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第三章
過去の亡霊
しおりを挟むカティラと入れ替わるように、フランソル・ミシュターロが入ってくる。
軍服ではないマリアに目を奪われ、立ちすくむ。一瞬彼女だと気づかなかった。
これは……新鮮だ。何か調べ物をしている美しい貴婦人、としか見えない。
だが、すっと伸びた姿勢、周囲を包む凛とした空気で、やはり彼の元上官なのだと分かる。
(やっと見つけた)
軍服姿のフランソルもまた、周りの貴族たちから注目された。
古代の神の格好をしていないので、祭りに参加しているご婦人方の恋愛対象外なのだが、そのパリッとした服装が、逆に好奇の──主に下心丸出しの──視線を集めてしまうのだ。
あろうことに、男の賓客からも熱烈な視線をもらっている。
彼は居心地の悪さを感じつつ、図書室の扉の前に部下を二人残し、そのままマリアの座っているところに歩いてきた。
「いいですね、その衣装」
フランソルは閲覧テーブルの脇に立った。
胸の谷間に気を取られて、彼女が読んでいるものに気づくのが遅れた。
「座れ」
青い眼がフランソルを見上げ、捉える。
相変わらずの上官口調を懐かしく思い、フランソルの口元に微笑が浮かんだ。言われたとおり、彼女の向かい側に腰を下ろす。
胸の谷間をもう少し楽しみたかったんだが……。
「先ほどは助かった」
「いえ」
そっけない口調だが、マリアの目元は優しい。
この人は、自分に──自分たちに何をされたか忘れたのだろうか。けして許されない辱めを与えた部下を、気にも止めていない。
それは少し、寂しくもあった。
自分の腕の中に組敷かれ、悶え狂う姿を思い出し、フランソルは咳払いした。彼女が水に流してくれるなら、こちらもそれに甘んじよう。
「中将、何を熱心に読んで──」
フランソルの顔が強ばった。
レグザロスの迷宮。つい先ほど、上官と一緒に話したばかりの遺跡だ。アーヴァインがこれを見たら、ますます疑うだけだ。
マリアは硬い表情のフランソルにも気づかずに、肩肘をテーブルについて頬を支え、気だるげな目線を元部下に投げた。
「その中将っていうの、やめてくれないか。どうせ死んだことによってもらえた階級だろう。私にはもう不要だ」
「では──大佐。その遺跡に、何か興味でも?」
フランソルは平静を装って尋ねる。
しかしマリアには気づかれてしまったようだ。怪訝そうに、彼のやや緊張が感じ取れる顔を見つめて答えた。
「ん? 探し人だ」
「えええ? ちょっと待ってください。そこに居るんですか?」
マリアは、この元部下にしては珍しく慌てているような声に、ただ事ではないと感じた。
「何だ? 何があった?」
そして自分の想い人のことを思い出した。何故、彼のような大物がここにいるのか。
「まさか、この島に亡命貴族でもいるのか?」
黙ってマリアの顔を見るフランソルの顔色に気づき、それだけで何もかも悟った。
「大貴族……それも、皇室の復権のために私の血を求めそうなやつがいるのだな?」
相変わらず頭の回転は速い。フランソルは舌を巻いた。
それと同時に、彼女の顔に浮かんだ嫌悪の表情を見て確信した。
やはりこの人は何も知らなかったのだ。偶然、狼が手ぐすね引いて待つ島に飛び込んでしまった、というわけか。
「いったい誰だ?」
「国教会の枢機卿頭、リガルド・マルコス。そしてあなたのご親戚のジュリオ・ガストーネですよ。まったく……何かの運命かのように思えますけどね」
少し弱気になったフランソルを、マリアは鼻で笑った。
「おまえみたいな男が運命論者になる方が、今回の偶然よりあり得ない話だ。どんな事態になろうが、王党派の陰謀は叩き潰す。それがおまえたちの仕事で、偶然か必然かに意味は無かろう」
フランソルは自分の元上司を見つめ、本当に相変わらずだな、と思わず吹き出していた。
肩を震わせながら笑うフランソルを、憮然として見ているマリア。やがて、彼に向かって静かに言った。
「共同戦線と行こう。何か聞いたり、見つけたりしたらまっ先におまえに知らせる。その代わり、こちらの探し人に関しても、何か分かったら教えてくれ」
マリアはそう言うと、メモ用紙に走り書きをしてフランソルに渡した。
ふと、その手が止まる。
急に何かに思い当たったような、マリアの深い瞳の色に気づいたフランソルは、首をかしげた。
「どうなさいました?」
「なぜあの人を連れてきた? 植民地にわざわざ足を運ぶような立場ではないだろう。なぜシェルツェブルクにいないのだ? 都には彼の不在を利用するやつらが山ほど残っているだろうし、第一……」
マリアは長いまつげを伏せ、囁くように言った。
「危ないじゃないか」
アーヴァイン・ヘルツは英雄だ。宮殿の出入りは許されているし、艦隊の凱旋の式典では功労者として派手なアピールが市民向けに行われている。
顔が知られすぎている。
せめて、主催者が用意してくれた仮面をしていてくれれば、安心だったのだが。
フランソルは自分の眼差しが、優しい光を放っているであろうことに気づいていた。
彼女が元帥を想う気持ちは、それが報われないものだからか、嫉妬すら起こさせない。
それに、それほどに強い想いは純粋すぎて眩しい。
「見返りも求めずに、ただ安否を案じる貴女のような人が居て、彼は幸せですね。無償の愛ってやつですか」
マリアは驚いて元部下を見つめた。
そして、どうせこの男には知られているのだし、と思い本心を話した。
「見返りは貰った」
「え?」
「二度と会えないと思っていたのに、その姿を見ることが出来たじゃないか」
フランソルは絶句した。姿を見ただけでいいのか? そして改めて思う。これは……かなわないな、と。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
中庭にはオリーブの木が立ち並び、淡い色の小さな葉が、眩しいほどの月灯りを受けて柔らかく光っている。
カティラの目的の男は、わざと彼女をそこまでおびき寄せたのだ。
「本当に、君だったんだね、カティラ・ルイ・レトローシア」
サルヴァトーレは声を震わせて、幼き日の恋人だった女を見つめていた。
どうして、この懐かしい島では、亡霊に会うのだろう。それも会いたくない人の。
父や母には会えないのに、ゲルクに対して後ろめたい思いを抱かなければならないような、そんな亡霊にばかり会う。
「忘れたのか? サルヴァトーレ・マニロフだ。ロンドゴメル公国……いやオルセーヌ辺境領の」
ぐいっ、と袖をまくり上げるサルヴァトーレ。その静脈の浮いた繊細そうな白い腕には、野生蘭の入れ墨。
先に帝国に侵攻されるという情報を聞きつけ、ロンドゴメル公国からの戦災を逃れるため、サルヴァトーレ・マニロフは母の故郷であるレトローシアに避難させられた。
しかし、ニコロスの気性を聞いていた大公家はすぐに降伏勧告を受け入れ、伯爵領として引き続き島を統治することを条件に、帝国の傘下に戻った。
そしてサルヴァトーレの母の意に反して、気高い風の神の神官の民族であるレトローシアは、戦うことを選んだ。
サルヴァトーレ・マニロフは子供ながら自分の意志で島に留まり、レトローシアを守ろうと風の民と共に戦い──そのまま捕まったのである。
帝国水軍は、この中立の自由都市を乗っ取ったあと、彼らにとっては異教の神殿となる貴重な遺跡を多く破壊した。
昔から行軍の後には死体と孤児と貞操を失った女たちがあふれる、と言われているが、この島の場合、略奪と暴行の限りを尽くしたのは、軍よりむしろ帝国貴族が総督に任命されてからだった。
帝国軍から引き継いだ新総督モンテール・ファーガソンの私軍は、道徳観などいっさい持ち合わせていない畜生共だった。
サルヴァトーレやカティラのような美しい少年少女の捕虜は、変態総督の奴隷とされたのである。
サルヴァトーレはカティラと共にいることを望み、大公家の子供だということを秘匿していた。カティラを──島長の娘を守るために……。
そのうち、苦しみの中で二人は傷を舐め合うようになる。
幼い愛ながらも、二人の間には、他の子供たちにもわかるような絆があったのだ。
淋しい夜は抱き合って慰めあった。
「海賊と逃げ出した貴女が、なぜそんな格好を……」
カティラは慌てて首を振った。初恋の相手に、娼婦と間違われるのはごめんだ。
「仕事で……いや、そういう仕事じゃなくて、運び屋をやっていて」
しどろもどろだ。
サルヴァトーレは眉をひそめる。やがて、首を振ってから近づいてきた。
それから、いきなりカティラを抱きしめる。
「会いたかった。どんなに君に会いたかったか分かるか?」
これはまたまずいことに!? カティラは目を白黒させた。
「サヴィ、駄目。もう昔の私では無いのよ。高名な賞金首『月光』の首領って、私のことなのよ……先代が亡くなって」
「ああ、知っていたとも。帝国軍に捕まって殺されたって聞いたときは、頭がおかしくなるかと思った。絶対信じなかったが……風の神がお許しになるはずないって思っていたけれど……でも、不安だった」
声が震えている。本当に、心配してくれていたようだ。
「カティラ……私は……ぼ、僕は、もうサルヴァトーレ・ファーガソンなんだ。そして、オルセーヌ伯爵でもあるんだよ」
昔を思い出したのか、徐々に言葉遣いが拙くなるサルヴァトーレ。
「あのモンテールの畜生に僕を気に入らせるために、性の奉仕を……奴隷として、ありとあらゆることをした。あの男が二度と僕を手放せないくらい、夢中にさせたんだ」
「止めて……何でそんなこと」
サルヴァトーレはクスクスと耳元で笑う。
「それから、自分の正体を明かしてやった。あいつはずいぶんビビってた。大公家の人間を性奴隷にしていたんだからな。あの時、もう戻るまいと決めていた故郷の地に戻り、オルセーヌ伯爵領を継いだ。そのあとも、少しずつモンテールを脅して懐柔して、彼の養子にまでこぎつけた」
「なんのために……」
モンテール・ファーガソンを誰よりも憎んでいた彼が。
「君のためさ。この風神の島を、君に返すために」
「サヴィ、ちょっと」
抱きしめた腕から逃れるために、思い切り押さなければならなかった。
あの頃と比べて、ずいぶんたくましくなったものだ。離れたサルヴァトーレをまじまじと見て、カティラはそう思った。昔はモンテール・ファーガソン好みの、たおやかな美少年だったのだが。
カティラは、性奴生活から抜け出した日のことを思い出した。
ファーガソンは奴隷を苛め抜いたが、見栄えのいいお気に入りは何処にでも連れて行った。
このあたりの美しい島々を周遊するにも、いつも奴隷たちを侍らせていた。
彼の船が海賊に襲われた時、サルヴァトーレは、次は海賊に売り飛ばされるのだと思った。
しかし、一見極悪凶暴な海賊の老首領は、彼らを置いていこうとした。
「荷は全部いただいた。が、俺たちは誰も殺さない。このまま故郷に帰りな」
そして叩きのめした男を、子供たちにの前に引きずってきて笑う。
モンテールは、生きているのか死んでいるのか分からないほど血みどろになっている。
海賊の首領は、子供たちの傷だらけの体を見て眉をひそめた。
「ふんっ、この貴族の男はさぞおまえたちを痛めつけたみたいだなぁ。こんな目にあって当然というわけだ」
そして意識を失ったモンテール・ファーガソンの体を放り投げ、去っていこうとしたのだ。
その時、カティラが叫んだ。
「私も連れて行って!」
サルヴァトーレは仰天して、カティラにしがみ付いた。海賊についていったら何をされるか分からない。
驚く海賊の船長とサルヴァトーレに、カティラは言い放った。
「これ以上の屈辱はもう無いわ。海賊がこの豚野郎より酷いやつだなんて、誰が言えるの?」
ヒゲ面の海賊は面白そうに、勝気な少女を見つめた。そして、奴隷たちを見渡す。
「海賊になりてえやつが居るなら、連れて行くぜ」
皆、縮こまって動かなかった。海賊は犯罪者、無法者だ。カティラはサヴィを促した。
「奴隷と無法者、どっちか取るなら、あたしは無法者を取るわ。あなたは? あなたの祖国ももう無いけど、家族がいるでしょう? ここよりはマシなはず。逃げ出すなら、一緒に行こう」
サヴィは、海賊について行くことの方がバカげていると思った。何よりも、彼はいつだって奴隷の立場を辞めることができる。
ここにいるのは、全てカティラのためなのだ。カティラは故郷を捨てたくないはず。どうにかして島を取り戻す手伝いがしたかった。
「行くな、カティラ。僕が必ず守るから。だから行かないでくれ。僕と一緒にいつかレトローシアを……」
カティラの手がサルヴァトーレから離れた。
それから七年近く経った。
大人になった二人はいま、違う存在になって再会したのだ。
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