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第8章
アニス、地下街へ行く③
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捕まった人物は、スクラップの住民だった。
地下のマンホールタウンは、基本違法である。なかなか沈静化できないまつろわぬ民を一掃するため、両グループを戦わせ壊滅させる作戦だったという。
これまで息巻いていた両リーダーは停戦するとともに、自分たちの将来を真剣に考え始めた。
「……まあ、いつまでもこのままってわけにもいかねえよ」
「クコたちのためにも、ちゃんとした仕事を探さないとな」
「そういえばあのおじさん、仕事があるって言ってたのにね」
クコが思い出したように、兄を見上げる。
「それは、わたしと同じように、ここが気になって入って来たひと?」
「うん、ひと月くらい前かな。海に宝物を探しに来たっていう、変なおじさんがいたんだ」
「宝物?」
とたんにわくわくと聞き入るアニスを、呆れたように男たちが笑う。
「なんでも、ここの海底の泥には宝が眠ってるんだと。このポイントを拠点に調査をしたいから仕事に協力してほしいと頼まれたが、それきりだよ」
なぜその男はすんなり地下へ入れてもらえたのか、アニスが不思議に考えていると、クコが巻いていたバスタオルを広げて見せた。
「そのひと、これ、くれたんだ。あれも」
兄の首の、シルクのネッカチーフを指さす。
古びたコーディネートの中で、確かに首回りだけ後づけ感があった。
手下がニヤニヤ笑っているところを見ると、さしずめ「それをよこせば通してやる」とでも言ったのだろう。
リーダーは知らん顔だが、クコ曰く、顔を隠すようにバスタオルを被った『変なおじさん』だったそうだ。
(何者だろう、どこかの大学教授かしら)
だが、海底の泥に眠る『宝』に、アニスはおおよその予測がついていた。
ここスクラップは、緋ノ島を眼前に臨む地区である。その湾には、気象庁が活火山に指定したカルデラの主要火口があり、約200度の熱水噴出孔が発見されている。
つまり、海底火山が生まれた海で、火山ガスが溶け込む酸性水塊の泥は、ある鉱物をふくむ鉱床の可能性が高いのだ。
アニスはすぐにでも調べたくなったが、今優先すべきことは別にある。
ふたりのリーダーは、両グループ総出でアニスを快く見送ってくれた。
「あんたには、クコともども世話になったな」
「今度来たら、手ぶらでも入れてやるぜ」
クコはいっしょに地上へ出て、アニスを途中まで案内してくれた。
「ここから北上すれば『丘』が見えてくるよ。近道──は海沿いの線路だけど、今はもう埋立地だから、気をつけてね」
「ありがとう」
「また会えるといいな、アニス!」
クコに手をふり、再び防具をつけると身が引きしまる。一度は刺客に狙われた身なので、できれば最短ルートで行きたい。
アニスはもと来た道からまた歩き始めた。ほどなくして、切れたと思っていた線路が再び現れた。
先を見わたせば、レールはところどころ灰に埋もれ、見えなくなっていただけだとわかった。
「よかった、線路はまだ残っていたんだわ。枕木やレールは再利用できるものね。これを辿っていけばいいわ」
アニスは安心して足を足を踏み出した。しかしその一歩は──
ずっ、と灰に足を捕られ、アニスは蟻地獄のような窪みにはまった。
(──流砂!)
さらさらとゆっくり、灰はアニスを呑み込んでゆく。その緩慢なうねりが、なおさら恐怖を呼び起こした。
「誰か、助けて!」
線路の先が消えていた訳を、なぜ予測しなかったのか。流砂で陥没したのだ。
(流砂に落ちたら焦ってもがいてはだめ。まず砂に面する体積を広げ、上体を横に──)
言い聞かせたが、知識の通り行動できるとは限らない。特に、精神の鍛錬ができていないアニスには無理だった。
「誰か、誰かあーっ!」
必死になってレールの先をつかむ。だが灰の中から見えない力に引っぱられるようで、腕だけで支えるには躰が重すぎた。ずるずると漏斗のすぼまりに引き込まれ、ついに口にも灰が入ってくる。
(アンタはどっちの魚だい?)
ふいに、コミューンの老爺の声が聞こえてくる。
自由になった魚は外の世界で生きてゆけず、灰の海で溺れて死ぬのだろうか。
(助けて、リクドウさ……)
耐えきれず、手がレールを離れた。
遠くから、轟音とともに砂塵が近づいて来るのが、かすむ視界にぼんやりと見える。
(砂嵐……?)
途切れそうな意識の中、突然砂塵の中からサンドバイクが現れ、強い腕が埋まりかけたアニスを引き上げた。
「──アニス博士!」
アニスを抱いた人物は、そのまま平地へバウンドして転がる。咳き込みながらも、アニスは目をまるくして顔を上げた。
「リ、リクドウさん、どうし──」
(あっ、夢かもしれない。人間は臨終の際、エンドルフィンが発生して幻を見るという報告もあるし、これが俗に言う走馬灯──)
大脳生理学が巡るアニスの頬についた灰を、夢のはずのツバキが手荒くぬぐう。
「あんたが金持ってねェの思い出して、近場の駅から線路伝いにシラミ潰しに当たった。迷子になったら駅を目指せって言ったの、覚えててくれて助かったよ。それにしても──すげェ格好だな」
アニスの変装にふき出すツバキの笑い声に、ようやく夢ではないと理解し、アニスも高揚気味に話し出した。
「あ、あの、リクドウさんの真似をして、灰を積んだトラックに乗ったんです」
「マンホールタウンに入って、地下住民の方たちにも会ったんですよ」
「でも、線路を歩いてたら流砂にはまっちゃって」
間断なくささやかな冒険譚を語っていると、ツバキが低い声でささやいた。
「大丈夫、もう平気だ。落ち着け」
それでもまだ動悸が止まらない。ドキドキする胸をおさえると冷や汗がふき出した。貧血になりそうで大きく深呼吸する。
突然強く抱きしめられ、アニスの息が一瞬止まった。
堅い胸、ビートを刻む鼓動。ツバキのぬくもりがアニスの躰にも伝わり、確かな脈を打っている。
ツバキは、つらそうに眉をよせていた。抱きしめられたまま、アニスは呆然とつぶやく。
「……こ、これは痴漢行為、じゃないですよね?」
「……どっちでもいい。いやならスプレーで撃退しろ」
きまり悪そうにツバキが顔をしかめる。
(……そうね、どっちでもいい)
アニスがもう一度顔をうずめると、広い胸からは懐かしい灰都の匂いがした。
地下のマンホールタウンは、基本違法である。なかなか沈静化できないまつろわぬ民を一掃するため、両グループを戦わせ壊滅させる作戦だったという。
これまで息巻いていた両リーダーは停戦するとともに、自分たちの将来を真剣に考え始めた。
「……まあ、いつまでもこのままってわけにもいかねえよ」
「クコたちのためにも、ちゃんとした仕事を探さないとな」
「そういえばあのおじさん、仕事があるって言ってたのにね」
クコが思い出したように、兄を見上げる。
「それは、わたしと同じように、ここが気になって入って来たひと?」
「うん、ひと月くらい前かな。海に宝物を探しに来たっていう、変なおじさんがいたんだ」
「宝物?」
とたんにわくわくと聞き入るアニスを、呆れたように男たちが笑う。
「なんでも、ここの海底の泥には宝が眠ってるんだと。このポイントを拠点に調査をしたいから仕事に協力してほしいと頼まれたが、それきりだよ」
なぜその男はすんなり地下へ入れてもらえたのか、アニスが不思議に考えていると、クコが巻いていたバスタオルを広げて見せた。
「そのひと、これ、くれたんだ。あれも」
兄の首の、シルクのネッカチーフを指さす。
古びたコーディネートの中で、確かに首回りだけ後づけ感があった。
手下がニヤニヤ笑っているところを見ると、さしずめ「それをよこせば通してやる」とでも言ったのだろう。
リーダーは知らん顔だが、クコ曰く、顔を隠すようにバスタオルを被った『変なおじさん』だったそうだ。
(何者だろう、どこかの大学教授かしら)
だが、海底の泥に眠る『宝』に、アニスはおおよその予測がついていた。
ここスクラップは、緋ノ島を眼前に臨む地区である。その湾には、気象庁が活火山に指定したカルデラの主要火口があり、約200度の熱水噴出孔が発見されている。
つまり、海底火山が生まれた海で、火山ガスが溶け込む酸性水塊の泥は、ある鉱物をふくむ鉱床の可能性が高いのだ。
アニスはすぐにでも調べたくなったが、今優先すべきことは別にある。
ふたりのリーダーは、両グループ総出でアニスを快く見送ってくれた。
「あんたには、クコともども世話になったな」
「今度来たら、手ぶらでも入れてやるぜ」
クコはいっしょに地上へ出て、アニスを途中まで案内してくれた。
「ここから北上すれば『丘』が見えてくるよ。近道──は海沿いの線路だけど、今はもう埋立地だから、気をつけてね」
「ありがとう」
「また会えるといいな、アニス!」
クコに手をふり、再び防具をつけると身が引きしまる。一度は刺客に狙われた身なので、できれば最短ルートで行きたい。
アニスはもと来た道からまた歩き始めた。ほどなくして、切れたと思っていた線路が再び現れた。
先を見わたせば、レールはところどころ灰に埋もれ、見えなくなっていただけだとわかった。
「よかった、線路はまだ残っていたんだわ。枕木やレールは再利用できるものね。これを辿っていけばいいわ」
アニスは安心して足を足を踏み出した。しかしその一歩は──
ずっ、と灰に足を捕られ、アニスは蟻地獄のような窪みにはまった。
(──流砂!)
さらさらとゆっくり、灰はアニスを呑み込んでゆく。その緩慢なうねりが、なおさら恐怖を呼び起こした。
「誰か、助けて!」
線路の先が消えていた訳を、なぜ予測しなかったのか。流砂で陥没したのだ。
(流砂に落ちたら焦ってもがいてはだめ。まず砂に面する体積を広げ、上体を横に──)
言い聞かせたが、知識の通り行動できるとは限らない。特に、精神の鍛錬ができていないアニスには無理だった。
「誰か、誰かあーっ!」
必死になってレールの先をつかむ。だが灰の中から見えない力に引っぱられるようで、腕だけで支えるには躰が重すぎた。ずるずると漏斗のすぼまりに引き込まれ、ついに口にも灰が入ってくる。
(アンタはどっちの魚だい?)
ふいに、コミューンの老爺の声が聞こえてくる。
自由になった魚は外の世界で生きてゆけず、灰の海で溺れて死ぬのだろうか。
(助けて、リクドウさ……)
耐えきれず、手がレールを離れた。
遠くから、轟音とともに砂塵が近づいて来るのが、かすむ視界にぼんやりと見える。
(砂嵐……?)
途切れそうな意識の中、突然砂塵の中からサンドバイクが現れ、強い腕が埋まりかけたアニスを引き上げた。
「──アニス博士!」
アニスを抱いた人物は、そのまま平地へバウンドして転がる。咳き込みながらも、アニスは目をまるくして顔を上げた。
「リ、リクドウさん、どうし──」
(あっ、夢かもしれない。人間は臨終の際、エンドルフィンが発生して幻を見るという報告もあるし、これが俗に言う走馬灯──)
大脳生理学が巡るアニスの頬についた灰を、夢のはずのツバキが手荒くぬぐう。
「あんたが金持ってねェの思い出して、近場の駅から線路伝いにシラミ潰しに当たった。迷子になったら駅を目指せって言ったの、覚えててくれて助かったよ。それにしても──すげェ格好だな」
アニスの変装にふき出すツバキの笑い声に、ようやく夢ではないと理解し、アニスも高揚気味に話し出した。
「あ、あの、リクドウさんの真似をして、灰を積んだトラックに乗ったんです」
「マンホールタウンに入って、地下住民の方たちにも会ったんですよ」
「でも、線路を歩いてたら流砂にはまっちゃって」
間断なくささやかな冒険譚を語っていると、ツバキが低い声でささやいた。
「大丈夫、もう平気だ。落ち着け」
それでもまだ動悸が止まらない。ドキドキする胸をおさえると冷や汗がふき出した。貧血になりそうで大きく深呼吸する。
突然強く抱きしめられ、アニスの息が一瞬止まった。
堅い胸、ビートを刻む鼓動。ツバキのぬくもりがアニスの躰にも伝わり、確かな脈を打っている。
ツバキは、つらそうに眉をよせていた。抱きしめられたまま、アニスは呆然とつぶやく。
「……こ、これは痴漢行為、じゃないですよね?」
「……どっちでもいい。いやならスプレーで撃退しろ」
きまり悪そうにツバキが顔をしかめる。
(……そうね、どっちでもいい)
アニスがもう一度顔をうずめると、広い胸からは懐かしい灰都の匂いがした。
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