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三章
14 ザイオス探る
しおりを挟むバスク伯は、欲は大きい。
しかしその頭に、あまり脳ミソは入ってないようだ。
自領の統治に関することは全て小領主や補佐たちに任せきり。
領民から搾り取る税の限度を知らないのは、きっとそのせいだ。
それでもあらゆる保管文書――おそらく中身は見ていない――へのサインは彼のものでないと意味がないはずなので、がさ入れするならトラヴィスの執務室からだろう。
「ちっ、暗くてよくわからねぇな」
闇の中でごそごそと部屋の中を探っていたザイオスは、小さな蝋燭ひとつで困り果てていた。
ラドバウトはああ言っていたが、州侯として、親父や将来的には自分に、何か出来ることがあるはず。
夜警以外寝ている夜中だ。
当然壁の蝋燭は消されているが、それに火を移すような馬鹿な真似はしない。
扉から漏れる灯りは、最小にしなければならない。
今は特に城内が厳戒態勢をとっているため、細心の注意を払った。
明日になれば、ラドバウトはここから去る。
そうなればまた領主の身辺警備に戻され、行動が限られてしまう。
今なら使者の警備に当たっていることになっている。
領主悪行の証拠になる物を掴むチャンスである。
根気よく探しているうちに、奇跡的にこの暗がりで収穫があった。
全バスク領の都市農村、及び伯領直営農地における年度会計諸表。
バスクは今や伯領としてトラヴィスに与えられ、大幅に減らされた教区と同じく、司教や司祭はミサや洗礼等の宗教活動をするのみ。
しかし入り込んでみると、領主として地代もろもろ手に入れながら、さらに教会税もきっちり徴収後、教会へ取り分を渡していない。
教会は所領であった土地まるごと取られてしまったのに、さらに教会税まで奪われ、献金のみで宗教行事を行っているということか。
バスクは州への税は免除されている。土地の痩せた領地の領主たちよりは、よほど余裕があるはずなのだ。
ここまで搾り取る必要はあるのか? 贅沢するにもド田舎の領主が、王領地や公領地の貴族たちのように金を使う予定があるとも思えない。
スタンフュウスは、このバスクから出てはいけないのだから。
首をかしげながら、バスク伯歳出書類を捲っていくうちに、徐々にその顔が青ざめていった。
諸表に几帳面に記されたそれは、夥しい数の武器の購入歴と、添付された納品書。
「え? ちょっと何これ。……投石器、攻城楼、火薬、それに大量の弓矢や剣。一体何に使うつもりなんだ!?」
国境を接しているとは言え、州軍の防衛費は現在各州侯が管理している。
また、領地の都市農村の反乱は、各領地の第三警備隊も兼ねる州軍が鎮圧することになっている。つまりは領地でこの規模の武器を購入する必要はない。
そもそも、一領地の領主には需要があるとは思えない膨大な数だ。
「だいたい、どこにこれだけの武器を置いてあると言うんだ」
困惑するザイオスの耳に、執務室の外の廊下から走ってくる複数の足音が聞こえた。
ザイオスはとっさにその帳簿や受注書類を胴着のなかに押し込み、蝋燭を吹き消した。
兵士たちの足音がどんどん近づいてくる。息を殺して机の影に身を潜め、そっと様子をうかがった。
「いたか?」
「いや、いない! そっちはどうだ?」
「だめだ。まさかイライザ様や侍女たちの棟に行ったのか?」
衛兵たちの怒鳴り声が石の廊下に響き、ザイオスは首を傾げた。
(俺を探しているのか?)
ラドバウトに頼んでいたのに……。
ザイオスは、兵士たちの声が遠ざかるのを辛抱強く待ってから、こっそりと部屋を出た。
ところが、旧館へ向かう渡り廊下で厳しい声をかけられた。
「おまえ、そこで何をしている!?」
ギクッとして振り返ると、チャーチ・オルベールが立っていた。
「ファウ・エッフェン殿の警備はどうした?」
ザイオスは内心舌打ちしつつ、素早く言い訳を考えた。
「それが、不審な男を見かけまして、それで持ち場を離れて後を追いました。いや、もちろんラドバウト、いえ、使者様の許可は頂きましたよ」
チャーチが予想外の反応を見せた。
いきなりザイオスの肩をがくがく揺さぶりながら、
「どこだ、どこで不審な男を見かけたんだ? どんな奴だ!?」
「え?」
ザイオスは眉をひそめ、すぐにはっとチャーチの顔を見た。
「出たんですね? 白夜が。まさか誰か殺されたんですか?」
チャーチは渋い顔で、ついて来い、と言うとくるりと背を向けた。
言われたとおりにすると、警備隊長は東の棟の一角に彼を導いた。
衛兵が二人、重々しい鉄の扉の前に立っている。チャーチを見ると、踵を揃えて敬礼した。
「隊長! 意識を取り戻しました!」
衛兵の声に、ザイオスは胸をなで下ろす。
生きているのか……。
中に入ると、宝箱が山積みになっている。財産をしまっておく部屋らしい。
その部屋に倒れていた男が、介抱されてうめき声をあげていた。
「な……んてこった」
ザイオスは、彼の顔を見てそう呟く。
その男の顔面の皮は、きれいに剥がされていたのだ。
服装からスラヴォミール・アロマという領主の財務管理人だと判明した。
彼がか細い声で泣きながら救護室に連れて行かれると、チャーチはザイオスに言った。
「白夜は何処にいるか分からない。誰を狙ってくるかも。だが、伯爵がお前を呼び戻すように言っている。使者殿の警備は他のものに任せて、すぐに伯爵の寝所に向かってくれ」
「でもよ、隊長さんの頼もしい部下たちはもちろんだが、パルタクスとクレトがいれば平気なんじゃないですかね?」
「クレト? 誰だそれは」
そうか偽名を使ってたのか。ザイオスはあわてて言い直した。
「ほら、鍔の広い変な帽子被った黒づくめのさ、コミュ障のくせにやたらキザなやつ」
「ああ、あの無口な野郎か」
「だから俺は引き続き白夜を探しますよ」
「だめだ、伯爵の所へ行け。これは命令だ。その変な帽子のやつは、さっきから見つからないんだ。それに、奴隷は伯爵の寝所に入ることはできん。かといって、騎士団では……ぐぬぬ……頼りないそうだ」
悔しそうに言ったチャーチの、後の言葉はもはや聞いていなかった。
(クレトがいない?)
財務管理人が襲われたとき、彼は領主の警備をしていなかったのか。
では一体どこで何をしていたんだ? ザイオスは考え込んだ。
その時チャーチが、ザイオスの後方を見て目をつり上げた。
「何処に行っていたんだ!?」
振り向くと、クレトの姿があった。いつからそこにいたのだろう。
「答えろ、この変な帽子のキザ野郎」
クレトの片眉がぴくりと動いた。もしかして、気を悪くしたのだろうか。そう言えば、ビーバーフェルトとかなんとか、あの帽子を自慢していたような……。ザイオスはぼんやりと思った。
チャーチはちょっと息をついて自分を落ちつかせると、もう一度尋ねた。
「何処で何をしていた?」
「不審な男を見かけたんで、追いかけたんですよ」
クレトは、ザイオスと同じいい訳をした。チャーチもまた同じ態度をとった。
「な、なにいっ! 何処で見かけたんだ? どんな奴だった!?」
「さあ。暗くてよく見えなかったんでね、バスク伯の執務室の当たりをうろうろしてました。逃しましたけどね」
ぎくり、とするザイオスを見て、クレトはうっすら口のはしに笑みを浮かべた。チャーチはそんな二人のやりとりに気づかなかった。
「もういい。二人ともすぐに伯爵のもとに行くんだ」
* * * * *
「なあ、クレト」
黄色の新館に向かうザイオスの足どりは重い。
一方クレトのそれもゆっくりだが、彼の場合、まるで月に照らされた中庭を、散策しながら歩いているように見える。
優雅だ。
イケメンは得だな、と一瞬見とれながら思った。
「おまえは、バスクに何の用で来たんだ?」
ザイオスが硬い口調で尋ねた。
クレトは無言だ。派手な黄色の建物さえ無ければ、古びた遺跡のアーチが幻想的な、美しい月夜の光景だった。
「まあいい。そんなのは俺には関係ないことだもんな」
クレトはそんな彼を一瞥しただけで、やはり何も言わなかった。
ザイオスの声のトーンが下がる。
「おまえさ、何で白夜が捕まらないと思う?」
「お前はどう思っているんだ?」
逆に聞き返してきたクレト。その様子を注意深く見ながら、ザイオスは言った。
「こんなことを考えたことはないか? もし、白夜の目が赤くなかったら?」
クレトはおもしろそうに反論する。
「白夜の目は赤い。目撃者の全てが、それだけは確認しているんだ。髪なら染められるが、瞳の色はどうしようもないだろう?」
「そう。唯一の手がかりだ。だが、もしそれが間違っていたら? 考えただけで恐ろしいよな。この城のやつらも、白夜は絶対に赤い目をしていると思ってる。だから俺たちみたいな得体の知れない輩を、平気で城に入れるんだ。安心してな。赤い瞳。それだけを頼りに探している」
ザイオスの声が不穏さを増す。
「白夜の目はたぶん本当に赤いんだろう。しかし、いつもそうだとは言いきれないんじゃねえか?」
ザイオスは、彼の反応を確かめるかのようにゆっくり言った。
「例えば、普段はおまえのような深い緑色だったりーー」
クレトが足を止めた。ザイオスは広い鍔の下からかすかに覗く、切れ長の目で見据えられた。
暗い緑の光彩だが、中に灰色が混じっている。
(おお、草原にグレーの向日葵が咲いてるみたいだ)
呑気に感心したその時ーー。
「俺を疑っているのか?」
小さな呟き。
ざわっと、空気が動いた。
ザイオスが身構えたそのとき、城の衛兵が彼らを見つけて駆け寄ってきた。
「ああ、こんな所にいたのか。伯爵様がお呼びだ!」
緊張が溶けた。ザイオスは舌打ちし、その衛兵を睨み付けた。
「うるせえな、分かっているよ! 俺たちは今そっちに向かってるところだったんだ」
「伯爵さまの部屋には、お前だけ来るようにという命を伝えに来た」
衛兵は生意気な大男にしかめっ面で言い返すと、今度はクレトに向き直った。
「お前はイライザ様の元へ向かうように、とのことだ!」
「なに?」
クレトは不機嫌な顔で衛兵を睨み付けた。
「俺は領主の護衛として雇われたんじゃないのか?」
微かに怒りを含んだ低い声。衛兵はヒイッと震え上がる。
俺、第一騎士団なのに……と呟く衛兵は涙目だ。なに? なんなのこの二人の態度。ただの流れ者のくせに。
「う、腕利きの用心棒を寄こせって言われたんだ。伯爵も了承している」
口を尖らせて用件を伝える若い衛兵。
「それはいいことだ!」
ザイオスは手を叩いて喜んだ。何となく、クレトを領主の側に置いておきたくなかったからだ。
クレトは要注意人物だ。一度疑ってしまうと、どうしても警戒過剰になってしまう。
もし瞳の色が変化するのなら、疑わしいのはクレトだけではない。
そうなると全ての人間が、白夜の容疑者なのだ。
臨時の用心棒などと、身元も知れぬ流れ者をたくさん城に入れた時点で、領主は詰んだことになる。
もちろん、目の色が変わる人間などいるはずがないが……。
それでも、クレトが不審な男であることには変わりないのだ。
「いいじゃないか、領主の妻は美人らしいぞ」
ザイオスの能天気な言い方に、クレトは舌打ちする。
「俺は女が嫌いなんだ」
「そうか、ホモだったもんな」
それを聞いた衛兵は、お尻を押さえてまた震え上がった。こいつら、無礼な上にホモなの?
「……いいかげんにしろ。ぶっ刺すぞ」
クレトに睨まれてザイオスは鼻で笑う。
「おお、いいじゃねえか。あの続き、ここでやったっていいんだぜ?」
衛兵がなぜか赤面しながら後ずさる。
「悪かった。逢い引き中だったのか」
衛兵が平謝りする。クレトが渋面を向けた。
「だれがだ。闘技場の続きという意味だ」
「ケツに刺すって……」
「勘違いするな、剣で刺す、と言う意味だ」
「肩に担ぎ上げるような大きなエクスカリバーで」
「ちがう」
クレトはついに気迫で衛兵を追い払った。
しかし雇われた身だ。イライザの元には行かなければなるまい。
ザイオスがまだニヤニヤしている。
「女のお守りだなんて、同情するぜ」
「……お前、表情が言葉を裏切ってるぞ」
クレトには珍しく、恨めしげな声だった。
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