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朝食の席

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「幽霊……ですか?」

 アーヴァインは、夜中の出来事を朝食の席で部下に話した。その反応は、冷たいものだった。

 一瞬相談する相手を間違ったかもしれない、と思ったが、他に信用できて頼りになるものがこの大陸にはいない。

「支配人に聞いた。ここはので有名らしいんだ。特に俺の宿泊している一番いい部屋」

 フランソルはベーコンを頬張りながら話を聞いていたが、この部下、食べている時はほとんどしゃべらない質なので、何を考えているか分からない。

 もぐもぐして飲み込んだ後、じりじりしている上官の前でブラックコーヒーを飲み干す。

「これ、慣れないな。私は紅茶の方が好きです」

 そんなことはどうでもいい! アーヴァインはギリッと歯軋りしながらフランソルを睨みつける。

「嘘だと思ってんだろ」

 フランソルは首を傾げた。それから、ああ、まだその夢の話ですか、と息をつく。どうやら話は済んだと思っていたらしい。

「夢じゃねえよ」
「いや、夢ですよ。セキュリティはちゃんとしている。だから拠点はこのホテルニコロシアにしているんです。胸糞悪い名前ですがね」
「だから、幽霊だって──」

 フッと鼻で笑われた。こいつ殺していいか?

「確かに、この州は最初に入植した植民地の一つ。このホテルは元々その総督府だった建物ですからね。曰く付きであってもおかしくない」
「曰く付きどころじゃねぇよ、俺の部屋は総督の部屋だったんだ。お前の父親と同じく、皇帝ニコロスによって処刑されてる。しかもあの部屋で」

 なんでそんな部屋に泊まっているかというと、アーヴァイン自身、幽霊など信じて無かったからだ。目で見たモノしか信じない。

 でも、見ちゃったの。どうしよう。

 食後の紙煙草をシガレットケースから取り出したので、フランソルは携帯式着火剤で火をつけてやる。実に気の利く男である。

「何日も出るんだぜ。俺が出張中の宿泊先では出ないんだ。俺に憑いているわけでは無いはずだ。部屋に憑いてる」

 フランソルはそっけなく言う。

「ここの州の総督はリッツ・マルソーくらい結婚したくない伊達男だったようで、ずっと独身でしたよ。出た幽霊とやらは女性なんでしょう?」

 アーヴァインは絶句する。それから小さく呟いた。

「いやさ……たぶん、本土の軍に踏み込まれた時にちょうど一緒に居た愛人とか、侍女とかの怨霊だよ」

 歯切れが悪い。自分でも信じられなくなってきたのだろう。

 アーヴァインは憮然としたまま、起きた時の状況も話した。

「朝目覚めたら、全裸だった。だから寒かったんだろうけどよ、体がカピカピだったんだ。ぶっちゃけ、ねばねばしたものがたくさん付着していた」

 彼は周囲を見渡し、給仕や他の宿泊客に聞こえないよう声を低くして言った。

「唾液と、愛液だと思う。だから、幽霊は確実に女だ。総督の愛人だ」
「──大した志も無さそうな死人が怨霊ねぇ」

 どうせなら志半ばに殺された総督の霊が出そうである。フランソルは息をついた。

「だったらなんで部屋を替えてもらわないんです? 少しランクは落ちるけれど、他にもいいスイートが空いてるんじゃないですか?」

 アーヴァインは部下の提案に黙り込む。

「妻があの部屋を気に入っていてな、合鍵を渡してあるんだ」

 妻! フランソルが今度はギリギリと歯を食いしばる。何が妻だ。ほとんど会えてないくせに。

 彼の妻は、祖国の皇帝ニコロス四世の娘であった。

 アーヴァイン含めクーデターを起こした軍部が生き残りの彼女をとっ捕まえて処刑しようとしたのだが、ミイラ取りがミイラになったというか、全員彼女の魅力にノックアウトされ、もうみんなの肉便器でいいんじゃね? となったのに、この男が独り占めしたのだ。

 いや、皇女は救いが無いほどどん底に趣味が悪く、このケツ顎傲慢男にメロメロだったのだ。

 手に入れたかったが、どうしようもなかった。

 フランソルは目を閉じて首を振る。忘れろ、手に入らない葡萄は酸っぱい。

「超遠恋ですものね。今度あの貿易船団がウエスティア大陸に到着するのはいつですか?」
「遅れがなければ、年内には……大晦日には着くはず。新年は一緒に過ごそうと言ってある。だいたい、俺はずっと護衛艦隊を指揮していたかったんだ。あいつをずっと護りたかったのに──」
「けっ」
「ちょっと!? 何その態度!?」
「いえ、白髪が一本あるなぁ、と」
「毛って言った? 本当に?」

 フランソルは笑顔で先を促す。アーヴァインは仕方なく、それ以上の追求は止めた。

「……とにかく、俺が国境線や西部の視察に行っている間に来ちゃったらさ、困るだろ? ここ基本的にオーシャンビューが人気で満室なことが多いし……。変な安宿とかに行っちまったら、強盗に強姦されちゃうかも。俺のマリアたんにそんな苦労かけたくな──おい、さっきから顎に紙ナプキン挟もうとするなよ、入らねぇよっ」

 お前が一番強姦してるんだよ人のこと言えないけどさ、という心の声は押し殺し、フランソルはひきつる顔に無理矢理笑顔を浮かべる。

「今日はライカヴァージニア州に向かうんでしたよね? 兄に──ミシェルによろしく言っといてください」
「あ? お前来ないのかよ」

 東海岸沿いなので、船で行けば一日で到着できる。

「嫌ですよ、チュッチュしてくるんですもん」
「両手両足無いんだからしょうがないじゃないか、優しくしてやれよ」

 ニヤニヤするアーヴァイン。友人の植民地総代のブラコンぶりは知っている。

「で、お戻りは? 明日の夕方?」
「ん? ──あと南部の荘園領主の何人かに会ってくるわ。土壌の視察に来る奴が一人いる」

 フランソルは呆れる。精力的な男だ。

 荘園ごと裏切らせて、コロンディア王国の勢力を割こうとしているのか。だがこの上官の性格を考えると、単に南部産の煙草を安く手に入れたいだけじゃないのか、とも思う。

「私は今日は、溜まった書類整理です。兄は口でしか調印できないので」

 兄ミシェルが信用できるのは、基本的に身内のみ。しかし妻サカガッポアはハンラー族──新大陸の先住民なので、キャッキャしながら国璽にも相当する総代印をあちこちに押して遊びそうなのだ。

 ちなみに、入植域を広げている最中である今、既に独立の準備まで視野に入れていることはこの上官にも言っていない。ミシェルもフランソルも、ケツ顎の気ままな性格を知っているので、どこまで信用していいか分からないのだ。

「ホテルに缶詰めです。よろしければ、今晩だけ閣下の部屋に寝てみましょうか?」

 アーヴァインも基本そうだろうが、フランソルだって幽霊など信じない。

 しかし、世の中には巨大生物や、異能力を持った変な少数民族、妖怪みたいな、半分人じゃないような化け物先住民だって居るのだ。

 幽霊だって居てもいい。自分の邪魔にならなければ。

 問題は、幽霊じゃなかった場合だ。フランソルのように目立たないよう行動している軍人と違い、この男は何かと派手なパフォーマンスに使われてきた。だから護衛を兼ねて、部屋は彼の隣にしていた。

 このケツ顎の部屋に、もし間諜が潜り込んでいるとしたら?
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