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第2話 夜風に吹かれながら

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「はあ……」

 賑やかなホールから離れた、人気のないバルコニー。
 手すりにもたれかかり、王都の煌びやかな街並みを臨みながらヒストリカは息をつく。
 
 ホールでは毅然とした態度を貫き切ったが、流石に疲弊していた。

 バルコニーの入り口についていた使用人がヒストリカを見るなり「しばらく外しますので、ごゆっくり」とそそくさと立ち去るほど、今の自分はどんよりとしたオーラを纏ってしまっているのだろう。

 そもそも生粋のインドア派で一日のほとんどの時間を一人で過ごすヒストリカにとって、何十人もの人々に注目されるという状況はそれなりのストレスを被った。

 侯爵家の夜会で伯爵家の令息が婚約破棄を叩きつけるという、両家にとって大きな不利益になりかねない行動を起こされた以上、こっちが冷静に対処しなければより大事になっていたかもしれない。

 反論は極力抑え事実確認のみをし、さっさと切り上げた事で間接的に元婚約者(クズクズ)を救った形になるが、彼がその事実に気づく事も認める事もないだろう。

 ……正直、近々このような事態が起こるとは薄々予感していた。

 ここ最近のハリーの自分に対する扱いや、距離感を鑑みればわかる。
 婚約当初は頻繁に来ていた手紙は最後にいつ来たかもう思い出せないし、そもそも今日の夜会が久しぶりの顔合わせだった。

 ヒストリカが実家の領地をうまく経営していることも人伝で聞いたというあたり、ハリーのヒストリカに対する興味の薄さが窺える。
 加えて風の噂でハリーが自分ではない、別の令嬢と一緒にいたというのも耳にしているとなると、思考が現実的になるのも無理はない。

 そもそもハリーの貞操観念の軽さは、貴族学校時代の振る舞いから把握している。

 先程はたった今愛を誓いあったなぞと抜かしていたが、もうずっと前から二人は繋がっていたのだろう。
 
 心も、身体も。

 まあ、つまり、そう言う事なのだ。
 
「はあ……」

 社交会の中では『氷の令嬢』だの『笑み無き鉄仮面』など散々言われるほどには、ヒストリカの心は強い自覚はあったが……多少は傷ついていた。

 ハリーとの婚約は、元々両家の当主が決めた政略に近い形で結ばれたものだ。
 だから、ハリーの事を心の底から愛していたかといえば、疑問符が浮かぶ。
 
 しかしそれでも、多少の愛着はあった。
 今は良き婚約者として、結婚後は良き妻として尽力しようという気概もあった。

 スキンシップといえば公の場で手を繋いだくらいで、ハグもキスもした事ないけれど。

 婚約当初はたくさん来ていた手紙も少なくなって、会う頻度も低くなって、ハリーとの距離が少しずつ遠くなっていく実感はあったけど。

 それでも、心のどこかで信じていたところはあったからこそ、胸の奥が擦れるように痛いのだろう。
 
「何が、いけなかったのでしょう……」

 呟いてみたものの、聡いヒストリカがわからないわけではない。

 ハリーは言った。

 優秀すぎる事が、人を見下したような態度が、透かしたような目が、女のくせに男よりも成果を出す所が気に食わないとハリーは言っていた。

 しかしそれらの点は否定されてしまうとどうしようもないと言うのがヒストリカの所感だった。

 ヒストリカの優秀さは、両親の教育方針に起因する。

 ハリーも言及していたが、ヒストリカの家柄は少々複雑だ。

 もともとエルランド子爵家は、高祖父の代に起こった戦争で隣国からここヒーデル王国に亡命してきた経緯を持つ。

 隣国では侯爵レベルの爵位を持っていたらしいが、他国の、それも戦争をしていた国の身分と同等の爵位を授かれるわけもなく、亡命の際に持ち込んだ莫大な財産を献上しなんとか子爵の地位を手にする事ができたらしい。

 (未だ隣国とは冷戦状態ではあるものの)戦争が終わり平和な世になって時が経ち、ひ孫の世代となってヒストリカは誕生した。

 両親がなかなか子宝に恵まれず一人娘となったヒストリカは、爵位と家柄の低さを補うためだと両親からあらゆるスパルタ教育を施された。

 優秀な家庭教師を付けられ、書庫になった本を全て読まされ、日々「勉学と自己研鑽によってお前の幸せは切り開かれるのだ」と言い聞かせられた。

 結果が振るわなかった時は理不尽な罵詈雑言と暴力にさらされ、半ば洗脳にも近い形でヒストリカの勉学に対する意識は向上していた。

 生まれつきの能力も高く、真面目な性分であったヒストリカはそういった両親の教育方針を受け止め、期待以上の成果を出し続ける事に成功する。

 かと言って手放しで褒められるわけでもなく、「成果に驕る事なく、さらなる高みを目指せ」と縛めを受け続けた故に、(自分はまだまだよ……)と自分に言い聞かせ更なる研磨に励んだ。

 結果、同世代の誰よりも優秀な頭脳を持つまでに至ったのは言うまでもない。

 しかし時期が悪かった。

 ヒーデル王国では昔から男尊女卑の思想が強い国柄だったが、ここ数年でその風潮が激化してしまっていた。
 もともと男性が活躍していた仕事に女性が進出し始めた事を快く思わない一部の権力層が、積極的に女性を排斥する方向に活動をした事が原因であった。

  結果、ヒストリカの持ち前の優秀さと弛まぬ努力によって得た全てが仇となってしまったのである。
  なんとも皮肉な話であった。

 休む間もない日々の修練を続けた結果、輝かしい成果と引き換えにヒストリカからは感情の起伏と表情の変化が欠落した。

 令嬢らしからぬ合理・効率主義。
 感情ではなく理性を重視したその振る舞いに、可愛げがないと言われてしまうのは仕方がない。

 ヒストリカとは対照的に、蝶よ花よと育てられ振る舞いも可愛らしく、いつも周りを笑顔を振りまくアンナの方が選ばれるのは、当然の結末といえよう。

「…………」

 頭の中を整理していると、段々と胸の痛みは収まってきた。

 並の令嬢なら三日三晩枕を濡らしそうな出来事があったにも関わらず、ヒストリカの頭は冷めていた。

 此度の婚約破棄の理由はひとつに集約されてしまう。

 自分と、ハリーとの相性が良くなかった。

 ただそれだけ。

  考えると気が重いのは、家に帰れば婚約破棄を知った両親から過剰な怒りと平手打ちをぶつけられる事が目に見えていることくらいか。

 しかしそれはもう、慣れっこだ。

「もう、どうでも良いことね」

 ハリーの事を考える時間も勿体ない。

 考えるべきは、これからどうするべきか。

 あれだけ多くの貴族の前でこっぴどく婚約破棄をされては、もう自分の貰い手はいないも同然だろう。

 立場や外聞を気にする貴族たちは、ただでさえ元々の評判が微妙だった上、公の場で傷物認定されるような令嬢を貰いたいとは思わない。

 明日から社交会での話題はきっと、一連の騒動に違いない。

 侯爵家での夜会で堂々とマナー違反を犯したハリーに非がある分、まだ救いがあるかもしれないけど。

 なんにせよ、今考えていても仕方がない事だった。
 
「……戻りましょうか」
 
いつまでもここに居座るわけにもいかない。

 重い身体を引き摺って、ホールに戻ろうとした時。

「そこに……誰か、いるのか?」

 夜闇に溶けるような低い声が、ヒストリカの鼓膜を震わせた。
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