灰と王国のグリザイユ 〜理系王女は再建をめざす!

桂花

文字の大きさ
上 下
24 / 30
第8章

アニス、地下街へ行く③

しおりを挟む
 捕まった人物は、スクラップの住民だった。
 地下のマンホールタウンは、基本違法である。なかなか沈静化できないまつろわぬ民を一掃するため、両グループを戦わせ壊滅させる作戦だったという。
 これまで息巻いていた両リーダーは停戦するとともに、自分たちの将来を真剣に考え始めた。

「……まあ、いつまでもこのままってわけにもいかねえよ」
「クコたちのためにも、ちゃんとした仕事を探さないとな」
「そういえばあのおじさん、仕事があるって言ってたのにね」
 クコが思い出したように、兄を見上げる。
「それは、わたしと同じように、ここが気になって入って来たひと?」
「うん、ひと月くらい前かな。海に宝物を探しに来たっていう、変なおじさんがいたんだ」
「宝物?」
 とたんにわくわくと聞き入るアニスを、呆れたように男たちが笑う。
「なんでも、ここの海底の泥には宝が眠ってるんだと。このポイントを拠点に調査をしたいから仕事に協力してほしいと頼まれたが、それきりだよ」
 
 なぜその男はすんなり地下へ入れてもらえたのか、アニスが不思議に考えていると、クコが巻いていたバスタオルを広げて見せた。
「そのひと、これ、くれたんだ。あれも」
 兄の首の、シルクのネッカチーフを指さす。
 古びたコーディネートの中で、確かに首回りだけ後づけ感があった。
 手下がニヤニヤ笑っているところを見ると、さしずめ「それをよこせば通してやる」とでも言ったのだろう。
 リーダーは知らん顔だが、クコ曰く、顔を隠すようにバスタオルを被った『変なおじさん』だったそうだ。

(何者だろう、どこかの大学教授かしら)
 だが、海底の泥に眠る『宝』に、アニスはおおよその予測がついていた。
 ここスクラップは、あけノ島を眼前に臨む地区である。その湾には、気象庁が活火山に指定したカルデラの主要火口があり、約200度の熱水噴出孔チムニーが発見されている。
 つまり、海底火山が生まれた海で、火山ガスが溶け込む酸性水塊の泥は、ある鉱物をふくむ鉱床の可能性が高いのだ。 
 
 アニスはすぐにでも調べたくなったが、今優先すべきことは別にある。
 ふたりのリーダーは、両グループ総出でアニスを快く見送ってくれた。
「あんたには、クコともども世話になったな」
「今度来たら、手ぶらでも入れてやるぜ」
 クコはいっしょに地上へ出て、アニスを途中まで案内してくれた。
「ここから北上すれば『丘』が見えてくるよ。近道──は海沿いの線路だけど、今はもう埋立地だから、気をつけてね」
「ありがとう」
「また会えるといいな、アニス!」
 
 クコに手をふり、再び防具をつけると身が引きしまる。一度は刺客に狙われた身なので、できれば最短ルートで行きたい。
 アニスはもと来た道からまた歩き始めた。ほどなくして、切れたと思っていた線路が再び現れた。
 先を見わたせば、レールはところどころ灰に埋もれ、見えなくなっていただけだとわかった。
「よかった、線路はまだ残っていたんだわ。枕木やレールは再利用できるものね。これを辿っていけばいいわ」
 アニスは安心して足を足を踏み出した。しかしその一歩は──
 ずっ、と灰に足を捕られ、アニスは蟻地獄のような窪みにはまった。

(──流砂!)
 
 さらさらとゆっくり、灰はアニスを呑み込んでゆく。その緩慢なうねりが、なおさら恐怖を呼び起こした。
「誰か、助けて!」
 線路の先が消えていた訳を、なぜ予測しなかったのか。流砂で陥没したのだ。
(流砂に落ちたら焦ってもがいてはだめ。まず砂に面する体積を広げ、上体を横に──)
 言い聞かせたが、知識の通り行動できるとは限らない。特に、精神の鍛錬ができていないアニスには無理だった。

「誰か、誰かあーっ!」
 必死になってレールの先をつかむ。だが灰の中から見えない力に引っぱられるようで、腕だけで支えるには躰が重すぎた。ずるずると漏斗のすぼまりに引き込まれ、ついに口にも灰が入ってくる。
(アンタはどっちの魚だい?)
 ふいに、コミューンの老爺の声が聞こえてくる。
 自由になった魚は外の世界で生きてゆけず、灰の海で溺れて死ぬのだろうか。
(助けて、リクドウさ……)
 
 耐えきれず、手がレールを離れた。
 遠くから、轟音とともに砂塵が近づいて来るのが、かすむ視界にぼんやりと見える。
(砂嵐……?)
 途切れそうな意識の中、突然砂塵の中からサンドバイクが現れ、強い腕が埋まりかけたアニスを引き上げた。
「──アニス博士!」
 アニスを抱いた人物は、そのまま平地へバウンドして転がる。咳き込みながらも、アニスは目をまるくして顔を上げた。

「リ、リクドウさん、どうし──」
(あっ、夢かもしれない。人間は臨終の際、エンドルフィンが発生して幻を見るという報告もあるし、これが俗に言う走馬灯──)
 大脳生理学が巡るアニスの頬についた灰を、夢のはずのツバキが手荒くぬぐう。
「あんたが金持ってねェの思い出して、近場の駅から線路伝いにシラミ潰しに当たった。迷子になったら駅を目指せって言ったの、覚えててくれて助かったよ。それにしても──すげェ格好だな」
 アニスの変装にふき出すツバキの笑い声に、ようやく夢ではないと理解し、アニスも高揚気味に話し出した。

「あ、あの、リクドウさんの真似をして、灰を積んだトラックに乗ったんです」
「マンホールタウンに入って、地下住民の方たちにも会ったんですよ」
「でも、線路を歩いてたら流砂にはまっちゃって」
 間断なくささやかな冒険譚を語っていると、ツバキが低い声でささやいた。
「大丈夫、もう平気だ。落ち着け」
 それでもまだ動悸が止まらない。ドキドキする胸をおさえると冷や汗がふき出した。貧血になりそうで大きく深呼吸する。
 
 突然強く抱きしめられ、アニスの息が一瞬止まった。
 堅い胸、ビートを刻む鼓動。ツバキのぬくもりがアニスの躰にも伝わり、確かな脈を打っている。
 ツバキは、つらそうに眉をよせていた。抱きしめられたまま、アニスは呆然とつぶやく。
「……こ、これは痴漢行為、じゃないですよね?」
「……どっちでもいい。いやならスプレーで撃退しろ」
 きまり悪そうにツバキが顔をしかめる。
(……そうね、どっちでもいい)
 アニスがもう一度顔をうずめると、広い胸からは懐かしい灰都の匂いがした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

【完結】王太子殿下が幼馴染を溺愛するので、あえて応援することにしました。

かとるり
恋愛
王太子のオースティンが愛するのは婚約者のティファニーではなく、幼馴染のリアンだった。 ティファニーは何度も傷つき、一つの結論に達する。 二人が結ばれるよう、あえて応援する、と。

将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです

きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」 5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。 その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

アメイジング・ナイト ―王女と騎士の35日―

碧井夢夏
ファンタジー
たったひとりの王位継承者として毎日見合いの日々を送る第一王女のレナは、人気小説で読んだ主人公に憧れ、モデルになった外国人騎士を護衛に雇うことを決める。 騎士は、黒い髪にグレーがかった瞳を持つ東洋人の血を引く能力者で、小説とは違い金の亡者だった。 主従関係、身分の差、特殊能力など、ファンタジー要素有。舞台は中世~近代ヨーロッパがモデルのオリジナル。話が進むにつれて恋愛濃度が上がります。

処理中です...