上 下
27 / 75
【第1章】幼き3人の姫君達

その23✤アリシア---ブルージュへの旅立ち

しおりを挟む
 フィリップ善良公が亡くなって2ヶ月程経った頃、ミナと名前を変えたベアトリスは市場で野菜を売っていた時に、アントワープからの商人達が話している会話がふと耳に入った。

「なんでもシャルル公の3番目の奥方はイングランドから来られるらしいよ、ほら今のイングランドの国王はエドワード王だっけね」
「あぁ、そうらしいね、確かその王様の妹君にあたる姫をシャルル公は奥方に迎えるんだろう?」
 
「エドワード王の妹君ですって?!!!」ベアトリスはびっくりして高鳴る胸を抑えながら聞き耳を立てたが、その商人達はこの話の詳細は知らないのか、それ以上はその話題には触れずに去ってしまった。

「エドワード王の妹君?? エリザベス姫(注1参照)はもうとっくに嫁がれているのだから、マーガレット姫しかいないはず」

 でもしかし、この話は本当なのだろうか? イングランドからこのブルゴーニュへ嫁がれる姫がいる? イングランド王の妹君がここの公爵夫人になられる……?
 
 そう考えていた時、今度はヴェネチア商人が通りかかった。そしてベアトリスとアリシアが毎晩編んで作っていた首と袖の飾りを眺めて、
「ふむ、これはなかなか美しい、うちの娘達に買っていこう」と数枚を手に取った。
ベアトリスは欧州の一番の情報通のヴェネチア商人なら知っているに違いないと思い、
「旦那様、本日は特別にお値段を安くさせていただきます」とフランス語で話しかけた。
野菜売りがフランス語を話せると周りに気が付かれないように今まで使わずにいたのだが、ちょうどこの日は自分達の横の場所は空いていて誰もいなかったのだ。
ヴェネチア商人は機嫌良く、
「そうか、では襟の飾りを3枚に袖の飾りを6枚購入しよう」と言うので、少し値段を安くした上に、襟の飾りを1枚と袖の飾りを2枚余分に渡した。

 そして
「これから私達のブルゴーニュ公国も景気が良くなるでしょうね。だってシャルル公が結婚なさるのがイングランドの姫様なんですもの」と言ってみると、ヴェネチア商人は
「そうそう、マーガレット姫に決まったらしいな、めでたい事だ」と答えて、明るく笑って去って行った。
「あぁ、なんてことでしょう、やはりマーガレット姫だなんて!」

 私達のマーガレット、いつも私達のそばを走り回って遊んでいた可愛い姫---最後に彼女と会ったのは彼女が13歳の頃、あれから8年の月日が流れマーガレットは21歳になっているはず。
 
 ベアトリスは自分がこのように野菜を作り、労働して、一生が終わるのは構わなかった。許されぬ恋をして、でもその思い出だけで一生行きていけると思っていた。彼女の愛した人は、幼馴染で、子供時代からお互いに好きだった特別な人だったから……。
 
 でもわからなかったのだ。自分の大切な娘セシリア、そして自分が巻き込んでしまったために、このような不安定な生活をしているアリシアが果たしてこのまま、このベギンホフで最後まで幸せな一生を送ることができるのかどうか……。
 
 ベアトリスは17歳くらいまではある程度幸せな生活を送っていた、でもこの子達はたまに蜂蜜を数滴食べることができればそれを最高の幸せと思っている。本来であればもっと素晴らしい生活をしていてもおかしくなかったというのに、本当にこの子供達にとってこの生活で良いのだろうか。
 
 そもそもアリシアもセシリアも薄い金髪の髪を持ち、目の色は緑と青が混ざった色に真ん中はヘーゼル色という不思議な色で、明るい陽の光の中では青と黄色が混ざって緑色に、夜の屋内ではオレンジ色が強く見えたりと、目の色が特定しにくいという、美しいけれどでも、変わった色の瞳を持っていた。そして本当の姉妹ではないのに、姉妹にしか見えないのはこの髪の色と目の色があまりにも似ていたせいだった。
 
 2人共美しい少女だったのだが、それでもこのように何も庇護がない状態で、2人の透明に輝くような美しさは逆に気がかりでもあった。またこの変化する瞳の色によって誤解され、出生を卑しいものと勘違いされないとも限らない。色々な面から、心配になってきていたのだ。
 
 そしてもしも何かあった時に、今の無力な私ではこの子達を守り切ることはできないだろう、ましてや、万が一私が先に死ぬようなことがあったら、この2人はこの先どうやって生きて行くのだろう。
 
 実はベアトリスは最近心臓に妙な痛みがあるのを感じるようになっていた。自分の母も心臓が弱く早くに亡くなっていた。同じ問題を抱え若くして亡くなっている親戚もいたと聞く。
 
 自分は長生きできるのか、あるいはできないのか、はっきりわからないこの状態で、もしこの美しい娘2人を自分のいない世界にこのまま置いて逝かなければいけなくなったら、一体どんなことになるのだろうか。娘達は確かな絶対的な庇護のないこの世界で、本当に幸せになれるのだろうかと、心配でたまらないという気持ちが何故か突如、芽生えてきた頃だったのだ。それはアリシアが小さな少女から、年頃の少女へと近づいてきていたからなのかもしれない。2人が幼い時にはなかった違う心配が出てきたのだ。

「私は例え会えなくても構わない、でもこの2人をなんとかマーガレット姫に会わせたい。そうしたらきっと何かが変わるかもしれないから……少なくともこの2人にとって悪いことにはならないだろう」ベアトリスは強くそう思った。
 
 それから土曜日に市場があるたびにベアトリスは聞き耳を立てて情報を集め、その結果「マーガレットは来年の夏の前にはブルージュに到着する」ということがわかった。

 ベアトリスは言った。
「ブルージュという美しい街には“ミナ”がいるのよ。私達も会いに行きましょう」
「ママと同じお名前なの?」セシリアは聞く。
「そうよ、だからそのミナがいる湖を見に行かなくちゃ」
そしてアリシアに言った。
「忘れ物はしないようにね、特にロザリオとロザリオの入っている袋は肌身放さずに2人で持っているのよ。そしてあなたの大切なお人形もね」
セシリアが答えた。
「ママ、アリシアがね、セシリー(お人形の名前)はセシリアが持っていて良いって!」
「アリシアは優しい子ね、わかりました。
でも、いつかその時が来たらこの人形はアリシアに返すのですよ、その時はアリシアがこの人形をしっかり持ってね」

「その時?」それは何のことだろう。アリシアはわからなかった。この言葉の意味が……でもベアトリスの嬉しそうな表情を見て、アリシアはきっとそのブルージュには何かがあるのに違いないと思い、ベアトリスが幸せを感じることができるのであればどこに住んでも構わないと思っていた。

 違う街へ行っても、また3人で力を合わせて暮らしていけばきっと今まで通り幸せな日々を送ることができるだろうと、賢いアリシアはそう信じていた。

※メッヘレンの聖ロンバウツ大聖堂のマリア像。


(注1)
 エリザベス姫はもうその9年前の1458年、彼女が14歳の時に第2代サフォーク公ジョン・ド・ラ・ポールと結婚している。


Copyright(C)2022-kaorukyara




またベルギーに近いドイツ在住の地の利を生かして、InstagramやTwitterではマリー・ド・ブルゴーニュのゆかりの地ベルギーのブルージュで見かけた、マリー姫に関連するものをご紹介していきます。

この物語と合わせてお楽しみ下さい。

Instagram https://www.instagram.com/kaorukyara/

Twitter https://twitter.com/kaorukyara

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

命の番人

小夜時雨
歴史・時代
時は春秋戦国時代。かつて名を馳せた刀工のもとを一人の怪しい男が訪ねてくる。男は刀工に刀を作るよう依頼するが、彼は首を縦には振らない。男は意地になり、刀を作ると言わぬなら、ここを動かぬといい、腰を下ろして--。 二人の男の奇妙な物語が始まる。

Millennium226 【軍神マルスの娘と呼ばれた女 6】 ― 皇帝のいない如月 ―

kei
歴史・時代
周囲の外敵をことごとく鎮定し、向かうところ敵なし! 盤石に見えた帝国の政(まつりごと)。 しかし、その政体を覆す計画が密かに進行していた。 帝国の生きた守り神「軍神マルスの娘」に厳命が下る。 帝都を襲うクーデター計画を粉砕せよ!

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

抜け忍料理屋ねこまんま

JUN
歴史・時代
 里を抜けた忍者は、抜け忍として追われる事になる。久磨川衆から逃げ出した忍者、疾風、八雲、狭霧。彼らは遠く離れた地で新しい生活を始めるが、周囲では色々と問題が持ち上がる。目立ってはいけないと、影から解決を図って平穏な毎日を送る兄弟だが、このまま無事に暮らしていけるのだろうか……?

教皇の獲物(ジビエ) 〜コンスタンティノポリスに角笛が響く時〜

H・カザーン
歴史・時代
 西暦一四五一年。  ローマ教皇の甥レオナルド・ディ・サヴォイアは、十九歳の若さでヴァティカンの枢機卿に叙階(任命)された。  西ローマ帝国を始め広大な西欧の上に立つローマ教皇。一方、その当時の東ローマ帝国は、かつての栄華も去り首都コンスタンティノポリスのみを城壁で囲まれた地域に縮小され、若きオスマンの新皇帝メフメト二世から圧迫を受け続けている都市国家だった。  そんなある日、メフメトと同い年のレオナルドは、ヴァティカンから東ローマとオスマン両帝国の和平大使としての任務を受ける。行方不明だった王女クラウディアに幼い頃から心を寄せていたレオナルドだが、彼女が見つかったかもしれない可能性を西欧に残したまま、遥か東の都コンスタンティノポリスに旅立つ。  教皇はレオナルドを守るため、オスマンとの戦争勃発前には必ず帰還せよと固く申付ける。  交渉後に帰国しようと教皇勅使の船が出港した瞬間、オスマンの攻撃を受け逃れてきたヴェネツィア商船を救い、レオナルドらは東ローマ帝国に引き返すことになった。そのままコンスタンティノポリスにとどまった彼らは、四月、ついにメフメトに城壁の周囲を包囲され、籠城戦に巻き込まれてしまうのだった。  史実に基づいた創作ヨーロッパ史!  わりと大手による新人賞の三次通過作品を改稿したものです。四次の壁はテオドシウス城壁より高いので、なかなか……。  表紙のイラストは都合により主人公じゃなくてユージェニオになってしまいました(スマソ)レオナルドは、もう少し孤独でストイックなイメージのつもり……だったり(*´-`)

くじら斗りゅう

陸 理明
歴史・時代
捕鯨によって空前の繁栄を謳歌する太地村を領内に有する紀伊新宮藩は、藩の財政を活性化させようと新しく藩直営の鯨方を立ち上げた。はぐれ者、あぶれ者、行き場のない若者をかき集めて作られた鵜殿の村には、もと武士でありながら捕鯨への情熱に満ちた権藤伊左馬という巨漢もいた。このままいけば新たな捕鯨の中心地となったであろう鵜殿であったが、ある嵐の日に突然現れた〈竜〉の如き巨大な生き物を獲ってしまったことから滅びへの運命を歩み始める…… これは、愛憎と欲望に翻弄される若き鯨猟夫たちの青春譚である。

江戸の夕映え

大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。 「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三) そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。 同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。 しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。

肥後の春を待ち望む

尾方佐羽
歴史・時代
秀吉の天下統一が目前になった天正の頃、肥後(熊本)の国主になった佐々成政に対して国人たちが次から次へと反旗を翻した。それを先導した国人の筆頭格が隈部親永(くまべちかなが)である。彼はなぜ、島津も退くほどの強大な敵に立ち向かったのか。国人たちはどのように戦ったのか。そして、九州人ながら秀吉に従い国人衆とあいまみえることになった若き立花統虎(宗茂)の胸中は……。

処理中です...