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第六章
砂漠の都市ルーラル(作者の都合で三人称)
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小さな都市国家であるルーラルは、驚いたことに何も異常がなかった。砂漠を渡る交易隊が、普通に出入りしている。
テオフィルは椰子の葉の緑にほっとしながらも、困惑を隠せない。
「どうなってる、カラスの情報は間違いなのか?」
テオフィルにくっついたままのアレクシアをチラッと見て、ジークバルトは不機嫌そうにそれに答える。
「しらねーよ、そもそも調査が俺たちの最初の仕事だろ。ていうか、アレクシアをクラダに乗せるのは一日交代だったはずだぜ。本当なら今日は俺の番だった」
「街に着いたんだから、もう終わりだ」
テオフィルがサラッと答えた。
ジークバルトよりさらに不機嫌なのは、袋詰めされてクラダの脇に吊るされていたファッビオだろう。獣姿のまま、ムスッとしている。
クラダ代を四頭にケチられたのだから、今回の旅はずっとこのスタイルだった。仕方ない。駱駝より速度に優れ、揺れの少ないクラダは高価だ。いつ魔王が見つかるか分からない旅なのだ。旅費は節約したかった。
「まあ、思ったよりは、トラブルが無くて良かった」
テオフィルはアレクシアを降ろすと、安堵の息をついた。
いや、敵の本拠地なのだからして、安心していいとは思わないが……とりあえず大きなオアシスの都市だ。
あんな貧弱な盗賊団よりも、むしろ砂漠のど真ん中で魔物に襲われないかが心配だったのだ。メルヒは水属性。あまり力を発揮できない。
大事なアレクシアに何かあったら──。
アレクシアを愛している。だから絶対守るのだ。
そこでまた、己の心と記憶のズレに、奇妙なもやもやを感じた。自分はなぜこうも必死に、自分自身に言い聞かせているのだろう?
「街が通常通り機能していて良かったよ。すぐ宿を取ろう」
テオは軽く頭を振って妙な違和感を押しのけた。
「でも、魔族情報はガセじゃねぇな。お前も分かってるんだろ?」
不機嫌なジークバルトがテオに聞くと、彼は口の端を歪めた。
「ああ。いるね。人間に紛れて、魔族の気配がする。すごく多いぞ」
魔力の強い魔族は、人と同じ格好であったり、また、そうでなくても擬態できたりする。そう、ファッビオのように。
だが、強大な力を持つ者ほど、完全に魔力を隠すことは難しいと聞く。普通の人間には分からないだろうが、神殿で修行してきた一行には、微かに漏れる気配すら読み取ることができた。ヒシヒシと肌で感じるのだ。
「自分のことを魔物だ魔物だと言いますが、だから君は疑われないんですよ。我々の感知能力で魔族を見逃すことはない」
勇者と魔導士の会話を聞いたメルヒオールが、怪しい娼婦もどきの女──おそらく間諜──にそう言った。
でも、どことなく今までより口調が優しくないか? テオフィルはそれを見て、怖くなった。やはりこの女の扱いには困る。
この女がもやもやを植え付けるからだ。その原因は分からないのに、彼女がいるせいだと、なんとなく分かる。
メルヒオールのことだから、砂漠に捨ててくるかと思ったのに……。さすがのドS賢者も、無抵抗の女を置き去りにするのは抵抗があったということだろう。
「魔族って言ってないわ、大魔王様だって言ってるの。証拠も見せられるけど、ちょっとここで気づかれたらまずいのよね」
娼婦はそう言って辺りを見渡す。浅黒い肌のルーラルの民たちの中で、彼女の白い肌はよけい際立って見えた。
テオフィルにとって、旅の間ずっと魔物を擁護するおしゃべりを止めなかった彼女は、目障りでしかなかったはずだった。
しかし、周囲の通行人が思わず振り返るほど美しいのは認める。さぞ売れっ子の娼婦だったのだろう。それともやはり間諜か。間諜なら、そろそろ閨に誘ってきそうだが。
勇者たちを唆し、骨抜きにして、その間にアレクシアを攫うのかもしれない。
「ロラン、あの女、アレクシアに絶対近づけるなよ」
ロランはファッビオを革袋から引っ張り出しながら頷く。
「分かってる。だがアレクシアから近づくのはどうしようもない」
気づくと、自分の傍にいたはずの聖女が、あの女の近くに行っていた。
「ねえお姉さん、いつもいい匂いがするけれど、砂漠で汗かかなかったの? 私とハマムに行かない?」
「ハマム? トルコにあるような蒸し風呂? 垢すりとかしてくれるやつ?」
「トルコ? どこぉそれ。ねえ、一緒に行きましょうよ」
テオフィルは、悪鬼のような目で二人をにらみつける。
「アレクシア、彼女は身元がはっきりしない。ダメだ」
「え~、だって、盗賊から助けてくれたしぃ」
厄介払いができたようなこと、言ってなかったっけ? テオフィルの心に、またもや納得いかない記憶のズレが生じた。
聖女は博愛主義者。あんなことを言うアレクシアではないはずだ。こういう風に無防備なのがいつものアレクシア。だから自分たちが注意してやらなければならない。
「じゃあ、誰が私と大浴場に一緒に入ってくれるの?」
アレクシアがぷぅっと膨れた。テオは頭を抱えた。確かに一緒に風呂には入れない。討伐隊から信用できる女の騎士を一人くらい連れてくれば良かった。または神殿の聖女候補だった者の中から。
しかし危険な旅だ。生半可な力のものを道連れにするのは避けたかった。勇者パーティーは、己の身と無力な聖女を守らなければならないのだから。
「ファッビオが獣姿で行くから大丈夫ですよ。ファッビオはまだ発情期じゃないので」
メルヒオールがそう提案した。
ロランとファッビオという護衛とともに、アレクシアがハマムを探して消える。
残りは街の中を探ることになったからだ。
一体、二体の気配じゃない。しかし、低級の魔物はどの都市にもいる。奴隷市場にだって、多少なりとも魔力のある魔物が売られているのだから。
だが、乗っ取られた、という情報と、この気配の量に間違いがないなら、通常の都市より多くの魔物がこの街に巣食っているはずである。
そしてその魔物たちは、今のところ勇者一行が来ていることに気づいてなさそうだ。街中は、平穏そのもの。
もしかすると、この都市国家の魔物たちは、誰にも気づかせないまま、街をじわじわと侵食していくつもりなのだろうか。
「君を、どうしようかな」
テオフィルは謎の女を見て考えこむ。もう、去ってくれると嬉しいのだが。これ以上、気持ちを混乱させないでほしい。
「手伝うわよ」
「ばかな──」
テオフィルは鼻で笑った。女は肩をすくめる。
「分かったわ。荷物を整理して、宿で待っているわ……。あ、でもね、メルヒを残してテオとジーク二人で行けばいいんじゃないかしら」
馴れ馴れしくジークとかメルヒとか呼ぶなよ、とテオフィルはムッとなったが、彼女の指摘のおかげでメルヒオールの様子に気づく。
「まだ顔が青いね」
テオは遠慮がちに気遣う。大袈裟に心配されるのを彼は嫌うのだ。
「よく休めてないからよ。冷たいの飲んで寝てなさいよ」
女はメルヒオールの額に触ろうとする。メルヒがパチンとその手を払った。
「触らないでください」
「汗が出てないわ。でも熱い。やっぱり熱中症みたいなやつかしら」
女の言葉に、テオは心配になった。
「……メルヒは休んでいてくれ」
「こんな女の言うことを真に受けないでくださいよ。よけいなお世話だ」
メルヒが噛みつく。しかしジークも同意した。
「いいからさっさと本調子に戻せ。すぐに戦うわけじゃねーんだからさ。テオも、討伐軍が来るまで戦うなよ?」
魔導士はついでに勇者に釘を刺し、それから、長いまつ毛を瞬かせて心配そうにメルヒオールを見ている女にも言う。
「あんたは、別の宿を──」
「メルヒの傍にいるわよ。看病するわ」
テオフィルは息をついた。なんでつきまとうんだ。
「言うと思った。それだとメルヒオールは安心して休めないんだ。君は……目障りなんだ」
目ざわりどころではなく、おそらく敵である。身柄をどうにかしたいのだが──特に危害を加えてくるわけでもない女を殺すのは、テオフィルにだって抵抗があった。
「目障り……」
女はポツリと呟いた。
なにか別の意志のもと送り込まれた女ならば、もっとごねると思った。しかし、女は困ったように立ちすくんで顔を伏せただけだった。
「まあ、そりゃそうでしょうね。分かったわ」
泣いているような気がして、テオは一瞬ドキッとなる。ごめんよ、と慰めたくなった自分にもショックを受けた。自分もほだされかけているのか!? 冗談じゃないぞ。
ジークを見ると、彼も釈然としない面持ちで、黙り込んでいるだけだった。
ややあって顔を上げた女の顔は、穏やかな笑みを浮かべていた。
「バイバイ」
テオフィルは椰子の葉の緑にほっとしながらも、困惑を隠せない。
「どうなってる、カラスの情報は間違いなのか?」
テオフィルにくっついたままのアレクシアをチラッと見て、ジークバルトは不機嫌そうにそれに答える。
「しらねーよ、そもそも調査が俺たちの最初の仕事だろ。ていうか、アレクシアをクラダに乗せるのは一日交代だったはずだぜ。本当なら今日は俺の番だった」
「街に着いたんだから、もう終わりだ」
テオフィルがサラッと答えた。
ジークバルトよりさらに不機嫌なのは、袋詰めされてクラダの脇に吊るされていたファッビオだろう。獣姿のまま、ムスッとしている。
クラダ代を四頭にケチられたのだから、今回の旅はずっとこのスタイルだった。仕方ない。駱駝より速度に優れ、揺れの少ないクラダは高価だ。いつ魔王が見つかるか分からない旅なのだ。旅費は節約したかった。
「まあ、思ったよりは、トラブルが無くて良かった」
テオフィルはアレクシアを降ろすと、安堵の息をついた。
いや、敵の本拠地なのだからして、安心していいとは思わないが……とりあえず大きなオアシスの都市だ。
あんな貧弱な盗賊団よりも、むしろ砂漠のど真ん中で魔物に襲われないかが心配だったのだ。メルヒは水属性。あまり力を発揮できない。
大事なアレクシアに何かあったら──。
アレクシアを愛している。だから絶対守るのだ。
そこでまた、己の心と記憶のズレに、奇妙なもやもやを感じた。自分はなぜこうも必死に、自分自身に言い聞かせているのだろう?
「街が通常通り機能していて良かったよ。すぐ宿を取ろう」
テオは軽く頭を振って妙な違和感を押しのけた。
「でも、魔族情報はガセじゃねぇな。お前も分かってるんだろ?」
不機嫌なジークバルトがテオに聞くと、彼は口の端を歪めた。
「ああ。いるね。人間に紛れて、魔族の気配がする。すごく多いぞ」
魔力の強い魔族は、人と同じ格好であったり、また、そうでなくても擬態できたりする。そう、ファッビオのように。
だが、強大な力を持つ者ほど、完全に魔力を隠すことは難しいと聞く。普通の人間には分からないだろうが、神殿で修行してきた一行には、微かに漏れる気配すら読み取ることができた。ヒシヒシと肌で感じるのだ。
「自分のことを魔物だ魔物だと言いますが、だから君は疑われないんですよ。我々の感知能力で魔族を見逃すことはない」
勇者と魔導士の会話を聞いたメルヒオールが、怪しい娼婦もどきの女──おそらく間諜──にそう言った。
でも、どことなく今までより口調が優しくないか? テオフィルはそれを見て、怖くなった。やはりこの女の扱いには困る。
この女がもやもやを植え付けるからだ。その原因は分からないのに、彼女がいるせいだと、なんとなく分かる。
メルヒオールのことだから、砂漠に捨ててくるかと思ったのに……。さすがのドS賢者も、無抵抗の女を置き去りにするのは抵抗があったということだろう。
「魔族って言ってないわ、大魔王様だって言ってるの。証拠も見せられるけど、ちょっとここで気づかれたらまずいのよね」
娼婦はそう言って辺りを見渡す。浅黒い肌のルーラルの民たちの中で、彼女の白い肌はよけい際立って見えた。
テオフィルにとって、旅の間ずっと魔物を擁護するおしゃべりを止めなかった彼女は、目障りでしかなかったはずだった。
しかし、周囲の通行人が思わず振り返るほど美しいのは認める。さぞ売れっ子の娼婦だったのだろう。それともやはり間諜か。間諜なら、そろそろ閨に誘ってきそうだが。
勇者たちを唆し、骨抜きにして、その間にアレクシアを攫うのかもしれない。
「ロラン、あの女、アレクシアに絶対近づけるなよ」
ロランはファッビオを革袋から引っ張り出しながら頷く。
「分かってる。だがアレクシアから近づくのはどうしようもない」
気づくと、自分の傍にいたはずの聖女が、あの女の近くに行っていた。
「ねえお姉さん、いつもいい匂いがするけれど、砂漠で汗かかなかったの? 私とハマムに行かない?」
「ハマム? トルコにあるような蒸し風呂? 垢すりとかしてくれるやつ?」
「トルコ? どこぉそれ。ねえ、一緒に行きましょうよ」
テオフィルは、悪鬼のような目で二人をにらみつける。
「アレクシア、彼女は身元がはっきりしない。ダメだ」
「え~、だって、盗賊から助けてくれたしぃ」
厄介払いができたようなこと、言ってなかったっけ? テオフィルの心に、またもや納得いかない記憶のズレが生じた。
聖女は博愛主義者。あんなことを言うアレクシアではないはずだ。こういう風に無防備なのがいつものアレクシア。だから自分たちが注意してやらなければならない。
「じゃあ、誰が私と大浴場に一緒に入ってくれるの?」
アレクシアがぷぅっと膨れた。テオは頭を抱えた。確かに一緒に風呂には入れない。討伐隊から信用できる女の騎士を一人くらい連れてくれば良かった。または神殿の聖女候補だった者の中から。
しかし危険な旅だ。生半可な力のものを道連れにするのは避けたかった。勇者パーティーは、己の身と無力な聖女を守らなければならないのだから。
「ファッビオが獣姿で行くから大丈夫ですよ。ファッビオはまだ発情期じゃないので」
メルヒオールがそう提案した。
ロランとファッビオという護衛とともに、アレクシアがハマムを探して消える。
残りは街の中を探ることになったからだ。
一体、二体の気配じゃない。しかし、低級の魔物はどの都市にもいる。奴隷市場にだって、多少なりとも魔力のある魔物が売られているのだから。
だが、乗っ取られた、という情報と、この気配の量に間違いがないなら、通常の都市より多くの魔物がこの街に巣食っているはずである。
そしてその魔物たちは、今のところ勇者一行が来ていることに気づいてなさそうだ。街中は、平穏そのもの。
もしかすると、この都市国家の魔物たちは、誰にも気づかせないまま、街をじわじわと侵食していくつもりなのだろうか。
「君を、どうしようかな」
テオフィルは謎の女を見て考えこむ。もう、去ってくれると嬉しいのだが。これ以上、気持ちを混乱させないでほしい。
「手伝うわよ」
「ばかな──」
テオフィルは鼻で笑った。女は肩をすくめる。
「分かったわ。荷物を整理して、宿で待っているわ……。あ、でもね、メルヒを残してテオとジーク二人で行けばいいんじゃないかしら」
馴れ馴れしくジークとかメルヒとか呼ぶなよ、とテオフィルはムッとなったが、彼女の指摘のおかげでメルヒオールの様子に気づく。
「まだ顔が青いね」
テオは遠慮がちに気遣う。大袈裟に心配されるのを彼は嫌うのだ。
「よく休めてないからよ。冷たいの飲んで寝てなさいよ」
女はメルヒオールの額に触ろうとする。メルヒがパチンとその手を払った。
「触らないでください」
「汗が出てないわ。でも熱い。やっぱり熱中症みたいなやつかしら」
女の言葉に、テオは心配になった。
「……メルヒは休んでいてくれ」
「こんな女の言うことを真に受けないでくださいよ。よけいなお世話だ」
メルヒが噛みつく。しかしジークも同意した。
「いいからさっさと本調子に戻せ。すぐに戦うわけじゃねーんだからさ。テオも、討伐軍が来るまで戦うなよ?」
魔導士はついでに勇者に釘を刺し、それから、長いまつ毛を瞬かせて心配そうにメルヒオールを見ている女にも言う。
「あんたは、別の宿を──」
「メルヒの傍にいるわよ。看病するわ」
テオフィルは息をついた。なんでつきまとうんだ。
「言うと思った。それだとメルヒオールは安心して休めないんだ。君は……目障りなんだ」
目ざわりどころではなく、おそらく敵である。身柄をどうにかしたいのだが──特に危害を加えてくるわけでもない女を殺すのは、テオフィルにだって抵抗があった。
「目障り……」
女はポツリと呟いた。
なにか別の意志のもと送り込まれた女ならば、もっとごねると思った。しかし、女は困ったように立ちすくんで顔を伏せただけだった。
「まあ、そりゃそうでしょうね。分かったわ」
泣いているような気がして、テオは一瞬ドキッとなる。ごめんよ、と慰めたくなった自分にもショックを受けた。自分もほだされかけているのか!? 冗談じゃないぞ。
ジークを見ると、彼も釈然としない面持ちで、黙り込んでいるだけだった。
ややあって顔を上げた女の顔は、穏やかな笑みを浮かべていた。
「バイバイ」
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