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第7章

ツバキ、実家にもどる③

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 試合は中庭の広場で行われることになった。
 幸い今日は風向きもよく、灰も舞っていないので、裸眼で臨むことができる。どこで聞きつけたのか、オーナーとその息子の交戦が見られるということで、ギャラリーはにぎわいを見せていた。
 リクドウ卿は敢えて着替えもせず、蝶タイにタキシードのままだ。その余裕ぶりが、またツバキの癇に触った。

「ルールは簡単だ。互いの胸につけたこの胸章が、先に割れたほうを負けとする」
 父親にわたされた、家紋のバッジを胸につける。触るそばからざらざらする、安っぽいちゃちな玩具だ。
 芝生には剣が二本、用意されていた。公平を期すためか、リクドウ卿が先に取れと促す。
 ツバキは取った剣先をまじまじと確認し、躊躇うように父を見た。

「……おい、刃が潰れてねーぞ。コレ真剣じゃねェか」
「男同士の勝負にイミテーションを使ってどうする。それとも、怖気づいたか?」
 挑発するようなふくみ笑いに、ツバキは一気呵成に攻め込んだ。
「るせェ! ガタの来た中年オヤジに長期戦はキツいだろ、一気にカタをつけてやるぜ!」
 踏み出したツバキの胸に、リクドウ卿が軽く一閃を切る。
 ──ぽすっ。
 
 剣先が触れたか触れないかの風圧で、ツバキのバッジはほろりと割れて地面に落ちた。
「おーっと、早くも試合終了かー?」
 レフェリーよろしく、箒をマイクにアナウンスするメイド長に、観客がどっと沸く。
「ちょ、ちょっと待て! 当たってないのに割れたぞ、今!」
「ルールはルールだ。残念だったな、ツバキ。男は引き際も肝心だ」
 剣を鞘に収め、さっさと退場しようとするリクドウ卿の肩を、ツバキがぐいと引きもどす。
「──待て親父。そっちのバッジも見せろ」
「え」
 
 動揺が窺えるリクドウ卿のバッジをツバキがさっともぎ取ると、明らかに自分のものとは違う硬い材質。割れたツバキのバッジは、よく見ると砂糖菓子でできている。
 ツバキはわなわなとバッジをにぎり潰した。
「……イカサマか、てめェ!」
「リクドウ卿、レストランのオリジナルシュガーで小細工です! 自分はオーベルジュのノベルティで対戦、これにはギャラリーも黙っておりません!」
 セリがふたつのバッジを掲げると、外野は大ブーイングを起こした。

「ふざけやがって、くそ親父!」
「待て待て、今度はわたしが、そちらの潰れやすい砂糖菓子のバッジをつけよう。それでいいだろ?」
 へらへらと嘲笑するリクドウ卿からは、微塵も反省の念が感じられない。
「いいぜ、菓子といっしょに潰してやるよ!」
 ツバキは剣先をシュッと閃かせるとかまえ直し、機先を制そうと攻めかかった。
 
 まずは正面から。左──と見せかけて右に反転。
 だがリクドウ卿は、簡単にその切っ先を払い退ける。ツバキが多方向から鋭い突きをくり出すものの、ことごとく剣で躱されるのだ。鋼のぶつかりあう金属音が鼓膜に響き、ツバキは顔をしかめた。
 鍔競りあいで対峙しては旋回、攻撃のくり返し。ツバキは、リクドウ卿のニヤつく表情を払いたい一心で剣をふった。 

「どうした、ツバキ。もう体力の限界か?」
 息が上がっている自分に対して、父は汗ひとつかいていない。抑えた動きで、こちらの剣戟を的確に読んでいるのだ。とてもブランクがあるとは思えない剣さばきだった。
「……くそっ!」
 次第にツバキは焦り始めた。確かに脚や肋骨はまだ完治していない。だがそんな理由は今は通らない。
 もう外野の野次も聞こえなかった。攻めも守りもひたすら激しく、セリもアナウンスを忘れ、戦いの行方を見守っている。

「……やれやれ、ガタの来た中年親父は持久力がないからな。ここらで締めとするか」
 長丁場にうんざりしてきたのか、リクドウ卿がようやく攻撃に転じた。ツバキの隙をつき、足払いをかけ薙ぎ倒す。ツバキは剣を取り落とすが、即座に背面で跳ね起き、リクドウ卿の剣は空を切った。落ちた剣をすばやく足で蹴り上げ、にぎる。が──
「あまいわ!」
 背を向けたツバキの首筋に、切っ先がヒュッと突きつけられた。襟足の髪がぱらぱらと舞い落ち、ギャラリーは水を打ったように静まり返る。

「剣を捨てろ、ツバキ」
 言う通りにするしかない。ツバキの手からするりと剣が落ち、地面に突き刺さる。
 リクドウ卿は満足げに勝ち誇った笑みを浮かべた。
「こっちを向け、ツバキ。己の非力を思い知ったか。お前などわたしから見れば、まだまだ殻つきのヒナのようなものだ。だが成長とはそれを受け入れることから始まり──」
 ──ピシュッ。
 
 突然、後ろ姿のままのツバキの脇から何かが噴射された。
「──な!?」
 リクドウ卿の砂糖菓子のバッジが、砕けて地面に落ちる。ニヤリと笑いふり返ったツバキの手には、アニスの水鉄砲がにぎられていた。
「──話が長いのも、中年親父の悪い癖だぜ?」
 とたんに、中庭に歓声が上がった。リクドウ卿がツバキに食ってかかる。
「ル、ルール違反だ! バッジは剣で割ると……!」
「言ってねェし。それにルールについて、てめェが言うか?」
「──ジャッジ! 勝者、ツバキ・リクドウ!」
 有無を言わせないセリのコールに、外野は大音声でさらに湧いた。

「これは、約束通りぼっちゃまにおわたししますよ」
 オーベルジュのロビー。セリからツバキの手に札束がわたるのを、リクドウ卿が恨めしげな目で見ている。
「旦那さま、子どもの前で往生際が悪いですよ。わたしから見れば、どっちも子どもですよ、まったく……」
 ぶつぶつとセリが厨房へもどって行く。
 ふたり残されると特に話すこともなく、気まずい沈黙がロビーの一角を覆った。リクドウ卿が煙草をくわえながら、話を切り出す。

「……あーなんだ、なんのために金がいるんだ。女か」
「は、親父といっしょに──」
 いや、確かにふたりの『女』のためだが、そこはニュアンスが違う。言い淀んでいると、リクドウ卿がさらに訊いてきた。
「恋人でもできたか」
「そんなんいねーよ」
「だろうな馬鹿め」
 呆れたようにふーっと煙草をふかす。ケンカ売ってんのかと睨み返すと、父親は生あたたかいまなざしで息子を見つめ、
「──ま、どんな馬鹿になるかはお前次第だな」
 と片手を上げ、もどって行った。

 アケイシアへ来て翌日、ツバキは帰りの列車をホームで待っていた。
(とにかく、これでアオイの治療費が出せる)
 改めて札束を確認すると、安堵で胸がほっとする。が、
(アニス博士も、今度こそ学院へ送り届ける)
 そう考えると、今度は鉛のように重くなった。
 そうだあれは仔猫だ、預かっていた仔猫にちょっと情が湧いて、返したくないのと同じだ、と自分に言い聞かせていると、
「猫がなんですって?」
 セリが駅舎から出て来た。

「いや、この駅も猫駅長がいればいいなと」
 ごにょごにょとしたツバキの言い分など聞いていないように、セリはリネンのクロスで包んだバスケットをどんとわたす。
「はい、馬鹿ぼっちゃまの好きなクラブハウスサンドイッチですよ。揚げたポテトもたくさん入れておきましたから。列車の中でお食べになって下さいね」
「はいはい、もういいよ、馬鹿で」
 あきらめたようにツバキが肩をすくめると、セリは失礼します、ととなりにすわった。

「旦那さまも、ぼっちゃまに負けず劣らず馬鹿な方ですから。でも、それに救われている者がいることも本当です。そして、正攻法ではあなたたち親子は生きられないんでございましょう。馬鹿は一生変わりませんです」
「……そうか、一生変わんねェのか。じゃあしょーがねェな、ははっ」
 アケイシアの広い空を見上げ、気が抜けたようにツバキは笑った。
「旦那さまから伝言でございます」
「金は利子つけて返せ、だろ」
「さすがです、馬鹿ぼっちゃま」
 
 真面目な顔のセリの肩越しに、白い列車がうねって来るのが見えた。ホームに軽く手を上げ乗車する。
 見送るセリが小さくなって、列車は空気の澄んだ高原地から、またごみごみとした灰の街へツバキを運ぶ。
 当面は、そこがツバキの生きる場所だった。
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