上 下
147 / 186

132.狂気

しおりを挟む
 トキをブランクと双子に紹介した日の翌日。



 はあ……はあ…………

 ルビーは目の前の光景に動くことができなかった。

 頭がまともに働かない。

 あれ?息ってどう吸うんだっけ?

 これは…………なに?

 目の前の光景は



 どういうこと?

 今日は修道院に行く途中で忘れ物に気づいて引き返して……トキと甥っ子がどうした?と迎えてくれるはず。

 そうそのはず……

 なのに、なんで…………

 なんで…………夫はベビーベッドに眠る甥っ子の首に手を?




 どうして…………どうして…………………

 トキは……最愛の夫はなにを?
 


「あ……な…………に……なんで……」

 はっ!言葉を吐き出したことで頭が少し動き出す。

 あの子、あの子を助けなければ!

 トキに体当たりをしようとして躱され倒れ込む。

 だが、彼の手は甥っ子の首から離れた。身体は痛むが慌てて立ち上がり小さな身体を抱え込む。大声で泣き始める甥っ子に安堵の息が漏れた。

 安堵……緊張から安堵という一瞬の気持ちのゆらぎが恐怖と合わさりルビーの足から力を奪った。ガクンと膝が崩れる。

「!」

 動け!動いてよ!

 よくわからない。もう何が起こっているかわからないが逃げなければならないことだけはわかる。

 なのに…………

 座り込むルビーの顔を覗き込むと彼女と視線を合わせるトキ。

「なんで帰ってきちゃったの?」

「なんでって……忘れ物して…………」

 自分は何を素直に答えているのか。

「ふうん、まあいいや。その子をこちらに渡してくれるかな?」

「な……なにをする気?」

 自分は何を聞いているのか。わかっているのに……自分の考えを否定して欲しくて尋ねてしまう。そんなルビーの気持ちなどお構いなしにニコリと笑うと言い放つトキ。

「さっきの続きに決まっているだろう?」

 さっきの続きって……この子の命を…………!?

「な…………なん……で?」

「なんでって……。君が幸せそうだからだよ」

 ニッコリとさも当然だと言わんばかりに紡がれた言葉に理解が追いつかない。

「幸せじゃいけないの?私何か悪いことした?あなたに憎まれるようなこと……した?」

「ううん、何もしていないよ。でも愛する心はちょっと薄れてきちゃったけれど。でも大丈夫だよ!君はこれから大切に育ててきた甥っ子を義姉から預かっている甥っ子を失うんだから!そうしたら君への愛もまたたくさん湧き上がると思うんだ!」

「な…………何を言っているの?」

 わけがわからない。どうしてしまったの?優しい彼はどこへ行ってしまったの?魔法?誰かに操られでもしているの?

「君こそ何を言っているんだい?」

「なにって……いつものあなたに戻ってよ!優しくてこの子のことが大好きなあなたに!」

「?僕は別にその子のこと好きではないよ」

「何言って……」

「可愛がってる振りをすると周りからの評判もいいしね。体調の悪い姉に代わって育ててるなんてめっちゃいい人だよね、僕って。まあ姉が手と足の骨折ったのは僕が階段から突き落としたからなんだけどね?誰も気づかないから笑っちゃうよね?ああ!君は自分の子でも血の繋がりがあるわけでもないのに子育てさせられて可哀想だったね!ねぇねぇそれって不幸だよね!?」

「……なんなの?なんなのよ!?あなたの言ってることがわからない!!!」

「僕はね不幸な人が大好きなんだよ!惨めだなぁ、哀れだなぁって胸が高鳴るんだよ!不幸なやつを見てると可愛くて可愛くて……幸せな気分になるんだあ!あと、そんな不幸なやつに優しい僕って素敵だろう?」

 恍惚な表情を浮かべるトキ。

 不幸な人が好き?

 よくわからない、わからないが……

 彼が自分を選んだのは

「私が不幸だから私と一緒になったの?」

 目の前で起きていることは現実であると認識しているのに、どこかでまだ信じきれないでいる。

「そうだよ?君はさ宰相家の孫娘で王子様の婚約者だっただろう?そんな高貴なご令嬢が平民に、しかも修道院で扱き使われてるんだよ?めちゃくちゃ不幸じゃないか!」

「そうだけど!私以上の不幸な人なんていくらでもいるじゃない!」

 修道院に来る患者たちを見ていて思った。自分はまだ幸せな方だと。寝床もあり食うところにも困らない。身体を売るわけでもなければ、誰かに乱暴されるわけでもない。

「まあね。実際に君よりも大変な思いをしている人はたあくさんいるよね!そう!たあくさんね?でも君みたいなケースはなかなかないじゃない?ぜひ手に入れたいと思ったんだよ!」

「もしかして助けてくれたのも」

 あれは運命ではなかったの?

「いや違うよ!あれは運命だよ!」

 運命……そう運命。でも自分と彼の言葉の意味は違うのだろう。

「修道院で働く君を見てどうやって近づこうかと思っていたらボスさんと仲良くなっちゃったし。焦っていたら友人を喪い、男にも捨てられちゃうんだもんなぁ」

 その表情には嬉しさが隠しきれないでいた。

「本当に君は輝いていたよ!仲間に馴染めず、やっとできた友人はあの世に行き、男には他の女に乗り換えられて、しかも相手は君の友達……君には様々な不幸が襲いかかってきたよね!本当に本当に憐れで可哀想で輝いていたよ!」

 目を輝かせ興奮気味に話すトキに心臓が早鐘を打つ。

 なんなんだこいつは

 狂ってる。

「でも君の光はどんどん萎んでしまった。僕と結婚したから?甥っ子を引き取ったから?王家に迷惑かけた分際で最近では王孫と仲良くなって、王子には幸せそうで良かったって言われてたよね?この前なんか、隣のババアにルビーちゃんがお嫁さんであなたは幸せね、だなんて言われたんだぞ!この僕が!?不幸なお前を引き取ってる僕がお前のお陰で幸せってどういうことだよ!?ふざけるな!!!」

「…………………………」

 何か言わねば、だが言葉が出てこない。身体も動かない。

「あああああああああああ!!!」

 トキが急に叫んだ。

「幸せそう?そうだ君は幸せになってるんだよ!幸せになっちゃったんだよ!そんなのは僕の求めた君じゃない!だから君を不幸にしようと思ったんだよ!預かっている甥っ子を失った女、なぜ守れなかったと非難されるかな?それとも気の毒に思われるかな?君が幸せだなんてだあれも思わなくなるよね?」

 その滅茶苦茶な言い分はなんなのだ。なぜそんな狂ったような目で自分を見るのか。

 おかしい。

 間違いなくトキはおかしい。

「でもなんかもう君めんどくさいや……もう強盗に見せかけてまとめて二人に消えてもらうよ。最近ね、すっっっごい良い子見つけたんだよ!産まれてすぐに捨てられて施設でも旦那にも暴力を受けていてね――――――――――」

 新しく見つけた不幸な人を嬉々として語るトキは子どものようだ。目を輝かせ本当に楽しそうだ。

 だがその光景は異様としか言えない。



「――――――てなわけで消えてね?」


 振り下ろされる剣を避ける術はルビーと赤子にはなかった。






しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妹がいなくなった

アズやっこ
恋愛
妹が突然家から居なくなった。 メイドが慌ててバタバタと騒いでいる。 お父様とお母様の泣き声が聞こえる。 「うるさくて寝ていられないわ」 妹は我が家の宝。 お父様とお母様は妹しか見えない。ドレスも宝石も妹にだけ買い与える。 妹を探しに出掛けたけど…。見つかるかしら?

いつだって二番目。こんな自分とさよならします!

椿蛍
恋愛
小説『二番目の姫』の中に転生した私。 ヒロインは第二王女として生まれ、いつも脇役の二番目にされてしまう運命にある。 ヒロインは婚約者から嫌われ、両親からは差別され、周囲も冷たい。 嫉妬したヒロインは暴走し、ラストは『お姉様……。私を救ってくれてありがとう』ガクッ……で終わるお話だ。  そんなヒロインはちょっとね……って、私が転生したのは二番目の姫!? 小説どおり、私はいつも『二番目』扱い。 いつも第一王女の姉が優先される日々。 そして、待ち受ける死。 ――この運命、私は変えられるの? ※表紙イラストは作成者様からお借りしてます。

公爵令嬢の辿る道

ヤマナ
恋愛
公爵令嬢エリーナ・ラナ・ユースクリフは、迎えた5度目の生に絶望した。 家族にも、付き合いのあるお友達にも、慕っていた使用人にも、思い人にも、誰からも愛されなかったエリーナは罪を犯して投獄されて凍死した。 それから生を繰り返して、その度に自業自得で凄惨な末路を迎え続けたエリーナは、やがて自分を取り巻いていたもの全てからの愛を諦めた。 これは、愛されず、しかし愛を求めて果てた少女の、その先の話。 ※暇な時にちょこちょこ書いている程度なので、内容はともかく出来についてはご了承ください。 追記  六十五話以降、タイトルの頭に『※』が付いているお話は、流血表現やグロ表現がございますので、閲覧の際はお気を付けください。

初夜に大暴言を吐かれた伯爵夫人は、微笑みと共に我が道を行く ―旦那様、今更擦り寄られても困ります―

望月 或
恋愛
「お前の噂を聞いたぞ。毎夜町に出て男を求め、毎回違う男と朝までふしだらな行為に明け暮れているそうだな? その上糸目を付けず服や装飾品を買い漁り、多大な借金を背負っているとか……。そんな醜悪な女が俺の妻だとは非常に不愉快極まりない! 今後俺に話し掛けるな! 俺に一切関与するな! 同じ空気を吸ってるだけでとんでもなく不快だ……!!」 【王命】で決められた婚姻をし、ハイド・ランジニカ伯爵とオリービア・フレイグラント子爵令嬢の初夜は、彼のその暴言で始まった。 そして、それに返したオリービアの一言は、 「あらあら、まぁ」 の六文字だった。  屋敷に住まわせている、ハイドの愛人と噂されるユーカリや、その取巻きの使用人達の嫌がらせも何のその、オリービアは微笑みを絶やさず自分の道を突き進んでいく。 ユーカリだけを信じ心酔していたハイドだったが、オリービアが屋敷に来てから徐々に変化が表れ始めて…… ※作者独自の世界観満載です。違和感を感じたら、「あぁ、こういう世界なんだな」と思って頂けたら有難いです……。

〖完結〗旦那様が愛していたのは、私ではありませんでした……

藍川みいな
恋愛
「アナベル、俺と結婚して欲しい。」 大好きだったエルビン様に結婚を申し込まれ、私達は結婚しました。優しくて大好きなエルビン様と、幸せな日々を過ごしていたのですが…… ある日、お姉様とエルビン様が密会しているのを見てしまいました。 「アナベルと結婚したら、こうして君に会うことが出来ると思ったんだ。俺達は家族だから、怪しまれる心配なくこの邸に出入り出来るだろ?」 エルビン様はお姉様にそう言った後、愛してると囁いた。私は1度も、エルビン様に愛してると言われたことがありませんでした。 エルビン様は私ではなくお姉様を愛していたと知っても、私はエルビン様のことを愛していたのですが、ある事件がきっかけで、私の心はエルビン様から離れていく。 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 かなり気分が悪い展開のお話が2話あるのですが、読まなくても本編の内容に影響ありません。(36話37話) 全44話で完結になります。

【完結】愛され公爵令嬢は穏やかに微笑む

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
恋愛
「シモーニ公爵令嬢、ジェラルディーナ! 私はお前との婚約を破棄する。この宣言は覆らぬと思え!!」 婚約者である王太子殿下ヴァレンテ様からの突然の拒絶に、立ち尽くすしかありませんでした。王妃になるべく育てられた私の、存在価値を否定するお言葉です。あまりの衝撃に意識を手放した私は、もう生きる意味も分からくなっていました。 婚約破棄されたシモーニ公爵令嬢ジェラルディーナ、彼女のその後の人生は思わぬ方向へ転がり続ける。優しい彼女の功績に助けられた人々による、恩返しが始まった。まるで童話のように、受け身の公爵令嬢は次々と幸運を手にしていく。 ハッピーエンド確定 【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2022/10/01  FUNGUILD、Webtoon原作シナリオ大賞、二次選考通過 2022/07/29  FUNGUILD、Webtoon原作シナリオ大賞、一次選考通過 2022/02/15  小説家になろう 異世界恋愛(日間)71位 2022/02/12  完結 2021/11/30  小説家になろう 異世界恋愛(日間)26位 2021/11/29  アルファポリス HOT2位 2021/12/03  カクヨム 恋愛(週間)6位

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

処理中です...