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1巻
1-2
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「クリフォード様はどちらに向かわれたの?」
きっと急な予定が入ったのよね? 影のようにクリフォード様に付き従う彼なら知っていると思い、私は取り縋らん勢いで尋ねていた。
「教えてちょうだい」
ノワール様は急いでいたのだろう、苛立ちと蔑みを込めた目で、馬上から私を見下ろした。
「殿下と呼べ、売女」
「なっ……」
屈辱でカッとなる。私が王太子妃になったら、必ずこの護衛を解雇してやると誓った。黒の騎士服をパリッと着こなすその姿は素敵だが、見た目だけだ。性格は最悪。なにがエリート直属騎士よ!
「ねえ、どこなの?」
意地悪冷血人間!
と内心罵りながら、騎士に向かって詰問する。
「教えてよ」
「謹慎が解ければ、ご公務でさらに忙しくなる。貴様など相手にされなくなるぞ」
ノワール様はそう吐き捨てるなり、馬の腹を蹴ってさっさと走り去ってしまった。
悪意には慣れている。学院でも街中でも、ローレッタ様の差し金なのか、後ろ指を指されてきた。
でもそんなこと、クリフォード様の好意があったから気にならなかったのだ。
今は、もう違う。黒の騎士の心ない言葉が、やけに胸を抉った。
クリフォード様と会って安心したい。私はただ、クリフォード様を愛しているだけ。間違ったことはしていない。
そうでしょ? クリフォード様……
後から聞いて知ったことだが、クリフォード様はまめにローレッタ様の慈善活動を手伝うようになっていたという。
「謹慎中で暇だったから。お、おまえのためじゃないんだからな!」とローレッタ様に言っているのを、街の人たちは微笑ましく見守っていたのだとか。
いつの間に……。どうりでデートに誘ってくれなくなったと思った。もちろん陛下の怒りを買って謹慎中なのだから、本当は街に出てもいけないのだけれど……
しょんぼりして家に帰ると、両親が嬉しそうに伝えてきた。
「ニーナ、今度王宮に行く時はこれを持っていってくれ」
薬の箱を渡してくる。
「お前が学院時代に調合した肩こりの薬だ。承認されたばかりだが、飛ぶように売れているぞ。塗り薬や湿布の類は巷にいくらでもあるが、飲み薬で内側から改善なんて革新的だと、あちこちで評判だからな。陛下からも、ぜひにと注文が入った」
「殿下とご学友だなんて、運がいいわ。しかもニーナは仲良くしてもらっているそうじゃない。おかげでうちは、ますます有名になったわね」
母もほくほくしている。
両親は私に彼氏がいると勘づいている。でもそれが王太子殿下だとは当然思っていない。たぶんもし知ったら、全力で止められていただろう。両親の世代には、貴賤結婚はまだ受け入れられないに違いないから。ましてや相手は王族。恐れ多く思うのは当然だ。
私は胸を押さえた。変なの。ただ好きになった相手が、王太子だっただけなのに。クリフォード様はクリフォード様だわ。
学院時代にローレッタ様が広げた噂は街にも流れ、ご近所での私の評判はあまりよくない。
簡単にやらせてもらえると思った若い男たちから誘われたり、絡まれたり、いきなり襲われそうになったりしたこともある。店の売り上げに響いていないか、心配だった。両親はその不名誉な噂を耳にしているのかいないのか、何も言わないけれど……
クリフォード様を好きにならなければ、そしてローレッタ様に目を付けられなければ、娘の変な噂が立つこともなかったのだろうに……。申し訳ないなと思いつつ、頷いて父から薬の紙袋を受け取った。大丈夫、クリフォード様は私のことが好きだもの。結婚したら街の連中にだって、分かってもらえるからね。真実の愛を貫いたことは、後世に伝えられるのよ。
娘の大それた考えには気づかずに、両親は私を誇らしげに見つめる。
「また何かびっくりするような薬を作ってくれよ、抗生物質とかさ」
「あなたは薬剤師協会の星よ!」
期待を込めた言葉をかけられても、今の私は弱々しく微笑むだけだった。
よく考えたら入学当時は、ただ両親に恩返しすることだけを考えていた。今は、薬のことなんかよりもクリフォード様に会いたい。堕落したものだわ。人間、欲をかいたらダメなのだとしみじみ思った。
クリフォード様の心が離れていくことを意識しつつ、それでもまだこの時の私は思い出の中にある彼の笑顔に縋りついていたのだ。大丈夫、きっと、彼と結婚できる。ただそれでも、繰り返し思ってしまうのだ。彼が王太子じゃなかったら、と。障害のある恋愛に燃える気力は、私にはないもの。
私はしょんぼりした足取りで、再び王宮に向かった。そこで何が起こるか、露知らず。
それは、肩こりの新薬を侍従に渡し、例によってクリフォード様がいないか王宮を探しまわっていた時だ。
いきなり衛兵らに捕らえられ、なぜかそのまま王宮地下にある独房に放り込まれてしまった。訳が分からない私だった。
王宮をふらついていたから? でも私、クリフォード様の友人枠で、今までは顔パスで王宮に入れていたのよ? どうして今さら!?
やがて、地下牢にやってきたクリフォード様が、理由を教えてくれた。
「国王陛下が毒を盛られたですって?」
びっくりして二の句が継げなかった。暗殺されそうになったってことよね?
「ああ、幸い一命はとりとめたが」
クリフォード様は青い顔でそう告げた。平穏に暮らしていた平民の私が、そんなドロドロした話を聞かされるなんて……。そうよね。王族は常に危険と隣り合わせ。クリフォード様だって、たくさんの護衛がついていて、いつだって見張られていたもの。騎士たちの目を盗んでイチャイチャするのも、大変だったっけ……。一体、誰が? なんの目的で? まさか、ローレンス王子の派閥?
ごくっと唾を飲み込む。私たちのせい? ローレッタ様との婚約を破棄してエディンプール公爵家を怒らせたから、やっぱりローレンス王子を──あれ……? でもエディンプール公爵がローレンス王子に王太子の位をすげ替えたいなら、狙うのは陛下ではなくクリフォード様ではないの?
???? ていうか、なんで私が地下牢に入れられてるの? ついでになぜ今、エディンプール公爵家のローレッタ様がクリフォード様の隣にいるの?
さらに私を不安に陥れたのは、おびただしい数の王室騎兵隊の面々までが、私の入れられている牢を取り囲んでいることだ。
なんなのかしら。さわりと不安が背中を這い上る。
「あの、私……どうして?」
「ニーナ、君がそんなことをしていないのは分かっている」
「へ?」
「君が、国王陛下に毒を盛らないことくらい、僕だって分かっている」
もちろん、そんなことはしないわよ! 待って、そんなあり得ない疑いで、私は捕まっているの?
クリフォード様? どこかよそよそしく思えるのは私の気のせいよね? ねえクリフォード様、どうしてローレッタ様の腰に手を回したの? 危ないわよ、彼女はエディンプール公爵家。あなたの政敵よ! たくさんの王室の護衛らが、たかが私一人からクリフォード様を守るように立ちふさがっているのはなんなの? 私は警戒される対象じゃないわ!
「は、早くここから出してください、クリフォード様」
クリフォード様は、感情の読み取れない声で応える。
「君の潔白を証明するため、王室騎兵隊に徹底して調べさせる。それまではここにいるんだ」
この騎士様たちに? 嫌な予感がした。彼らは値踏みするようにこちらをじっと凝視している。
陛下やお妃様直属の騎士まで揃っていて、すごく怖かった。顔なじみの金の騎士ドレ様や、赤の騎士ルージュ様まで、軽蔑しきったような目で私を見ている。ましてやノワール様なんて、射殺さんばかりの怖い顔だ。彼らが私のために真相を探ってくれるとは、思えなかった。
案の定、その嫌な予感はすぐに現実のものとなった。
私の出廷しない裁判で、私はあっさり有罪になってしまったらしい。さらに求刑通り、死刑が確定していた。あまりに淡々とことが運んでしまって、感情がついていかなかった。
「あの、どういうこと? どうして私が死刑なの?」
現実とは思えず半笑いになってしまう。だってばかげている。きっと、悪い冗談だわ。
しかし判決を伝えに再び牢にやってきたクリフォード様は、決してふざけているようには見えなかった。
背後に控えるノワール様の存在は分かる。専属騎士は、必ず一人は付いているものだから。でも、どうしてまたローレッタ様を隣に連れているの? 私は怖くなって狼狽え、取り乱してしまった。
「クリフォード様、タチの悪い悪戯はもうやめてください! なんとかおっしゃってください」
縋りつくも、彼はもうあの優しい王太子殿下ではなかった。
「暗殺未遂の罪だ。君は王太子妃の座を狙って、結婚に反対する国王を殺そうとした」
「そんなことはいたしません!」
クリフォード様は首を横に振った。
「陛下は最近心労がたたってお体を壊しがちでね。まあ、僕が我儘を言ったせいなのだが」
私との交際のことを言っているのだろう。
「複数の薬を毎日飲むようになっていた。倒れる直前、見慣れない薬を飲んだと言っている。その日に新しくつけ加えられた薬があるだろう?」
私はそれを聞いて眉を顰めた。私が持ってきた新薬?
「だって、私の肩こりの薬は、陛下が所望されたのです。承認されている薬です」
「陛下には毒だったんだよ」
ばかな……。私は口を噤んだ。
「そんなはずはございません。臨床試験を重ねて、副作用の有無も確認済みで──」
「ならば、何かよけいなものが混ぜられていたんじゃないか? 我々王族は暗殺を警戒し、幼少時から少しずつ毒に体を慣らしてあるんだ。その陛下が臥せるということは、この辺りでは手に入らない珍しい毒物が入っていたとしか思えない」
クリフォード様はそっけなく言った。
「ニーナ、君はわざと毒を混ぜたんじゃないか?」
信じられない。そんなことを私に言うなんて。私にだけは優しかったあのクリフォード様が……
「珍しい毒を手に入れやすい立場にいて、薬学科を首席で卒業し、王宮に自由に出入りしている者は君だけだろう。王室侍医に薬を扱わせず薬剤師に処方を任せるようになったのはね、過去陰謀に加担した侍医により、国王が毒殺されたという事件があったからだ。信頼していた老舗の薬局がまさか──」
絶望まじりに言われ、私はぶんぶんと強く首を振ってから、鉄格子にしがみつく。
「やっておりません!」
「だが……証人もぞろぞろ出てきたぞ。騎兵隊の連中に調査させた」
クリフォード様は、背後に影のように付き添う黒の騎士に目配せする。彼は前に進み出ると、注意深く紙の包みを開いて、中身を私に見せた。
「国内では国境近くにしか自生しないこの毒草を、闇商人から買ったろう」
「そんなことしておりませんっ」
「ニーナ、毒の件だけじゃない。陛下が危険な目に遭ったのは、一度や二度じゃないんだよ」
クリフォード様が私を見つめる目。完全に、私と出会う前の、人間不信の目に戻っている。
「何人もの刺客が送り込まれていたんだ。そうだな、ノワール」
背後に下がった護衛騎士に同意を求める。
「はい。プロの刺客ではなかったようですが」
ノワール様は、感情の起伏の少ない声でそう答えた。クリフォード様と私の間に沈黙が落ちる。
私は混乱して何も考えられなかった。だって、その刺客と私がどうして関係あるのかさっぱり分からない。
クリフォード様はうつろな目で再び話し出した。
「学院にいる頃、一度だけ僕はね、ニーナを疑ったことがある。エディンプール公爵家──ローレッタの実家のように、異母兄ローレンスを王太子に推したい貴族が君を差し向けたのだと」
え……王太子の座を降りないのかと、聞いたから?
私はローレッタ様の方を見る。王太子殿下に寄り添うように一緒に牢に来ていた彼女は、困ったように目を逸らした。
「違います! だったらローレッタ様の方がよっぽど怪しいじゃない! 公爵家や、従兄のローレンス様のために──」
「陛下が僕とローレッタの婚約をまとめたのには、訳があったんだ」
クリフォード様が静かに告げた。
「エディンプール公爵家によって、ローレンスの継承権を放棄させるためだ。その見返りに公爵令嬢のローレッタと結婚する約束を取り交わした」
ふっ、と優しく目元を和ませ、彼は隣のローレッタ様を見下ろす。そこには、前は私にだけ向けられていた、信頼しきった微笑が浮かんでいた。
「ローレッタが奔走してくれていたんだ。実家と王家をとりもって、僕の王太子の位を守ってくれた」
クリフォード様は自嘲気味に息をつく。
「僕はガキだな。婚約の理由は聞かされたが、どうしても元政敵との結婚に納得できず、勝手に平民のニーナとの結婚を推し進めようとしてしまった。ローレッタの気持ちを踏みにじってきた」
私は首を何度も横に振った。どう言ったら信じてもらえるの?
「私は、そんなこと知りませんでした。──それにあの時、継承権の放棄が目的で言ったわけではないのです」
ただクリフォード様が王太子でなければと──愛し合える身分だったらよかったのにと、そう思っただけで……
「ああ、それはもう分かっているよ」
クリフォード様は冷笑を浮かべた。
「王家と公爵家を両方敵に回す勢力なんて、結局どこにもなかったようだから」
「では──」
「継承権を放棄させる気がなかったということは分かった。王太子妃になりたかっただけなんだよな、ニーナは」
そうだけど、そうじゃない。その言い方は嫌な感じだ。
「……クリフォード様と結婚したかっただけですわ」
「そうなの? 僕との恋愛が、王太子妃の地位を狙ってのことじゃないと僕に強調するために、継承権の放棄を匂わせたのかと思ったよ」
「──っ、それも違いますわっ!」
王太子妃になりたくないと言えば派閥の回し者だと疑われ、王太子妃になりたいと言えば欲に目がくらんでいると思われるの? 私にどうしろと言うのだろう。
「私は純粋にクリフォード様のことが──」
ノワール様が口を出した。
「王室騎兵隊が刺客らを尋問したところ、口を揃えてニーナという平民女に体で篭絡されたと白状したようです。ゆくゆくは王妃になりたいから、反対している邪魔な国王をさっさと殺せと」
はぁぁああ!? まったく身に覚えのないひどい言いがかりに、私は口をパクパクさせた。
「もちろん実行犯らは、その後すぐ処刑場に連れていかれたよ」
クリフォード様は、ふうっと息を吐きながら低い声で続けた。
「幸い、陛下は無事だったが──僕は殺し屋と結婚しようとしていたのだな」
何が起きているの?
「クリフォードさ──」
「学院時代からふしだらな女だという噂があったが、まさか本当だったとは……。僕は何も見ようとしなかった」
辛そうに眉を顰め、ローレッタ様を抱き寄せる。
「あの、殿下?」
戸惑うローレッタ様には構わず、クリフォード様は深く傷ついたように項垂れ、そのまま彼女の髪に顔を埋めた。ローレッタ様は困り果てている様子だ。
「騙され、君を冷遇した罰だな、ローレッタ。僕は、大義のために婚約の話を持ちかけた立派な君に、ひどいことをした。王太子の責務を忘れ……恥ずかしいことだ」
「い、いいえっ、いいえっ! このローレッタめはですね、敵であるクリフォード様に熱烈な片思いをしていたようでしてね、だって悪役令嬢が主役のゲームだから──」
ローレッタ様は他人ごとのように、奇妙な告白をした。ひっついているクリフォード様から逃れようと、ジタバタしつつ。
「あれ、回避ルートは? あれ? あとこのゲーム、思っていたのとキャラのイメージが違う」
聞き慣れない言葉を出す彼女の雰囲気は、残虐な悪役令嬢ローレッタ様とは明らかに異なっていた。
「僕を好きだった? 婚約前から?」
クリフォード様の顔がパァァアッと輝く。
「で、では、僕の愛をもって君に償おう。君が王家と公爵家の懸け橋になってくれるなら、僕は君にもっと愛される人間になれるよう努力する。立派な王太子に。だから、僕と結婚してくれ」
「いやーあのー、確かに最推しキャラだけど、思ったより現実のヤンデレはキツいって言うかー、スローライフとか隣国の王子ルートでもいいかなーって思いはじめて」
「お願いだ、ローレッタ」
ローレッタ様が何を言っているのか分からなかったが、二人のやり取りは耐えられなかった。
「やめて! ローレッタ様! 私のクリフォード様から離れなさいよ!」
胸が張り裂ける。私だけのクリフォード様なの。お願い、愛しているの!
「悪役令嬢のくせに! あなたが私にやったことを忘れたとは言わせないわよ!」
ローレッタ様の肩がビクッと揺れる。すると、クリフォード様の冷気を纏わせたような低い声が響いた。
「ニーナ……貴様、今ここで殺されたいのか?」
ぞぞっと息を呑むほどの残虐な声だった。今まではただの同級生、そして恋人だった。でもその瞬間、初めて彼が王族であることを意識させられた。
ローレッタ様までひぃいいっと悲鳴をあげて強ばったので、クリフォード様は咳払いする。
「この事件には、君の両親も関わっているのか? ニーナ」
私は目を見開いた。
「……え?」
「陛下の推測だよ。小娘一人のたくらみではなく、その両親が野心を持ち、娘に命じたのではないかとね。王族の外戚に名を連ねようなどと、平民の分際で──まあ、君の両親を尋問すれば、彼らがどこまで関わっているかすぐに分かるだろう」
私はその時やっと、自分が嵌められたのだと気づいた。王太子や、公爵家にではない。国王陛下にだ。陛下は、私に自白させようとしている。
「僕はこんな立場だ。裏切られることには慣れている。だが一度心を許した君につけられた傷は、塞がらない」
クリフォード様の声には絶望と悲しみが確かにあった。国王陛下が、息子である王太子の目を覚まさせるための茶番を、彼は信じたのだ。でも、こんな凄惨で不当な罠になるとは……
王は神と同じ。王族にとって平民は虫けらなのだ。エディンプール公爵家を敵に回すくらいなら、平民をひねりつぶすなど、なんとも思わないに違いない。
背中を寒気が這う。つまり、冤罪を訴えたところで無駄だってことだわ。処刑は決まってしまった。弑逆罪は未遂でも車裂き。何も罪がない両親まで!?
バカだった。両親に迷惑をかけてしまった。私が夢を見たせいで!
こうなったら、国王陛下の手の平の上で踊らされていると分かっても、私にすることは一つしかない。
「待って! 私がやりました!」
せめて、被害を最小にしなければ! 焦った私はありもしないことを自白していた。
「私一人でやりました! 両親は何も知らないことなのです!」
なぜかローレッタ様が、目を見開いて私を見つめている。
「お願いします、私が勝手にやったんです! 暗殺者を雇って陛下に効きそうな毒薬を作って。お父様とお母さまは、国王陛下を誰よりも敬う臣民なので、無関係ですっ!」
クリフォード様はその時、名状しがたい複雑な表情を浮かべた。瞳の銀色が深くなる。次の言葉で、その表情の意味が分かった。
「まいったな……。僕はまだ少し、君のことを信じていたみたいだ」
私はハッとなる。自白したことにより、クリフォード様との最後の繋がりを切ったことが分かった。
「君と過ごした学院時代は、王太子という立場の重圧から、僕を一時的に解放してくれた。逃避だったのかもしれないが、青春をくれた君には感謝していたのだ」
ズキッと心が抉られた。まるで毛を逆立てた猫のように警戒心を解かなかったクリフォード様が、初めて笑いかけてくれた時のことを思い出す。これがツンデレか、と感激したのを覚えている。
国王陛下を暗殺して、強引に王太子妃になろうとした。はっきり私が認めたことにより、きっとすごく傷ついているのだろう。裏切りが確定したのだから。でも、他にどうしろと言うの? 陛下は、私も、私の家族も殺すつもりなのだ。そう決めている。そして私にはもう分かっていた。クリフォード様の気持ちが私から離れていることを。いくら冤罪を訴えても、私と陛下の言い分のどちらを信じるか、明白だった。
チラッとローレッタ様を見る。大輪の薔薇のようなローレッタ様だが、なぜかものすごく挙動不審だった。
「どうしようヒロインが認めてしまった。これってヤンデレルートに突入じゃん。この乙女ゲーム設定甘くない? 殿下、理不尽すぎない?」
ブツブツと意味不明なことを小声で毒づいてから、縋るようにクリフォード様に言う。
「殿下、お願いです。この者を殺さないでください。お願い」
「ローレッタ、君はなんと優しいのだ。あのエディンプール公爵の娘であるからして、てっきりニーナにしたいじめがすべて本当のことだと思ってしまった。優しい君がそんなことをするわけがないな」
私は目を剥いた。何言っているのよ! その女がどんなねじくれた悪魔だったか忘れたの?
ローレッタ様は当時、クリフォード様にとって──いえ、誰にとっても愛せる人柄ではなかった。私にしてきた嫌がらせは、全部本当にあったことだと知っているはずなのに、まるで何もなかったかのように──
「自作自演だったんだな、ニーナ」
クリフォード様の瞳は、冷たい冬のガラスのようだった。
なんだろう、話が通じない。違和感にぞっとする。それこそ薬でも盛られているのではないの?
こんな人じゃなかった。
きっと急な予定が入ったのよね? 影のようにクリフォード様に付き従う彼なら知っていると思い、私は取り縋らん勢いで尋ねていた。
「教えてちょうだい」
ノワール様は急いでいたのだろう、苛立ちと蔑みを込めた目で、馬上から私を見下ろした。
「殿下と呼べ、売女」
「なっ……」
屈辱でカッとなる。私が王太子妃になったら、必ずこの護衛を解雇してやると誓った。黒の騎士服をパリッと着こなすその姿は素敵だが、見た目だけだ。性格は最悪。なにがエリート直属騎士よ!
「ねえ、どこなの?」
意地悪冷血人間!
と内心罵りながら、騎士に向かって詰問する。
「教えてよ」
「謹慎が解ければ、ご公務でさらに忙しくなる。貴様など相手にされなくなるぞ」
ノワール様はそう吐き捨てるなり、馬の腹を蹴ってさっさと走り去ってしまった。
悪意には慣れている。学院でも街中でも、ローレッタ様の差し金なのか、後ろ指を指されてきた。
でもそんなこと、クリフォード様の好意があったから気にならなかったのだ。
今は、もう違う。黒の騎士の心ない言葉が、やけに胸を抉った。
クリフォード様と会って安心したい。私はただ、クリフォード様を愛しているだけ。間違ったことはしていない。
そうでしょ? クリフォード様……
後から聞いて知ったことだが、クリフォード様はまめにローレッタ様の慈善活動を手伝うようになっていたという。
「謹慎中で暇だったから。お、おまえのためじゃないんだからな!」とローレッタ様に言っているのを、街の人たちは微笑ましく見守っていたのだとか。
いつの間に……。どうりでデートに誘ってくれなくなったと思った。もちろん陛下の怒りを買って謹慎中なのだから、本当は街に出てもいけないのだけれど……
しょんぼりして家に帰ると、両親が嬉しそうに伝えてきた。
「ニーナ、今度王宮に行く時はこれを持っていってくれ」
薬の箱を渡してくる。
「お前が学院時代に調合した肩こりの薬だ。承認されたばかりだが、飛ぶように売れているぞ。塗り薬や湿布の類は巷にいくらでもあるが、飲み薬で内側から改善なんて革新的だと、あちこちで評判だからな。陛下からも、ぜひにと注文が入った」
「殿下とご学友だなんて、運がいいわ。しかもニーナは仲良くしてもらっているそうじゃない。おかげでうちは、ますます有名になったわね」
母もほくほくしている。
両親は私に彼氏がいると勘づいている。でもそれが王太子殿下だとは当然思っていない。たぶんもし知ったら、全力で止められていただろう。両親の世代には、貴賤結婚はまだ受け入れられないに違いないから。ましてや相手は王族。恐れ多く思うのは当然だ。
私は胸を押さえた。変なの。ただ好きになった相手が、王太子だっただけなのに。クリフォード様はクリフォード様だわ。
学院時代にローレッタ様が広げた噂は街にも流れ、ご近所での私の評判はあまりよくない。
簡単にやらせてもらえると思った若い男たちから誘われたり、絡まれたり、いきなり襲われそうになったりしたこともある。店の売り上げに響いていないか、心配だった。両親はその不名誉な噂を耳にしているのかいないのか、何も言わないけれど……
クリフォード様を好きにならなければ、そしてローレッタ様に目を付けられなければ、娘の変な噂が立つこともなかったのだろうに……。申し訳ないなと思いつつ、頷いて父から薬の紙袋を受け取った。大丈夫、クリフォード様は私のことが好きだもの。結婚したら街の連中にだって、分かってもらえるからね。真実の愛を貫いたことは、後世に伝えられるのよ。
娘の大それた考えには気づかずに、両親は私を誇らしげに見つめる。
「また何かびっくりするような薬を作ってくれよ、抗生物質とかさ」
「あなたは薬剤師協会の星よ!」
期待を込めた言葉をかけられても、今の私は弱々しく微笑むだけだった。
よく考えたら入学当時は、ただ両親に恩返しすることだけを考えていた。今は、薬のことなんかよりもクリフォード様に会いたい。堕落したものだわ。人間、欲をかいたらダメなのだとしみじみ思った。
クリフォード様の心が離れていくことを意識しつつ、それでもまだこの時の私は思い出の中にある彼の笑顔に縋りついていたのだ。大丈夫、きっと、彼と結婚できる。ただそれでも、繰り返し思ってしまうのだ。彼が王太子じゃなかったら、と。障害のある恋愛に燃える気力は、私にはないもの。
私はしょんぼりした足取りで、再び王宮に向かった。そこで何が起こるか、露知らず。
それは、肩こりの新薬を侍従に渡し、例によってクリフォード様がいないか王宮を探しまわっていた時だ。
いきなり衛兵らに捕らえられ、なぜかそのまま王宮地下にある独房に放り込まれてしまった。訳が分からない私だった。
王宮をふらついていたから? でも私、クリフォード様の友人枠で、今までは顔パスで王宮に入れていたのよ? どうして今さら!?
やがて、地下牢にやってきたクリフォード様が、理由を教えてくれた。
「国王陛下が毒を盛られたですって?」
びっくりして二の句が継げなかった。暗殺されそうになったってことよね?
「ああ、幸い一命はとりとめたが」
クリフォード様は青い顔でそう告げた。平穏に暮らしていた平民の私が、そんなドロドロした話を聞かされるなんて……。そうよね。王族は常に危険と隣り合わせ。クリフォード様だって、たくさんの護衛がついていて、いつだって見張られていたもの。騎士たちの目を盗んでイチャイチャするのも、大変だったっけ……。一体、誰が? なんの目的で? まさか、ローレンス王子の派閥?
ごくっと唾を飲み込む。私たちのせい? ローレッタ様との婚約を破棄してエディンプール公爵家を怒らせたから、やっぱりローレンス王子を──あれ……? でもエディンプール公爵がローレンス王子に王太子の位をすげ替えたいなら、狙うのは陛下ではなくクリフォード様ではないの?
???? ていうか、なんで私が地下牢に入れられてるの? ついでになぜ今、エディンプール公爵家のローレッタ様がクリフォード様の隣にいるの?
さらに私を不安に陥れたのは、おびただしい数の王室騎兵隊の面々までが、私の入れられている牢を取り囲んでいることだ。
なんなのかしら。さわりと不安が背中を這い上る。
「あの、私……どうして?」
「ニーナ、君がそんなことをしていないのは分かっている」
「へ?」
「君が、国王陛下に毒を盛らないことくらい、僕だって分かっている」
もちろん、そんなことはしないわよ! 待って、そんなあり得ない疑いで、私は捕まっているの?
クリフォード様? どこかよそよそしく思えるのは私の気のせいよね? ねえクリフォード様、どうしてローレッタ様の腰に手を回したの? 危ないわよ、彼女はエディンプール公爵家。あなたの政敵よ! たくさんの王室の護衛らが、たかが私一人からクリフォード様を守るように立ちふさがっているのはなんなの? 私は警戒される対象じゃないわ!
「は、早くここから出してください、クリフォード様」
クリフォード様は、感情の読み取れない声で応える。
「君の潔白を証明するため、王室騎兵隊に徹底して調べさせる。それまではここにいるんだ」
この騎士様たちに? 嫌な予感がした。彼らは値踏みするようにこちらをじっと凝視している。
陛下やお妃様直属の騎士まで揃っていて、すごく怖かった。顔なじみの金の騎士ドレ様や、赤の騎士ルージュ様まで、軽蔑しきったような目で私を見ている。ましてやノワール様なんて、射殺さんばかりの怖い顔だ。彼らが私のために真相を探ってくれるとは、思えなかった。
案の定、その嫌な予感はすぐに現実のものとなった。
私の出廷しない裁判で、私はあっさり有罪になってしまったらしい。さらに求刑通り、死刑が確定していた。あまりに淡々とことが運んでしまって、感情がついていかなかった。
「あの、どういうこと? どうして私が死刑なの?」
現実とは思えず半笑いになってしまう。だってばかげている。きっと、悪い冗談だわ。
しかし判決を伝えに再び牢にやってきたクリフォード様は、決してふざけているようには見えなかった。
背後に控えるノワール様の存在は分かる。専属騎士は、必ず一人は付いているものだから。でも、どうしてまたローレッタ様を隣に連れているの? 私は怖くなって狼狽え、取り乱してしまった。
「クリフォード様、タチの悪い悪戯はもうやめてください! なんとかおっしゃってください」
縋りつくも、彼はもうあの優しい王太子殿下ではなかった。
「暗殺未遂の罪だ。君は王太子妃の座を狙って、結婚に反対する国王を殺そうとした」
「そんなことはいたしません!」
クリフォード様は首を横に振った。
「陛下は最近心労がたたってお体を壊しがちでね。まあ、僕が我儘を言ったせいなのだが」
私との交際のことを言っているのだろう。
「複数の薬を毎日飲むようになっていた。倒れる直前、見慣れない薬を飲んだと言っている。その日に新しくつけ加えられた薬があるだろう?」
私はそれを聞いて眉を顰めた。私が持ってきた新薬?
「だって、私の肩こりの薬は、陛下が所望されたのです。承認されている薬です」
「陛下には毒だったんだよ」
ばかな……。私は口を噤んだ。
「そんなはずはございません。臨床試験を重ねて、副作用の有無も確認済みで──」
「ならば、何かよけいなものが混ぜられていたんじゃないか? 我々王族は暗殺を警戒し、幼少時から少しずつ毒に体を慣らしてあるんだ。その陛下が臥せるということは、この辺りでは手に入らない珍しい毒物が入っていたとしか思えない」
クリフォード様はそっけなく言った。
「ニーナ、君はわざと毒を混ぜたんじゃないか?」
信じられない。そんなことを私に言うなんて。私にだけは優しかったあのクリフォード様が……
「珍しい毒を手に入れやすい立場にいて、薬学科を首席で卒業し、王宮に自由に出入りしている者は君だけだろう。王室侍医に薬を扱わせず薬剤師に処方を任せるようになったのはね、過去陰謀に加担した侍医により、国王が毒殺されたという事件があったからだ。信頼していた老舗の薬局がまさか──」
絶望まじりに言われ、私はぶんぶんと強く首を振ってから、鉄格子にしがみつく。
「やっておりません!」
「だが……証人もぞろぞろ出てきたぞ。騎兵隊の連中に調査させた」
クリフォード様は、背後に影のように付き添う黒の騎士に目配せする。彼は前に進み出ると、注意深く紙の包みを開いて、中身を私に見せた。
「国内では国境近くにしか自生しないこの毒草を、闇商人から買ったろう」
「そんなことしておりませんっ」
「ニーナ、毒の件だけじゃない。陛下が危険な目に遭ったのは、一度や二度じゃないんだよ」
クリフォード様が私を見つめる目。完全に、私と出会う前の、人間不信の目に戻っている。
「何人もの刺客が送り込まれていたんだ。そうだな、ノワール」
背後に下がった護衛騎士に同意を求める。
「はい。プロの刺客ではなかったようですが」
ノワール様は、感情の起伏の少ない声でそう答えた。クリフォード様と私の間に沈黙が落ちる。
私は混乱して何も考えられなかった。だって、その刺客と私がどうして関係あるのかさっぱり分からない。
クリフォード様はうつろな目で再び話し出した。
「学院にいる頃、一度だけ僕はね、ニーナを疑ったことがある。エディンプール公爵家──ローレッタの実家のように、異母兄ローレンスを王太子に推したい貴族が君を差し向けたのだと」
え……王太子の座を降りないのかと、聞いたから?
私はローレッタ様の方を見る。王太子殿下に寄り添うように一緒に牢に来ていた彼女は、困ったように目を逸らした。
「違います! だったらローレッタ様の方がよっぽど怪しいじゃない! 公爵家や、従兄のローレンス様のために──」
「陛下が僕とローレッタの婚約をまとめたのには、訳があったんだ」
クリフォード様が静かに告げた。
「エディンプール公爵家によって、ローレンスの継承権を放棄させるためだ。その見返りに公爵令嬢のローレッタと結婚する約束を取り交わした」
ふっ、と優しく目元を和ませ、彼は隣のローレッタ様を見下ろす。そこには、前は私にだけ向けられていた、信頼しきった微笑が浮かんでいた。
「ローレッタが奔走してくれていたんだ。実家と王家をとりもって、僕の王太子の位を守ってくれた」
クリフォード様は自嘲気味に息をつく。
「僕はガキだな。婚約の理由は聞かされたが、どうしても元政敵との結婚に納得できず、勝手に平民のニーナとの結婚を推し進めようとしてしまった。ローレッタの気持ちを踏みにじってきた」
私は首を何度も横に振った。どう言ったら信じてもらえるの?
「私は、そんなこと知りませんでした。──それにあの時、継承権の放棄が目的で言ったわけではないのです」
ただクリフォード様が王太子でなければと──愛し合える身分だったらよかったのにと、そう思っただけで……
「ああ、それはもう分かっているよ」
クリフォード様は冷笑を浮かべた。
「王家と公爵家を両方敵に回す勢力なんて、結局どこにもなかったようだから」
「では──」
「継承権を放棄させる気がなかったということは分かった。王太子妃になりたかっただけなんだよな、ニーナは」
そうだけど、そうじゃない。その言い方は嫌な感じだ。
「……クリフォード様と結婚したかっただけですわ」
「そうなの? 僕との恋愛が、王太子妃の地位を狙ってのことじゃないと僕に強調するために、継承権の放棄を匂わせたのかと思ったよ」
「──っ、それも違いますわっ!」
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「私は純粋にクリフォード様のことが──」
ノワール様が口を出した。
「王室騎兵隊が刺客らを尋問したところ、口を揃えてニーナという平民女に体で篭絡されたと白状したようです。ゆくゆくは王妃になりたいから、反対している邪魔な国王をさっさと殺せと」
はぁぁああ!? まったく身に覚えのないひどい言いがかりに、私は口をパクパクさせた。
「もちろん実行犯らは、その後すぐ処刑場に連れていかれたよ」
クリフォード様は、ふうっと息を吐きながら低い声で続けた。
「幸い、陛下は無事だったが──僕は殺し屋と結婚しようとしていたのだな」
何が起きているの?
「クリフォードさ──」
「学院時代からふしだらな女だという噂があったが、まさか本当だったとは……。僕は何も見ようとしなかった」
辛そうに眉を顰め、ローレッタ様を抱き寄せる。
「あの、殿下?」
戸惑うローレッタ様には構わず、クリフォード様は深く傷ついたように項垂れ、そのまま彼女の髪に顔を埋めた。ローレッタ様は困り果てている様子だ。
「騙され、君を冷遇した罰だな、ローレッタ。僕は、大義のために婚約の話を持ちかけた立派な君に、ひどいことをした。王太子の責務を忘れ……恥ずかしいことだ」
「い、いいえっ、いいえっ! このローレッタめはですね、敵であるクリフォード様に熱烈な片思いをしていたようでしてね、だって悪役令嬢が主役のゲームだから──」
ローレッタ様は他人ごとのように、奇妙な告白をした。ひっついているクリフォード様から逃れようと、ジタバタしつつ。
「あれ、回避ルートは? あれ? あとこのゲーム、思っていたのとキャラのイメージが違う」
聞き慣れない言葉を出す彼女の雰囲気は、残虐な悪役令嬢ローレッタ様とは明らかに異なっていた。
「僕を好きだった? 婚約前から?」
クリフォード様の顔がパァァアッと輝く。
「で、では、僕の愛をもって君に償おう。君が王家と公爵家の懸け橋になってくれるなら、僕は君にもっと愛される人間になれるよう努力する。立派な王太子に。だから、僕と結婚してくれ」
「いやーあのー、確かに最推しキャラだけど、思ったより現実のヤンデレはキツいって言うかー、スローライフとか隣国の王子ルートでもいいかなーって思いはじめて」
「お願いだ、ローレッタ」
ローレッタ様が何を言っているのか分からなかったが、二人のやり取りは耐えられなかった。
「やめて! ローレッタ様! 私のクリフォード様から離れなさいよ!」
胸が張り裂ける。私だけのクリフォード様なの。お願い、愛しているの!
「悪役令嬢のくせに! あなたが私にやったことを忘れたとは言わせないわよ!」
ローレッタ様の肩がビクッと揺れる。すると、クリフォード様の冷気を纏わせたような低い声が響いた。
「ニーナ……貴様、今ここで殺されたいのか?」
ぞぞっと息を呑むほどの残虐な声だった。今まではただの同級生、そして恋人だった。でもその瞬間、初めて彼が王族であることを意識させられた。
ローレッタ様までひぃいいっと悲鳴をあげて強ばったので、クリフォード様は咳払いする。
「この事件には、君の両親も関わっているのか? ニーナ」
私は目を見開いた。
「……え?」
「陛下の推測だよ。小娘一人のたくらみではなく、その両親が野心を持ち、娘に命じたのではないかとね。王族の外戚に名を連ねようなどと、平民の分際で──まあ、君の両親を尋問すれば、彼らがどこまで関わっているかすぐに分かるだろう」
私はその時やっと、自分が嵌められたのだと気づいた。王太子や、公爵家にではない。国王陛下にだ。陛下は、私に自白させようとしている。
「僕はこんな立場だ。裏切られることには慣れている。だが一度心を許した君につけられた傷は、塞がらない」
クリフォード様の声には絶望と悲しみが確かにあった。国王陛下が、息子である王太子の目を覚まさせるための茶番を、彼は信じたのだ。でも、こんな凄惨で不当な罠になるとは……
王は神と同じ。王族にとって平民は虫けらなのだ。エディンプール公爵家を敵に回すくらいなら、平民をひねりつぶすなど、なんとも思わないに違いない。
背中を寒気が這う。つまり、冤罪を訴えたところで無駄だってことだわ。処刑は決まってしまった。弑逆罪は未遂でも車裂き。何も罪がない両親まで!?
バカだった。両親に迷惑をかけてしまった。私が夢を見たせいで!
こうなったら、国王陛下の手の平の上で踊らされていると分かっても、私にすることは一つしかない。
「待って! 私がやりました!」
せめて、被害を最小にしなければ! 焦った私はありもしないことを自白していた。
「私一人でやりました! 両親は何も知らないことなのです!」
なぜかローレッタ様が、目を見開いて私を見つめている。
「お願いします、私が勝手にやったんです! 暗殺者を雇って陛下に効きそうな毒薬を作って。お父様とお母さまは、国王陛下を誰よりも敬う臣民なので、無関係ですっ!」
クリフォード様はその時、名状しがたい複雑な表情を浮かべた。瞳の銀色が深くなる。次の言葉で、その表情の意味が分かった。
「まいったな……。僕はまだ少し、君のことを信じていたみたいだ」
私はハッとなる。自白したことにより、クリフォード様との最後の繋がりを切ったことが分かった。
「君と過ごした学院時代は、王太子という立場の重圧から、僕を一時的に解放してくれた。逃避だったのかもしれないが、青春をくれた君には感謝していたのだ」
ズキッと心が抉られた。まるで毛を逆立てた猫のように警戒心を解かなかったクリフォード様が、初めて笑いかけてくれた時のことを思い出す。これがツンデレか、と感激したのを覚えている。
国王陛下を暗殺して、強引に王太子妃になろうとした。はっきり私が認めたことにより、きっとすごく傷ついているのだろう。裏切りが確定したのだから。でも、他にどうしろと言うの? 陛下は、私も、私の家族も殺すつもりなのだ。そう決めている。そして私にはもう分かっていた。クリフォード様の気持ちが私から離れていることを。いくら冤罪を訴えても、私と陛下の言い分のどちらを信じるか、明白だった。
チラッとローレッタ様を見る。大輪の薔薇のようなローレッタ様だが、なぜかものすごく挙動不審だった。
「どうしようヒロインが認めてしまった。これってヤンデレルートに突入じゃん。この乙女ゲーム設定甘くない? 殿下、理不尽すぎない?」
ブツブツと意味不明なことを小声で毒づいてから、縋るようにクリフォード様に言う。
「殿下、お願いです。この者を殺さないでください。お願い」
「ローレッタ、君はなんと優しいのだ。あのエディンプール公爵の娘であるからして、てっきりニーナにしたいじめがすべて本当のことだと思ってしまった。優しい君がそんなことをするわけがないな」
私は目を剥いた。何言っているのよ! その女がどんなねじくれた悪魔だったか忘れたの?
ローレッタ様は当時、クリフォード様にとって──いえ、誰にとっても愛せる人柄ではなかった。私にしてきた嫌がらせは、全部本当にあったことだと知っているはずなのに、まるで何もなかったかのように──
「自作自演だったんだな、ニーナ」
クリフォード様の瞳は、冷たい冬のガラスのようだった。
なんだろう、話が通じない。違和感にぞっとする。それこそ薬でも盛られているのではないの?
こんな人じゃなかった。
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