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胸騒ぎ

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 ガシャンとティーカップを割ってしまった。   

「ちょっと何やってんの!」

 クリステルに叱られた。

「ぼーっとしてんじゃないわよっ!」
「あなたの給料から引いとくからね!」

 コック長にも家政婦長にもドヤされた。

 みんな眠くて機嫌が悪い。

 体調が悪いのもあったけど、私はあることに気づいて動揺していた。

 二人いる高級娼婦。これからユベール君たちと一発やるのかしら。

 洗い場の湯気が鼻に入り、ぐぐっと吐き気がした。

 変なこと考えるから。

 でも、ヤリチンベルトラン様はともかく、ユベール君がもし娼婦を抱いたら?

 胃の腑がよけいムカムカしてくる。

 私を抱いた時みたいに、優しく?

 邪魔してやろうかしら。お茶に下剤でも入れて。

 何の権限があって?

 そりゃあ、終わったあとのカピカピのシーツを洗わされる、メイドの権限よ! 店でやれ! ていうか、ホテルに泊まってこい!

 ムカムカは絶頂を迎え、私は使用人用のトイレに駆け込む。何度も吐いたけど、食ってないから胃液しか出ない。

 水を飲んですっきりしよう。

 外に出ると、コック長が冷たいお茶を入れて渡してきた。

「? ユベール──坊っちゃまに?」
「あんたにだよ、アリス。ハーブティーだ」

 へー、優しいじゃん。私はスライスされたレモンの浮いたお茶を、一気に飲み干す。

 コック長はここの使用人の中では、執事の次に齢がいってるオバハンだ。

 何人も子供を育ててきたらしいから、気が利くんだろう。

 賄い飯も、いつも超美味しいしさ。

 ハーブティーは、シュワシュワ~っと胃にすっきり効いてくれた。

 すごいな、これ。

「ありがと」

 でもこれ、酔っ払いども用じゃないの?

「どれくらいだい?」
「え?」
「生理来てないだろ」

 私は固まった。

 は?

「あんたは言動は酷いけど、身持ちは意外に堅そうだと思ったんだがね」

 コック長がキツい目で私を睨んだ。

「父親は分かっているんだろうね?」

 何の話かわかりかねていたクリステルと家政婦長が、目を見開く。もちろん、私自身も。

「うっそ! マジで!」
「なんてこと!」
「いやいやいや! 違うから! 絶対ないから!」

 私は真っ赤になって叫ぶ。

「だって私、処女だったんだよ!? 坊っちゃまの誕生パーティーまでは!」

 その場がシーンとなる。

「誕生パーティーまで……は?」

 私は大慌てで誤魔化した。

「とにかく、違うから!」

 慌てて新しいカップを掴み、厨房から出る。胃はスッキリしたけど、頭の中はグチャグチャだ。

 いや、無いから!



「遅くなりました」

 広間に行くと、ぐーぐー寝ているベルトラン様。

 娼婦二人は居なくなっていた。

「あれ?」
「レディ二人は、裏からうちの馬車を回して帰ってもらった」

 ユベール君が説明した。お酒が抜けてきたのか、呂律は良くなってる。

「せっかくカップを持ってきたのに」

 そう言ったけど、なんとなく、ほっとしてしまった。

 私、てっきり……。

「まったくベルトラン様も、口ほどにも無いな。俺の方が酒強いじゃん。さて、どうやって客室に運ぶか」

 ユベール君は何か口の中でブツブツ唱えながら、手のひらに文字を描きだした。

「やると疲れるんだよな」

 フワッと浮き上がるベルトラン様。

「うわわわっ!」

 え、すげー! 魔法マジすげー!

「見るの初めてだっけ?」

 ユベール君は、落ちてしまったベルトラン様のコートを顎で示す。

「貴重品入ってるかも。客室に持ってきて」

 自分よりでかい相手をお姫様抱っこしているユベール君に、笑いが込み上げてきた。

「BL好きにはたまらない光景じゃん」
「うるせえな」

 ユベール君は苦い顔をした。

「俺も酔ってるんだから、集中力削ぐようなこと言うなよ! 階段転がり落ちるとこ見たいのか?」

 絵的にはオモロいよな。

「扉開けて」

 私が客室の扉を開けると、ベッキーがベッドメイクを終えるところだった。

「ありがとな。レベッカ、明日はみんな寝坊していいって伝えて。俺はベルトラン様と外で食ってから、そのまま議事堂に行くからさ」

 ベッキーが大喜びで出ていくと、ユベール君はふわっとベルトラン様をベッドに横たえる。

 すーっと彼が息を吐いた瞬間、ベッドが重みで沈んだ。

 魔法を解いたのか。

「やべー、久々に使ったから超疲れる」
「えー、いいないいな。魔法いいな! その辺りにあるものを引き寄せられるじゃん! ちょっと醤油とってー、とか言わなくてもさ」

 ユベール君は、嫌そうな顔で私を見つめた。

「自分で取るほうが疲れねぇもん」

 魔法、燃費悪いな。

 ほっとしたのもつかの間、ベルトラン様がムクっと起き上がった。

「うっ!」

 と口を押さえる。

「洗面器!」

 ユベール君が叫び、私はベッド下から自動洗浄チャンバーポットを取り出し、ベルトラン様の前に出した。

「ウエロエロエロエロエロロロ」

 貴族って、吐く姿も美しいのね。ゲロすらも美しい。キラキラしてるわ。

 見とれていると、ユベール君が取っ手の洗浄ボタンを押す。魔鉱石と洗浄魔法を組み合わせた、貴族アイテムだ。

 つるりと綺麗になったチャンバーポットを、ベッド下に無言で戻すユベール君。

「……」
「…………」

 なんか疲れたな。ベルトラン様の外套をポールハンガーにかけ魔鉱石ランプを消すと、私たちは部屋を出た。

「わたしも、明日寝坊していいんだよね?」

 クラッと目眩がした。やっぱ、なんか本調子じゃないな。寝てないから?

 ユベール君が支えてくれる。真顔で見つめられた。

 ん? なに?

 鮮やかな黄緑の瞳が妖しく煌めく。

「俺今、凄い我慢してるんだけど」

 ほえ!?

 ドキドキした。これってもしかして?

「お前、顔色悪いな。俺と同じく、もらいゲロしたいだろ?」


 

 
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