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序章

コマネチ族

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「勝手に売り買いされても困りますよ……」

 騎兵用に誂え直した緑色の軍服を大急ぎで着込むと、憮然とした表情で呟く。

 作戦司令部として使っていた簡易テントから出た彼は、金ボタンを一つ一つ留めながら、丘の下の平原を見渡す。

 四千名は居ただろうが、歩兵連隊とは名ばかり。ほとんどはこの土地を開墾していただけの、実戦経験のない民兵──無理やりかき集められた農民だ。

 訳も分からず戦いに駆り出された民兵たちは、今は物言わぬ骸となって、北からの風に晒されている。

 やがて、雪が降れば彼らの遺体は見えなくなるだろう。しかしそうなるのはまだ少し先。その前に狼やコヨーテにでも食われてしまうかもしれない。

「ここは、精霊の大地です。北国の命令なぞ無視して欲しかった。むしろ大国の脅威に、ともに立ち向かって欲しかった……」

 ナシュカ族の長チチンカ・パイパイはもの悲しげに言うと、改造を施したマスケット銃を上に上げ、背後を振り返る。

「新しい砦を築くぞ!」

 同じように丘の上の陣地で、深い緑の軍服に着替えていた男たちが、応えるように奇声を上げた。

「ハワワワワ!!!」

 独特な叫び声、赤い肌に黒い瞳。明らかに、この大陸の先住民たちだった。


 そこへ、やはり赤茶色の肌の年配の男が近づいてきた。

 彼の背後には、大勢の若者が従っている。皆、見た目からチチンカや彼の部下たちと同じく、大陸の先住民であることが分かる。いや、少しだけ色が薄いだろうか。

 だが明らかに違うのは……。

「もう服を着たのか?」

 残念そうに呟いた先頭の男は、見事な羽飾りの冠を被り、顔には戦化粧を施している。

 そして、一メートル近くあるペニスケースのみを身につけた、全裸だった。

 コマネチ族の族長である。

 彼の背後の若者たちも、長さは族長より短いとは言え、全員ペニスケースのみである。

 チチンカは嫌悪感が顔に出ないように気をつけながら、綺麗に洗った借り物のペニスケースを返す。

 彼も、先程までは同じ格好で戦っていたのだ。

 それからうやうやしく、長い革張りの箱に入れられた贈り物を差し出した。

 族長が怪訝そうに受け取り、開けてみる。

 銀色に輝くペニスケースが入っていた。

「鋼鉄製です。東部の錬鉄の施設で特別に作らせました。少し重いですが、族長のモノならば支えられるはず」
「おお、美しい」

 マンモー象の牙よりも輝いている。白人の技術も捨てたものではない。

「硬いのう。中部平原に住むカッタ族の、黄金の剣とやらのようじゃ」

 チチンカは苦笑した。

 カッタ族。特殊な鉱物──隕鉄──で作った、鋼にも勝る武器を作っている産鉄の民か。

 だが、量産出来なければ意味が無い。

 相手は軍隊。いくら北部先住民の部族が全て参戦しているからと言っても、武器が行き渡り、そして使えなければ駄目なのだ。

 今回の戦いでも、ほとんどの先住民は伝統的な武器をつかっていた。

 貸し出せる銃には限りがある。生産量、本土からの搬入量もあるが、敵国にアリビア政府が介入していると気づかれる事態は避けたい。

 武器を援助しているなどと知られれば、アリビア本土と北国の戦争に発展する恐れがあった。

 今回の戦は内々でも、あくまでも東部部族の独断で援助したことになっていた。アリビア植民地軍は一切関与していない。


 ナシュカ族の若い長は、礼儀正しく言った。

「最後に、共に戦えて光栄でした」
「気は変わらんのか? あいつらは絶対裏切るぞ」

 少し訛りがあるが流暢な公用語。コマネチ族の族長は、敵を知るために勉強したのだ。

 改造銃の扱いも、教えればあっという間に覚えた。この年齢で……尊敬に値する。

「そうならないために、我々は決断したのです」

 チチンカは崇拝の色濃い微笑とともに、そう応えた。
 
 東部部族のナシュカ族、セガール族、ザン・ギエフ族、モーホー族、チョロイー族は、皆白人との共存を望んだ。

 農耕に向いた土地に住み着いていた彼らに、肥料や耕作具を与えてくれた白人は、概ね友好的だったのだ。

 何よりもナシュカ族が惚れ込んだのは、ライカヴァージ二ア植民地の総督であり、七つの植民地総代となっているミシェルや、その部下たち──。

 ──の軍服だった。

「詰襟や金ボタンが素敵──おほん、いえ。まず、相手を信じ、助けること。それが東部部族の間に広がる先祖伝来共通の信念です」
「甘いな。だからパッチラ族の襲撃を何度も受けるんだ」
「我々は精霊の教えを実践したまで。非は向こうにある。」

 略奪を繰り返す戦闘民族パッチラ族は、実は元々平原部族だったと言う。

 それが東部部族の住む低地の奥にある森林地帯に移住してきたのは、それほど前のことではない。

 パッチラ族は獰猛で、傍若無人だった。

 今までいた森林部族も神出鬼没だったが、比べようもないほど強かった。

 一方定住し、農業を主体としていた東部部族は、戦闘系とは言い難い。いいカモである。

 しかしナシュカ族は、やられてばかりではない。東部の農耕民族たちをまとめあげ、なんとか森林地帯まで追い返し、こちらから森へ進出を果たしたのだ。

 そして白人たちと協力し、いくつも砦を築きあげた。

 西部への道は数本に渡り、森を切り開き伸びていく。

 両側を山脈が走っていなかったら、もっと広域に渡ってトレイルを確立できていただろう。

 今や東海岸は文明の地となり、大きな都市がいくつも完成し、文化的にも栄えてきている。

 東部部族はこのまま、西部を目指す。

 白人とともに。

 ミシェル──総督の父親が敷いた最初のトレイルを、確たるものにするために。

「いつまでも、戦闘部族の食い物にされる気はない。次は我々が攻める番です。受けた屈辱に一矢でも報いたい。だから我々は白人に協力する」

 コマネチ族の族長は微笑した。

 北部の先住民は、自分たちコマネチ族を始め、戦う民族が多い。

 しかしナシュカ族もまた、農耕民族にしては恐ろしく強く、北にまでその名を轟かせる部族なのだ。

 もう──何も言うまい。

 それが東部部族の生き方なのだから。

 長は、チチンカが差し出した地図を眩しそうに見つめた。

 なめした皮で出来ている。

 木炭の欠片を手渡され、最北端から、その総督とやらが線引きした中部の境界線まで、黒い横線を引っ張った。

 北部は、白人を受け入れない。

 植民地軍と何度も講和を試みたが、そもそも武器を持って話をしようとする者に、心は開かない。

 かといってこのコマネチ族を始め、北部の民族は皆、狩猟戦闘民族。狼の血が入っている、などと言われる部族もいるほどだ。

 白人側からしたら、丸腰で対峙するにはあまりにも危険な民族であることも、理解はできる。

 そう、いつ牙をむくか分からないのだから……。

 それも当然、北の大陸から入り込んできた白人に、滅ぼされた民族もあるのだ。

 地図と木炭を返そうとするのを、チチンカは首を振って止めた。

「餞別です。大陸全ての測量と調査が終わったら、新装版をプレゼントいたします。その時、もし気が変わっていたら──」

 コマネチ族の長が寂しげに口を歪めたので、言いかけた言葉を飲み込む。

「……無粋でしたね。我々も、どうなっているか分からない」

 チチンカも同じような微笑を浮かべて肩をすくめた。

 もし、アリビアの内政が落ち着き、このウエスティア全土攻略に乗り出したら……もし総代のミシェルがその命令を遂行するようなら、その時は……。

 果たして、白人側に居るのか、それとも先住民として抵抗するのか。

──答えはもう出ている。

 次に北部に攻め入るのは、自分たちかも知れない。

 コマネチ族の長はおもむろに、ひどく真面目な顔でチチンカに向き直った。

 一瞬の沈黙。

 老いたコマネチ族の長は、鼠径部に沿わせるように両手をピンと伸ばして当て、膝を折り曲げてガニ股になる。

コマネチ!さらばだ!

 言いながら、両手を斜めに上に引き上げた。

 次に会う時は、お互い敵同士かも知れない。しかし、今は最高の敬意を捧げよう。

 老人の目は、感動のあまり潤んでいた。背後の若者たちも一斉にその手話(?)を実行した。

 チチンカは怯んだが、葛藤の末、空気を読んで同じ挨拶を返したのである。

コマネチ!幸運を!

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