上 下
21 / 75
【第1章】幼き3人の姫君達

その17✤その頃のマクシミリアン---その1

しおりを挟む
 一方、この小説のもう一人の登場人物である---我らが「中世の騎士」マクシミリアンは当時どうしていたのだろうか。

 もともと彼が誕生したのはドイツ神聖ローマ帝国の皇帝一家なのだが、その当時のマクシミリアンの生活は、正直言って皇帝一家の御曹司とは思えないほどのわびしい生活ぶりだった。しかしながらそれを理解していただくためには、父フリードリッヒ3世についてまずご説明させていただこうと思う。

 そもそも父である神聖ローマ帝国皇帝のフリードリッヒ3世は、オーストリア南部のシュタイエルマルク、ケルンテン、クラインのわずか三州を持つだけの、貧しく、そして弱々しい地方の伯爵に過ぎなく、その上彼は武勇に優れているという噂もなく、どちらかと言えば臆病者で知られ、陰気で風采のあがらない、いかにも御(ぎょ)し易(やす)いと思われる男だったのだが、実はそれこそが、彼が神聖ローマ帝国皇帝という地位に祭り上げられた理由だった。

 西暦800年、フランク王国を建国し西ローマ帝国の大帝になったカール大帝の意志や権威を継承しようと、962年オットー3世が神聖ローマ皇帝という名称で皇帝位を復興したことから始まったこの地位なのだが、13世紀には大空位時代と呼ばれるほとんど意味をなさない、皇帝とは名ばかりの時代を経て、14世紀にはもはや到底“皇帝“と名がつくとは思えない地位の衰退ぶりで、ほとんど名目上だけの官職に成り果てていた。

 そして1356年には、皇帝カール4世がローマ王(神聖ローマ皇帝の後継者)は現在のドイツ辺りに住む7人の有力な家系の選帝侯による選挙で決定されると定めたのだが、この選帝侯達にとってなんといっても一番大切な決め手というのが
「自分達の邪魔をしない者」であり、そのためには貧しく力がなく、その上采配(さいはい)する能力も低そうな者を選ぶことが重要で、そう言った意味から、おおよそ皇帝どころか田舎の一君主としてすら頼りないフリードリッヒ3世という男は実にぴったりの適任者だったのだ。

 当時300を超える領邦国家(りょうほうこっか)が乱立していたドイツでは、誰もが自分の家の繁栄という私利私欲しか考えていなかったので、正直神聖ローマ皇帝など、どうでも良かったと言っても言い過ぎではないだろう。

 ローマ皇帝の後継者を決める7人の選帝侯達(注1参照)は聖界諸侯でもそもそも富裕家系出身であり、世俗諸侯達も付近の弱小貴族の領地を併合してますます勢力を拡大していたので、名ばかり皇帝などという地位は、能力も財産もないこのどこから見ても凡庸な田舎伯爵にでも任せて、そして権力もないまま、そのうち亡くなるのを待てば良い、と当時誰もが(と言うのが言い過ぎであるなら、少なくともこの7人の選帝侯は)そう信じ願い、またほぼ誰からも尊敬すらされなかったのがマクシミリアンの父フリードリツヒ3世だったのである。

 そんな彼は結婚も遅く、初めて結婚したのは36歳の時、皇妃に選ばれたのはポルトガルのジョアン大王の嫡男であるドゥアルテ1世(注2参照)の愛娘エレオノーレ、当時16歳の姫だった。
 透き通るほど白い肌をもつこのポルトガルの姫は「天使のように美しい少女」で、
「輝かしい神聖ローマ皇帝の皇妃になる」と聞かされていたエレオノーレは大きな希望を胸にオ-ストリアに嫁いで来るのだが、36歳という高齢(当時は普通は既に孫もいる年齢)の陰気な夫に会い落胆したばかりではなく、衝撃を受けたのはそのわびしい暮らしぶりたった。

 その頃、現在のウィーンの南方に位置していたヴィーナー・ノイシュタットにあったフリードリッヒ3世の宮殿は宮殿とは名ばかりの、古くみすぼらしい暗い城塞だったし、美しい窓ガラスもまだドイツ帝国内では全く普及していなかったので、とにかく窓は全部小さくて(これは外部からの侵入を防ぐためと防寒上の理由から)城内はいつも暗くて、晴れ晴れと明るいリスボンの自分の育った宮殿とは想像もできないほどの陰気さだった。

 だいたい常に金欠だったフリードリッヒ3世の食卓は非常に質素で、主食は豆、もちろん肉はおろか海からの魚介類などあるわけもなく、暖かいポルトガルであれば栽培できる美味しい果物すらなかった。オーストリアでは果物の味すら劣っていたのだ。

 その上に、その彼女の倍近い年で大きな鷲鼻を持つこの夫は非常に無口で、たまに口を開いてもボソボソと呟くようにしか話さない男であり、おおよそ人間的な魅力にも欠けていた。

 このオーストリアで、まだうら若く美しいエレオノーレがどのような気持ちで日々を過ごしていたのか、期待が大きかっただけにその失望はいかばかりであろうかと、想像すればするほど胸が痛くなるが、結婚から7年後にやっと彼女は待望の子供を授かる。しかも夫フリードリッヒ3世を喜ばせる男子でもあった。

 それが「我らが騎士マクシミリアン」であり、この陰気な父フリードリッヒ3世とは似ても似つかない光り輝くように明るい魂を持った御曹司が産まれたのは、1459年3月22日のことだった。
 

※画像はマクシミリアンの両親---フリードリッヒ3世とエレオノ-レ。


(注1)
 3人の聖界諸侯 マインツ大司教、トリア大司教、ケルン大司教
 4人の世俗諸侯 ボヘミア王、ライン・プワァルツ伯、ザクセン公、ブランデンブルグ辺境伯
この7人の選帝侯が神聖ローマ皇帝の後継者であるローマ王を決定することができるという大きな権力を握っていた。

(注2)
 ドゥアルテ1世は、ジョアン大王とランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの娘フィリパの嫡男であり、マリーの祖母イザベル・ド・ポルトガルにとっては兄。
つまりマクシミリアンの母エレオノーレとマリーの父シャルル突進公は従兄妹同士で、マクシミリアンとマリーは又従姉弟の関係でもある。



Copyright(C)2022-kaorukyara


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

Millennium226 【軍神マルスの娘と呼ばれた女 6】 ― 皇帝のいない如月 ―

kei
歴史・時代
周囲の外敵をことごとく鎮定し、向かうところ敵なし! 盤石に見えた帝国の政(まつりごと)。 しかし、その政体を覆す計画が密かに進行していた。 帝国の生きた守り神「軍神マルスの娘」に厳命が下る。 帝都を襲うクーデター計画を粉砕せよ!

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

抜け忍料理屋ねこまんま

JUN
歴史・時代
 里を抜けた忍者は、抜け忍として追われる事になる。久磨川衆から逃げ出した忍者、疾風、八雲、狭霧。彼らは遠く離れた地で新しい生活を始めるが、周囲では色々と問題が持ち上がる。目立ってはいけないと、影から解決を図って平穏な毎日を送る兄弟だが、このまま無事に暮らしていけるのだろうか……?

教皇の獲物(ジビエ) 〜コンスタンティノポリスに角笛が響く時〜

H・カザーン
歴史・時代
 西暦一四五一年。  ローマ教皇の甥レオナルド・ディ・サヴォイアは、十九歳の若さでヴァティカンの枢機卿に叙階(任命)された。  西ローマ帝国を始め広大な西欧の上に立つローマ教皇。一方、その当時の東ローマ帝国は、かつての栄華も去り首都コンスタンティノポリスのみを城壁で囲まれた地域に縮小され、若きオスマンの新皇帝メフメト二世から圧迫を受け続けている都市国家だった。  そんなある日、メフメトと同い年のレオナルドは、ヴァティカンから東ローマとオスマン両帝国の和平大使としての任務を受ける。行方不明だった王女クラウディアに幼い頃から心を寄せていたレオナルドだが、彼女が見つかったかもしれない可能性を西欧に残したまま、遥か東の都コンスタンティノポリスに旅立つ。  教皇はレオナルドを守るため、オスマンとの戦争勃発前には必ず帰還せよと固く申付ける。  交渉後に帰国しようと教皇勅使の船が出港した瞬間、オスマンの攻撃を受け逃れてきたヴェネツィア商船を救い、レオナルドらは東ローマ帝国に引き返すことになった。そのままコンスタンティノポリスにとどまった彼らは、四月、ついにメフメトに城壁の周囲を包囲され、籠城戦に巻き込まれてしまうのだった。  史実に基づいた創作ヨーロッパ史!  わりと大手による新人賞の三次通過作品を改稿したものです。四次の壁はテオドシウス城壁より高いので、なかなか……。  表紙のイラストは都合により主人公じゃなくてユージェニオになってしまいました(スマソ)レオナルドは、もう少し孤独でストイックなイメージのつもり……だったり(*´-`)

江戸の夕映え

大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。 「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三) そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。 同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。 しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。

肥後の春を待ち望む

尾方佐羽
歴史・時代
秀吉の天下統一が目前になった天正の頃、肥後(熊本)の国主になった佐々成政に対して国人たちが次から次へと反旗を翻した。それを先導した国人の筆頭格が隈部親永(くまべちかなが)である。彼はなぜ、島津も退くほどの強大な敵に立ち向かったのか。国人たちはどのように戦ったのか。そして、九州人ながら秀吉に従い国人衆とあいまみえることになった若き立花統虎(宗茂)の胸中は……。

葉桜よ、もう一度 【完結】

五月雨輝
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞特別賞受賞作】北の小藩の青年藩士、黒須新九郎は、女中のりよに密かに心を惹かれながら、真面目に職務をこなす日々を送っていた。だが、ある日突然、新九郎は藩の産物を横領して抜け売りしたとの無実の嫌疑をかけられ、切腹寸前にまで追い込まれてしまう。新九郎は自らの嫌疑を晴らすべく奔走するが、それは藩を大きく揺るがす巨大な陰謀と哀しい恋の始まりであった。 謀略と裏切り、友情と恋情が交錯し、武士の道と人の想いの狭間で新九郎は疾走する。

処理中です...