上 下
30 / 30
第10章

灰と少女のグリザイユ③

しおりを挟む
 クーデターの間はどこへ身を隠していたのか、いつの間にかもどって来た三人の元老院とウツギに囲まれた円卓で、アニスはもぞもぞと身をゆらしていた。アニスをふくめての初めての議会である。
 自分も議席のひとつにすわっているのだが、上座であるうえに恐ろしく背もたれの高い豪奢な椅子で居心地の悪さときたらない。
 おまけにサーブされた割れそうに薄いティーカップは、ハンドルがせま過ぎて指が通らず、さっきから飲むのに苦戦している。
 
 心の支えといったら、シュウカイドウが同じ円卓の対極にいることくらいだ。
 そのシュウカイドウは、さっきからまじまじと元老院を観察していた。
(あの三人、どこかで見たことが……)
 そんな若者ふたりとは対照的に、ウツギはうきうきと議長を務めていた。
「では、来月の戴冠式についてだが、アニス王女」
「へっ?」
 青くなって、アニスは思わずティーカップをがちゃんとソーサーに置く。

「あ、あの、戴冠って、わたしまだ未成年ですけど……」
「もちろん、王女が成人するまでは、議員と元老院でフォローする」
「わたし、王さまのお仕事なんてわかりません!」
「なあに、現場に出ればそのうち慣れるから」
 ウツギは軽い口調で国務をぽんと投げて来る。
(そんな、工場の業務と同じこと言われても!)

「ちょ、ちょっと待って下さい」
 キャッチボールのように続くふたりの応酬を見ながら、シュウカイドウが挙手した。
「父上、ほかの議員の意向も聞いてみては」
 ここ二ヶ月で見違えるように頼もしくなった息子にたじろぎながら、ウツギはコホンと咳払いをし、元老院のひとりに発言を委ねた。

「では戴冠はさておき、まずはアニス殿が国の長にふさわしいかどうかを見定める必要がある。王女自身がお開けになったドームの処置について、お考えを頂きたい」
 ウツギは余計なことを、という苦い顔で元老院を睨み、アニスも若干責められている雰囲気を感じとり、やや尻込んだ。
 
 どう、返せばいいだろう。ここで論破することに意味はない。かといって、言いくるめられるつもりもない。
(自分の感覚を信じろ)
 ツバキの声が胸に湧いた。
(そう、自分が信じたことを、まっすぐ伝えるんだ)
 
 アニスは立ち上がり深呼吸をすると、円卓を見回し丁寧に述べ始めた。
「ドームを──クーデターを止めるためとはいえ、グレーターの許可なく勝手に開けてしまったことは謝ります。でもわたしは、この国にドームは必要ないと思います」
 とたんに一同がどよめいた。さすがのシュウカイドウも動揺している。

「歴史ある桜城が灰で汚れてもいいということですかな。聞き捨てなりませんな」
「まったく。ゆゆしき発言です」
「待って下さい。最後まで王女の話を聞いて下さい」
 ざわつき出した元老院を鎮めるように、シュウカイドウが助け舟を出す。ウツギはおろおろと事の成りゆきを見守るばかりだ。

「混乱させてしまい申し訳ありません。ただわたしが言いたいのは──ひとはおのずから自分で幸せになる力を持っている、ということです。みなさん、あけノ島を訪ねられたことはありますか?」
 みな一様に首をふる中、ウツギが肩をすくめる。
「一度視察に行ったことはあるが、ひどい場所だ」
「でもわたし、あけノ島やスクラップへ行ってわかったんです。なぜひとはこんな不便な場所を出て行かないのか。それは、この国が好きだからなんです」
 いきいきと語るアニスに円卓の視線が集まる。

あけノ島は功罪の島です。住民は灰と共存して生きています。国が灰に埋もれても、そこから芽吹く木があるように、ひとは決して滅びません。施設によってはドームも必要でしょう。でもそろそろ、わたしたちも本物の空の下で暮らしませんか」
 もう誰も口を挿む者はおらず、アニスは笑顔で話をしめくくった。
「わたし、灰都ハイトに行って本当によかった」
 
 話を聞き終えると、三人の元老院は揃って席を立った。
「──長かったですな」
「いや、本当に」
 何かまずいことを言ってしまったかと、アニスは戸惑って引き止める。
「あ、あの、みなさん……!」
 去ってゆく三人の後をあわてて追うアニス。地下まで来たとき、ひとりがふり返ったかと思うと、
「ようやく我々もこれで引退できますよ」 
 と、一言を残し姿をかき消した。
 
 アニスたちは、ぽかんと三人を見失った辺りに立ち尽くす。シュウカイドウがはっと声をあげた。
「あっ、やっぱり……!」
 彼らが消えた場所には、碑文が彫られた石碑が建っていた。
 三人の元老院によく似た、のレリーフとともに──

「ま、まさか……!」
 ウツギがあわあわと腰を抜かし、石碑を凝視する。
 代は変われど、元老院ははるか昔から同じ一族が治めてきた。
「ずっと、城を、我々を見守っていたのか……」
 
 千人目の世継ぎは王国を開く者──
 実は数えたウツギしか知らないことではあったが、千人目となる王家の子は、アニスではなくシュウカイドウだったのだ。
 息子に玉座を任せる気がなかったウツギは、あえて偽って報告していた。当然、三賢者たちは知っていた事実であろうが。
 
 シュウカイドウが、父親の腕を力強く取って立たせた。
「──父上、この碑に誓うよ。ぼくもこの国を作る礎になるって」
(……碑文は真実だったのだな)
 彼らの手の上で踊らされていたかと思うと少々悔しくはあるが、すっかりたくましくなったシュウカイドウを見上げ、ウツギは満足げに諦念の笑みを浮かべた。
「とりあえず、我々もマスクとゴーグルを常備せねばな」
 
 数日後、城の図書館では、残った謎解きに挑むシュウカイドウがいた。アニスも協力すると言ってきたのだが、これはひとりで解きたかったのだ。
『重くて軽い、長くて短い、苦くてあまい。それなんだ?』
(今ならわかる、これが答えだ)
 ブロックに書き込むと最後の階層が開き、図書館に膨大な書庫が現れた。
 シュウカイドウが喜びに天に向かって両手を仰ぐ。
 少しだけつらいが、大丈夫。みんな知ってる、みんな持ってるんだ、この気持ちは。
 そう、答えは──


 二一三〇年 五月某日 王の日記より
 図書館の答えが解かれたとき、この国は少し変わるだろう。そのときわたしがこの世にいなくても、国を愛する者がいればいい。
 この、灰で汚れた王国を──
(これが最後のページとなる)

「配転……か。ま、あんだけ騒ぎを起こしたんだし当然だよな。別にいいけどよ」
 王女を見つけ出した功績をさし引いても、指名手配されたり車を盗んだり塔牢を破壊したりと(そこは自分のせいではない気もするが)、ツバキの失態は始末書だけでは済まされなかった。
 無事賞与は出たものの、リクドウ卿への借金の返済と塔牢の修理でほぼ使ってしまった。
 
 結局ツバキはレイチョウの代打として、例の副業を担いながらのスクラップ勤務となった。見送りのプラットホームで、餞別のようにレイチョウが『アカザ』のバンダナをツバキに託す。
「若いうちの苦労は買ってでもしろと言うからな」
「……へいへい、お言葉痛み入ります。でも少佐が灰都に行かなくなれば、チビがさびしがりますよ」
「アオイは、コミューンの美術学校に入れることにした。休暇には、そっちに連れてもどる。お前は心配せずに業務に励め」
 相変わらず高圧的な笑みのレイチョウに今度はしっかり敬礼すると、ツバキはひとり列車に乗った。
 
 遠ざかってゆく『丘』を見ると今や蓋のように覆いかぶさっていたドームはなく、城は灰の中、まっすぐと新芽のように天にのびていた。
 ぼんやりと車窓の外を眺めていると、ふいに通路から声をかけられる。
「おとなり、いいですか?」
「ええ、いいっスよ──」
 
 ふり返ったツバキは、シートがひっくり返りそうになるほど仰天した。
 大きなトランクを下ろし、白衣のアニスが照れたように笑って通路に立っている。
「おまっ……アニ……いや王女!?」
「えへへ、わたしも来ちゃいました」
「来ちゃいました、じゃないだろ! 何やってんだ!」
 額にだらだらと汗を流すツバキにおかまいなしに、アニスは荷物を備えつけのラックに上げる。

「スクラップ地区に面する湾が、輝安鉱の採地だって明らかになりましたよね。王の後を継いで、レアメタル応用学の研究をするために来たんです。鉱床はX線の調査で──」
「いや、説明はいい、いい。どうせよくわかんないから」
「そうですか。とにかく、これで灰都も以前より経済が安定すると思います。マンホールタウンの住民のひとたちも、地上でお仕事できそうなんですよ」
「そうか、そりゃよかった……いやそれはともかく護衛はどうした!」
「あら、スクラップ駐在の気鋭の近衛兵がいるじゃないですか。ここに」
 平然とアニスはツバキを見る。
「いやいやいや……研究員だって他にもいるだろ? なんでわざわざあんたが、ここに来るんだよ!?」
 シートにじりじりと後退るツバキに、アニスは真面目な顔で答えた。

「……そばにいたかったから」
「へ?」
「リクドウさんの──そばにいたく、って……」
 アニスの顔がぐしゃりとゆがむ。堰き止められていたダムが崩壊するように、込み上げる嗚咽を抑えきれず、アニスは泣きじゃくった。
 わけがわからずツバキは放心・硬直する。

「……お、王国は?」
「ひっく……シュ、シュウカイドウさまが継ぎます。海外の大学に留学して、何年か後ですけど。わ、わたし、わたしは……」
 説明するそばから、また涙が出てくる。アニスはもうまわりも気にせず、ツバキの胸に飛び込んでわんわんと大泣きした。
「リクドウさんのそばにいたいんです。お仕事の邪魔はしません。だめですか? わたしがいっしょに行っちゃ、だめですか?」
「……いや、別にだめじゃない」
 ツバキは一度だけ、ぎゅっと力を込めてアニスを抱きしめた。
 だがそこは人目があるので、アニスの肩越しの乗客に気まずそうに苦笑いを送る。
 
 抱きつかれたまま一時間。いくつものトンネルを抜け、再び灰の街が近づいて来る。
 相変わらずの曇り模様でも、ふたりは広がる空のまぶしさに、思わず笑って目をつぶった。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...