下に向かって、屋根だけの砂鉄の洗い場が設置されている。


「神剣の遣い手を目指すものは、この地でその力を試す。だが、違反者も同じだ。同じやり方で、神意を問う。神が許したもう者だけが、この地から抜け出せる。今のところ、移住後にこの島に送られたのは一族では二人だけだが」

 里長はリンファオにそう教えた。

「もう一人、外部の人間もいる。巫女をかどわかそうとした、行商人じゃ」

 魔性の里の美しい巫女の噂を聞いて覗きに来る外部の人間は、ほとんどが土蜘蛛相手に商売する商人たちだ。

 逆に言うと、彼ら商人と仕事の依頼者クライアント、そして皇帝の遣い以外は里に入ることはできない。

 運よく里の女を眼にした外部の人間は、文字通り骨抜きになる。

 明らかに東の民とわかる、細身のしなやかな体と象牙の肌。

 顔立ちは、どの国籍の人間でも通じるような共通の美しさと愛らしさを兼ねていた。

 彼女たちを一目見た者は、しっとりと輝く象牙の肌に魅せられ、その柔らかそうな細身の身体を抱いた時のことを想像するのだ。

 極めつけが、神々しさと艶っぽさを放つ、不可思議なオーラ。

 しかしいくら恋焦がれても、話しかけることは禁止されているため、渋々帰って行くことになる。

 ある時、どうしても諦め切れなかった行商人の若者が、巫女の一人を唆し、谷を出るように説得した。

 その結果二人とも捕まり、この島に送られることになった。

「そしてもう一人は──覚えておるかの。我らからしたら最近のことよ。自分の産んだ子を自分だけのモノにしようとした、哀れな巫女じゃった」

(ランギョク姐さん……)

 ぼんやりとした記憶をたどる。

 たしか幼少時、その巫女の葬儀に参列したことがある。

 殺された、とシオンが言っていたっけ。

 そのシオンも死んだわけだが、その時のことを当時の子供たちは誰も覚えていない。

 全員、記憶が抜けているのだ。

 リンファオは唇を噛んだ。

 死というものはあまり身近ではなかった。

 それが突然目の前に突きつけられている。

 今から自分は、処刑場に送られるようなものなのだから。



「青虎の森へ渡れる」

 里長は、中洲まで行く吊り篭を指差した。

 人が一人やっと乗れるような、小さな籠があった。

 それは河岸から中州に向かって張られた縄からぶら下がり、暗い森へ続いている。

「森の反対側に、同じような籠が用意してある。そこに辿り着き、夜明けまでに無事に川を渡ってこられたら、神がおまえを認めたということになる」

 リンファオはその森に禍々しいものを感じた。

「何が……あるのですか?」

 里長は背後を振り返った。

 そこにはたくさんの見学者が居た。

 メイルンも、リンファオの育った村の長老も、心配そうにこちらを見ている。

 もはや祭事どころではなくなり、今回選ばれた神剣の遣い手たちも皆、何が起こっているのかを自分の目で見届けようとしているのだ。

 群集をかき分けるように、数人の男たちがやってきた。

 全員里長と同じように、この里の中でさえ土蜘蛛の面を被ったままの、大人の剣士たち。

 既に仕事を請け負っているはずの、一人前の男たちが、なぜここに……。

 その中でひときわ異質な男がいた。

 彼らの面は、くり貫かれた口元の両脇──牙を模した辺りが赤く塗られている。

 だが人々の目を引いたのは、そんなことではない。

 一人だけ、交差させた剣を二本担いでいる者がいる。

(神剣を二振り持っているの?)

 リンファオは目を見開いてその男を見つめた。

 男たちは一人ずつ籠に乗ると、順番に青虎の島に向かっていった。

 最後の一人──剣を二本担いだ男は、リンファオの視線に気づくと、ククッと声を殺して笑った。

 そして彼もまた籠に乗って川を渡っていく。

「あの人たちは?」
「あれは里の番人。普段は里を見張り、若い剣士たちに試練を与え……そして逃亡者を捕獲する役目の者たち。掟を破った同族を罰するための処刑部隊」

 リンファオはゴクリと生唾を飲み込んだ。

「──お前たち女は、神剣の主になるために、どれほど過酷な試練を与えられるか知らされていないだろう。神剣に挑む剣士たちを試すのは彼ら番人だ。彼らの追撃から逃れ、無事に青虎の森から脱出したものだけが、神剣の儀式に参加できる。よって番人とは、神剣遣いの中でも特に腕のたつ者たち。おまえは今から、あの者たちと戦うのだ。無事に処刑を免れ、その地を脱することができれば、おまえは神剣の遣い手として認められることになる」

 リンファオは唖然とした。

 バカな。

 この人は何を言っているのだろう。

「私は剣術を知りません! 神剣を持ったら、たまたま音が鳴っただけで──」
「それが、ただごとではないのだ」

 リンファオはその時ようやく里長の意図を知った。

 神剣が巫女にもなってない女児を選んだ時点で、慣例には無い事態が起きた。

 それこそ凶事の前触れかもしれない。

 だから厄介者を、ただ処分しようとしているだけなのだ。

「さあ、おまえの番だ。彼らはすぐに襲ってくる。本気でおまえを殺しに来る。森は深いが、さして広くはない小島だ。逃れたいなら、彼らを殺すしかない」

 リンファオは助けを求めて長老たちを振り返った。

 誰も、どうしていいか分からないようだった。困惑している。

 姉貴分である巫女たちも、怯えたようにこちらを見ているだけ。

 メイルンは泣きじゃくっている。

 里の掟を持ち出されれば、誰にも、何が正解か分からない。


 その時、一人の少年が自分に近づいてきた。

 シショウだ。

 金と黒の筋が入った髪をサラリと揺らしながら、リンファオの隣に来た。耳元に口を寄せ、そっと囁く。

「俺たちの修了試験の時と同じ状況なら、この小島は名前だけじゃない。本当に人食いの青虎が放し飼いにしてある。いつ襲ってくるか分からないから気を抜くな」
「青虎って……神獣じゃないの」

 リンファオは怯えたようにいい、すがりつくような目でシショウを見つめた。

「む、無理だわ。そんなの見たことないし。だいたい私、剣なんか持たされても──た、戦ったことなんてないんだものっ」

 シショウは振り返ると、静かに二人を眺めている里長に目をやった。

 里長は目を瞑って首を振る。

 考えを変える気はなさそうだ。

 シショウにも里長の意図が分かったのだろう。唇を噛んで考え込む。

 この島に送られるということは、そういうことなのだ。

「よく聞いて、えーと」
「リンファオ」
「いいか、リンファオ。神剣持ちの候補を試す時、ハンデとして追っ手は神剣を抜かない。飛び道具による捕獲と、気功で意識を飛ばされることはあるけれど。青虎の方に追い詰められないように、それだけは気をつけろ。喰われるからな。今まで何人も将来有望な剣士が餌食になったんだ──君、巫女になるための演舞はもう踊れるね?」

 リンファオは頷いた。

「あれは実戦の型だ。大体身体が覚えているはずだ。目を瞑って、呼吸を整えて、舞が導くままに身体を動かせ。ぼくはそうやって鍛錬したんだ」

 むちゃくちゃ言う。

 舞を覚えたくらいで戦えるわけがない。

 しかし、気休めなのは分かっているが、それでも一生懸命励まそうとしてくれている彼の気持ちが嬉しかった。



 里長がリンファオを籠へ促す。

 薄桃色の稚児衣装の小さなリンファオが乗ると、まるでこれから川に流される捨て犬や捨て猫のように見えた。

 メイルンが狂ったように何か叫んでいる。

「君と一緒に仕事が出来ることを祈っている」

 シショウは硬い表情のまま籠に手をかけ、じっとリンファオを見ながらそう言った。

「だから生きろよ」

 籠は無情にも、川の向こうへと運ばれていった。




 滑車の動きが止まり、リンファオは急いで籠を降りた。

 頼れるのはもう背中のやっかいな神剣だけだ。

 森の中は真っ暗闇で、先ほどの男たちが何処にいるか、皆目見当もつかなかった。

 リンファオは怖くてしようがなかった。

 とにかく、彼らに見つからないように、そして解き放ってあるという獣にも遭遇しないように、もう一つの移動籠の乗り場に辿り着くしかない。

 そう、ここは中洲。

 そんなに広くないはず。

 足には自信がある。

 走って、走って、ひたすら走るのだ。

──君と一緒に仕事が出来ることを祈っている──

 シショウの言葉を思い出した。

 話したことも無い、見習い巫女の心配をしてくれたシショウ。

 彼のおかげで、絶望に凍りついた心が少しだけ救われた。


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