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第2章
アニス、刺客に遭う③
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店を出たツバキは、まず古着屋で軍服を売り、代わりに適当なトラックジャケットを購入した。アニスの白衣をじろじろ眺めながら、ふーむと腕を組む。
「あんたもそれ、目立つから着替えたほうがいいな。今時の女の子の服って、どーいうのが流行ってんの?」
「わかりません。あまり興味なくて」
「しょーがねェなァ」
女性用のハンガーラックからツバキが服を見繕うが、自分もさっぱりわからない。
結局マネキンが着ているコーディネートを一式買い取った。
「マイドオオキニ」
国籍不明のチョビヒゲを生やした親父が、舌ったらずに手もみする。
ぴったりとしたショートパンツに、ジップアップパーカー。
シスターたちが見たら、まず眉をひそめそうな短さのボトムである。
それでも、キャンディカラーのかわいらしいパーカーはわたあめみたいなふわふわの素材で、アニスは思いのほか気に入り、袖を頬ずりした。
(寄宿舎にいたら、こんなの一生着ることなかったかも)
うきうきと髪もほどいたアニスを無言で一瞥し、
「ふーん。ま、いんじゃねェの?」
と、ツバキは無関心によそを向く。
「自分じゃないみたいです」
「あんただってすぐバレたら困るからな、ちょーどいいよ」
「あの、お代はどうすれば」
「桜城に請求するし。どうせあんた今、金持ってねーだろ」
ひらひらと片手を上げると、ツバキは次に中古のモーターショップへ向かった。
「ここで移動手段を物色するからちょっと待ってな──って、いねェ」
さっきまでとなりを歩いていたはずのアニスは、すでに視界にいなかった。見ると、店内を物めずらしそうに、きょろきょろと見回している。
「エンジンにニトロを積んで走るんですかあ、すごい」
アニスが店員の話を熱心に聞くさまを、ツバキは唖然と見ていた。
(それは興味あるのかよ、ヘンなやつ)
乗り物を決めたツバキは、ヘルメットを二つ購入した。だが、アニスは顔をしかめて受け取ろうとしない。
「わたし、バイクの免許持ってないんですけど……」
「大丈夫、運転するのおれだから」
店内に並ぶサンドバギーに、ちらりとアニスは目をやる。
「あの、わたし、車のほうが……」
「こっちのほうが身軽で動きやすいんだよ」
「でも、二人乗りなんて(あんなにぴったりくっついて)」
通りを駆け抜けるカップルの乗ったバイクに目をやり、アニスは露骨にいやそうな顔で下を向いた。
「あのなァ、レイチョウ少佐の城に行くって決めたんだろ? 二人乗りくらいでビビってんじゃねェよ」
「ビ、ビビってるわけじゃ……」
決めたのは確かだが、デリカシーのない物言いにアニスはむっとなる。
「わっ、ちょっ……!」
ツバキは無理やりアニスにヘルメットをかぶせると、バイクの後部座席に有無を言わさず乗せ、自分もシートにまたがった。アニスの腕を取り、自分の腹に回させる。
痩身でありながらバネのあるツバキの躰は身体能力の高さを物語っており、腹部も固い筋肉で覆われていた。
アニスは自分のマシュマロのような腹を思わずぽよんと突き、初めて触れる異性の躰にヘルメットの中で赤面した。
ツバキがキーをイグニッションに入れる。グリップを捻ると、エンジンが快適な音を立てた。
「ちょ、無理です! こんなの……!」
「気になってたニトロエンジン試せるぞ、よかったな。さあ、しっかりつかまってないと落っことすぜ!」
「うっ──ひゃあぁぁぁ!」
躊躇と悲鳴は、すぐに爆音に打ち消された。急発進したサンドバイクは、砂塵を巻き上げながら市民街を突っ切ってゆく。
角を曲がるたび車体が地面すれすれに傾く恐怖に、アニスは何度もぎゅっと目をつぶった。
そっと薄眼を開くと、街がミラーにすい込まれどんどん遠ざかる。学院の鐘塔がかすかにけぶって見えた。
(次、あそこへもどれるのはいつなんだろう。ううん、もう、もどれないかもしれない)
細かな灰の粒子が混じった風がアニスの頬を擦り、ちくちくと痛んだ。
最初のサービスエリアで休憩を取ったとき、アニスはすでにぐったりと疲れていた。
ふたりは今、海岸線を通りレイチョウ少佐の城へ向かっている。
「食う?」
ツバキが売店で買って来たオレンジ色のソフトクリームをさし出すと、とたんにアニスの表情がぱっと輝く。
「小ぶりのミニオレンジがこの辺の特産なんだよ。あーあと、板チョコも大量にあるぞ。賞味期限切れでまじィけど」
甘味で少しだけ機嫌を直したアニスに、ツバキは改めて自己紹介をした。
「おれ、ツバキ・リクドウ。桜城近衛連隊の二等兵だ。あんたのことはなんて呼びゃいい? って、王女さま、か」
「王女さまはやめて下さい。そんなのわたし、信じてませんから」
アニスはぶんぶんと首をふって下を向く。
「でも前王のDNAと一致したら、あんた王女さまだぜ」
「もしそうだとしても、わたし王宮に住んでたわけじゃないし、白衣と寝まきしか持ってないし、ドレスなんか着たこともないんです。そんな人間が、いきなり王室で暮らせるはずありません」
「ふぅん……ま、そっから先はおれの知ったこっちゃないからいーけど。で、あんた名前は?」
相変わらず粗野な態度が気に障り、アニスもそっけなく返す。
「アニス・リィです。でもみんな、博士って呼びますからそれでいいです」
「それ、あだ名? 肩書き?」
「どっちもです」
「あ、そう。じゃあアニス博士、で」
何気なくつぶやいたツバキの一言に、アニスの心臓が一瞬、小さな拍子を刻んだ。
『アニス』。
学院ではリィ博士と揶揄される中で、その響きはアニスにとって面映ゆいものだった。名前を呼ぶ者は、シスターたち以外誰もいなかったから。
そんなアニスの胸懐など知らず、ツバキは自分もソフトクリームの山にかみつく。アニスも少しゆるんだクリームをすくうようになめると、潮風の中ひんやりとしたあまさが舌に心地よく溶けた。
沿岸に降る灰は塩分をふくんでいるので、建物はもちろん人体にもすぐにこびりつく。
そのため、この辺りを出歩く者はあまりいない。
「……さてと、食ったら行くか」
コーンの包みをゴミ箱に捨てると、ふたりは駐車場にもどった。
早くから、ツバキは尾行に気づいていた。人通りが少ない地区なので車は目立つ。
海岸線はだいたい、ツーリングのサンドバイクか事業用トラックしか走っていない。
その車は、市民街を出る前からついて来ていた。ツバキのバイクの数台後ろに割り込んで入って来た、
砂地仕様にタイヤを改造した黒のBMWセダン。サービスエリアでも車から降りもせず、すみに駐車していた。ドライバーも黒服にサングラスと、わかりやすいビジュアルだ。
(マフィアみてェなナリして素人かよ)
ツバキは鼻で笑い、こちらが気づいていると悟られないよう、しばらくは普通に走行した。
海岸通りから内陸部への脇道へ入ると、いきなりギアをセカンドに入れスピードを上げる。
「ちょっ……リクドウさん!」
当然向こうはあわてて追って来るが、小道では敏捷なバイクにどんどん離される。わざといくつも角を曲がると、アニスが何度もわめいて訴えて来たが今は無視した。
街中へ突入しても、懲りずに相手は追って来た。だが混雑した車道では二輪車について来られるはずもない。ついに二百メートルほど水をあけられ、やがてバイクのミラーから黒のBMWは消えた。
ツバキは辺りを確認すると、道路脇にバイクを止めた。アニスがヘルメットをはずし、ものすごい勢いで道端に投げる。
「リクドウさん、なんですかあの運転! 死ぬかと思ったんですよ!」
「まあまあ、無事生きてるから」
尾行されていたと聞けばアニスが怖がると思い、ツバキはへらへらと躱す。
だがアニスはがみがみとまくし立てた。
「制限速度を八十キロはオーバーしてましたよ!」
「お前は取締りの婦警かよ」
「はぐらかさないで下さい、だいたいあなたは」
「──!」
いきなりツバキはアニスをかかえ、路地裏に転がり込んだ。ふり返ると、一度通り過ぎて行ったバイクが引き返して来る。
そのメタリックな車体に、ツバキは見覚えがあった。海岸線をツーリングしていた、大型のサンドバイクの一台。
ドライバーは、灰だらけのよくあるジャンプスーツを着ている。
いかにもな怪しさを醸し出している、黒のBMWに気を取られ気づかなかった。
初めから、追跡車は一台ではなかったのだ。
「……くそっ、おれのミスだ」
ツバキは舌打ちをすると、すぐさまアニスの手を引いて走り出した。
「ちょっと待って、灰が目に……!」
ヘルメットを、さっき投げ捨ててしまったのだ。アニスの縺れる足を躰ごとかつぎ、ツバキは路地を疾走した。
バイクは狭い通路を歩道に乗り上げ追って来る。ツバキは、露店のフルーツショップの屋台をわざと薙ぎ倒し駆け抜けた。
「すまん、桜城にツケといて!」
とりあえず詫びるが、返事の代わりに怒鳴り声が飛んで来る。
走行を妨害したつもりだったが、バイクはいっせいにぶちまけられたオレンジを避け、通りの壁へジャンプすると地面と平行に走って来た。
「あの重量で嘘だろ!?」
ツバキは猫しか通らないような細い路地へ逃げ、窓から民家へ踏み込んだ。
ガレージへ回ると、ちょうどビーチバギーで出かけようとする青年が、鼻歌を歌いながらキィを入れている。
助手席にアニスを突っ込むと、ツバキは青年を突き飛ばし自分も運転席に収まった。
「ちょっと借りるよ、請求は桜城に!」
わめきながら追いかけて来る青年に言い放ち、強くアクセルを踏む。大通りに出ると、とたんに視界が開けた。
ツバキはダッシュボードに入っていたゴーグルを装着し、自分のヘルメットをアニスにわたす。窓を下ろし、コンバーティブルのルーフを全開にした。
「どうしてオープンにするんですか!」
走行中は灰をもろに受けるので、窓はもちろんルーフを開ける者など誰もいない。五分でシートはざらざらだ。
「このほうがスピードが出る!」
「出ません。車は空気抵抗が増加します」
「おれが出るの!」
「もう! いったい何が起きているんですか!?」
ここまで来れば、ツバキとて隠しようもない。
だが非常時のわりにはツバキの瞳孔は興奮して最大に開き、喜悦に昂っていた。街で襲ってきた刺客と同じ匂いを感じる。
「バーさんが言ってただろ、ニュースの子の二の舞になるって──ほら、来なすったぜ、お客さんがァ!」
ミラーに、さっきのサンドバイクが小さく映っている。渋滞になれば、今度は車であるこちらが不利だ。
「レイチョウ少佐の城から離れるがしょうがねェ、撒いてからもどるぞ!」
ツバキは街からできるだけ遠のくため、高速道路に入った。
「バイクも高速に乗って来ました!」
シートにしがみついていたアニスは顔を上げ、ふり返って叫ぶ。カーブで傾いたサンドバイクは、直線に入る寸前エンジンをふかし加速して来た。これではすぐに追いつかれてしまう。
ツバキも並ぶ車を縫うように大きくハンドルを切り、列の先頭に躍り出た。飛んで来る罵声を無視して、アクセルを踏み込む。
とたん、サイドミラーが粉々に飛び散った。
「きゃああ!」
もう片方のミラーに目をやると、ジャンプスーツの腕がグリップを離れ、両手で銃をかまえている。
「アニス博士、シートに身を沈めろ!」
ツバキは何度も車線を変更し、S字を描きながら前の車を追い抜いて行った。だがバイクは数台後をぴったりとついて来ながら発砲する。後方車のリアウィンドウが激しい音を立てて弾け、スピンしながら壁にぶつかった。
交通混乱とクラクションの嵐の中、高速は急カーブにさしかかった。ツバキが、速度計を一気に百八十キロまで上げる。
「やめて! 灰でスリップするわ!」
「頭に穴が開くよりマシでしょ!」
「正気──!?」
応酬の中、ビーチバギーは横滑りすると、前方を走っていたトレーラーの前に突っ込んだ。すぐさま、ハンドルを逆に切り体勢を立て直す。
トレーラーのクラクションが悲鳴をあげ、軋んだタイヤが傾きながら車線を滑った。
前方を巨大なコンテナでいきなり塞がれ、バイクは車体が横倒れしスリップした。後方からクラッシュ音が連続して聞こえる。
見返れば、すべての車線で玉突き事故が起き、車のバリケードができていた。
あの様子では、もう追って来るのは無理だろう。
「やったぞ!」
ツバキが躰を捻ってガッツポーズを取る。
「──リクドウさん、前!」
青くなって声をあげたアニスの前方に、料金所が見えた。
エアバッグの下からなんとか這い出たふたりは、しばらくものも言えずに地面に這いつくばっていた。
「……へ、平気か?」
やっとのことでツバキに身を起こされ、アニスは脱出したビーチバギーをふり返る。
見事につぶれたボンネットが目に入り、ぞっとした。よく無事でいられたものだ。
近づいて来る青い回転灯とサイレンに、ツバキがはっとしたように顔を上げた。遠くから緊急車両が向かって来る。
「まずい、警察だ」
もともと、命令系統を異とする近衛連隊と警察軍は、日頃から対立している。騒ぎの根元がツバキだとわかれば、強制的にふたりとも城に送り返されてしまうだろう。最悪、任意同行を求められる可能性もある。
(──そうなりゃ、何もかもパーだ)
ツバキは高速の塀から、視界に収まる限り全景を見下ろした。数メートル下を普通道路が交差している。
「アニス博士、どこも怪我してねェな? 大丈夫だな?」
「え? ええ。あの……何するつもりです?」
めずらしく真剣な顔で確認するツバキにいやな予感がして、アニスは身を固くして訊いた。
轟音がして、収集した降灰を積んだトラックが下道を走って来るのが見える。
(まさか……)
顔を引きつらせてふり返った瞬間、アニスはツバキに抱きかかえられ宙を飛んでいた。
「あんたもそれ、目立つから着替えたほうがいいな。今時の女の子の服って、どーいうのが流行ってんの?」
「わかりません。あまり興味なくて」
「しょーがねェなァ」
女性用のハンガーラックからツバキが服を見繕うが、自分もさっぱりわからない。
結局マネキンが着ているコーディネートを一式買い取った。
「マイドオオキニ」
国籍不明のチョビヒゲを生やした親父が、舌ったらずに手もみする。
ぴったりとしたショートパンツに、ジップアップパーカー。
シスターたちが見たら、まず眉をひそめそうな短さのボトムである。
それでも、キャンディカラーのかわいらしいパーカーはわたあめみたいなふわふわの素材で、アニスは思いのほか気に入り、袖を頬ずりした。
(寄宿舎にいたら、こんなの一生着ることなかったかも)
うきうきと髪もほどいたアニスを無言で一瞥し、
「ふーん。ま、いんじゃねェの?」
と、ツバキは無関心によそを向く。
「自分じゃないみたいです」
「あんただってすぐバレたら困るからな、ちょーどいいよ」
「あの、お代はどうすれば」
「桜城に請求するし。どうせあんた今、金持ってねーだろ」
ひらひらと片手を上げると、ツバキは次に中古のモーターショップへ向かった。
「ここで移動手段を物色するからちょっと待ってな──って、いねェ」
さっきまでとなりを歩いていたはずのアニスは、すでに視界にいなかった。見ると、店内を物めずらしそうに、きょろきょろと見回している。
「エンジンにニトロを積んで走るんですかあ、すごい」
アニスが店員の話を熱心に聞くさまを、ツバキは唖然と見ていた。
(それは興味あるのかよ、ヘンなやつ)
乗り物を決めたツバキは、ヘルメットを二つ購入した。だが、アニスは顔をしかめて受け取ろうとしない。
「わたし、バイクの免許持ってないんですけど……」
「大丈夫、運転するのおれだから」
店内に並ぶサンドバギーに、ちらりとアニスは目をやる。
「あの、わたし、車のほうが……」
「こっちのほうが身軽で動きやすいんだよ」
「でも、二人乗りなんて(あんなにぴったりくっついて)」
通りを駆け抜けるカップルの乗ったバイクに目をやり、アニスは露骨にいやそうな顔で下を向いた。
「あのなァ、レイチョウ少佐の城に行くって決めたんだろ? 二人乗りくらいでビビってんじゃねェよ」
「ビ、ビビってるわけじゃ……」
決めたのは確かだが、デリカシーのない物言いにアニスはむっとなる。
「わっ、ちょっ……!」
ツバキは無理やりアニスにヘルメットをかぶせると、バイクの後部座席に有無を言わさず乗せ、自分もシートにまたがった。アニスの腕を取り、自分の腹に回させる。
痩身でありながらバネのあるツバキの躰は身体能力の高さを物語っており、腹部も固い筋肉で覆われていた。
アニスは自分のマシュマロのような腹を思わずぽよんと突き、初めて触れる異性の躰にヘルメットの中で赤面した。
ツバキがキーをイグニッションに入れる。グリップを捻ると、エンジンが快適な音を立てた。
「ちょ、無理です! こんなの……!」
「気になってたニトロエンジン試せるぞ、よかったな。さあ、しっかりつかまってないと落っことすぜ!」
「うっ──ひゃあぁぁぁ!」
躊躇と悲鳴は、すぐに爆音に打ち消された。急発進したサンドバイクは、砂塵を巻き上げながら市民街を突っ切ってゆく。
角を曲がるたび車体が地面すれすれに傾く恐怖に、アニスは何度もぎゅっと目をつぶった。
そっと薄眼を開くと、街がミラーにすい込まれどんどん遠ざかる。学院の鐘塔がかすかにけぶって見えた。
(次、あそこへもどれるのはいつなんだろう。ううん、もう、もどれないかもしれない)
細かな灰の粒子が混じった風がアニスの頬を擦り、ちくちくと痛んだ。
最初のサービスエリアで休憩を取ったとき、アニスはすでにぐったりと疲れていた。
ふたりは今、海岸線を通りレイチョウ少佐の城へ向かっている。
「食う?」
ツバキが売店で買って来たオレンジ色のソフトクリームをさし出すと、とたんにアニスの表情がぱっと輝く。
「小ぶりのミニオレンジがこの辺の特産なんだよ。あーあと、板チョコも大量にあるぞ。賞味期限切れでまじィけど」
甘味で少しだけ機嫌を直したアニスに、ツバキは改めて自己紹介をした。
「おれ、ツバキ・リクドウ。桜城近衛連隊の二等兵だ。あんたのことはなんて呼びゃいい? って、王女さま、か」
「王女さまはやめて下さい。そんなのわたし、信じてませんから」
アニスはぶんぶんと首をふって下を向く。
「でも前王のDNAと一致したら、あんた王女さまだぜ」
「もしそうだとしても、わたし王宮に住んでたわけじゃないし、白衣と寝まきしか持ってないし、ドレスなんか着たこともないんです。そんな人間が、いきなり王室で暮らせるはずありません」
「ふぅん……ま、そっから先はおれの知ったこっちゃないからいーけど。で、あんた名前は?」
相変わらず粗野な態度が気に障り、アニスもそっけなく返す。
「アニス・リィです。でもみんな、博士って呼びますからそれでいいです」
「それ、あだ名? 肩書き?」
「どっちもです」
「あ、そう。じゃあアニス博士、で」
何気なくつぶやいたツバキの一言に、アニスの心臓が一瞬、小さな拍子を刻んだ。
『アニス』。
学院ではリィ博士と揶揄される中で、その響きはアニスにとって面映ゆいものだった。名前を呼ぶ者は、シスターたち以外誰もいなかったから。
そんなアニスの胸懐など知らず、ツバキは自分もソフトクリームの山にかみつく。アニスも少しゆるんだクリームをすくうようになめると、潮風の中ひんやりとしたあまさが舌に心地よく溶けた。
沿岸に降る灰は塩分をふくんでいるので、建物はもちろん人体にもすぐにこびりつく。
そのため、この辺りを出歩く者はあまりいない。
「……さてと、食ったら行くか」
コーンの包みをゴミ箱に捨てると、ふたりは駐車場にもどった。
早くから、ツバキは尾行に気づいていた。人通りが少ない地区なので車は目立つ。
海岸線はだいたい、ツーリングのサンドバイクか事業用トラックしか走っていない。
その車は、市民街を出る前からついて来ていた。ツバキのバイクの数台後ろに割り込んで入って来た、
砂地仕様にタイヤを改造した黒のBMWセダン。サービスエリアでも車から降りもせず、すみに駐車していた。ドライバーも黒服にサングラスと、わかりやすいビジュアルだ。
(マフィアみてェなナリして素人かよ)
ツバキは鼻で笑い、こちらが気づいていると悟られないよう、しばらくは普通に走行した。
海岸通りから内陸部への脇道へ入ると、いきなりギアをセカンドに入れスピードを上げる。
「ちょっ……リクドウさん!」
当然向こうはあわてて追って来るが、小道では敏捷なバイクにどんどん離される。わざといくつも角を曲がると、アニスが何度もわめいて訴えて来たが今は無視した。
街中へ突入しても、懲りずに相手は追って来た。だが混雑した車道では二輪車について来られるはずもない。ついに二百メートルほど水をあけられ、やがてバイクのミラーから黒のBMWは消えた。
ツバキは辺りを確認すると、道路脇にバイクを止めた。アニスがヘルメットをはずし、ものすごい勢いで道端に投げる。
「リクドウさん、なんですかあの運転! 死ぬかと思ったんですよ!」
「まあまあ、無事生きてるから」
尾行されていたと聞けばアニスが怖がると思い、ツバキはへらへらと躱す。
だがアニスはがみがみとまくし立てた。
「制限速度を八十キロはオーバーしてましたよ!」
「お前は取締りの婦警かよ」
「はぐらかさないで下さい、だいたいあなたは」
「──!」
いきなりツバキはアニスをかかえ、路地裏に転がり込んだ。ふり返ると、一度通り過ぎて行ったバイクが引き返して来る。
そのメタリックな車体に、ツバキは見覚えがあった。海岸線をツーリングしていた、大型のサンドバイクの一台。
ドライバーは、灰だらけのよくあるジャンプスーツを着ている。
いかにもな怪しさを醸し出している、黒のBMWに気を取られ気づかなかった。
初めから、追跡車は一台ではなかったのだ。
「……くそっ、おれのミスだ」
ツバキは舌打ちをすると、すぐさまアニスの手を引いて走り出した。
「ちょっと待って、灰が目に……!」
ヘルメットを、さっき投げ捨ててしまったのだ。アニスの縺れる足を躰ごとかつぎ、ツバキは路地を疾走した。
バイクは狭い通路を歩道に乗り上げ追って来る。ツバキは、露店のフルーツショップの屋台をわざと薙ぎ倒し駆け抜けた。
「すまん、桜城にツケといて!」
とりあえず詫びるが、返事の代わりに怒鳴り声が飛んで来る。
走行を妨害したつもりだったが、バイクはいっせいにぶちまけられたオレンジを避け、通りの壁へジャンプすると地面と平行に走って来た。
「あの重量で嘘だろ!?」
ツバキは猫しか通らないような細い路地へ逃げ、窓から民家へ踏み込んだ。
ガレージへ回ると、ちょうどビーチバギーで出かけようとする青年が、鼻歌を歌いながらキィを入れている。
助手席にアニスを突っ込むと、ツバキは青年を突き飛ばし自分も運転席に収まった。
「ちょっと借りるよ、請求は桜城に!」
わめきながら追いかけて来る青年に言い放ち、強くアクセルを踏む。大通りに出ると、とたんに視界が開けた。
ツバキはダッシュボードに入っていたゴーグルを装着し、自分のヘルメットをアニスにわたす。窓を下ろし、コンバーティブルのルーフを全開にした。
「どうしてオープンにするんですか!」
走行中は灰をもろに受けるので、窓はもちろんルーフを開ける者など誰もいない。五分でシートはざらざらだ。
「このほうがスピードが出る!」
「出ません。車は空気抵抗が増加します」
「おれが出るの!」
「もう! いったい何が起きているんですか!?」
ここまで来れば、ツバキとて隠しようもない。
だが非常時のわりにはツバキの瞳孔は興奮して最大に開き、喜悦に昂っていた。街で襲ってきた刺客と同じ匂いを感じる。
「バーさんが言ってただろ、ニュースの子の二の舞になるって──ほら、来なすったぜ、お客さんがァ!」
ミラーに、さっきのサンドバイクが小さく映っている。渋滞になれば、今度は車であるこちらが不利だ。
「レイチョウ少佐の城から離れるがしょうがねェ、撒いてからもどるぞ!」
ツバキは街からできるだけ遠のくため、高速道路に入った。
「バイクも高速に乗って来ました!」
シートにしがみついていたアニスは顔を上げ、ふり返って叫ぶ。カーブで傾いたサンドバイクは、直線に入る寸前エンジンをふかし加速して来た。これではすぐに追いつかれてしまう。
ツバキも並ぶ車を縫うように大きくハンドルを切り、列の先頭に躍り出た。飛んで来る罵声を無視して、アクセルを踏み込む。
とたん、サイドミラーが粉々に飛び散った。
「きゃああ!」
もう片方のミラーに目をやると、ジャンプスーツの腕がグリップを離れ、両手で銃をかまえている。
「アニス博士、シートに身を沈めろ!」
ツバキは何度も車線を変更し、S字を描きながら前の車を追い抜いて行った。だがバイクは数台後をぴったりとついて来ながら発砲する。後方車のリアウィンドウが激しい音を立てて弾け、スピンしながら壁にぶつかった。
交通混乱とクラクションの嵐の中、高速は急カーブにさしかかった。ツバキが、速度計を一気に百八十キロまで上げる。
「やめて! 灰でスリップするわ!」
「頭に穴が開くよりマシでしょ!」
「正気──!?」
応酬の中、ビーチバギーは横滑りすると、前方を走っていたトレーラーの前に突っ込んだ。すぐさま、ハンドルを逆に切り体勢を立て直す。
トレーラーのクラクションが悲鳴をあげ、軋んだタイヤが傾きながら車線を滑った。
前方を巨大なコンテナでいきなり塞がれ、バイクは車体が横倒れしスリップした。後方からクラッシュ音が連続して聞こえる。
見返れば、すべての車線で玉突き事故が起き、車のバリケードができていた。
あの様子では、もう追って来るのは無理だろう。
「やったぞ!」
ツバキが躰を捻ってガッツポーズを取る。
「──リクドウさん、前!」
青くなって声をあげたアニスの前方に、料金所が見えた。
エアバッグの下からなんとか這い出たふたりは、しばらくものも言えずに地面に這いつくばっていた。
「……へ、平気か?」
やっとのことでツバキに身を起こされ、アニスは脱出したビーチバギーをふり返る。
見事につぶれたボンネットが目に入り、ぞっとした。よく無事でいられたものだ。
近づいて来る青い回転灯とサイレンに、ツバキがはっとしたように顔を上げた。遠くから緊急車両が向かって来る。
「まずい、警察だ」
もともと、命令系統を異とする近衛連隊と警察軍は、日頃から対立している。騒ぎの根元がツバキだとわかれば、強制的にふたりとも城に送り返されてしまうだろう。最悪、任意同行を求められる可能性もある。
(──そうなりゃ、何もかもパーだ)
ツバキは高速の塀から、視界に収まる限り全景を見下ろした。数メートル下を普通道路が交差している。
「アニス博士、どこも怪我してねェな? 大丈夫だな?」
「え? ええ。あの……何するつもりです?」
めずらしく真剣な顔で確認するツバキにいやな予感がして、アニスは身を固くして訊いた。
轟音がして、収集した降灰を積んだトラックが下道を走って来るのが見える。
(まさか……)
顔を引きつらせてふり返った瞬間、アニスはツバキに抱きかかえられ宙を飛んでいた。
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