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第一章

座り込み

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「バーカ。おまえ、そいつが罪人拐っていったやつに決まってるだろ」

 串に突き刺したシーフードをもぐもぐやりながら、アーヴァインが言う。

 彼はいつの間にか、ちゃっかり集合場所に戻っていた。

 魔法のように袋から取り出した食べ物を、焚き火で温め直している。

 野営も実習の中に取り入れられているのだ。

 宿舎代をケチっているだけだ、とアーヴァインは毒づいていたが、本当に、どこで学んでくるのか、あっという間にマッチ無しで火を起こしたのも彼だ。

「まー、おまえが気づいていたら、そいつに殺られてたかもしれん。結果的に良かったんだよ、おまえが馬鹿で」
「バカバカ言うなよ~」

 アルフォンソは顔を覆った。なんてこった、手柄だったのに。

「まだ三日ある。顔を知っているなら他のやつより有利だ。明日また行ってみたら?」

 べつの仲間にもニシンの燻製を分けてやりながら、アーヴァインは人ごとのように進言した。

「おまえは来ないの?」

 アーヴァインは嫌そうな顔をした。

「何で俺が、そんな小物を追っかけなきゃならないわけ? 嫌だよ」
「おまえサイテーだな」

 アルフォンソは我が儘を言うアーヴァインに毒づいた。

「メッケルニッヒって言ったな?」

 唐突に、今度は魚肉ソーセージを炙りながら、アーヴァインが聞いてきた。

「え?」

 一瞬何の話か分からなくなる。

「お前が最初に入った紡績工場の経営者」
「たしかそう書いてあったけど」

 自分でも忘れかけていたのに、よく話のついでに言った言葉を覚えているな。アルフォンソは目を見張る。

 アーヴァインはそのまますっかり黙り込んで、考え込んでしまった。しばらく何を聞いても上の空で、答えなくなった。

 やがて、無言で小ぶりな樽入りビールを地面の上に置く。

 それを見て、同期たちが焦っているの気づき、やっと口を開いた。

「え? 教官に見つかったら怒られる? 乾パンの代わりだけど。パンだって麦でできてるじゃん、全員カップ出せよ」



※ ※ ※ ※ ※




 翌日も、逃げ出した罪人と、それを匿ったとされる謎の青年の捜索は続いた。

 制服を盗まれた憲兵隊の班長とやらが、停職処分になったと聞いた。

 ところが、今日は今日で違うゴタゴタが起こる。

 労働者たちのストライキだ。

 賃金引き上げと労働環境の改善を掲げ、あちこちで座り込み、暴動に発展しそうな雰囲気だった。


「あーあ、ホントにこき使われてるよ」
「この街、しょっちゅうこんなこと起きてるんじゃね?」

 工場の前で座り込んで仕事を始めようとしない労働者たち。

 彼らを囲い込むように立つ養成学校の学徒らは、うんざりしていた。

 正規の憲兵たちは昨日の罪人を探していて、ここには来ていない。

 なにせ被害者が伯爵領を持っている貴族だ。

 逃げられた、では済まない。

「これさー。暴動になったら、俺たちじゃどうにもならなくね?」

 憲兵科の生徒は健康で体格のいい者が優先的に入学出来るが、中身はと言うと、度胸がある者ばかりではない。

 実際の戦闘は経験したことがないのはもちろんのこと、暴動に遭遇したことすらないので、すっかりブルっている。

 さらにぶつぶつ文句を言ってはいるが、教官の命令にも逆らえなかった。

 仕方なく彼らが暴れ出さないように、見張りに立てられている。

 武器は警棒だけ。

 慣れていない彼らは、ニキビの浮かんだ頬を緊張に強ばらせていた。

「いつまで座り込みを続けるんだ? 俺様の貴重な時間を奪うんじゃねーぞ」

 その中で、多分一番肩の力を抜いているのは、アーヴァイン・ヘルツだった。

 いや、はっきり言って肩の力、抜きすぎだ。

 眠そうにしている友人を見て、アルフォンソは呆れた。

 怖いという感情そのものを、持ち合わせていないのか?

「たりー」

 吐き捨てるようにぼやくと、アーヴァインはキョロキョロ辺りを見渡しだす。

 両手を後ろに組み直立している隣のアルフォンソは、またまたの嫌な予感にげんなりする。

「おいおい、流石にこの緊迫した状況でサボるとか言うなよ?」
「あとヨロシク」
「オイ!」

 あっという間に、人ごみに紛れて姿が見えなくなる。

 なんなのあいつ、と呆然としているとき、

「貴様らっ、こんなこと許されると思ってるのかー!」

 工場監督官がこめかみに青筋を立てて、ムチを振り回しながら出てきた。

 昨日アルフォンソを咎めた男だ。

 屈強な助手たちも、脅すような声をあげながら、手近な労働者を殴りつけたり、蹴ったりしてくる。

 経営者にバレたら、彼らだって職を失うことになる。

 今日のノルマを達成するために、早急に解散させなければならないのだろう。

 しかし、座り込んでいた女のひとりが、痩せこけた男児を抱きしめながら言いかえす。

「子供の労働時間が十八時間だなんて、それこそ許されないわっ」

 え? アルフォンソは目を剥く。十八時間?

「昼の休憩まで無いんじゃ、すぐに死んでしまうぞ」

 見覚えのある男が立ち上がって文句を言う。

 アルフォンソに工場を調べるように言った熟練工だ。

「救貧院からの孤児たちなんて、人の扱いをまるでしていない。リーツマン様んとこの工場と、ぜんっぜん待遇が違うじゃないか。あそこは引き取った子供たちに勉強も教えてるんだっ」

 しかし、頭ごなしに怒鳴られる。

「バカを言うな! 屋根があって、寝る場所も与えてるんだぞっ。黒石鉱の採掘場に送られた子供より、よっぽど幸せなんだっ。今からそこの子供たちと交代させて、落盤とガス爆発の恐怖を味わわせてやろうか?」

 監督官は唾を飛ばしながらわめき散らす。

 鉱山も労働条件が酷いのは分かっている。

 小さなトンネルからトロッコを引っ張り出すのに、体の小さな女子供が重宝されているからだ。

 這って行き来し、おまけに空気も悪いため、事故だけでなく病による死亡率もおそろしく高い。

 代わりはいくらでもいるので、まさに使い捨ての労働力だった。

「人の工場は人の工場、うちはうちだ!」

 もはや監督官、小遣いに文句言う子供に対する父ちゃんみたいになってきた!

 アルフォンソは額を抑えた。

 労働者たちも負けてはいない。

「我々は組合を作る!」
「そうだっ、経営者が作る都合のいい組合じゃないっ。労働者による組合だっ」

 賛同の声をあげ、ざわめく労働者たち。

 数が多いので、学徒たちに緊張が走った。正規の憲兵たちはまだ来ない。

 しばらく言い合いが続き、アルフォンソたちはうんざりしながらお互いの顔を見合わせた。

 これいつ終わるの?

 その時、やけに派手な二頭だての馬車が、川沿いの橋の近くの歩道に横付けされた。

 監督官がそれに気づき、青ざめた顔で後ずさる。

「ルーペンサー伯爵、メッケルニッヒ様だ」

 工場経営者だ。

 ほらみろ、ちょうど視察に来ているから嫌だったんだ、と監督官は怯えた。

 逆に言うと、だからこそ労働者たちは座り込みを起こした。

(ふーん、経営者様のご到着ってわけか)

 アルフォンソがしげしげと眺めていると、馬車からゆっくり降りてきたのは、驚いたことに昨日の公開処刑場に立ち会っていた、被害者でもあるあの若い貴族だった。

「ルセック君、これはどういうことだ?」

 労働者たちを汚いものを見るような目で見回すと、まず工場監督官に詰問する。

 今まで権力を振りかざしていた者が、権力を振りかざさされ、しどろもどろになっている。

「即刻解散させたまえ」
「しかしこれだけ人数が居ると」

 大騒ぎしていた労働者たちは、ついには石を投げ出す始末。


 若くして富と爵位を継いだランク・メッケルニッヒは、自分の工場を視察に来てひどい目にばかり合っている。

 ちょっと街を散策して──ついでに趣味である、東人少女に手を出そうとして──ボッコボコにされるし、汚い労働者は石をぶつけてくるし。

 議会開催期間中ではないので、しばらくは都に行く予定も無かったし、海辺の工場地帯でハメを外そうと思い、遊び感覚でやってきた。

 田舎にある領地より、ずっと刺激ある生活ができると思ったのに。じっさいは空気が悪く、ごみごみしているだけ。

 何もいいことはなかった。

 頬を引きつらせながら、従者が止めるのも聞かずに、労働者の塊から子供をひとり引っ張り出す。

 ざわっと一段と群衆の騒ぎが大きくなる。

「黙れっ」

 懐から銃を取り出して、子供のこめかみに当てる。その場が静まり返った。

 学徒たちが息を呑む。

「陛下の定めた『団結禁止法』を知らんのかっ! 持ち場に戻れっ」

 声が裏返っている。いきがって、本当に引き金を引きかねない。

 アルフォンソの顔が青ざめる。

 その手から銃が弾き飛ばされた。

 見ると、座り込みをしている労働者たちから離れたところに、若者が立っていた。

 手に石を持っている。

「了解。みんな、戻ろう」
「でも、俺たちはもう我慢の限界──」
「見てみろ」

 若者が工場の四階を指差す。

 銃眼から黒光りするものが覗いている。助手たちがマスケット銃を構えているではないか。

 座り込んでいた者たちの間に動揺が走った。

 暴動を起こしそうな労働者に対しての実力行使は、法で認められている。


(あいつは……)

 アルフォンソは思わず身を乗り出した。ローレンとかいう少年だ。

 アーヴァイン・ヘルツの言葉が本当なら、昨日の公開処刑をぶち壊した当人ということになる。

 彼をどうすべきか悩んでいると、ちょうど一人、また一人と、工場内に戻り始めたところだった。

 ほっと胸をなでおろす。



※ ※ ※ ※ ※



「おいっ」

 工員たちがいなくなると、憲兵見習いたちも解散になった。

 再び街の見回りに行かなければならないのだが、アルフォンソはローレンを追いかけた。

 彼は工場労働者ではないようで、街に向かって降りていく。

「ああ、昨日のデカいのか?」

 ローレンは振り返ると、ハンチング帽を取り、少し汗ばんだ額から前髪をかきあげた。

「暴動が起きそうだって聞いて、慌てて走ってきたんだ」
「そうか、大変だったな。……じゃなくて」

 アルフォンソは呑気な少年に噛み付く。

「おお、おまえ、俺が昨日この工場で追っかけていった奴なのか? 東人の少女をさらっていった?」
「違うよ」

 きょとんとした顔で言われて、アルフォンソは口ごもった。

「あ、あれ、そうか。そうだよな」

 ローレンは思わず吹き出していた。

 ついには上を向いて大笑いしている。

「え、何だよ?」
「いや、素直だなおまえ。普通、賊か? って聞かれてはいそうです、って言う賊がいるかよ」

 そうか、と顔を真っ赤にする。

 ローレンは、その子供っぽい表情に苦笑し、彼の頭をぐりぐりなでてやる。

 ふわっといい匂いがして、アルフォンソの顔がさらに真っ赤になる。

 男のくせに気取ったやつだ。香水をつけてるらしい。

 いやぁ、こりゃアーヴァインよりモテるぞ。

 端正で凛々しい横顔を見て嘆息する。男の自分まで見入ってしまうくらいだ。

「朝飯食った?」

 ローレンにいきなり聞かれて、盗み見ていたことがバレたのかとドギマギする。

「野営地で乾パンだけ」
「しけてんなぁ、養成学校ってのも」
「授業料諸々無料だからな。入学できただけでもありがたい。デカい身体に感謝だよ」

 軽口を叩きながら街に出る。なんとなく、アーヴァインと一緒に居るような気分だ。

 彼と同じくらいの身長だからか、雰囲気が似ていて話しやすい。

 ローレンは軽い調子で誘ってきた。

「なー、ちょっとサボろうぜ」

 ほら、似てるだろ、と独りごちながら怪訝そうな顔を向けると、一軒の店を指差している。

「おごるから、パブ行こうぜ」



********




 テーブルにドンッと黒ビールを置くと、アルフォンソは涙をにじませながらお約束に言った。

「くぅうううううううう」

 久しぶりにハメを外している。そうとも、アーヴァインばかりサボりやがって、俺だってたまにはいいじゃないか。

 まー俺の場合、見つかったら即刻クビだけどね。

 隣でローレンが、自分よりでかいジョッキのビールを飲み干していて、思わず二度見してしまった。

「朝からそんなに?」
「これが朝飯だから。麦なんだし、パンと一緒だろ?」

 アーヴァインと似たようなことを言う。

「ローレン」

 店の女の子が目を輝かせて寄ってきた。

「今日はあたしの店に食べに来てくれたの?」

 ローレンは、しなだれかかるお色気むんむんの少女の肩を抱きながら、そのほっぺたにチューしてやる。

 モテるところまで似てて、だんだん面白くなくなってきた。今ごろ彼の悪友は、朝からバッコンバッコン……。

「こちらの素敵なクマさんの名前は?」

 上目遣いに見られ、アルフォンソはでれっとなる。

 クマと言われることは、もう気にしないようにした。

「自分、憲兵見習いのアルフォンソ・ヴァンダーノと言います。十三歳ですっ」
「ガキはクソして寝てな」

 年齢を聞き、一気に興味を失った少女はそう吐き捨てると、トレイを持って去っていった。

 ローレンは腹を抱えて笑っている。笑い上戸らしい。

 ひとしきり笑うと、ふと、男の自分でさえドキッとなるような、真剣な目を向けられた。

「なあ、進捗はどうなってる?」
「何がよ?」
「メッケルニッヒの若様……おっともう当主か。あのクソ野郎が処刑しようとした、売春婦の捜索だよ」
「クソ野郎って……さあ、俺たち見習いだからなぁ」

 あまり意欲も無いし。むしろ捕まったら寝覚めが悪い思いをする。

 捕まらなかったら、教官からえらくどやされるだろうが、自分たちと同じくらいの少女が吊るされるのは……ごめんだ。

 口ごもるアルフォンソに優しい目を向けるローレンは、立ち上がると代金を置いた。

「さてと、またな。おまえはゆっくり食ってけよ」
「おまえ何してるやつだよ? 労働者じゃないのか?」

 まだビールを口に運びながら、ジロジロと少年の格好を見やる。スリとかやってそうだな、と疑いを含みながら。

「俺はほれ、あれだよ。街の自警団みたいな?」
「……無職か」

 ローレンはムッとして睨みつけると、手をヒラヒラさせながらパブから出て行った。

 アルフォンソは名残惜しげにその後ろ姿を見送った。不思議と人をひきつける少年だった。
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