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第10章

灰と少女のグリザイユ①

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 二一一四年 十月某日 元侍女の日記より
 訪ねて来たのは、スイレンだった。彼女は乳児をかかえ、城の刺客に追われて来たと言った。
 わたしには、誰の子かすぐにわかった。あのひとに似た、好奇心旺盛な金色の瞳。
 赤ん坊をわたしに託し、彼女は亡くなった。最期まで謝りながら……

 レイチョウの下士官たちの働きで、蜂起した近衛兵は捕まり、城は明け方には平穏を取りもどした。
「閣下、城内の暴動は鎮圧を確認、スクラップの徒党らも引きわたしました」
 ウツギに敬礼をするレイチョウに、イチイが罵声を浴びせながら警察軍に連れられてゆく。
「野郎、すましてんじゃねえ、コラァ!」

「それとやつら、こちらも隠し持っておりましたので、奪還いたしました」
 レイチョウが、金の万年筆をさし出す。
「む。これはシュウカイドウのものではないか。いつの間に盗んだのだ」
 不思議そうに首をかしげるウツギの背後から、なおもイチイの雑言が追いかける。
「このハイイロウサギ! しらばっくれてんじゃねえぞ!」

「? やつはさっきから何を言っているのだ? レイチョウ」
「わかりかねます。違法の服薬等で酩酊しているのでは」
 ツバキとふたりして堀に落ちたためびしょぬれではあったが、顔色ひとつ変えずに答えるさまはさすがだ。

(……やっぱ腹黒いわ、こいつ)
 呆れた半目で彼らを遠巻きに見るツバキの横では、アニスもぽかんと半口を開けたまま立っている。
「……まさか、アカザさんがレイチョウ少佐だったなんて」
「カシはあいつの城の従者なんだとよ」
「ツバキ、上官をあいつ呼ばわりするんじゃない」
 ハッカが眉をしかめる。

「だってよォ、アカザ──少佐のやつ、おれたちのこと騙してたんだぜ?」
「いいじゃないか。スクラップを活気づけたいと、レイチョウの家系が自警団も兼ねて代々続けている副業なんだそうだ。わざわざ有給を使ってな」
 感心したように腕を組むシュウカイドウに、ツバキがひねた口調で冷笑した。
「『ハイイロウサギ』が、ですかァ?」
「──ほう? 何か文句でもあるのか?」
 突然後方から湧いた低音に、ツバキが思わず飛び上がる。

不正規連隊イレギュラーズと謳っておいたほうが、犯罪の多い灰都では動きやすいんだよ。お前も危険な目に遭ったからわかるだろう」
 落ちてくる髪をかき上げる仕草はやはりアカザだが、ツバキはなんとも居心地が悪い。そんなツバキをくすりと笑うアニスに、桜城の大臣が声をかけて来た。
「では、参りましょうか」
 アニスはDNA鑑定のためのサンプルを提出するため、城へ泊まることになったのだ。

「──行って来ます」
「がんばれよ」
 何度も後ろをふり返り、大臣につき添われて行くアニスの後ろ姿を、ツバキはじっと見守った。
 そんな相方に呆れながら、ハッカが腕をのばし息をつく。
「鑑定くらいで心配して大げさだなあ。でもやっと、一段落ついたってとこかな」
「いや、まだ終わりじゃないんだ、ヨシノ」
 シュウカイドウはハッカに目線を送り、ツバキと互いにうなずいた。
 
 鑑定のためのサンプルを提出し、アニスは案内された客室でひとを待っていた。城からウェルカムドリンクがあるという。
 ほどなくしてノックの音がし、王室御用達のワインを持って入って来た人物を、アニスは部屋に招き入れた。

「まあ、上等なお酒ですね。ありがたいんですけど、わたしまだ未成年なんです。え? 薄めてシロップをまぜるとおいしい? そうですか、では少しだけ」
 小型のソムリエナイフで、キャップシールを開ける女性。
 ふたりが向かいあってすわったサイドテーブルで、白く美しい指で摘んだステムがアニスにわたされる。ゆらりと柘榴色の液体がゆれ、芳醇な香りが立ち昇った。
「桃のようにあまい香り。でも……」
 アニスはくんと鼻を鳴らすと、困ったようにグラスをテーブルに置いた。

「すみません、毒入りのワインは飲めません」
 思わずはっと肩が上がったドレスの背後から、カーテンの陰に隠れていたシュウカイドウが現れる。

「──

「シュ、シュウカイドウ、なぜ……」
 ユウカゲはよろめくように後退った。同じく窓際に身を潜めていたハッカが素早くワインとグラスを回収し、ツバキが鼻によせる。
「この匂い、おれも知ってるぜ。これは灰都の工場で嗅いだ──」
「ニトロベンゼン」
 アニスは憂えるように答えた。ハイト油脂の石けん、Sー2タイプの香りだ。

「有毒ですが、ニトロベンゼンの桃に似た香りは香料としても使われるんです。水には溶けにくいけれど、アルコール──そう、ワインなら……」
「母上、叔父上を毒キノコで殺害したのも、母上なんですね。どうして……」
 青ざめるユウカゲを、息子は悲しみと憤りのまなざしで見つめた。
 理由は聞かなくてもわかっていた。亡くなった者も狙われた者も、玉座に関係する人物だからだ。
 
 そもそもクーデターを企んでいたハオウジュ将軍に、わざわざ王を殺す理由はない。それに元医師である彼女なら、毒物にも詳しく薬品の入手も可能だ。
 ユウカゲはうなだれ、くうを見つめつぶやいた。
「……王が亡くなれば、ウツギがこの国を継ぐものだと思っていたわ。それなのにあのひとは継承をいやがるばかりか、あなたに任せる気もない。そうこうしているうちに、ハオウジュ将軍が王女だという少女を連れて来て……」
「──殺したんですね」
 ハッカがやりきれない顔でユウカゲを見下ろす。

「あなたたちの話で、リクドウが王女を見つけたと聞いたわ。刺客を放ったけれど、リクドウたちにはグレーターから逃げられて、それならと、彼を偽の王女の殺人犯に仕立てることにしたの」
「だが、まさかハオウジュ将軍が、クーデターを起こすとは思わなかったんだろ」
 不快に言葉を継ぐツバキにはうわの空で、ユウカゲはぽつりとつぶやく。
「ええ、本当に。こんなことなら、あの男を一番に消しておけばよかった」
「母上、なんて馬鹿なことを……!」
 シュウカイドウは片手で顔を覆って嘆いた。

「あなたのためよ、シュウカイドウ」
 なだめるようにすがるユウカゲを、シュウカイドウの手が強く払った。
「違う、ぼくのためなんかじゃない。母上はいつも自分しか見ていない! ぼくは叔父上が好きだった、この子のことだって──!」
 それは、シュウカイドウが初めて感情をあらわにする対象への嫉妬だったのかもしれない。
 ユウカゲの表情に絶望が走り、それは憎しみとなってアニスを襲った。

「母上!」
 ──カラン、とソムリエナイフが床に落ちる。
 腹部を抑え膝を折ったのは、アニスをかばった息子のほうだった。
「シュウカイドウさま!」
 アニスがシュウカイドウを支え、ツバキとハッカがユウカゲを拘束する。待機していたレイチョウが踏み入り、ユウカゲは呆然としたまま警察軍に連れて行かれた。

「──王子、たいした傷じゃないってさ」
「そう、よかったです……」
 翌日、グレーターの病院でシュウカイドウの容態を聞いたツバキたちは、ようやく胸をなで下ろした。
 だがアニスの表情は、こわばったまま晴れない。

「自分のせいだって思ってんのか?」
 いたたまれなくなったツバキがアニスに声をかけると、
「いや、きみのせいではない。わたしのせいだ」
 病室のドアが開き、出て来た人物がいた。

「あァ? そーだよ、奥方の暴走を止められなかったあんたのせいだろ、閣下!」
 カッとなったツバキが、ウツギの胸ぐらをつかむ。
「やめろよ、ツバキ」
 ハッカが止めるのも聞かず、ツバキは食ってかかる。
「うるせー! ここが『丘』じゃなきゃ、このモヤシ野郎ってつけ加えるとこだ!」
 血が昇ったツバキを下がらせ、頭をかかえながらもハッカは自分が前に出た。

「申し訳ありません。でも……ぼくも意見できる立場ではありませんが、もっとシュウカイドウさまのこと、理解してあげてほしいです」
「ああ……そうだな。その通りだ。自分のことで精一杯で、これまで家内のことにも息子のことにも、あまりに無関心だった」
 ウツギは何年分かに相当するような長いため息をつき、アニスを見た。
「……だが、シュウカイドウはどうやら我が姪を護ったらしい」
「え、それって──」

「DNA鑑定の結果、故灰桜カイオウ国王はアニス・リィの──『生物学上の父親である』と証明された」
 ウツギは驚く三人に、遺伝子鑑定センターからの通知を見せた。
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