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第73話 日和とクリスマス②
しおりを挟む「治くん! 見て見て!」
熱々のお茶をすすって内臓を温めていた僕の横で、日和の興奮気味な声が弾けた。
横からビシッと差し出された人差し指は、ベランダの方向に向けられている。
視線を指に沿わせてから、呟く。
「雪か」
窓の外の暗闇にちらほらと映る、白い粒子。
そういえば今朝、ニュースキャスターが夜から雪が降るかもしれないとか言ってたっけ。
「治くん!」
日和がバッと立ち上がる。
反射的に感じ取った嫌な予感を、日和は見事に回収した。
「お散歩行こう!」
忍者の如き俊敏さで、僕は日和に背を向けた。
「寒いから外出たくない」
「大丈夫、歩いてたら徐々に温まってくるよ!」
「身体が温まるほど歩きたくもない」
「じゃあ、そこの公園まで!」
「寒い」
「行こーよー」
論理を捨てた日和が、背中をぺしぺしとペンギンのように叩いてくる。
「せっかくの雪を堪能しないなんて、焼肉食べ放題で上カルビを頼まないくらいもったいないよ?」
「僕、上カルビより並カルビ派なんだ」
「じゃあ並カルビでいい」
「前提条件グダグダかい」
「とにかく、クリスマスに雪だよ? ホワイトクリスマスだよ? こんな機会、何年に一度あるかどうかだよ?」
「北の国に行けば、毎年ホワイトクリスマスを堪能できるんじゃない?」
「東京で迎える事に意味があるの! 四葉のクローバーも、他のクローバーが三葉だから価値が引き立つんじゃない」
意外にちゃんとした正論を提示され、納得しかけてしまう。
冷静に考えてみると、それは僕が外に出たくない理由を解消する要素にはなり得ない、が。
ちらりと、後ろを伺う。
日和はわくわくと、お星様みたいな瞳を期待に輝かせていた。
お土産があるんじゃないかと期待する娘を前にした出張帰りのお父さんって、こんな気持ちなのだろうか。
……まあ、いいか。
寒いのは着込めばいいし、公園までなら距離も短いし。
断って、目の前でお日様みたいに輝く表情を落胆に変えてしまう事の方が、失うものが大きいと判断した。
底の見えない湖くらい深いため息と共に、向き直る。
「少しだけなら」
「やった!」
ガッツポーズと共にぴょこんと身体を跳ねさせる日和。
その喜びの姿たるや、遠足当日の子供の如し。
「一旦部屋に戻る?」
「んーん、このままで大丈夫!」
「そういえば、今日は制服なんだね」
ブレザータイプの制服に、黒タイツを履いた日和。
普段は大体、学校から帰って着替えてから夕食を作りに来るので、制服姿の日和はとても新鮮だった。
「パーティ終わってそのまま来たからね」
「着替えてくればよかったのに。制服、窮屈じゃない?」
「いいの。少しでも早く、治くんに会いたかったから」
その発言は、僕にとって非常に威力のある一発であった。
唐突な不意打ちに、心臓が跳ねる。
「そう、なんだ」
胸の内の動揺を悟られないよう、努めて平坦に返した。
「じゃあ、僕は着替えるよ」
「おっけー!」
とりあえず、スウェットを脱ぐ。
「って、ここで着替えるんかーい!」
突然Tシャツ1枚になった僕の姿を見て、日和は大仰にツッコミを放った。
「上着替えるだけだし……って、なに動揺してんの」
「べべ別に、動揺なんかしてないし?」
言葉とは裏腹に、視線をうろうろさせる日和。
男のTシャツ姿なんて動揺する要素皆無じゃないかと不思議に思ったが、冷静に考えたら日和はまだ17歳。
異性に対する免疫が、想像以上に無いのかもしれない。
思い到ると、わかりやすく恥じらいを見せる日和の事が、妙に可愛らしく思えてきた。
無意識に、手が伸びる。
「んぅっ……」
その小さな頭をひと撫ですると、日和はふにゃりと大人しくなった。
口元を緩め、気持ちよさそうにする。
甘える小動物と化した日和を撫でながら、ふと思った。
もしかしてこれは、わんぱくな猛獣を手懐ける唯一無二の方法なのかもしれない。
頃合いを見て手を退けると、日和はハッと表情を戻し、頬を赤らめたままほんのりと声を荒げた。
「な、撫でて誤魔化してもダメっ」
「別に誤魔化しては」
「いいから服を着る!」
「はいはい」
側にあったニットセーターを手に取る。
もこもことした手触りの良いそれは、着てみると新品の匂いがした。
「あっ、それ……」
日和が僕を指差す。
正確には、僕が着たニットセーターを。
もっと正確に言えば、日和が先程、僕に渡してくれたクリスマスプレゼントを。
「早速使わせてもらってるけど……まずかった?」
ふるふると、流麗な黒髪が左右に揺れる。
「ううん、むしろ嬉しいよ」
日和はにんまりと笑って、
「ありがとう」
何に対してかわからない感謝の言葉を僕に贈った。
表情筋を楽しませる日和を見て、また撫でたい欲が再沸騰してきたが、堪える。
あんまりやりすぎると、怒られそうな気がしたから。
上にコートを着て、マフラーを首に巻く。
手袋は……近場だし、ポケットに手を突っ込んで暖をとればいいかと、していかないことにした。
実際のところは、引き出しから引っ張ってくる労力をケチっただけである。
「それじゃあ、れっつらごー!」
陽気な掛け声と共に、僕らは雪降る世界へと出発した。
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