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第7章
ツバキ、実家にもどる②
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スクラップからコミューンへ出たツバキは、列車でアケイシア地区へ向かっていた。
『アケイシア伯リクドウ卿』、父親の営むオーベルジュが行く先だ。
父親とは折りあいが悪く、ここ数年連絡も取っていない。できれば会いたくはないが、用件が用件だ、仕方がない。
だが灰の舞うせせこましい街並みを抜け、山をいくつも越え、車窓からの景色が雄大な大地に変わってくると、不思議と荒んだ心もやわらいでくるのを感じた。
第三セクター鉄道が未だ残る数少ない土地。生まれた郷里はさすがに懐かしい。
久しぶりに訪れたオーベルジュは意外にもにぎわっており、戸惑いながら入って行くと見知った顔のメイド長、セリが驚いてやって来た。
母親不在のリクドウ家でツバキの面倒も見ていた、彼にとっては乳母のような存在でもある。
とっくに還暦を超えているはずだが、どすどすとした足音は相変わらずかしましい。
「まあ、馬……ぼっちゃま! 無事でいらしたんですか」
「ああ、まあいちおうな……おい今、馬鹿ぼっちゃまて言おうとしただろ」
「いえいえ、ただ数日前まで、警察軍がぼっちゃまの行方を捜してアケイシアまでやって来ましてねえ。いえ、わたしどもはぼっちゃまの無実を信じてございますよ? それで、てんやわんやだったもんですから」
他の使用人もくすくすと笑っている。
「……そりゃ、めーわくかけたな。親父は?」
「厨房で、シェフと新メニューの打ちあわせ中でございます。書斎でお待ちになっては」
ツバキの指名手配のニュースが流れたのだからある程度予測はしていたが、やはり警察軍はここまで来たのだ。
そのうえで、従業員たちのあの対応。ある意味、信用してくれてはいるのだろう。
「そうだ、些細な蔑称なんか取るに足らねェ……くそっ。ぜってーアレ、親父の入れ知恵だ」
書斎で待つこと十分、リクドウ卿が靴音高くもどって来た。
髪にはところどころ白いものが混じってはいるが、恰幅がよくアカザと同じくらいの体躯はある。リクドウ卿はどかりとソファにすわると、櫛で髪を後ろになでつけながら足を組んだ。
「なんだ、ツバキ、めずらしいな。なんの用だ?」
「──金貸してくれよ」
勝手にキャビネットの高級酒をグラスに注ぎながら即答する息子に、リクドウ卿は片眉を上げる。
「久々に顔を見せたと思ったら金の無心か。相変わらずの馬鹿息子だな。指名手配なんぞされおって。おかげでこっちの宿にも大打撃だわ」
「客、入ってんじゃねーか」
「これでも減ったんだよ。王党派のキャンセルが相次いでな」
「そりゃ……悪かったな。全部片づいたら、おれアケイシアにもどって、ここ手伝ってもいいぜ」
どのみちもう、近衛連隊はクビだろう。無実が証明されても、一度指名手配された人物を雇ってくれるところなど、そうそうあるわけがない。
故郷の懐かしさに、ふとツバキはそんな気持ちになった。
神妙な態度のツバキをリクドウ卿は黙って見やると、ふっと小馬鹿にした笑みを浮かべる。
「お前、任務で何かヘマしたな? 勝手に家飛び出しといて、仕事につまずいたら実家を頼るたァ情けねェ。あまったれんじゃねェぞ。お前の居場所なんざここにはねェからな」
「た、頼ってなんかねェ! おれはいつか城を買いもどし、爵位に恥じないリクドウ家に建て直すんだ!」
カッとなって、グラスを置いて立ち上がる。
「建て直してどうする? こんな時代だ、またいつクーデターが起きるやもしれんぞ。そうなったら、爵位なんぞなんの役にも立たん」
「だからって、親父はこのままでいいのかよ!」
ツバキは書斎の机を威嚇のように強く叩いた。だがリクドウ卿はぴくりとも動じず、朗々と答える。
「このままじゃない。おれも城を買いもどし、今度はそこでオーベルジュを開く。給金を払えなくなっても、城からついて来てくれたやつらのためにな」
セリを初め、ツバキが小さな頃から城に勤めていた見覚えのある顔が、確かに何人か館内にいた。
「──なんだよ、地位より人脈とかあまっちょろいことしてっから、女にも逃げられ、土地を手放すはめになったんじゃねェのかよ」
父親の方針を認めたくない気持ちが、舌打ちに出てしまう。リクドウ卿はそんなツバキのささやかな反抗など、歯牙にもかけないふうに鼻で笑った。
「ツバキ、お前がいずれ後を継ぎたいなら、そのときはそのやり方でいけばいい。だが今はおれの代だ、お前のターンじゃない。それにお前はまだ世間を知らん。軍人でもなんでもヘマを重ねてもどって来い」
そして腕時計を見ると、時間とばかりにさっと立ち上がり出て行った。
──世間知らず。
アカザにも言われた。安全だと思っていた旧市街が、危険区域だった。コミューンの海岸線では、本物の尾行に気づかなかった。
ツバキは自分の手のひらを見つめた。父やアカザの手に比べ、一回り小さくうすっぺらだ。ぎゅっと白くなるほどこぶしをにぎり、うつむく。
(こんなんじゃ、何もつかめねェよな……アカザの言う通り、本当に非力だ)
ポーチのベンチで佇むツバキに、セリが声をかけて来る。
「馬鹿ぼっちゃま、お茶でもいかがですかね」
(そうだよ、もうはっきり馬鹿と言ってくれたほうが……)
「いいわけあるか!」
弱った心身のせいで危うく認めてしまいそうになったツバキが、額に縦線を醸し我に返る。
「ほっほ、調子がもどったようでございますね。旦那さまからこれをお預かりしてます」
セリが札束の包みをツバキにわたす。そのずっしりとした重みに驚いたツバキは、包みと彼女を交互に見やった。
「こ、こんな大金……!」
とたんに、さっと札束をセリがまた取り上げる。
「わたくしが、旦那さまに交渉して参りました。旦那さま曰く、試合で自分を負かしたら貸してやる、だそうです」
「親父と試合? ──剣戟か?」
リクドウ卿はアケイシアでは第一の剣の達人だ。
だがすでに現役は引退しているうえ、ここ十年は宿泊業に専念していたため、剣など書斎の壁の飾りである。
一方ツバキは入隊したばかりとはいえ、近衛連隊の中では上位を争うかなりの剣の使い手だった。
ただし模範試合で、ハオウジュ将軍の髪の毛をうっかり剣先がかっさらってしまうというハプニングのせいで、彼からは目の敵にされており、以来一切試合に出させてもらっていない。
そんな挿話はともかく、承諾しない理由はなかった。
「いいぜ、やってやるよ!」
『アケイシア伯リクドウ卿』、父親の営むオーベルジュが行く先だ。
父親とは折りあいが悪く、ここ数年連絡も取っていない。できれば会いたくはないが、用件が用件だ、仕方がない。
だが灰の舞うせせこましい街並みを抜け、山をいくつも越え、車窓からの景色が雄大な大地に変わってくると、不思議と荒んだ心もやわらいでくるのを感じた。
第三セクター鉄道が未だ残る数少ない土地。生まれた郷里はさすがに懐かしい。
久しぶりに訪れたオーベルジュは意外にもにぎわっており、戸惑いながら入って行くと見知った顔のメイド長、セリが驚いてやって来た。
母親不在のリクドウ家でツバキの面倒も見ていた、彼にとっては乳母のような存在でもある。
とっくに還暦を超えているはずだが、どすどすとした足音は相変わらずかしましい。
「まあ、馬……ぼっちゃま! 無事でいらしたんですか」
「ああ、まあいちおうな……おい今、馬鹿ぼっちゃまて言おうとしただろ」
「いえいえ、ただ数日前まで、警察軍がぼっちゃまの行方を捜してアケイシアまでやって来ましてねえ。いえ、わたしどもはぼっちゃまの無実を信じてございますよ? それで、てんやわんやだったもんですから」
他の使用人もくすくすと笑っている。
「……そりゃ、めーわくかけたな。親父は?」
「厨房で、シェフと新メニューの打ちあわせ中でございます。書斎でお待ちになっては」
ツバキの指名手配のニュースが流れたのだからある程度予測はしていたが、やはり警察軍はここまで来たのだ。
そのうえで、従業員たちのあの対応。ある意味、信用してくれてはいるのだろう。
「そうだ、些細な蔑称なんか取るに足らねェ……くそっ。ぜってーアレ、親父の入れ知恵だ」
書斎で待つこと十分、リクドウ卿が靴音高くもどって来た。
髪にはところどころ白いものが混じってはいるが、恰幅がよくアカザと同じくらいの体躯はある。リクドウ卿はどかりとソファにすわると、櫛で髪を後ろになでつけながら足を組んだ。
「なんだ、ツバキ、めずらしいな。なんの用だ?」
「──金貸してくれよ」
勝手にキャビネットの高級酒をグラスに注ぎながら即答する息子に、リクドウ卿は片眉を上げる。
「久々に顔を見せたと思ったら金の無心か。相変わらずの馬鹿息子だな。指名手配なんぞされおって。おかげでこっちの宿にも大打撃だわ」
「客、入ってんじゃねーか」
「これでも減ったんだよ。王党派のキャンセルが相次いでな」
「そりゃ……悪かったな。全部片づいたら、おれアケイシアにもどって、ここ手伝ってもいいぜ」
どのみちもう、近衛連隊はクビだろう。無実が証明されても、一度指名手配された人物を雇ってくれるところなど、そうそうあるわけがない。
故郷の懐かしさに、ふとツバキはそんな気持ちになった。
神妙な態度のツバキをリクドウ卿は黙って見やると、ふっと小馬鹿にした笑みを浮かべる。
「お前、任務で何かヘマしたな? 勝手に家飛び出しといて、仕事につまずいたら実家を頼るたァ情けねェ。あまったれんじゃねェぞ。お前の居場所なんざここにはねェからな」
「た、頼ってなんかねェ! おれはいつか城を買いもどし、爵位に恥じないリクドウ家に建て直すんだ!」
カッとなって、グラスを置いて立ち上がる。
「建て直してどうする? こんな時代だ、またいつクーデターが起きるやもしれんぞ。そうなったら、爵位なんぞなんの役にも立たん」
「だからって、親父はこのままでいいのかよ!」
ツバキは書斎の机を威嚇のように強く叩いた。だがリクドウ卿はぴくりとも動じず、朗々と答える。
「このままじゃない。おれも城を買いもどし、今度はそこでオーベルジュを開く。給金を払えなくなっても、城からついて来てくれたやつらのためにな」
セリを初め、ツバキが小さな頃から城に勤めていた見覚えのある顔が、確かに何人か館内にいた。
「──なんだよ、地位より人脈とかあまっちょろいことしてっから、女にも逃げられ、土地を手放すはめになったんじゃねェのかよ」
父親の方針を認めたくない気持ちが、舌打ちに出てしまう。リクドウ卿はそんなツバキのささやかな反抗など、歯牙にもかけないふうに鼻で笑った。
「ツバキ、お前がいずれ後を継ぎたいなら、そのときはそのやり方でいけばいい。だが今はおれの代だ、お前のターンじゃない。それにお前はまだ世間を知らん。軍人でもなんでもヘマを重ねてもどって来い」
そして腕時計を見ると、時間とばかりにさっと立ち上がり出て行った。
──世間知らず。
アカザにも言われた。安全だと思っていた旧市街が、危険区域だった。コミューンの海岸線では、本物の尾行に気づかなかった。
ツバキは自分の手のひらを見つめた。父やアカザの手に比べ、一回り小さくうすっぺらだ。ぎゅっと白くなるほどこぶしをにぎり、うつむく。
(こんなんじゃ、何もつかめねェよな……アカザの言う通り、本当に非力だ)
ポーチのベンチで佇むツバキに、セリが声をかけて来る。
「馬鹿ぼっちゃま、お茶でもいかがですかね」
(そうだよ、もうはっきり馬鹿と言ってくれたほうが……)
「いいわけあるか!」
弱った心身のせいで危うく認めてしまいそうになったツバキが、額に縦線を醸し我に返る。
「ほっほ、調子がもどったようでございますね。旦那さまからこれをお預かりしてます」
セリが札束の包みをツバキにわたす。そのずっしりとした重みに驚いたツバキは、包みと彼女を交互に見やった。
「こ、こんな大金……!」
とたんに、さっと札束をセリがまた取り上げる。
「わたくしが、旦那さまに交渉して参りました。旦那さま曰く、試合で自分を負かしたら貸してやる、だそうです」
「親父と試合? ──剣戟か?」
リクドウ卿はアケイシアでは第一の剣の達人だ。
だがすでに現役は引退しているうえ、ここ十年は宿泊業に専念していたため、剣など書斎の壁の飾りである。
一方ツバキは入隊したばかりとはいえ、近衛連隊の中では上位を争うかなりの剣の使い手だった。
ただし模範試合で、ハオウジュ将軍の髪の毛をうっかり剣先がかっさらってしまうというハプニングのせいで、彼からは目の敵にされており、以来一切試合に出させてもらっていない。
そんな挿話はともかく、承諾しない理由はなかった。
「いいぜ、やってやるよ!」
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