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第10章
灰と少女のグリザイユ②
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アニスの身柄は桜城に移されることになり、翌日アニスは聖マツリカ女学院へあいさつへ行った。
正式な発表はされていないものの、アニスが護衛をともなってもどって来たので学院は大騒ぎになった。
大臣が学長に報告している間、アニスは馴染みの舎監室へ向かう。
シスター・シキミはおおよその話は聞いているらしく、お茶を出して迎えてくれた。
「よかった、というところかしら。あなたはもっと広い世界へ出て行くべきだわ」
アニスはカップを置いて、小さな頃から一番近くにいた舎監をじっと見つめた。
「シスター・シキミ、あなただったんですね」
「何の話?」
「これ、王の遺品にありました」
アニスは、色褪せて破れかけた写真をわたした。
シスター・シキミは写真を手にとって一瞥したが、興味がないようにすぐにテーブルにもどす。
「これが、何だというの?」
色眼鏡の奥からは何の感情も見られない。
「亡くなった王が愛したひとは、あなたでした。シスター、あなたも王を愛していましたか? わたしの父を」
シスター・シキミはめずらしく少し苛立ったように、眼鏡のブリッジをおさえる。
「確かに、わたしが昔桜城に勤めていたことは事実です。でも、そんなことを聞いてどうするのかしら。もう、王はいないというのに」
「王も亡くなって、今はわたしの母だったスイレンもいません。誰を好きだったとしてももう誰にも迷惑をかけないわ、教えて下さい」
アニスはポケットから、ひとつのペンダントをさし出した。
シスター・シキミの目尻がわずかに動く。明らかに、見覚えのある表情だった。
「王の部屋で見つけたんです。日記といっしょにありました。王の日記は、名前は書かれていなかったけれど、あるひとのことばかりでした。多分あれはあなたのことです。ドーム開閉のパスワードもシスター、あなたの名前だった。これ、シスターが持っていて下さい。石言葉は『あなたを思う』です」
灰色の月長石。それは遠い昔、一度は彼女に贈られたプレゼント。
ペンダントを取ったふるえる手に、ぽたりと一滴涙が落ちた。
「シスター……」
「長いこと、あなたに王の面影を見ていた……」
シスター・シキミは静かに涙を伝わせながら、記憶の王と同じ、アニスの金色の目を見つめた。
「いつも逃げてばかりで、わたしは愚かだった。でも、今なら愛を理解できる。アニス、あなたも好きなひとができたのね。わかるわ、とても素敵になった──」
我が子のように抱きしめられ、アニスの目にも涙があふれた。
小さな頃からそばで馴染んでいた、ツンとしたハーブの匂い。
家族はなかったけれど、自分は生まれたときから愛に包まれていたのだと、アニスはようやくわかった。
「あなたは、後悔のないよう生きて──でも、そうね」
シスター・シキミは、もう一度アニスの顔をのぞくと、涙目で笑いながらささやいた。
「次に会うときは、少しはレディになっているといいのだけれど」
シュウカイドウの退院の日、久しぶりにアニスはツバキと顔をあわせた。
シュウカイドウがアニスとツバキ、ハッカを食事に誘ってくれたのだ。いろんな手続きや引っ越しやらで、会うのは実に二週間ぶりとなる。
アニスを連れコミューンの繁華街に行くというシュウカイドウに、ウツギは難色を示したが、帰りは迎えをよこすということでなんとか了承を得た。
にぎやかなアジアンレストランで、四人は再会を祝って乾杯をする。
「きみたちには世話になった」
「いえ、わたしこそ……もう大丈夫なんですか?」
「ああ、大事ない」
心配そうにシュウカイドウを見るアニスは、今日はきちんとプレスされたワンピースを纏い、ほんのり化粧もしている。
ツバキは正視しつつもコメントに困った。
「……何か、アニス博士、いつもと違うな」
(そこはきれいですね、だろ。ツバキ。口下手かよ!)
小声で突っ込むハッカもひと苦労だ。アニスは照れながら慣れない装いに下を向いた。
「出かけるって言ったら、勝手にスタイリングされたんです」
「うむ、退院したらアニスがきれいになっていたのでぼくも驚いた」
「さすがセレブ、ほめ上手だ……」
ハッカもつい感動して声に出してしまう。
そんな和やかな雰囲気の中、シュウカイドウが改まってグラスを置いた。
「母上のことだが……ぼくにも責任がある。遺族には、一生かけて償うつもりだ──だからアニスも、ぼくにできることならなんでも言ってくれ」
そう伝えられ、アニスは自分も遺族なのだと思い出した。
学院を訪れた日、シスター・シキミは、スイレンは城の刺客に追われ亡くなったのだと言った。おそらく、彼女の出産に気づいたユウカゲが手を下したのだろう。
ただ今は、誰を恨む気にもなれない。自分は護られながら成長し、かけがえのないひとたちとの出会いもあったからだ。
シュウカイドウが会計をすませている間、ハッカがツバキに耳打ちをする。
「いいか、ツバキ。シュウカイドウさまのスマートな口説きを見習えよ」
ツバキがふり返ると、ハッカはシュウカイドウをともなって店を出るところだった。
「シュウカイドウさま、この先に新しい回転焼きの店ができたんです。よろしかったらお土産に──あ、アニス王女はタコ焼きを、ツバキがいっしょに買って参ります」
せわしく去って行くハッカたちから取り残されたふたりは、顔を見あわせとりあえず街を歩き出した。言われた通りタコ焼きは買ったもののどこへ行くあてもなく、雑踏を抜けた公園のベンチに腰を下ろす。
何を話せばいいかわからず、ツバキはぽりぽりと顎をかきながらつぶやいた。
「……王子、アニスって呼んでたな」
「わたし、アニスですから」
「そーいうことじゃなくてだな」
大きな目で不思議そうにのぞかれ、ツバキはぐっと息を呑んだ。
「ア、アニ……アニサキスってなんだ」
「魚介類につく寄生虫です。感染しちゃったんですか?」
「なわけねーだろ」
ツバキの話はよくわからなかったが、以前も灰都でこんなことがあったなと、アニスはくすりと思い出し笑いをした。
こんな他愛のない話をする機会は、これからはもうないだろう。
「リクドウさんは、わたしにとって勇者です」
「──なんだ? いきなり」
呆れたように片眉を下げるツバキを、アニスはまっすぐに見る。
「だって、二度もわたしを助けてくれたじゃないですか」
「あー……憶えてないのか。アニス博士も二度、おれのこと助けてるんだぜ。ほら、灰都のビルで一度目は机の山崩してさ。二度目は、偽ウサギから躰はっておれをかばってくれた。工場を救い、国を変え、ほんとの勇者ってのは、あんたみたいなやつをいうんだ」
ツバキは笑い出しそうな口許で言った。
照れたような、くすぐったいような、ほめられた子どものような笑顔。
アニスはとたんに切なくなり、ぎゅっと鳩尾をおさえた。
「あ、あの、リクドウさ──」
言いかけたとき、通りの向こうに黒のロールスロイスが見えた。
「──お迎えだ」
ツバキはすっと立ち上がると、
「じゃあ……いや、どうか元気で──」
片膝をつき、アニスの前で深々と頭を垂れた。
目の前にいる者に途方もない隔たりを感じ、アニスはこれほど悲しかったことはなかった。
黒服が見守る中、アニスとシュウカイドウは静々と車へ乗り込む。
ツバキは心の中で素直に祝った。
(よかったな、アニス博士)
アニスがどんなに遠い存在になろうと、その気持ちに変わりはなかった。
これからは、近衛兵として護衛していけばいいだけだ。
正式な発表はされていないものの、アニスが護衛をともなってもどって来たので学院は大騒ぎになった。
大臣が学長に報告している間、アニスは馴染みの舎監室へ向かう。
シスター・シキミはおおよその話は聞いているらしく、お茶を出して迎えてくれた。
「よかった、というところかしら。あなたはもっと広い世界へ出て行くべきだわ」
アニスはカップを置いて、小さな頃から一番近くにいた舎監をじっと見つめた。
「シスター・シキミ、あなただったんですね」
「何の話?」
「これ、王の遺品にありました」
アニスは、色褪せて破れかけた写真をわたした。
シスター・シキミは写真を手にとって一瞥したが、興味がないようにすぐにテーブルにもどす。
「これが、何だというの?」
色眼鏡の奥からは何の感情も見られない。
「亡くなった王が愛したひとは、あなたでした。シスター、あなたも王を愛していましたか? わたしの父を」
シスター・シキミはめずらしく少し苛立ったように、眼鏡のブリッジをおさえる。
「確かに、わたしが昔桜城に勤めていたことは事実です。でも、そんなことを聞いてどうするのかしら。もう、王はいないというのに」
「王も亡くなって、今はわたしの母だったスイレンもいません。誰を好きだったとしてももう誰にも迷惑をかけないわ、教えて下さい」
アニスはポケットから、ひとつのペンダントをさし出した。
シスター・シキミの目尻がわずかに動く。明らかに、見覚えのある表情だった。
「王の部屋で見つけたんです。日記といっしょにありました。王の日記は、名前は書かれていなかったけれど、あるひとのことばかりでした。多分あれはあなたのことです。ドーム開閉のパスワードもシスター、あなたの名前だった。これ、シスターが持っていて下さい。石言葉は『あなたを思う』です」
灰色の月長石。それは遠い昔、一度は彼女に贈られたプレゼント。
ペンダントを取ったふるえる手に、ぽたりと一滴涙が落ちた。
「シスター……」
「長いこと、あなたに王の面影を見ていた……」
シスター・シキミは静かに涙を伝わせながら、記憶の王と同じ、アニスの金色の目を見つめた。
「いつも逃げてばかりで、わたしは愚かだった。でも、今なら愛を理解できる。アニス、あなたも好きなひとができたのね。わかるわ、とても素敵になった──」
我が子のように抱きしめられ、アニスの目にも涙があふれた。
小さな頃からそばで馴染んでいた、ツンとしたハーブの匂い。
家族はなかったけれど、自分は生まれたときから愛に包まれていたのだと、アニスはようやくわかった。
「あなたは、後悔のないよう生きて──でも、そうね」
シスター・シキミは、もう一度アニスの顔をのぞくと、涙目で笑いながらささやいた。
「次に会うときは、少しはレディになっているといいのだけれど」
シュウカイドウの退院の日、久しぶりにアニスはツバキと顔をあわせた。
シュウカイドウがアニスとツバキ、ハッカを食事に誘ってくれたのだ。いろんな手続きや引っ越しやらで、会うのは実に二週間ぶりとなる。
アニスを連れコミューンの繁華街に行くというシュウカイドウに、ウツギは難色を示したが、帰りは迎えをよこすということでなんとか了承を得た。
にぎやかなアジアンレストランで、四人は再会を祝って乾杯をする。
「きみたちには世話になった」
「いえ、わたしこそ……もう大丈夫なんですか?」
「ああ、大事ない」
心配そうにシュウカイドウを見るアニスは、今日はきちんとプレスされたワンピースを纏い、ほんのり化粧もしている。
ツバキは正視しつつもコメントに困った。
「……何か、アニス博士、いつもと違うな」
(そこはきれいですね、だろ。ツバキ。口下手かよ!)
小声で突っ込むハッカもひと苦労だ。アニスは照れながら慣れない装いに下を向いた。
「出かけるって言ったら、勝手にスタイリングされたんです」
「うむ、退院したらアニスがきれいになっていたのでぼくも驚いた」
「さすがセレブ、ほめ上手だ……」
ハッカもつい感動して声に出してしまう。
そんな和やかな雰囲気の中、シュウカイドウが改まってグラスを置いた。
「母上のことだが……ぼくにも責任がある。遺族には、一生かけて償うつもりだ──だからアニスも、ぼくにできることならなんでも言ってくれ」
そう伝えられ、アニスは自分も遺族なのだと思い出した。
学院を訪れた日、シスター・シキミは、スイレンは城の刺客に追われ亡くなったのだと言った。おそらく、彼女の出産に気づいたユウカゲが手を下したのだろう。
ただ今は、誰を恨む気にもなれない。自分は護られながら成長し、かけがえのないひとたちとの出会いもあったからだ。
シュウカイドウが会計をすませている間、ハッカがツバキに耳打ちをする。
「いいか、ツバキ。シュウカイドウさまのスマートな口説きを見習えよ」
ツバキがふり返ると、ハッカはシュウカイドウをともなって店を出るところだった。
「シュウカイドウさま、この先に新しい回転焼きの店ができたんです。よろしかったらお土産に──あ、アニス王女はタコ焼きを、ツバキがいっしょに買って参ります」
せわしく去って行くハッカたちから取り残されたふたりは、顔を見あわせとりあえず街を歩き出した。言われた通りタコ焼きは買ったもののどこへ行くあてもなく、雑踏を抜けた公園のベンチに腰を下ろす。
何を話せばいいかわからず、ツバキはぽりぽりと顎をかきながらつぶやいた。
「……王子、アニスって呼んでたな」
「わたし、アニスですから」
「そーいうことじゃなくてだな」
大きな目で不思議そうにのぞかれ、ツバキはぐっと息を呑んだ。
「ア、アニ……アニサキスってなんだ」
「魚介類につく寄生虫です。感染しちゃったんですか?」
「なわけねーだろ」
ツバキの話はよくわからなかったが、以前も灰都でこんなことがあったなと、アニスはくすりと思い出し笑いをした。
こんな他愛のない話をする機会は、これからはもうないだろう。
「リクドウさんは、わたしにとって勇者です」
「──なんだ? いきなり」
呆れたように片眉を下げるツバキを、アニスはまっすぐに見る。
「だって、二度もわたしを助けてくれたじゃないですか」
「あー……憶えてないのか。アニス博士も二度、おれのこと助けてるんだぜ。ほら、灰都のビルで一度目は机の山崩してさ。二度目は、偽ウサギから躰はっておれをかばってくれた。工場を救い、国を変え、ほんとの勇者ってのは、あんたみたいなやつをいうんだ」
ツバキは笑い出しそうな口許で言った。
照れたような、くすぐったいような、ほめられた子どものような笑顔。
アニスはとたんに切なくなり、ぎゅっと鳩尾をおさえた。
「あ、あの、リクドウさ──」
言いかけたとき、通りの向こうに黒のロールスロイスが見えた。
「──お迎えだ」
ツバキはすっと立ち上がると、
「じゃあ……いや、どうか元気で──」
片膝をつき、アニスの前で深々と頭を垂れた。
目の前にいる者に途方もない隔たりを感じ、アニスはこれほど悲しかったことはなかった。
黒服が見守る中、アニスとシュウカイドウは静々と車へ乗り込む。
ツバキは心の中で素直に祝った。
(よかったな、アニス博士)
アニスがどんなに遠い存在になろうと、その気持ちに変わりはなかった。
これからは、近衛兵として護衛していけばいいだけだ。
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