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第五章
脱 出
しおりを挟むその日の真夜中、アリビアからの偵察部隊は、人知れず屋敷を出た。
屋敷の部屋は、まだところどころ灯りがついている。
祭りも終盤だ。
おそらく高額で買った女たちとの夜を惜しむように、楽しんでいるのだろう。
虫の鳴き声の響く草原を抜け、島の裏側に向かう傾斜をどんどん下りていく複数の軍靴。彼らは丘の中腹から、マルセーの港町に回るつもりだった。
アリビアのフリゲート艦は、日が落ちる前に出港準備を整え、彼らが来るのを待っているはずだった。
下町も、祭りの期間は朝方まで騒がしいと言う。
似つかわしくない軍人のグループにも気にならないといいのだが……。何食わぬ顔でボートに乗り、艦に渡るつもりだった。
レトローシアの歩哨がところどころ立っているが、堂々と敬礼すれば簡単に通してくれる。
これまでも艦に残してきた当直員たちと、屋敷についてくる護衛としての兵を交代させたりしていたのだから、当然と言えば当然だ。
……ただし、こんな真夜中では無い。
マルセー港の大きな町にたどり着く。治安については問題ないはずの港街につくと、アリビアの軍人たちは足を止めた。
後ろを振り返る。
繁華街の雑踏から、敵意を感じたのだ。酒場や娼館の間から、待っていたようにゴロツキが滲み出てくる。
足早に彼らを追ってきた。
「軍服を襲うなんて、勇気がありますね」
フランソルは苦笑いした。ゴロツキなどでは無い。
見張られていたのだろう。リガルド・マルコスが居るなら、アーヴァイン・ヘルツの顔を知っている者がいても不思議ではない。
やはり連れてきたのは──連れてきたわけではないのだが──失敗だった。
じわりと近づいてくる屈強な男たちを見て、一同は緊張した。
銃を使うと騒ぎになる。
それどころか、このままなし崩しに、リガルドの保持する全戦力を相手にすることになりかねない。それは避けなければ。
「数が多い。二名は先に行け。ヘルツ元帥を艦にお連れするのだ。艦についたら我々を待たずにすぐに港を離れろ。残りは時間を稼ぐぞ」
そう背後の部下たちに囁く。
ゆっくりと松葉杖を放すと、腰のサーベルに手をかけた。指一本でも動ける間は、抵抗するつもりだった。アーヴァインを逃がすのだ。
──その首筋に衝撃が走った。
「大怪我なのはおまえだろうが、役立たず」
アーヴァイン・ヘルツは部下をあっさり昏倒させると、部下たちに命じた。
「俺だけで十分だ。こいつを担いで船に戻れ」
ぎょっとする兵士たち。
「とんでもない、そんなことをしたら我々は少将に殺されます」
「知ってると思うが、ミシュターロ少将の上官が俺だ。文句があるならここで銃殺だぞ」
兵士たちは真っ青になって、フランソルを担ぎ上げた。
「二名行かせます、後は元帥閣下とともに」
「あいつ、見た目より筋肉質だから重いぜ」
アーヴァインはにやりと笑ってカトラスを抜いた。彼は細身のサーベルよりこっちの方が好きだった。
「ああ……久しぶりだ、接近戦は」
そう言うと、迫ってきた男達を見て舌なめずりをした。
※ ※ ※ ※ ※ ※
遺跡に登ろうとして、下っていく軍人の一団を見たマリアは、そこにアーヴァイン・ヘルツの姿を見つけた。
誰にも支えられず、しっかりと歩いている。
目が見えるようになったんだ……マリアはホッとした。
フランソルが無理な身体を押してアーヴァイン・ヘルツを艦に戻そうとしているのがわかり、それについても安堵した。
(艦に着くまで見送ろう)
これが見納めでもあるし、やはり真夜中の移動は心配だ。
マリアは身をかがめ、ゆっくりと彼らの後をつけた。
マリアは、港街での光景を見てぞっとしていた。
先頭切ってならず者どもと戦っているのは、アリビアの元帥閣下本人だ。しかも鬼神のように強い。
一人も港に入れないように、壁のように立ちふさがっている。
フランソルの連れてきた兵士たちも選りすぐりのようで、それなりに強い。だが、アーヴァインのそれとは次元が違った。
(これは……ジョルジェやゲルクより)
マリアは感嘆の思いで見つめた。
帝国随一の艦隊運動の天才と言われ、戦略と知略に長け、北方からの侵攻を防いだ伝説の男。
しかし、ただ腕のいい艦長というだけでは、この若さで元帥位は手に入れられないというわけだ。
射撃も、剣術も、武術全般にわたって死ぬほど努力し──もちろん元からの才能なのかもしれないが──おそらく彼にかなう人はいないのではないか。
胸がカーッと熱くなる。やっぱりカッコイイ。
それにこんな場合だけれど、しみじみ思う。マリアの知っている誰よりも、軍服姿が似合う。
素敵。
もう……なんていうか、掛け値なしに大好き……。
マリアはメロメロだった。
ほぼ、ならず者ども──を装った見張り──を片付けかかったその時、銃声数発が響いた。
倒れる兵士たち。
咄嗟に身を投げて伏せたアーヴァインは無事だったが、狙われているのが分かるから身動き出来ない。
鉄砲を持った身なりのいい男たちが、港側から走ってきた。回り込んで背後から来たのだ。
「観念しろ。動いたら容赦なくぶっ放す」
アーヴァインと生き残った兵士たちは、仕方なく手を挙げて立ち上がった。
「オルセーヌ伯の手下か? それとも、リガルドの手のものか?」
「お忘れですか、ヘルツ元帥。マルコス猊下の秘書官です」
「バルタサールか」
アーヴァインは舌打ちした。
秘書官とは名ばかり。リガルド・マルコスの私兵長を務めていた男だ。ということは戦力をごっそり連れてきたということになる。
彼は銃を持ったままゆっくり近づくと、アーヴァインのジャケットの下にある銃を探し当てて奪った。
「来てもらいましょう。陛下がお会いしたがってます」
アーヴァイン・ヘルツは鼻で笑った。
「陛下か」
ふてぶてしい彼の態度には気にも止めず、バルタサールは銃で脅して軍人たちを連行していった。
遠くから青ざめた顔でそれを見ていたマリアは、すぐに後をつけていった。
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