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第5章

アニス、奮闘する②

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 翌朝、ツバキの病室を訪れたアニスは、始終ご機嫌だった。今日はめずらしく休みをもらったらしく、ツバキの病室でいっしょに、トーストとコーヒーの朝食を摂っている。
 だが何やら話しかけてくれてはいるが、ツバキは一向に頭に入って来ない。

(夕べ、あのバンダナ野郎と何かあったんじゃ……)
 あの後、なんとか躰を引きずって再び様子を見に行ったのだが、カシに見つかり無理矢理引きもどされたのだ。
(あのオッサン、ガキには興味ないみてェなこと言ってたが、アニス博士はよく見ると、まあまあかわいいからな……)
 コミューンの古着屋では無関心を装ったが、着替えた後のアニスに一瞬目を持って行かれたのは事実だ。
 ショートパンツからのびた白い太ももが今でもちらつく自分に、おれもオッサンかよと胸中突っ込みを入れる。

「──でね、リクドウさん、聞いてます?」
「──あ? ああ、聞いてるよ。太ももがどうした」
「太ももなんて言ってませんけど。なんのことですか?」
 完全に訝しんでいる。ツバキは冷静を装い、咳払いをすると新聞を広げてみせた。
「それ逆さまですよ」
 普段は読みもしない新聞を、わざとらしく開いているのがバレバレである。
「い、いや、違うんだ。これはアレだよ。逆さ読み健康法って言ってさ……」
「何が健康になるんですか?」
「視力とか、メンタルとかだよ……」
「もー、そんなの聞いたことないですけど」
 軽くふくれながら、ふと気づいたように眉をよせる。

「なんか、前より傷が増えてません? リクドウさん」
 夕べアカザとやりあって──というか、転んでついた傷だ。
「バナナの皮が廊下に落ちててよ……」
 トーストをかみながら、我ながら苦しい言い訳をする。
「なんか変です。スウェットも前後ろ逆だし」
 それは素だった。
「あ、トーストも前後ろ逆!」
「えっ? あっすまん」
 思わず持ち直すが、不審に睨まれてトーストに前後などないことに気づく。

「やっぱり変。どこか、具合でも悪いんですか?」
「い、いや、なんともねェよ。それより、アニス博士こそ疲れてるじゃねェか」
「わたしは大丈夫ですよ」
 実際体力は掃除のときより消耗していたが、心地いい疲労感に満たされ、アニスの頭はこれまでにないほど冴えていた。むしろ、あふれるほどの充実感で興奮している。
「久しぶりに頭を使ったから、すごく気持ちがいいんです」 
 ツバキは眉をよせて不可解な顔をしている。
「すまん、おれそれ、よくわかんね」
 
 数式が解けたとき、なぞなぞが解けたとき、アニスにはこれまでも確かに、少なからず高揚感はあった。だが、それが誰かに喜ばれたりしたことはなかった。
「わたし、平気ですよ。だから、リクドウさんも早く怪我を治して下さいね」
「お、おう……」
 にっこり微笑むアニスを、ツバキは正面から見ることができない。
 怪我が治って灰都を出て、レイチョウ少佐に助力を仰ぎ、彼女を王女だと証明する。王宮から賞与をもらい、めでたしめでたし……
(──十六の少女に国をおしつける気かい)
 老婆、いや老爺の何気ない言葉が甦る。
(おれには関係ねェ)
 頭の中で払拭し言い聞かせても、これから待っている現実が、これほど自分を落ち込ませるとは思わなかった。
 アニスと自分の未来は、同じ場所にはないということが。

 ツバキの様子も変だったが、アオイも今日は体調が悪いらしく、めずらしく部屋に引きこもっていた。
 食欲がないというアオイのために、アニスは薄いキュウリのサンドイッチを作ってもらい、部屋へ持って行く。
「大丈夫? アオイ」
 いつもは育ち盛りの男の子らしく、もりもりと食べるアオイがなかなか食が進まない。
 アオイはひと口かじったサンドイッチを置くと、アニスをじっと見た。
「……ねえ、アニスはリクドウの怪我が治ったら、ここを出て行くんだよね。どこから来て、どこへ行くとこだったの?」
 
 どこまで話せばいいんだろうと、アニスは迷った。
 自分が灰桜カイオウ国の王女かもしれないということ。ツバキが殺人の嫌疑をかけられ、追われて灰都へ来たこと。目的はレイチョウ少佐の城へ向かうこと。
 どれも、食事時に軽く話せる話題ではない。悩んでいると、アオイが助け舟を出した。
「ごめん、みんな事情があるよね。じゃあ、別の質問……ねえ、アニスは好きなひと、いる?」
 これにも言葉がつまる。

「う、うーん……でも、いつかは誰かを好きになりたいって思ってる」
「リクドウのことは?」
「リクドウさん? 初めは目つきが悪いし怖かったけど……今はそうでもないわ。隠しごとのできない正直なひとだもの」
 今朝の様子のおかしかったツバキを思い出し、ふと表情が翳る。くすりと笑うアオイにアニスは問い返した。

「なあに、アオイはどうなの?」
「うん、いるよ。好きなひと」
 一瞬、少年が大人の女性のように目を伏せたので、アニスはドキリと言葉を失った。
「いっしょにいると楽しいけどつらくって、あまい気持ちと苦い気持ちがごちゃ混ぜになって……」
(あれ? それって、どこかで聞いたような……)
 ぽかんと見つめるアニスに、アオイがあわてて笑って繕う。
「えへへ、こんな話つまんないよね。えっとね、じゃあアニスは大人になったら何になりたい?」
「うーん、そうね……」
 これもまた、答えが定まらなかった。
 アニスは、そもそも自分が何をしたいのかわからなかった。何か夢があるわけでも、ましてや王女になりたいわけでもない。強いて言えば、実験や研究が好きなだけだ。

「む、難しいな。アオイには夢があるのよね? 絵を描く仕事がしたいっていう」
「うん……でも、きっと叶わない。ぼく、病気かもしれないんだ」
「嘘」
 だがアオイは真剣な顔で、瞳を潤ませている。
「ずっと……お腹痛くて……」
「何か悪いもの、食べた?」
「ううん、違う。その……」
 即答するが、言いづらそうに口ごもるばかりで、なかなか話が要領を得ない。
「どういう症状なの? ちゃんと言わなきゃ、ほんとに病気かもしれないじゃない」
 アオイはぽろぽろと泣き出し、今朝用を足してから、が止まらないことを告げた。
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