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第三章

再 会

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 腕組みして、背もたれにふんぞり返っていた厳つい男が、初めて身動ぎする。

 身を乗り出すようにして、その手をゆっくりあげた。

 マリアが息を呑んで背後から見守る中、男はカティラの番号を告げる。

 他の男たちも競って手を挙げるが、その男の提示した金額には及ばなかった。

 カティラは一瞬で競り落とされたのだ。

 当のカティラは凍りついたように男を見つめている。

 その口の動きで、この喧騒の中でも彼女がなんと言ったかが、マリアには分かった。

「ああっ、くそっ。ゲルク助けて」

 アーヴァイン・ヘルツは底光りする眼でカティラを見据え、有無を言わさぬ横柄さで、大きな手を差し伸べた。



※ ※ ※ ※ ※


「部屋は、二階に用意してございます」

 仕切り役の女がホクホク顔でカティラを押し付け、部屋番号のついた客室の鍵を渡すと、ホールから追い出す。

 この宴には交流のある都市国家の大富豪や、他国の王族も出席している。

 その誰よりも高額な買取額を出したのが、本土からやってきた軍人だったのには驚かされた。

 やはり、アリビアの勢力は変わりつつあるのだ。仕切り役は、上客がガラリと変わりそうな予感に打ち震えた。

 背後でにこやかに手を振って送り出す守銭奴にちらりと目をやると、アーヴァイン・ヘルツはため息をついた。

「貯金が一気にすっ飛んだ。退役後の生活どうしてくれるんだ?」

 引きずるようにカティラを引っ張って二階に上ると、あてがわれた部屋の前で後ろを振り返り、鍵を見せる。

「さて、その分たっぷり楽しませてもらうぞ」

 しかし、そのカティラはと言うと、藍色の瞳をキラリと光らせ、手をアーヴァインの前に上げた。

 そこには香水のビンが握られている。

 中には悪党御用達の、人の意識を奪う薬が入っているのだ。

 もし客に買われたら、それでどうにかして逃げろ、とウラジーミルが渡してくれたものだ。

 シュッと帝国軍人の口元に噴霧してから言った。

「おやすみなさい」

 憎々しげにそう言って、立ち去ろうとする。

 途端に、その手首をつかまれた。

 驚くカティラを引き寄せる、なんの変化もないアーヴァイン・ヘルツの様子に、カティラが喚いた。

「うっそ、何で昏倒しないのよ!」
「そんな子供だまし効くかよ」
「子供騙しって、熊だって一発で寝ちゃうやつよっ」

 カティラは部屋の前の扉に押し付けられた。

 暴れる手足を鋼のような体全体で押さえ込むと、アーヴァインはカティラの唇を奪った。

 首の後ろを支え、噛み付くような切羽詰った口づけに、カティラが目を見開く。

 抑えていた激情が爆発したかのような激しさ。

 カティラはそれを感じて胸を打たれた。

 過去、彼のこの獣のような情熱に、やられそうになったことがある。

 どこまでも激しく、ねっとりと口内を探求する舌の動きに、下腹部が反応してしまう。

 だめ、と思いつつも、うっとりしかけた。しかし、やがて息が出来なくなり、苦しくてどうしようもなくなってもがく。

 ちょっとこれ激しすぎるでしょ!?

 いや、激しいとかそういうレベルではなく、ガチで死ぬ。

 ついに思い切り、男の肩を拳で叩いた。

 やっと解放された時は、空気を求めて涙目になっていた。

「殺す気?」

 はぁはぁ言いながら抗議するように睨みつけた。

 憎むべき帝国軍人は困惑している。

「すまん、止められなかった」

 今度は、首筋に鼻をすりつけるようにして匂いを嗅いだ。

「もう放さないぞ。おまえをあんな甲斐性なしの若僧にくれてやるなんて判断は、間違っていた。いい子に海賊は辞めたみたいだが、娼婦にまで成り下がっちまって──」
「ちょっ、ちょっと待ってそれは違うわっ」
「何が違うんだっ、自分の女を淫売にして自分は働かずに済まそうなんて、そんなヒモを庇うような女だったのか、おまえは」

 海賊稼業がダメになったから、食いブチがなくなったと思っているらしい。ゲルクを甲斐性なしと決めつけられてしまった。

「私にはちゃんとした仕事がっ」

 突然乱暴にキトンを下げられた。肩を止めていたピンが、あっけなく飛ぶ。

 中に何も着ていないせいで、簡単に乳房がこぼれ落ちる。

 ごつい手のひらがそれを包み込んだ。親指が乳首をこすり上げる。それと同時に、彼の筋肉質な足がカティラの両足を割って、腿の内側をこすった。

 これより上に来られたら、膝が──だって、ノーパンなのに。

(まずい)

 この男の愛撫の上手さと言ったら……。思わず目をつぶってしまってからハッとなる。

(だめだめ、私にはゲルクが)



「そこで何をしている?」

 冷ややかな声が、アーヴァインの背後から響いた。

 アーヴァイン・ヘルツは舌打ちした。

 部屋の鍵を開ける余裕も無かった。このまま廊下で奪ってやるつもりだった。それほど性急にこの女を求めていた。

 彼にしては珍しく苛立ち、血走った眼で声のぬしを振り返った。

 仮面をつけた貴族の女が立っている。

 素晴らしい体つきをしているが、今の彼にはカティラ以外ただの邪魔者に過ぎない。

「すっこんでろ、この女は安月給の俺が貯金はたいて買った女だ」

 誰が見ていても気にならない。

 そそり立ったモノは、すぐにでもあの絹のような感触の、彼女の中に入りたがっている。

「見物するなら金とるぞ」

 言いながら再び抑えつけていたカティラに、口づけを浴びせ始める。


「……こちらを見なさい」

 背後の女が言った。

 苦しそうな、思いつめたような声に、アーヴァインは愛撫の手を止めて振り返っていた。

 女は仮面を外した。

 カティラは相手の力が抜け、自分が自由になったことに気づいた。思いきりごつい胸を両手でついて逃れると、衣服を直しながら、助けに来てくれたマリアの横に走る。

 そこで初めて帝国軍人が、マリアの知り合いだと知った。しかも相当因縁があるらしい。彼の顔はまるで幽霊を見たかのように、凍りついていた。

「ばかな」

 このふてぶてしい男がこんな表情を浮かべるなんて。

 カティラは目を見張って彼を見つめた。

 アーヴァイン・ヘルツは、踝についていたホルスターに手を伸ばした。

(銃を持っているの?)

 貴賓が参加する祭りで、携帯を許可されているなんて。やはりこの男はただの欲情した雄ではなく、腐っても帝国軍人なのだ。

「悪夢ならすぐに消すまでだ」

 アーヴァイン・ヘルツは青ざめた顔に、本来のふてぶてしい笑みを無理やり浮かべた。

 銃のグリップを握って冷静に撃鉄を起こすと、黒光りする銃口をマリアにピタリと向ける。

「早く消えろ」

 引き金を絞ろうとした時、再び違う人間の声がかかった。

「おやおや、物騒ですね」

 カティラが振り返ると、キトンではなく軍服を着た長身の男が、反対からやってきた。

 この修羅場を見ても、やけに落ち着き払っている。

「どうなさいました?」
「とぼけるなフランソル、貴様、前回の任務に失敗したのか?」

 低い声がアーヴァイン・ヘルツの喉から漏れる。

 一方フランソルと呼ばれた男は、軽く肩をすくめただけだ。

「アリビア皇帝の皇女マリア・ミハイロヴィッチの処刑に失敗したかってことですか?」

 カティラはぎょっとなって、マリアの青ざめた横顔を見た。

 この女が皇女?

 フランソルはクスッと笑って、腰のホルスターから銃を取り出した。

 マリアに向けると思われたその銃口は、アーヴァイン・ヘルツの方に動いた。

「私の辞書に失敗という文字はありません」

 アーヴァインは、口の端に笑いを浮かべた。それは二人の女の背を凍らせるような、ぞっとする笑みだ。

「故意ということだな」

 フランソルはそんな彼の怒りにも、まったく堪えてないようだった。再び、軽く肩をすくめる。

「だってこの人のことを、皇族だとは思ってませんので」
「自分が何をやっているか分かっているのか?」
 
 アーヴァインが感情の失せた顔を、フランソルに向けた。

 一番信頼している部下に銃を向けられたのだ。

 彼に銃や刃を向けた人間で、今生きている者はいない。

「彼女はあくまでも治安警備艦隊の司令官です。それよりはっきりしていることは……」

 アーヴァインに向けられたと思った銃口はまたずれて、カティラの額を狙っていた。

「おやおや、高額の賞金首、大海賊『月光』の女首領様ではないですか。まさかヘルツ元帥もしくじったのですかな?」

 今度はカティラの顔が青ざめる。

 アーヴァイン・ヘルツは目をむいてフランソルを睨みつけた。

 何もかも、しっかり分かって言っているのだ。アーヴァインはしばし絶句していたが、やがてこの三すくみ、いや四すくみ状態を破るように、ふーっと息を吐いた。

「くそっ、分かったよ。何がどうなっていて、何をどうしてほしいんだ? フランソル」
「銃を下げてください。貴方が大佐……いえ、特進したから中将かな。彼女を撃つなら、私も女海賊を撃たなければなりませんからね」

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