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第五章
地下には何日も監禁されていた怨霊がいる
しおりを挟む牢番しかいなくなったところで、マリアは牢の中の軍人たちを冷たい目で睥睨した。
アーヴァイン・ヘルツは、マリアに撃たれた頬の傷を気にする様子もなく、仁王立ちしている。
その唇の端がつり上がった。
「話してやるよ、おもしろおかしく。皇帝の最期に相応しい、無様さだったからな」
マリアは牢の前を行ったり来たりしだした。
彼の言葉に苛立っているかのような行動だったが、すぐに、違う目的があってのことだと分かった。
なぜならマリアは、牢番に近づいていきなり銃のグリップで殴りつけたからだ。
牢番の兵士は白目を剥いて、崩れるように気絶する。
驚くアーヴァインたちの前で、見張りの兵のポケットを探ると、鍵の束を取り出した。
大急ぎで鉄格子の南京錠に飛びつき、その鍵を外す。
「早く、出てくださいヘルツ中──元帥」
「どういうつもりだ?」
アーヴァインも彼の部下も警戒して動こうとしない。
マリアは銃身を握って、銃をアーヴァインに差し出した。彼が動かないので、無理やり押し付けるように手渡す。
「時間が無い。信用してください。三十分稼ぎます。その間に逃げて」
そう言い置き、急ぎ足でその部屋から出ていこうとした。
慌てて牢から飛び出し、マリアの腕を掴む。
「待てっ、どういうつもりだと聞いている!」
マリアは苦鳴を上げた。白いシャツの上腕部に血がにじむ。撃たれた傷が開いたのだ。
アーヴァインはそれに気づかず、マリアを岩壁に叩きつけた。
背骨が折れたかのような衝撃に、息が詰まる。その額に、マリアが渡した銃が押し付けられた。
撃鉄を起こす音。
「貴様、何を企んでいる?」
「何も……」
痛みに気が遠くなりながらも、なんとか応えた。今ここで殺されては、彼を逃がす手伝いができない。
「ミシュターロ少将に拾われた命です。彼に借りを返したい。貴方を救うことで」
アーヴァインが顔をしかめた。
「それを信じろというのか?」
「信じてもらうしかありません」
「閣下!」
部下たちが、洞穴を隔てる扉の傍に張り付く。
「外にまだ奴らがいます」
アーヴァインは舌打ちした。
その時ようやく、自分の手に血がべったりついていることに気づく。ぎょっとしてマリアの、肩に近い二の腕を見た。
「私が気を引きます。人の気配が無くなったら出てください……時間がありません。撃ちたければ後ほど。私は逃げません」
マリアは苦痛のにじむ声でそう言うと、背を向けて戸口に向かった。
アーヴァインには撃てなかった。撃てば奴らがなだれ込んでくる。
マリアは、外で待っていたジュリオ・ガストーネとリガルドに言った。
「従兄弟殿。私とあなたの営みは、神の結合の儀式だ。皆の前で契りを交わすぞ。リガルド、祭壇を用意しろ」
「え? 皆の前? 公開エッチ?」
ジュリオ・ガストーネが狼狽える。そんなプレイやったこともない。
「そうだ。洞窟内にいる、見張りの兵士たちを集めよ。全ての神の子らから、祝福を受けるのだ」
※ ※ ※ ※ ※ ※
戸口で外の様子を窺っていたアーヴァイン・ヘルツたちは、気配が無くなると木製の扉を開いた。
あの女は、本当に見張りを引き連れてどこかに行ってしまった。
「五名はオルセーヌ伯の館にいるカティラという女を探し、保護しろ。あと、鳩を飛ばして、ミシュターロ少将たちが無事に出港出来たか確認するんだ。残り五名は俺とともに残れ。探るぞ」
手早く指示すると、アーヴァインは薄暗いトンネルの通路に向かって走り出した。
しばらく行くと、岩の空洞を見つけた。
覗き込むと、奥に壮大な鍾乳洞が広がっている。
見覚えがある。
最初に連れてこられた場所を、少し上に位置する岩壁の穴から見下ろしているのだ。
ざわざわと大勢の人の気配がする。リガルドたちはそこにいるのだろう。近づいてはいけない。
自然光が入ってきているようで、薄暗いながらも、見つかってしまう恐れがあった。
それに、さらに続く細い路地が気になった。
アーヴァイン・ヘルツは部下を連れて先に進んだ。
「見張りの兵士に気をつけろよ」
部下たちに言うが、小さな空洞や、細い分かれ道もある。こう暗いと、どこから敵が飛び出してくるか分からない。
おまけにどんどん暑くなってくるし、人間の胎内めぐりでもしているかのような細い穴が続く。
迷ってこのまま出られなくなり、餓死なんていう洒落にならない事態に陥りそうだ。
アーヴァインが突然足を止めた。部下たちも気づく。
「閣下、音が聞こえます」
ガチャガチャ、ゴウゴウという音は、トンネルの奥からかすかに響いてくる。
慎重に、だが速度をあげて進んでいくと、どこからか薄い明かりが落ちてきて、空気が濃くなった気がした。
「風が入ってきてるな」
「おそらく通気穴はあそこです」
部下が頭上を指差した。はるか遠くに小さな光が見える。地上への穴のようだ。よく見ると手前の方に、腐りかけた鉄の梯子が打ち付けてある。
あの梯子は生きているだろうか。上まで続いているのだろうか。
もしそうなら一人がひとりを担ぎ上げて、最後のひとりを引っ張り上げれば、出ようと思えば出られないこともない。だが、奥の音がやたら気になった。
「ここ、鉱山だったみたいですね」
部下の一人が足場を指差した。レールの跡だ。
アーヴァインは首をかしげた。
いつの間にか通路の様子が変わっていた。丸太の木枠で支えられた頭上を見上げる。
有名な金鉱は、この遺跡から離れているはずだが……。
自分たちがさんざん歩かされたことを思い出し、あり得えないことではないと思った。
入った場所から、とんでもなく異なった場所に来ているに違いない。
おそらくこの音は、換気のための鞴や、地下水を組み上げるためのポンプが回る音。
「迷宮と金鉱はつながっていたのか?」
疑いながらも、ちょっと広めの、主要と思われるトンネルをひたすら歩く。
「灯りが……」
遠くにオレンジの光を見つけ、部下がアーヴァインに知らせた。
「見張りか?」
何人かが近づいてくる。
まずい、先ほどまであった脇道や窪みが今は見当たらない。
アーヴァインはマリアに渡された銃を握り締めた。
だが撃つ気は無かった。響き渡ってよけい敵を招き寄せかねない。
「壁に張り付いて待ちます」
連れてきている部下たちは、素手で殺すことにしたようだ。
しかし、アーヴァインは片手をあげてそれを制する。
相手はぺちゃくちゃおしゃべりし、まったく警戒してない。
ランタンとツルハシをぶら下げ、肩に手ぬぐいをひっかけ、上半身は裸。汗がオレンジの光に輝いている。
どう見ても、ただの鉱夫だ。
一人が立っている軍人たちに気づいた。おどろいて敬礼する。
「そげな見張ってなくでも、サボっちゃいねーでげす。立坑のケージが壊れて、今作業員が地上で直してるだす。だから俺ら、時間も時間だし、昼休みの休憩ですだ、帝国の軍人様」
「ケージで地上に出れねぇし、ノヴァ島で飯食うにも、あの狭いとこ通るのは骨が折れるんですわ。遺跡の方から出させてくんろ。おらたち何度行き来しでもよぉ、海の底のトンネルは苦手でよぉ」
「こっそり総督府の厨房から何かもらってくるだぎゃ。軍人様方のお昼も頼んできますけどもー?」
アーヴァインは耳を疑った。このトンネルがノヴァ島に通じている? 訛りは酷いが、確かにそう聞こえた。
(海の下を通っていくのか?)
けっこうな距離があるぞ、とアーヴァインは思った。空気は? 崩落は!?
「今日はどれくらい進んだ?」
カマをかけてみる。
「本日分の黒石は、全てトロッコに積みやしたでやんす。ノヴァ島に運ぶのは、午後の当番の仕事でがんす」
やはり、鉱山なのだ、ここは。そして金鉱だけではない。燃料となる黒石の──。
アーヴァインは厳しい顔で頷くと、鉱夫たちを通した。
なんとしてでも先を調べなければならない。
近くの壁際に置かれていたランタン──よく見ると防火灯だ──を手に取ると、今度は先ほどよりも堂々と進んでいく。
リガルド・マルコスは、ノヴァ島の帝国軍人が買収されたと言っていた。今の鉱夫たちの態度と、黒石の行き先からすると、本当のことらしい。
舌打ちする。
ノヴァ島は本土から離れすぎている。遠洋航海に出る遠征組同様、温情から、独り者を選ぶことが多い。
それが仇となったようだ。
本島で待つ家族はいないし、あまり故郷に執着のない人間が多かったと聞く。寝返らせるにはもってこいの人材が集まっていた。
「金で釣ったか。やはりオルセーヌ伯が絡んでいた」
金が採れなくなってきているというのは本当らしいが。資金に関しては、まだ軍隊まるごと買収できるほどあるということか。黒石を売り飛ばせば金に匹敵する。
さらに進んでいくと、トロッコが数台見えてきた。レールにきちんと置かれ、運んでいかれるのを待っている。若い頃、本土の鉱山をストライキ弾圧後に視察したことがあるが──ここが黒石鉱だとして──あの時の斜坑式の坑道よりずっと広い。
トンネルは三方向に分かれていた。
「閣下、これを」
一人が布をめくり上げる。黒い宝石がどっさりある。よく見ると、灰黒色で艶がない。長時間乾留(蒸し焼き)する高温の炉も備えてあるようだ。
島の奥に見えた煙突を思い出した。今居る場所は、あの真下辺りだろうか。
アーヴァインは、三方向に分かれた穴を見つめる。採鉱現場に行く坑道だろう。
こちらは一定距離ごとに防火灯が置かれているので、奥までよく見えた。トロッコを乗せるレールも三本に分かれている。炭車と人車の通り道だろうか。
周囲を木製の木枠で支えてあり、明らかに人工的に削られた坑道だった。部下が一番奥のトンネルの手前に止まっているトロッコを調べている。
「どうやら、そっちの道が、炉のある精錬場に繋がっているらしい。外に出られるかもな。真ん中は、掘進されて出来た通路だ。とういことは、黒石が乗っているレールがノヴァ島に続いているはず。そこから鉱物を出荷してる可能性がある」
「穴だらけなんですね。レトローシアは」
部下が気味悪そうに言った。少し歩くと、細い脇道が現れた。こちらは防火灯の光もなく、真っ暗だ。
「坑道では無さそうですが……。ここから海底の通路に行けますかね?」
トロッコの道の方が広いが、ノヴァ島からこちらに引き上げてくる連中と会うかもしれない。どちらを通ったほうが安全か考えて、細い方を行くことにした。
少し進んだとき、失敗だったと気づいた。鉱夫たちの通った形跡がまるでない。しかも、先は行き止まり。切羽でもなく、これはただの開けた空洞だった。
坑道と洞窟が混じり合い、とんでもない地下迷路を作り上げている。
(まいったな……)
その時、うめき声が聞こえてきた。
「誰だ?」
誰何の声をかけてみる。うめき声が止まった。
暗闇で正体のわからない声は警戒をさそう。レグザロスの伝説を思い出した。
だが、あの風の唸りのような獰猛な声ではない。もっとか細い、女のような……。
手探りで壁を探って進むと、さらに横穴を見つけた。
部下が制止するのも聞かずに潜り込む。闇の中に蠢く塊。さすがに背筋が寒くなる。これって、有名な都市伝説に出てくる鉱山の妖怪、デケデケじゃねーの?
「そっちこそ、誰だ? いや、誰だろうともうどうでもいい、頼む。縄を解いてくれ」
アーヴァインは、その泣きそうな声に向かって近づいた。
部下の一人が、念のため消していた防火灯のロウソクに火をつけた。狭い空洞内には、寝袋や背嚢が乱雑に置かれていた。
何者かが潜んでいた形跡がある。
蠢く物体には毛布をかけられているが、中身は小柄な人間のようだ。それか下半身が無いか──。
ぞわっとなったが、漢の中の漢を自負するアーヴァインは、部下の制止も聞かずにその塊に触った。そして毛布を一気にめくる。
──裸体が転がっていた。
「女?」
部下たちがどよめく。アーヴァインが再び毛布を掛けた。
「おまえたち見るなよ。目が潰れるぞ。鉱夫が来ないか見張ってろ」
アーヴァインもなるべく見ないようにしながら、転がされている彼の護衛をからかう。
「全裸で海老ぞりか。ずっと連絡がないと思っていたら、こんなところで遊んでたのか」
アーヴァインに手と足の戒めを外してもらい、リンファオは安堵の息をついた。しかしそれは束の間で、顔を赤くする。
「ちょっとやっかいな奴をさ、オルセーヌ伯が雇ってたんだもの」
アーヴァインは毛布の中に手をいれ、 手探りでさらに絡みついた縄をほどいてやろうとする。
土蜘蛛の美しさは魂を奪われる。それがしょんべん臭いガキでも。見ないようにするのは、変な気が起きないように予防策だ。
だが縄は、やけに入り組んだ縛り方をされていて、解きにくかった。
あれ、なにこれ? どうなってるの?
「そいつは変態だったってことか?」
ロープとゴツい手が肌に擦れて、喘ぎ声をあげそうになる少女。火照った顔の土蜘蛛に、アーヴァインは、またからかうように問いかけた。
「何か飲まされのたか? やけに色っぽい声を出すじゃねえか」
土蜘蛛の少女がますます真っ赤になって、まさぐる彼の手から逃れた。
自分で体に巻き付いた縄を外そうと必死だ。
うまく外れなくて、遠くに投げられた自分の剣を要求する。
アーヴァインは頼りない灯りの中、手探りでリンファオの武器を探した。少し反った細長い剣をやっと見つける。
手にとった途端、その禍々しい気配に鳥肌が立った。……まさしく妖刀──じゃない、神剣か。
「私に薬が効かないことは、知ってるでしょ?──クラーシュの術にかかったの。催淫作用のある術だから、なかなか身体が言うことをきかなかった……でも、もう切れてきたから平気。あいつ戻ってこないな……」
いつもこれほど頼りなければ可愛らしいのに、とアーヴァインは思った。
神剣の刃でロープを切りながらも、なんとか身体を見られないようにしている少女は、あの恐ろしい伝説のデケデケ──いや、土蜘蛛という殺し屋には見えない。
何をされたんだか、体中うっ血痕と噛み痕だらけなのが、少し可哀そうだ……。
「ところで、この先はもう行ったのか?」
「うん一回ちょろっと。でもまた行かなきゃ。トロッコの中を覗いてたら、その……捕まっちゃって……その、あの……それからずっとここに……」
失態だ。
それに、この変な場所に何日も監禁されて好きなようにされていたなんて、土蜘蛛の名が泣く。プロとしてあるまじき失態。
「ご……めんなさい」
傍らに脱ぎ捨ててあった服を着ながら、己の不甲斐なさに謝る。
まだ身体が重いし、動きが鈍い。それに毛布こそ敷かれていたが、体がすっかり冷えている──。
アーヴァインは腕を組んだ。
まったく……相手は俺以上にろくでもないやつらしい。
しかも、抵抗力を抑えるためだろうか、不死身に近いことをいいことに、ずっと飲まず食わずを強いられていたのだろう。
明らかに弱っている。さすがにやりすぎだ。
アーヴァインは背後の部下に合図する。
「代わりにおまえらが行ってこい。今のこの子よりは役に立つ」
軍人たちは素早く動いた。
その背中を見送りながら、リンファオは焦って彼の顔を見上げる。
「もう平気だってばっ。しばらくブリッジで歩き回るかもしれないけど……」
「デケデケか! 怖いわっ! ……いいから、少し休め。分かっていることを教えてくれ」
穏やかに言われ、リンファオは肩を落とす。
そしてあの状況で出来うる限り引き出した情報を、ポツリポツリと話しだした。
※ ※ ※ ※ ※
「では、オルセーヌ伯は、あの二人を──リガルドとガストーネを殺すつもりなのか? 何故だ?」
「けっきょく、彼が欲しいのはこの島。故郷オルセーヌ伯爵領よりも、レトローシアが欲しいみたいなんだ」
リンファオは柔軟しながら、海老ぞりと引き換えに仕入れた情報を話した。背中が痛むのか、顔をしかめている。
アーヴァインは顎に手を置いて考え込む。ロンドゴメル大公国の復活よりこの島が欲しいとなると、鉱山の利権だろうか。
「リガルド・マルコスはオルセーヌ伯に、引き続き総督府を任せる約束をしていた。鉱山や、所有する荘園の利権もそのまま」
「じゃあ何であいつらを裏切るんだ?」
さすがのアーヴァイン・ヘルツにも訳が分からない。
「ケン──オルセーヌ伯が雇った間諜がね、聞いたんだって。レトローシアは譲れないって、彼らが話しているのを」
リンファオは、こほんと咳払いする。その間諜との関係を聞かれたらまずい。
「ここほら、金どころか黒石がたくさん産出されたでしょ。そしてアリビアの領地の中ではウエスティア大陸に一番近い。リガルドたちが帝政を復活させたら、今の軍上層部は排除、新生帝国軍を使って、このレトローシアを補給地として、ウエスティアに大攻勢をかける。ニコロスがやろうとしていたことを、早々に実現する気でいるらしいよ」
リンファオはケンが漏らした情報を一生懸命伝える。
「そう簡単にいけば、とっくに西の大陸はアリビア所有になってるぞ」
アーヴァインは苦笑した。北の大陸諸国もバファマ諸島の連中も黙ってはいない。
東海岸だけでなく内陸部にも植民地を広げようと、各総督に命じてはいるものの、蛮族の捨て身の抵抗の恐ろしさは、帝都にまで伝わっている。
植民地軍の部隊が、いくつも壊滅しているのだ。ただでさえ、アリビアは陸戦には不慣れなのである。
──噂によると、戦死した兵たちの頭の皮は、全て剥がされているという……。
ニコロスは慎重で、まずは近隣諸国から攻める算段だった。
「リガルドはなぜそんなに急ぐ?」
リンファオは肩をすくめた。そればアーヴァインの方が分かってるんじゃないか、と思ったのだ。
「ウエスティアの先住民は神を信じていないから。彼らの宗教は特殊で、国教会はもちろん海神信仰でもなく、海神──リーヴァイアンが神の一人として出てくる創世記の神話、多神教のどの神からの派生でも無い」
西の大陸の原住民が信仰する、不可思議な宗教観は聞いたことがある。
「自然崇拝なんだろ? 万物に神や精霊が宿るとかいう。人間も自然の一部」
星が神々であったり、星座は神の街であったり、啓示は夢や幻覚によってもたらされる。
──アリビアや周辺国とはだいぶ趣が違っている。
「うん。それで、それの何がいけないのかよく分からないけれど、リガルドにとっては許せないらしいんだ。布教のために徹底して攻めるんだってよ」
ふむ、とアーヴァインは割れた顎を指で触る。
「原住民は物品の所有意識が薄いんだとさ。つまり、土地は誰のものでもない。我々入植者は神が与えたものを独り占めする敵なんだ。リガルドにとって神は建国者の一族。その尊い血を持つ者。ウエスティアを代々のアリビア皇帝が欲しがっていたなら、すぐにでも献上すべき貢物なのかもしれんな」
リンファオは舌打ちして、アーヴァインを睨む。
彼女の家族をウエスティアに逃がしたが、そこが戦場になろうとしている。
本土にいた方が安全だったんじゃね?
アーヴァインは目を逸らした。矛先を逸らすために、ついでに話も変えた。
「では、オルセーヌ伯はこちらに寝返るつもりなのだな?」
「違うよ。だって、新政府はオルセーヌ伯からレトローシアを取り上げようとしてるでしょ? それだけは絶対譲れないみたい」
アーヴァインは眉間にシワを寄せた。どちらを敵に回すにしろ、辺境の一植民地に勝ち目はない。
リンファオは、亀甲縛り用のロープを悔しそうに投げつけながら続ける。
「サルヴァトーレは、裏で鉱物売ったお金をチラつかせて、ほら、私が荒海を渡って行かされた国、なんていったっけ? ゴルゴンゾーラ国だっけ? そこと渡りをつけてるらしいよ。そのうちノヴァ島の軍艦も買収して手中に治める算段なんだろうって。金に物言わすタイプだね。……ジュリオ・ガストーネと、リガルド・マルコスは自分たち王党派のために手を貸してくれていると思っている。だけど、オルセーヌ伯にそのつもりはない。レトローシアが欲しいだけだから。彼らがこの資源の島を放棄しない限りは、彼らと手を組むメリットが無いと判断したみたい」
アーヴァインはさらっと流して聞いてから、しばらく考え、オイ、と突っ込んだ。
「え? ブルゴドルラードとか?」
継承権を潰して、ブルゴドルラードとプロスターチンを、やっと引き離せそうな矢先だった。
「リガルドは、プロスターチンと手を組む。結局、かの国も建国者──皇帝の血というものを重視しているからね。あそこって純粋な海神信仰じゃないんだってね。正教会とかいう、やっぱり皇帝が海神の声を聞くっていう宗教上の頂点なんだ。継承権の無くなったブルゴドルラードと手をくんで侵略戦争に加担するより、枢機卿リガルドと、皇室の血が入ったジュリオ・ガストーネたちの勢力に手を貸して復権させるほうが、倫理的にかなってるんだ。見返りはアリビア北西部のミャーシャリ諸島群と領海の拡大」
ミャーシャリ諸島群。アーヴァインは渋い顔をした。
飛び地とは言え、不凍港を手に入れられるし、何よりもウエスティア大陸北海岸に近い。こちらも領土を南──ウエスティアに拡大する気満々だ。
しかもプロスターチンは資源大国。天然硝石も自国で賄えるし、アリビアのような技術大国と手を結べば、あっという間に西の大陸はこの二大大国の物になってしまう。
やがてこの二国が争うにしても。
ほらね、やっぱり西の大陸が一番やばかったんじゃね? というリンファオの白々とした視線から逃れるように、明後日の方を見ながら言う。
「一応、避難先、本土とウエスティアどっちにするか選ばせたよな? 俺のせいじゃないぜ?」
それにしても、オルセーヌ伯の雇った間諜は、かなりのおしゃべりらしい。ペラペラと、このリンファオによく教えてくれたものだ。
仕事を変えたほうがいいのではないか? 亀甲縛りはものすごく上手かった。SMクラブとか、そちらに職業の鞍替えをした方がいいのではないか?
「……ブルゴドルラードは完全に旧教だ。だからアリビアの海神教会の教皇が亡命した。それを追いかけるように旧教の信者たちが渡り、さらに今回の政変による亡命貴族がどっと渡った。オルセーヌ伯は彼らに手を貸すってことか?」
「うん。あっちの王様だろうが、教皇やら亡命貴族だろうが、なんでもいいんだって。本土なんかくれてやるって」
アーヴァインは、は? と間抜けな声をあげた。
「だから、もし現政権転覆が実現したら、レトローシアさえくれたら、あとは要らないらしいよ」
「こんなちっぽけな島、そのうち鉱物資源も枯渇する。いくら母親の出身地だからって、玉砕覚悟の戦争してまで躍起になって守るものでもないだろう。しかも心情的にはオルセーヌ島を欲しがるもんじゃないのか? 彼なら、ここの領地収入を失っても、それなりに事業で成功しそうだし」
「そうね、だけど一度ここで甘い汁を吸うと、失うのは怖いんじゃない? だから他の植民地も、次々に蜂起すんでしょ?」
リンファオはアーヴァインの様子を伺いながら、小さく付け加えた。
西の新大陸の一植民地などは、ニコロスの時代から秘密裏に領土を拡大しようとしているのだ。総督府が。
そもそも彼らが独立しようとしたのも、確か本土の税金が高すぎワロタ、オワタ的、どうのこうのでもめた挙句だった気がする。
このまま、本土の新政府に従うだろうか? そして新政府も、ニコロスと同じく独立の疑いのある植民地を早々に叩き潰すのだろうか。
けっきょく西の大陸ウエスティアは、戦地となるのではないか。
リンファオはそれが心配だった。
アーヴァインは肩をすくめた。
「まあ、今がチャンスだとは思うけどな。一度独立しそこねたんだ。次は成功するといいな」
まるで応援しているかのような言い方だった。リンファオが目を見開く。
この男は帝国はもちろん、軍部にも執着していないようだ。……よりどころはどこにあるのだろう。
「植民地の民にとっては、為政者がどちらだって構わないんだね。今まで通り潤っていれば……」
リンファオはしみじみ言った。アーヴァインが低い声でぽつりとつぶやく。
「一つだけ許せないことがある」
「うん、そうだね。ウエスティアだろうとレトローシアだろうと、戦場にしてはならな──」
「皇室の復権を企んでいるあいつらは、俺がこの手で直に殺す」
「そこかよ」
リンファオは呆れた。彼の皇室嫌いは根強い。
「なら、今すぐ戻って、自分で息の根を止めたらどう? ケンはオルセーヌ伯の部下が探しに来て、呼ばれて行っちゃった。私を海老反りで放置したまま。あんたらが暗殺したことにするらしいよ、リガルドとジュリオ・ガストーネ。そしたらノヴァ島の水軍も国教会騎士団も、そのままオルセーヌ伯の傘下に入るだろうって」
フランソルの艦が出ていったことを利用するつもりか。
確かに、新政府軍に旗印を殺されれば、あとは復讐くらいしか彼らに出来ることはない。
新たな国教会の象徴、マリアさえ見つからなければ、彼らに政権を取り返す大義名分は無くなるのだ。
帝国貴族であるサルヴァトーレと手を組む可能性は高い。
アーヴァインは銃を握り締めた。
二発。
二発あれば、ジュリオ・ガストーネとマリア・ヴェルヘルムを殺せる。
アーヴァイン・ヘルツは立ち上がると、土蜘蛛の少女を見おろした。
「ノヴァ島には部下を行かせたが、念のためサポート頼む」
「あまり狭くて暗いところ好きじゃないんだけど。まあ、ミシュターロ少将と連絡が取れないなら、あなたからの指示で動くしかないか」
リンファオはツンッと横を向いた。
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