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第23話 彼女と一緒に本屋さん
しおりを挟む休日に山に登ろうという無茶苦茶な提案に対し、僕はできる限りの抵抗を試みたが結果はお察しの通りである。
月に一度あるかないかの素晴らしき三連休は、登山という最も予定表に刻まれたくない行事によって粉々に打ち砕かれた。
土曜日の午前11時。
前日の雨が今日まで跨いでくれないかと祈るも虚しく、まるで彼女が雨雲を全て吹き飛ばしたのではないかと思うほどの快晴に見舞われていた。
「ついたー!」
彼女の溌剌とした声が、八王子駅前広場に轟く。
高尾山の最寄りはまだ先の駅だが、登る前にエネルギーを蓄えようという彼女の提案により先にこの駅に降り立った。
23区外ではあるものの市の中では一番大きい八王子駅は、JRの主要線4つの他に私鉄である京応線も乗り入れており、飲食店の数も多い。
外食好きな僕からすればテンションが上がる駅ではあるものの、昼食後に待ち構えているイベントのことを思うとそんな気にもなれなかった。
「これから地獄に行くっていうのに、よくそんな元気でいられるね」
彼女に恨めしそうな視線を投げかけるのは何度目だろうか。
基本的に思考が後ろ向きの僕は、来たからには楽しもうという気にもなれず、これから起こるであろう苦行にただただ憂鬱な気分を募らせるばかりである。
「望月くんの覇気がなさすぎなの! そんな調子だと、木の根っことかに足元をすくわれちゃうよ?」
「いっそのことすくわれて途中リタイアする方が良いかも」
「女の子に背負われながら登頂するのはメンタル的に辛いと思うんだー」
「リタイアって言ったよね?」
彼女なら本当にやりかねないので念を押しておく。
「冗談だってー。さすがの私も男の子一人背負って山登りは厳しいよ」
からからと笑う今日の彼女はTシャツにジーンズ、スニーカーという動きやすい格好で、髪も後ろで纏めている。
高尾山制覇に向けてやる気の満ち溢れた姿に対し、僕は歩きやすいスニーカーをチョイスした以外は普段と変わらぬ格好で、登山に向けてのモチベーションは皆無であった。
「それで、お昼はどこで食べるのっ?」
まずは腹ごしらえだと、彼女が餌を前にした犬のように聞いてくる。
「登山前って、なに食べるのが適切なんだろう?」
「んー、美味しくて栄養があってお腹にあんまズシンとこない、美味しいやつとか?」
「美味しい二回言わなかった?」
「大事なことだから」
ふふんと得意げに胸を張る彼女を無視し、飲食店の総合情報サイトであるメシログを開く。
八王子駅周辺で検索をかけ、ランキング順に上から吟味してゆく。
ほどなくして、条件に一致してそうなお店を発見した。
「スープカレーとか好き?」
「大好き! 食べた事ないけど」
「矛盾って言葉知ってる?」
「食べないと好きになっちゃいけないってのがそもそもの間違いだと思うの。響きだけでもう気に入った!」
「あ……そう。この近くに、メシログ3.8くらいある有名なスープカレー屋さんがあるみたいだから、そこにする?」
僕も訪れなことの無いお店だったが、メシログに投稿された画像や口コミを見る大いに期待できそうであった。
「へぇーっ、どんなの?」
身を乗り出してきた彼女に画像を見せる。
ディスプレイに映し出されたスープカレーを見るや否や両目を輝かせ、彼女は勢いよく首を縦に振った。
もうすっかり気分はスープカレーになったようだ。
好き嫌いがない彼女にはどのお店を提案しても即OKが出るので、その点においては楽で良い。
そのお店は駅から徒歩5分くらいのところにあった。
スープカレーというおしゃれな響きとは裏腹に、外観は古民家風で田舎にある祖母の家を連想させた。
どこからともなく、線香の匂いが漂ってきて、懐かしい気持ちになる。
「見てみてこの表札、『カレー』だって! ウケるんだけど!」
ユニークな外装がお気に召したのか、きゃっきゃとはしゃぐ彼女を尻目に店先を見やる。
営業中のプレートが提げられているようだが誰も並んでいない。
これは待ち時間なしで入店できるかと思いきや、腰の低そうな店員さんが出てきてすまなさそうに言った。
「大変申し訳ございません。現在10組待ちで、店内へのご案内までに1時間ほどかかる見込みなのですが、よろしいでしょうか?」
10組待ち? と耳にして疑問を抱いた。
どこに待っているのだろうと不思議に思っていると、店員さんが付け足した。
「もしお待ちになられるようでしたらここに名前を書いていただき、指定の時間までに戻ってきて頂く形となります」
ああ、なるほど。
待ちといえば行列に並ぶのが一般的だが、このお店では時間までに戻って来ればどこへ行っても良いらしい。
僕は「どうする?」と彼女に意見を仰いだ。
以前から人気店を巡っていた僕からすると1時間程度の待ちなど造作もないのだが、彼女はどうだろうか。
おそらく僕と反対だろうから、スパッと別の店に行く意思決定をしそうではあるが。
「望月くんが良いなら待ちたい!」
彼女はステイすることを了承した。
意外に思いつつも、僕は店員さんに待機する旨を伝える
入り口のリストに名前を記入した後、僕らは一旦店を後にした。
「待つの苦手だと思ってた」
「んー?」
るんるんと先を歩く後ろ姿に言葉を投げかけると、彼女がくるりと振り返って小首を傾げた。
「あっ、待ち時間のこと? 確かに、一人の時は待たないかなー」
「じゃあ」
「今日は望月くんと一緒にいるから、並んでも平気なの」
「僕と一緒にいても、一人で並んでいる時と時間は変わらない気がするんだけど」
「でも楽しい時間は普段よりも経つの速いじゃない?」
「僕と一緒にいても楽しくないでしょ」
「楽しいよ?」
躊躇なく言われて、僕は言葉を詰まらせる。
どこが、と聞こうとして、その問いを飲み込んだ。
僕が納得するような論理的な解が彼女から出てくるとは思えなかったから。
僕が押し黙りを納得と捉えたのか、彼女は相変わらず何を考えているのかわからない笑顔を浮かべた。
「駅にいろいろあったから、とりあえず戻ろっか!」
彼女の提案に従い駅に戻った僕達は、まずは書店に立ち寄ることにした。
「どっか寄りたい店は?」という彼女の質問に対する僕のリクエストである。
店に入り、自分の好きなジャンルの本棚を眺めていると、彼女の尖った口から小言を頂いた。
「また部屋散らかっちゃうよ?」
「それくらいの代償は造作もないよ」
「私には代償が大きいの! もうっ、何度躓きそうになったことか」
彼女は呆れた表情を浮かべていた。
そういえば、なんだかんだで本棚を購入していない。
スペースを確保するだために今は本を上に上に積み重ねているが、それもいつまで持つことやら。
ブックタワーの崩壊は近そうなので、そろそろ本気で買い時かもしれない。
「よくそんなに本読めるねー」
「君は読まなさそうだよね」
「紙で読むとしたら漫画かなー」
彼女とは読書の趣向も相入れないことを確認した僕は引き続き、目ぼしい本がないか視線を彷徨わせる。
「初心者でもオススメの小説は?」
唐突に、彼女が尋ねてきた。
彼女にしては珍しい質問だったため、読んでいたあらすじの中身が頭から飛び立ってしまう。
「何を企んでるの」
「なんも企んでないわよぅ。ただ、君がそんなにも熱中する事に興味が湧いただけ」
後半、どこか含みがあるように感じて気になったが、特に裏の企みがあるようにも見えない。
本を読むことは脳に良い作用をもたらすことを僕は知っているので、彼女がもう少し論理的な思考を持ちますようにと願いを込め、老婆心ながら知識を共有する事にする。
「初心者なら、ライトノベルがいいんじゃない? 文章も簡単だし、話もわかりやすいものが多い」
「ライトノベルは知ってる! クラスの子が読んでた!」
「うん。まさに君らの年頃の子向けだから、ちょうどいいと思う」
「その中でオススメは?」
「僕が読んで面白いと感じたのは……」
高校時代の記憶を掘り起こし、彼女でも楽しめそうで比較的難しくない作品を何作かピックアップしてやる。
彼女はふんふんとスマホにメモを取り、楽しみが増えたとでも言うように笑顔を咲かせた。
「ありがとう! 今度買って読んでみるね!」
言われて、僕は妙な感覚に見舞われた。
まるで、自分の感覚が別の感覚と触れ合ったかのような。
この感覚の発生要因が、彼女が僕の趣味に歩み寄って来た事によるもの、というのはなんとなくわかる。
ただ、その正体はわからなかった。
「行こうか」
「あれ? なんも買わないの?」
「今買ったら登る時に荷物になる」
とりあえず、適当な理由をつけてこの場から離脱する事にした。
彼女は不思議そうにしている。
「一冊200グラムもないんじゃないの?」
「たかが200グラムでも、僕の筋肉に大きな影響を及ぼす」
「そんな大げさなー」
「君と違って僕はもうご老体だから、労ってあげないと」
「3つしか違わないじゃん」
「君より1000日ちょっとも筋肉を使ってるんだよ?」
「そう言われるとなんか衰えてそうだから不思議よね」
「人は単位よりも数字単体の方に目がいっちゃう脳構造しているから」
「なるほど!」
書店を出た後は彼女の要望で電気屋さんに寄った。
なんでも最近パソコンの調子が悪いらしく、そろそろ買い替えどきという事でちょっと下見をしたいらしい。
「うーん。といっても私、機械には疎いんだよねー」
ずらりと並べられたデスクトップPCのスペック表を見比べながら、彼女はむむむと難しい顔をしていた。
「パソコンでゲームとか、動画編集とかしたりは?」
「んーん、しない! 調べ物したり、ヨーチューブ見るくらいかな?」
「予算は?」
「高くても10万円までかなー」
「じゃあこの5万のパソコンで十分だと思う。その用途ならグラボも必要ないし、メモリも8GBあれば足りるだろうから」
僕の持つ知識の範囲内で助言をすると、彼女は目を半紙に一滴だけ垂らされた墨汁みたいにまん丸くした。
間違った情報を言ってしまっただろうかと思ったが、違うらしい。
「もしかして望月くん、パソコン強い人?」
「それなりに? 一応、ITに勤めてるし」
「へぇー!! そうなんだ!!」
普通の人がしたらお世辞だと思われるくらいオーバーに感心してみせる彼女。
「じゃあ、望月くんセレクトだと間違い無いね!」
「間違いはあるかもしれないから、一応商品名メモっておいて家でじっくり調べた方が良い」
「わかった!」
彼女はスマホを取り出しパシャパシャと、何度も商品のプレートを撮っていた。
映えるものでもなかろうに。
「前々から思っていたけど、よくそんなお金持つね」
僕はふとした疑問を呈した。
高校生でマンションに一人暮らし。
外食もしてパソコンの購入も検討している。
大方、裕福な家庭なんだろうと思っていた。
「んー、結構前にちょっとしたバイトして、それで余裕ができた感じかなー」
「バイト?」
僕の足りない想像力では、喫茶店や飲食店のウェイトレスを想起させた。
彼女の容姿なら、調理場ではなくホールに違いない。
「ほら私、結構特殊な力持ってるじゃない?」
予想の斜め上の回答を得たため、僕は返答に窮した。
彼女は、乾パンのようにパサパサとした笑みを浮かべた。
どこか見覚えるのあるその表情は、見覚えがあった。
以前、彼女の親の話題に触れた時に浮かべたそれだ。
「ああ……なるほど」
僕は咄嗟に彼女の興味がどこかへ行くような、中身のない返答をした。
彼女はそれ以上、バイトについての話題を広げようとはしなかった。
そのことに、ほっと安堵している自分がいた。
彼女の表情は、いつも浮かべている明るいそれに戻っていた。
「よし、保存完了っと。ありがとう、望月くん!」
「……別に」
胸が妙にむず痒くなった。
僕の心のミットは、ストレートな感謝の言葉を受け止め慣れていないようだ。
「おっ、そろそろ時間かな?」
電気屋を出たところで、彼女が声を弾ませた。
確かに、そろそろ店に戻った方が良い頃合いだった。
「ねっ? あっという間だったでしょ?」
振り向くと、彼女はふふんと得意げにしていた。
確かに一人でぼーっとするよりかは……時間が速く感じたかもしれない。
ただ、それをそのまま言うのはなんだか負けた気がして憚られた。
「そんなに長くなかった、かもしれない」
「なにそれ曖昧ー!」
ぷくーと頬を膨らませる彼女の表情に不快の色はなく、むしろ機嫌良さげだった。
だんだんと彼女のペースに乗せられているような気がして、僕は改めて慣れの恐ろしさを再認識するのであった。
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