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第一章
女艦長就任
しおりを挟む「何の冗談だ?」
ジョルジェは隣にいる兵士に毒づいた。
「どう見ても女じゃないか。しかも小娘だぞ? 見たことも無い。誰だあれ?」
「何者かまでは知りませんが、確か次の司令官の階級は、大佐だそうですよ」
大佐?
確かに実力主義になってから、若手の昇進があり得る時代になったがーーいくらなんでも早すぎる。
「あれが? 嘘だろ? 俺たちより年下じゃないのか?」
乗組員たちの前にくると、女はよく通る声で着任の挨拶を始めた。
乗員は度肝を抜かれてすっかり黙り込んでいる。
そこで耳にした名前。マリア・ヴェルヘルム……。
皇室の分家である公爵家姓を聞いた時、ジョルジェは思わず笑い声をあげていた。
それは、思ったより大きく露甲板に響き渡った。
女艦長の透明度の高い青い瞳が、ジョルジェに注がれる。
「そこ、何がおかしい。ジョルジェ・ランバルト曹長」
五百人以上いる乗組員の中から、即座に名前と階級を言い当てられ、ジョルジェは一瞬怯む。
しかしすぐに兵士たちを煽るかのように、周囲を見渡しながら言った。
「俺が応募した時、皇族のお姫様が旗艦『神風』の艦長で、しかも艦隊の司令官になるだなんて聞いて無かった。みんなはどうだ?」
ジョルジェの周囲に居た、同じ分隊の白兵師団の部下たちが、まっさきに賛同の声をあげる。
口々に、聞いてない、冗談じゃない、と不満の声があがると、ジョルジェはさらに煽るように兵士たちに呼びかける。
「戦いの現場で公爵令嬢の命令が聞けるか? 俺にはできない」
居並ぶ水兵たちからの、賛同の声が増える。
「それともリッケンベルヘ大尉、直接の指揮は貴方が取るんですか?」
ジョルジェは女司令官の隣に立つ副官に声をかけた。
彼だけはもともと「神風」の士官。この旗艦に乗っていた、アーヴァイン・ヘルツの元副官だった。
通常提督と艦長は別だが、マリアはアーヴァイン・ヘルツに倣ったのか、艦長も兼任している。つまり、レオナール・リッケンベルヘは引き続き、あくまでも立場は副官であるようだ。
ただし治安警備艦隊の場合、人員削減と命令系統の簡略化のため、副官が副艦長も務めており、艦長に何かあった場合、指揮は副官が取ることになっている。
経験のない貴族のボンボンが艦長になった場合、経験豊かな者をわざと副官につけたりする。
ところがリッケンベルへ大尉は苦笑いしながら、小さく首を振っている。
彼を含めた士官たちにしても、寝耳に水だったようだ。
軍上層部の決定は、直前まで極秘にされていることが多い。
上官や何かの任務の司令官が突然解任され、別人に代わることは過去例が無かったわけではない。
しかし、やはり皇室縁の若い女が、今まで英雄と呼ばれていた男の代わりになるとは思わなかったのだろう。
明らかに周囲の態度が協力的ではない雰囲気になっているのに、マリア・ヴェルヘルムは、むしろゆったりとかまえているように見える。
ジョルジェは、その動じない態度に神経を逆なでされた。
不敬罪で逮捕されそうな口調で、帝国国民なら誰でも知っているマリア・ヴェルヘルムの過去を敢えて口にした。
「皇族の血が流れているかも分からない、疑惑のお姫様が上官? 俺はそんな女に従う気は無いね、なあ皆?」
周囲からどっと笑い声があがる。
兵卒とは言え、ジョルジェほど軍で必要とされている人材になると、士官たちもたしなめようとしない。
今ここで、自分の影響力を艦隊の士官たちに示しておくのもいい機会だった。
しかし、その無礼な発言を戒めたのは、ほかでもない、非難の矛先に立っていた人物だった。
「軍規を初めから勉強しなおした方がいいようだな、曹長」
マリアはそう言うと、船尾から降り、つかつかとジョルジェに近づいた。
小柄な女は、自然ジョルジェを見上げる形になる。仮借ない凝視に、ジョルジェが怯んだ。
マリアはそのままジョルジェから目を離さず、凛とした声で告げた。
「帝国軍法第一条、水軍入隊時誓文書に違反した、乗組員の懲罰規定を忘れたではすまないぞ? 上官の命令違反、不服従に対する刑罰は死罪だ」
反乱のきっかけになる命令違反は重く、速やかな排除が許可されている。もちろん極力軍本部にその処分を任せるのが善しとされているが。
この旗艦の前回の任務で、士官があっさり射殺されている。
ジョルジェはそれを思いだし、さらにマリアの腰のホルスターの銃に目をやった。
たじろぎ、ゴクリと唾を飲み込む。
しかしそれも一瞬で、すぐにそんな自分を恥じた。
あざけるような目付きで上官に顔を近づける。その綺麗な顔を嘗めるように見ながら、耳元でささやいた。
「やってみろよ。帝国一の戦力であるこの俺を、あんたの一存で処分した後のことを考えてからな」
マリアは目を見開き、感心したように反抗的な下士官を見つめた。次の瞬間後ろを振り返る。
「リッケンベルヘ大尉!」
副官を呼ばれ、本当に射殺か、またはメインマストに吊るされるのかと身構えたジョルジェ。
だが、マリアがバインダーを受け取って眼鏡をかけたので、すこしほっとする。
何をする気だ?
マリアはバインダーを開き、何枚か用紙をめくった後、手を止めた。よく通る涼やかな声が甲板に響く。
「ジョルジェ・ランバルト。二十二歳独身。十二歳の時シェルツェブルク国立兵士養成学校を脱走。娼館で初めて女を買い、童貞を捨てようとするが包茎の上無一文のため、店員にぼこられる。また十四歳で白兵師団に配属後、貴族の令嬢を娼婦と間違えて値段交渉し、玉を蹴られそうになって避けたところを馬車に轢かれ、入院。初任務を逃す。十八歳で惚れた町娘に指輪を贈るが、メリケンサックだったためフラれる。その時怒った娘にその指輪で殴られ、右奥歯を折――」
「止めるおぉおぉっ、分かった、分かりました~っ!!!」
ジョルジェは水軍式の敬礼をし、居ずまいを正す。その額には冷や汗がびっしり浮かんでいる。
その黒歴史はまずい。社会的に抹殺されるレベルでまずい。
「ウォルト・マリアッチ伍長」
ウォルトは皆と一緒になってゲラゲラ笑っていたが、突然名前を呼ばれて背筋を正した。
「ランバルト曹長と同じく養成学校出身。ん、意味がよく――毛に埋もれて玉しか見えず、ナニが無いと同僚に騒がれて以来、苦痛の時間は共同浴場利用時。ついたあだ名が竹の子の山? 子供から大人まで人気の一口サイズの菓子のことか。なんのことだ……平常時三センチ、興奮時――」
「忠誠を誓いますっ!!!」
ウォルトがむせび泣きながら降参する。え、誰がばらしたの?
自分のズボン中身のサイズを、よく分かってなさそうなお堅い美女に読み上げられる。この罰は確かに射殺に相当する。
すっかり笑い声は止まり、いつの間にか辺りはシーンと静まりかえっていた。
港の喧騒と、遠くの堤防にぶつかる波の音と、海鳥の鳴く声だけが響く。
乗員たちはもう、一言も口を開こうとしなかった。
何もかも見通してしまいそうな真っ青な瞳に射抜かれないよう、皆目をそらす。だらだらと冷や汗を浮かべている。
「オラジュワン二等兵、干物が嫌いか。艦では好き嫌いは病気に直結する。直せ」
もはや、バインダーを見もしない。暗記しているかのようだ。
まさか一兵卒の名前も経歴も、全て覚えているのか? ジョルジェは直立したまま目をむいた。
旗艦だけで五百人以上の兵士が居るのだ。
「モーリス二等兵。趣味『魔法少女マチ・マチ・マチルダ』の観劇。フィギアを嫁に燃やされ、鬱のため一年休職し、今回が復帰後初航海となる……」
ゆっくりと甲板を歩き回りながら、一人一人の顔を覗き込むように見るマリア。もう誰も、マリアに無礼な口を叩かなかった。
マリアはやっと立ち止まると、辺りを見渡して満足そうに頷いた。
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