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第2章
アニス、刺客に遭う①
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二一一三年 八月某日 侍女の日記より
国王が、わたしのスカートをめくった。いつもニヤニヤとこちらを見ていたので不快だったが、とうとう犯罪を犯したか。
フリルの数を数えていたとか自分は理数系だからとか、スカートの中には幸せがつまっているなどと意味不明な供述をするので、クビを覚悟で殴る。
アニスをかかえグレーターからコミューンへ出て来たツバキは、通りの向こうに数人の近衛兵の制服を見つけ、すばやく建物の陰に隠れた。
「向こうの路地にいるぞ!」
彼らは迷わずこちらへ向かって来る。
(なんでおれの居場所がわかるんだ? ──あっ!)
城から支給されている携帯電話をあわてて叩き割る。GPS機能がついていたのだ。
だが、追われる理由も狙われる理由も、さっぱりわからない。
「とにかくどこか安全な場所へ──」
アニスをふり向いたたツバキは、自分目がけて噴出される寸前のスプレーを間一髪で止めた。
「──っとォ、二度も同じ手に引っかかると思うなよ?」
ニヤリと悪い笑みを浮かべたツバキにスプレーごと手をつかまれ、アニスはじたばたと暴れる。
「いやっ、離して! あなたのそばが一番危険です!」
「おれは安全だ! 騒ぐんじゃねェ、手間かけさせんな、言うことを聞け!」
気づけば、ざわざわと周りは不審な目でツバキを見ている。軍服を着ているとはいえ、今のやり取りはどう見てもツバキが悪者だ。
警察軍が、人ごみを割って入って来た。
「……きみ、ちょっと話を聞かせてもらおうか」
「……あ、いや。ち、違うんです。こいつ──痛ェっ!」
狼狽えるツバキの一瞬の隙をつき、アニスはツバキの腕にかみついて逃げた。
「あっ待て、こら!」「待ちなさい、きみ!」
警察軍の声も無視し、ツバキは駆け出す。
アーケードを抜け広場を走り、白衣の少女を追う軍人を、通行人も興味深げに見送った。
後ろをふり返りふり返り、息を切らせながらアニスは小路に入る。
とたん、いきなり背後から口をふさがれ、路地裏の勝手口にあっという間に引っぱられた。
(今の捕獲の仕方、トタテグモのよう──)
などとアニスが思ったドアが閉まる瞬間、通りを駆け抜けるツバキの姿が見えた。
注・トタテグモ──巣穴の裏で待ち伏せし、獲物が通るとすかさず捕まえ、巣に引きずり込む習性を持つ。
(──って、そんなこと考えてる場合じゃない!)
ぐるぐる巻きで椅子に縛られたアニスは、我に返った。
薄暗い店内は、夜から開店するバーのようだった。テーブルは椅子が上げられ、カウンターにも誰もいない。天井の明り取り窓から射す光だけが、スポットライトのようにアニスと男を照らしている。
こちらに銃口を向けているサングラスとスーツの男は明らかに、あの軍人よりはるかに危険な香りがした。
「きみみたいなかわいい子に恨みはないけどね、きみが生きていると都合の悪い人間もいるってことで」
アニスにこれっぽっちも興味のない口調は、殺しがただの作業である仕事を物語っている。男はカチリ、と遊底を引いて装弾し、アニスに銃口を向けた。
アニスはぼんやりと、銃の作りを見ていた。いつも、ワンテンポ遅れて感情はついて来る。
(あれが発射されたら、わたしは……)
突然、入り口のドアをノックする音がした。
一瞬、あの軍人が追って来たのかと期待したアニスだったが、それっきりの沈黙に絶望した。男は黙って銃をかまえたまま、ドアのほうを警戒している。
ふいに、ぱらぱらと、天井からゴミのような薄片が舞い落ちた。
(……?)
アニスが顔を上げた瞬間──
「!」
開かれた明り取り窓を影が遮り、天井からツバキが降って来た。
「──がっ!」
背中に乗られ男は床に倒れたが、すぐに横へ転がり体勢をもどす。
男が向けた銃を、ツバキも敏捷に蹴り落とす。だが接近戦に持ち込んだ男は、ツバキの手首を鮮やかに捻り、躰ごと投げ飛ばした。
「ぐはっ……!」
ツバキはバックバーにぶつかり、酒瓶が派手に砕け散った。間髪入れずに男がツバキにのしかかる。絡まりあったまま、ふたりはカウンターの裏に転がっていった。
ガラスの割れる音、人体を殴る音、呻き声。
そしてやがて何も聞こえなくなり、アニスは青くなってバックバーを見た。
ゆらりと、ひとつの影が立ち上がる。
「──な、おれのほうが安全だろ」
ぼろぼろのドヤ顔でニヤつくツバキに、アニスはこわばった表情がようやく破顔した。
国王が、わたしのスカートをめくった。いつもニヤニヤとこちらを見ていたので不快だったが、とうとう犯罪を犯したか。
フリルの数を数えていたとか自分は理数系だからとか、スカートの中には幸せがつまっているなどと意味不明な供述をするので、クビを覚悟で殴る。
アニスをかかえグレーターからコミューンへ出て来たツバキは、通りの向こうに数人の近衛兵の制服を見つけ、すばやく建物の陰に隠れた。
「向こうの路地にいるぞ!」
彼らは迷わずこちらへ向かって来る。
(なんでおれの居場所がわかるんだ? ──あっ!)
城から支給されている携帯電話をあわてて叩き割る。GPS機能がついていたのだ。
だが、追われる理由も狙われる理由も、さっぱりわからない。
「とにかくどこか安全な場所へ──」
アニスをふり向いたたツバキは、自分目がけて噴出される寸前のスプレーを間一髪で止めた。
「──っとォ、二度も同じ手に引っかかると思うなよ?」
ニヤリと悪い笑みを浮かべたツバキにスプレーごと手をつかまれ、アニスはじたばたと暴れる。
「いやっ、離して! あなたのそばが一番危険です!」
「おれは安全だ! 騒ぐんじゃねェ、手間かけさせんな、言うことを聞け!」
気づけば、ざわざわと周りは不審な目でツバキを見ている。軍服を着ているとはいえ、今のやり取りはどう見てもツバキが悪者だ。
警察軍が、人ごみを割って入って来た。
「……きみ、ちょっと話を聞かせてもらおうか」
「……あ、いや。ち、違うんです。こいつ──痛ェっ!」
狼狽えるツバキの一瞬の隙をつき、アニスはツバキの腕にかみついて逃げた。
「あっ待て、こら!」「待ちなさい、きみ!」
警察軍の声も無視し、ツバキは駆け出す。
アーケードを抜け広場を走り、白衣の少女を追う軍人を、通行人も興味深げに見送った。
後ろをふり返りふり返り、息を切らせながらアニスは小路に入る。
とたん、いきなり背後から口をふさがれ、路地裏の勝手口にあっという間に引っぱられた。
(今の捕獲の仕方、トタテグモのよう──)
などとアニスが思ったドアが閉まる瞬間、通りを駆け抜けるツバキの姿が見えた。
注・トタテグモ──巣穴の裏で待ち伏せし、獲物が通るとすかさず捕まえ、巣に引きずり込む習性を持つ。
(──って、そんなこと考えてる場合じゃない!)
ぐるぐる巻きで椅子に縛られたアニスは、我に返った。
薄暗い店内は、夜から開店するバーのようだった。テーブルは椅子が上げられ、カウンターにも誰もいない。天井の明り取り窓から射す光だけが、スポットライトのようにアニスと男を照らしている。
こちらに銃口を向けているサングラスとスーツの男は明らかに、あの軍人よりはるかに危険な香りがした。
「きみみたいなかわいい子に恨みはないけどね、きみが生きていると都合の悪い人間もいるってことで」
アニスにこれっぽっちも興味のない口調は、殺しがただの作業である仕事を物語っている。男はカチリ、と遊底を引いて装弾し、アニスに銃口を向けた。
アニスはぼんやりと、銃の作りを見ていた。いつも、ワンテンポ遅れて感情はついて来る。
(あれが発射されたら、わたしは……)
突然、入り口のドアをノックする音がした。
一瞬、あの軍人が追って来たのかと期待したアニスだったが、それっきりの沈黙に絶望した。男は黙って銃をかまえたまま、ドアのほうを警戒している。
ふいに、ぱらぱらと、天井からゴミのような薄片が舞い落ちた。
(……?)
アニスが顔を上げた瞬間──
「!」
開かれた明り取り窓を影が遮り、天井からツバキが降って来た。
「──がっ!」
背中に乗られ男は床に倒れたが、すぐに横へ転がり体勢をもどす。
男が向けた銃を、ツバキも敏捷に蹴り落とす。だが接近戦に持ち込んだ男は、ツバキの手首を鮮やかに捻り、躰ごと投げ飛ばした。
「ぐはっ……!」
ツバキはバックバーにぶつかり、酒瓶が派手に砕け散った。間髪入れずに男がツバキにのしかかる。絡まりあったまま、ふたりはカウンターの裏に転がっていった。
ガラスの割れる音、人体を殴る音、呻き声。
そしてやがて何も聞こえなくなり、アニスは青くなってバックバーを見た。
ゆらりと、ひとつの影が立ち上がる。
「──な、おれのほうが安全だろ」
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