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第八章

ずらかる

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 日没後、治安警備艦隊戦列艦のそれぞれの船底は、死んだように静まり返っていた。

 諦めた帝国兵たちは、もう寝入ってしまったのかもしれない。

 ルチニアの見張りの兵たちは、港から自分たちを監督できないことをいいことに、酒やカードを持ち寄って休息していた。

 夜も深まり、ふと物音に気づいて顔を上げた一人は、いつの間にか帝国の兵士たちに囲まれていることに気づいた。

 暗闇の中、自分たちとは違う白い顔がにやりと笑う。

 それが殺戮の合図だった。


 甲板に居た見張りの兵士たちは、突然船底の階段から駆け上がって来た帝国の兵士たちに度肝を抜かれた。

「おまえらどうやって!?」

 慌てて帝国兵から奪った銃を向ける。

 しかし、新型の銃の扱いに不慣れなため、対応が遅れた。

 その一瞬の遅れだけで、百戦錬磨の帝国の海兵たちには充分だった。

 警笛を鳴らそうとしたルチニア兵は、投擲された短剣に喉を貫かれて崩れ落ちる。

 鎖国していた国と、侵略戦争を繰り返してきた兵たちの、質の違いが如実に現れていた。

 さらに、薬を盛られて監禁されている兵士たちに対する油断から、警備は思ったより手薄だった。

 特に、殺しのプロ集団のような白兵師団の迅速な対応は目覚ましく、レオナールは満足そうに頷いた。

 大した騒ぎも無く――ほぼ無音で――てきぱきと片付けられていくルチニア兵には同情すら覚えるほどだ。

 血臭溢れる陰惨な船内を見回りながら、レオナールが部下たちに告げる。 

「それぞれ持ち場に戻り、各層に捕捉してないルチニア兵がいないか調べろ」
「他の船の奪還が失敗した場合には、大砲で攻撃しますかい?」

 ジョルジェが聞いた時、ほぼ同時に他の戦列艦のマストに国旗があがった。奪還成功の合図だ。

「みんな優秀だ」

 ジョルジェは仲間が誇らしかった。それから気を引き閉める。

「補助艦艇の制圧に取り掛かるぞ」




※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 捕虜が逃亡したという不快な報告を家臣が持ってきた時、サフワ・ウル・ハーキムは精も根も尽き果て、ぐっすりと眠りを貪っていた。

 そこを叩き起こされ、不機嫌な寝起きの姿のサフワ。

 切羽つまった家臣たちに促されて、足早に港へ向かう。

 そして信じられない光景を目の当たりにした。

「タンマーム」

 兵士たちの持った松明に照らされて王が見たのは、憎むべき無神論者たちが、彼の大事な跡取りの頭に銃をつきつけ、ルチニアの兵士たちを脅している場面だった。

「武器を捨てて、ボートを用意しろっ」

 カイトが周囲を見渡しながら叫んだ。

 戸惑った顔を見合わせ、なかなか言うとおりにしない敵国の兵士たちの前で、マリアがタンマームの腕をひねり、手をあげさせる。

「早くしないと、おまえたちの国の王子の指が、一本ずつ無くなっていくぞ」

 どこかの海賊の手を盗んだ脅しだったが、効果はあった。

 すぐに、六人乗るのに充分な大きさの船が用意される。

 素早く乗り込んだ艦長たちの背後に、怒声が響く。

「我が息子になんと無礼なマネを。今すぐ放せっ! さもないと神のイカヅチが落ちるぞ!!」

 サフワは喚きながら、離れていくボートを追いかける。 

「そんなちっぽけな船で何処に逃げるつもりだ? 貴様らの艦隊は我らの手に落ちているのだぞっ」

 さらに王が叫んだとき、少し離れた場所に停泊してあった艦から鬨の声があがった。

 驚くルチニア兵の前で、多くの帝国兵が甲板から姿を現す。

 そして次々に、海に何かを投げ込んだ。望遠鏡など使わなくても、それがルチニアの兵士たちの屍であることは分かった。

 いつの間にか、無音の戦闘劇が繰り広げられ、艦隊は奪い返されていたのだ。

 がっくりと膝を付く王は、離れ行く小船の後ろに立つ息子の様子に気づいた。

 手にランタンを掲げ、落ち着き払った顔で、サフワを見つめている。

「……タンマーム?」

 呟く王の前で、彼の息子は豪華な紫の絹でできた上衣を脱ぐ。

 そして背中を向けた。

 王だけでなく、家臣たちも、弓矢や火縄銃を構えていた兵士たちも、息を呑んだ。

 ランタンのかすかな灯りでもはっきり見えたのだ。

 歪んだ、奴隷の刻印。

 では、彼が殺したという双子の弟は――。

 ナーフィウ・サフワ・ウルのもとに、父サフワ・ウル・ハーキムの、この世のものとも思えないような絶叫が、海面を通して届いた。

 ナーフィウは目を瞑ってその声を堪能した。


 途端、矢が耳を掠めて飛び、銃声が響き渡る。

 マリアがナーフィウの腰帯を掴んで船底に引き倒し、ランタンの火を吹き消した。

「バカ、まだ正体を明かすのは早いだろっ」

 叱られても、ナーフィウにとっては最高の瞬間だった。

 松明に照らされた父親の、絶望に歪む顔が肉眼で見えたのだから。

「旗艦までたどりつけるか?」

 無言でオールを動かす他の艦長たちに、マリアが青い顔で聞く。

 風が吹けばいいのだが、あいにく無風だ。

 フランソルが、到着した時のことを思い出しながら頷く。

「この程度の船が引っかかるような岩礁は無いはずです」

 アルフォンソが櫂で漕ぎながら、背後を振り返って厳しい声をあげた。

「追っ手だ。多いぞ」

 松明をかざしたまま、たくさんのルチニア兵が船に乗り込み、こちらに向かってくる。

 しかし、灯りは近づいてくる前に霧散した。

 水柱と、つんざくような大砲の音。

「味方の砲弾だ。巻き込まれない様に急げっ」

 カイトが叫び、他の三人が大慌てで揺れる水面に櫂を振り下ろす。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「各艦は動力を使って旋回、ルチニアの大型船と軍港を砲撃後、そのまま沖へ逃れよ」

 レオナールは信号士官に命じる。月の明るい夜だが、航行も慎重にいかなければ座礁する。

 灯台の灯りと艦灯で伝わるといいのだが。

「本旗艦は、追っ手の攻撃と艦長たちの救出のためここに残る」

 この国の軍港はここ一つではないだろうが、とりあえず目に見える戦力だけでも潰しておきたかった。

 罠にかかったあげく、一矢も報わずに逃げるのは、治安警備艦隊の士官としてのプライドが許さない。

 艦長たちが居ても、きっとそうしただろう。


 ところが、帝国の兵士たちによってやっと拾ってもらえた司令官と四艦長は、レオナールを見るなり怒鳴りつけた。

「溺れさせるつもりかっ!」

 良く見ると全員ずぶ濡れだ。

 ボートのすぐ近くを味方の砲弾が着弾し、危うく転覆しそうになったのだ。

 盛大に水しぶきを浴びて、びしょぬれの野良犬のようになっている艦長たちに、レオナールはほっと胸を撫で下ろす。

「ご無事で良かった。また顔が見られて嬉しいです」
「そんなことはいいから、大尉、早く発進させろ。敵の軍が総出で追ってきたら、今の武力では太刀打ちできないぞ」

 夜行戦になれば、地理的に疎いこちらには不利になる。岸に追い込まれて座礁したくはない。

 マリアはきびきびと指図した。

 ここへ来るまでの海賊との戦いで、かなりの砲弾を使ってしまった。

 敵の陣地のど真ん中でやりあうのはまずい。

 帝国軍の主力艦隊の一つと言えど、一国の海軍をまるまる相手にできるほどの隻数では無いし、弾や燃料には限りがある。

「了解しました」

 レオナールの指示で、すぐに動力が回り始めた。沖に出たら、帆を張って全速力で逃げるつもりだった。


 甲板から見るルチニアの軍港は、今やあちこちで炎を上げている。

 敵の軍船のメインマストが、めきめきと音をたてて倒れていく様子が良く見えた。

「焼弾を使って攻撃させるとは、やるな。リッケンベルヘ大尉」

 マリアが目を細めて眺めながら呟いた。しかし言葉とは裏腹に、その顔はこわばっている。

 レオナールが静かに尋ねた。

「悔しいですか?」

 マリアは苦笑した。

「仕方がない。最初から仕組まれたことだったのだ」
「そうですね、貴女の落ち度ではない」

 マリアはふっきるように首を振り、ルチニア王国に背中を向けた。

「またの機会もあるさ」
「さて……どうでしょう」

 意味深な言葉に、マリアが眉を顰めて副官を振り返ると、もうレオナールはそこにはいなかった。

 急遽、亡命することになったナーフィウを連れて、足早にマリアから去っていく。

 そんな彼の背中に不穏なものを感じて、マリアはじっと考え込んだ。

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