8 / 75
【第1章】幼き3人の姫君達
その4✤マリー姫---誕生の記録2
しおりを挟む
マリー姫が生まれたのは1457年の2月13日の正午過ぎ、ブリュッセルにあるクーテンベルク城だった。
シャロレー伯爵夫人と呼ばれた母イザベル・ド・ブルボンはマリーが生まれた時、真っ白なベッドカバーが被せられた、豪華な光沢のあるダマスク織りシルクの緑色の天蓋付きのベッドに横たわっていた。緑色とは特別な色で、彼女の高い身分も表していた。
ベッドの横に置かれた家具はフランス王妃もかくや、と思われる程の大きく豪華なものだったが、それもそのはず、イザベル・ド・ブルボンはフランス王室のブルボン王家の血を引いているため、彼女の地位より上にいる女性はフランス王妃くらいのもので、その上夫のシャルルは欧州での1、2を争う豊かなブルゴーニュ公でもあり、そのシャルルの父君である善良公フィリップ3世はこの出産のお祝いに宝石と純金で装飾された、想像を超えるほど豪華な食器類まで作らせたのだ。
当時の王室では出産の際には出産部屋にその家の持つ高価な品々---例えば金と銀の食器、象牙で作られた製品、美しい表紙の付いた本、また安産を願って美しい碧玉(へきぎょく)などを飾っておくのが普通だったのだが、それにしても舅であるフィリップ善良公がこの時用意した「精緻な装飾が施された金製の底鋲(スタッズ)付きの金椀(かなまり)は、当時の合計金額が約10万タラーと推定」されていると文献にも載っているくらいで、実際この10万タラーを今のEuroに換算することはいささか難しいのだが(注1参照)、度肝を抜かれる金額だったのだろうということは想像に難くない。
このフィリップ善良公はイザベル・ド・ブルボンの母アニエスの実兄に当たり、フィリップ善良公はこの妹を溺愛していたそうで、自分の息子シャルルの2度目の嫁として迎えることを決めた。シャルルの最初の妻はそれこそフランス王シャルル7世の娘カトリーヌ王女だったのだが彼女は17歳で早世したため、シャルルにはまだ子供がいなかった。
そもそもシャルル自身もフィリップ善良公の3度目の妻イザベル・ド・ポルトガルの三男なのだが、この時代若くして亡くなることは多かったので、フィリップ善良公の2人の妻も早世、シャルルの兄2人も子供の時に亡くなってしまっている。
よってシャルルはフィリップ善良公のたった一人の世継ぎであり、その世継ぎが子を持つことはブルゴーニュ公国の中では重要な課題となっていた。
ブルゴーニュ公国において女子でも公爵家の相続人になることは問題なかったのだが、それでも婚姻によってブルゴーニュ公国が他家に取り込まれてしまうかもしれないという心配はもちろんあったのだ。
フィリップ善良公がシャルルの後継者をどれほど待ち望んでいたことか……にもかかわらず結局女のマリーが生まれたせいなのかどうか、フィリップ善良公が赤子のマリーに会いに来ることはなかったのだが、この時代の記録者であるジョルジュ・シャステリスによると、誕生の瞬間、ブラバントの地に大きな雷鳴が響いたという。後に彼女がハプスブルグ家にもたらした大いなる繁栄を考えると、これは作り話ではなかったかもしれない。
聖ミカエル大聖堂のカリヨンがブルゴーニュの国境まで伸びるお祝いの鐘を鳴らし、あちこちでお祝いの焚き火が焚かれ、あらゆる教会の鐘の音もブルゴーニュ地方の国境に祝祭の前奏曲を響かせた。
そしてブルージュ、ゲント、リールなど、どこでも、人々はこの機会を利用して、フランドル様式の豪華な宴会を開く準備を始め、また通りや広場では、人々が「Viva Bourgogne!(ブルゴーニュ万歳!)」と叫んだ。
ブルゴーニュ公国の市民達にとって愛してやまない、そして永遠にたった一人の「我らの姫君」マリー公女の誕生であった。
(注1)
タラーとは15世紀終わり頃から、ヨーロッパ中で使われていた銀貨のこと。
現代と比べてどのくらいの価値なのかと簡単に換算することはできないが、例えば詩人のウィーランド(ドイツの詩人・作家で、シラーなどと並びドイツの古典主義時代において有名)は、1772年にワイマール公国で王子の家庭教師として雇われ、1,000タラーの年俸を受け取ったと言われている。
また1800年頃の記録でウォーバーグ地区(ドイツのNRW州の地区)の統計では、4人の小さな子供を持つ労働者階級の家族の年間要件として次のように、住居の家賃や食料品などの生活費は1年間に130タラーと見積つもられていた。
マリーの時代は15世紀終わりということで、それも合わせて考えると10万タラーの金碗(かなまり)が桁違いに高価なものだったということは想像できる。
Copyright(C)2022-kaorukyara
シャロレー伯爵夫人と呼ばれた母イザベル・ド・ブルボンはマリーが生まれた時、真っ白なベッドカバーが被せられた、豪華な光沢のあるダマスク織りシルクの緑色の天蓋付きのベッドに横たわっていた。緑色とは特別な色で、彼女の高い身分も表していた。
ベッドの横に置かれた家具はフランス王妃もかくや、と思われる程の大きく豪華なものだったが、それもそのはず、イザベル・ド・ブルボンはフランス王室のブルボン王家の血を引いているため、彼女の地位より上にいる女性はフランス王妃くらいのもので、その上夫のシャルルは欧州での1、2を争う豊かなブルゴーニュ公でもあり、そのシャルルの父君である善良公フィリップ3世はこの出産のお祝いに宝石と純金で装飾された、想像を超えるほど豪華な食器類まで作らせたのだ。
当時の王室では出産の際には出産部屋にその家の持つ高価な品々---例えば金と銀の食器、象牙で作られた製品、美しい表紙の付いた本、また安産を願って美しい碧玉(へきぎょく)などを飾っておくのが普通だったのだが、それにしても舅であるフィリップ善良公がこの時用意した「精緻な装飾が施された金製の底鋲(スタッズ)付きの金椀(かなまり)は、当時の合計金額が約10万タラーと推定」されていると文献にも載っているくらいで、実際この10万タラーを今のEuroに換算することはいささか難しいのだが(注1参照)、度肝を抜かれる金額だったのだろうということは想像に難くない。
このフィリップ善良公はイザベル・ド・ブルボンの母アニエスの実兄に当たり、フィリップ善良公はこの妹を溺愛していたそうで、自分の息子シャルルの2度目の嫁として迎えることを決めた。シャルルの最初の妻はそれこそフランス王シャルル7世の娘カトリーヌ王女だったのだが彼女は17歳で早世したため、シャルルにはまだ子供がいなかった。
そもそもシャルル自身もフィリップ善良公の3度目の妻イザベル・ド・ポルトガルの三男なのだが、この時代若くして亡くなることは多かったので、フィリップ善良公の2人の妻も早世、シャルルの兄2人も子供の時に亡くなってしまっている。
よってシャルルはフィリップ善良公のたった一人の世継ぎであり、その世継ぎが子を持つことはブルゴーニュ公国の中では重要な課題となっていた。
ブルゴーニュ公国において女子でも公爵家の相続人になることは問題なかったのだが、それでも婚姻によってブルゴーニュ公国が他家に取り込まれてしまうかもしれないという心配はもちろんあったのだ。
フィリップ善良公がシャルルの後継者をどれほど待ち望んでいたことか……にもかかわらず結局女のマリーが生まれたせいなのかどうか、フィリップ善良公が赤子のマリーに会いに来ることはなかったのだが、この時代の記録者であるジョルジュ・シャステリスによると、誕生の瞬間、ブラバントの地に大きな雷鳴が響いたという。後に彼女がハプスブルグ家にもたらした大いなる繁栄を考えると、これは作り話ではなかったかもしれない。
聖ミカエル大聖堂のカリヨンがブルゴーニュの国境まで伸びるお祝いの鐘を鳴らし、あちこちでお祝いの焚き火が焚かれ、あらゆる教会の鐘の音もブルゴーニュ地方の国境に祝祭の前奏曲を響かせた。
そしてブルージュ、ゲント、リールなど、どこでも、人々はこの機会を利用して、フランドル様式の豪華な宴会を開く準備を始め、また通りや広場では、人々が「Viva Bourgogne!(ブルゴーニュ万歳!)」と叫んだ。
ブルゴーニュ公国の市民達にとって愛してやまない、そして永遠にたった一人の「我らの姫君」マリー公女の誕生であった。
(注1)
タラーとは15世紀終わり頃から、ヨーロッパ中で使われていた銀貨のこと。
現代と比べてどのくらいの価値なのかと簡単に換算することはできないが、例えば詩人のウィーランド(ドイツの詩人・作家で、シラーなどと並びドイツの古典主義時代において有名)は、1772年にワイマール公国で王子の家庭教師として雇われ、1,000タラーの年俸を受け取ったと言われている。
また1800年頃の記録でウォーバーグ地区(ドイツのNRW州の地区)の統計では、4人の小さな子供を持つ労働者階級の家族の年間要件として次のように、住居の家賃や食料品などの生活費は1年間に130タラーと見積つもられていた。
マリーの時代は15世紀終わりということで、それも合わせて考えると10万タラーの金碗(かなまり)が桁違いに高価なものだったということは想像できる。
Copyright(C)2022-kaorukyara
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。


【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】
しんの(C.Clarté)
歴史・時代
15世紀、狂王と淫妃の間に生まれた10番目の子が王位を継ぐとは誰も予想しなかった。兄王子の連続死で、不遇な王子は14歳で王太子となり、没落する王国を背負って死と血にまみれた運命をたどる。「恩人ジャンヌ・ダルクを見捨てた暗愚」と貶される一方で、「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と正義と秩序をもたらした名君」と評価されるフランス王シャルル七世の少年時代の物語。
歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。
【カクヨムコン7中間選考通過】【アルファポリス第7回歴史・時代小説大賞、読者投票4位】【講談社レジェンド賞最終選考作】
※表紙絵は離雨RIU(@re_hirame)様からいただいたファンアートを使わせていただいてます。
※重複投稿しています。
カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/16816927859447599614
小説家になろう:https://ncode.syosetu.com/n9199ey/
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
ナポレオンの妊活・立会い出産・子育て
せりもも
歴史・時代
帝国の皇子に必要なのは、高貴なる青き血。40歳を過ぎた皇帝ナポレオンは、早急に子宮と結婚する必要があった。だがその前に、彼は、既婚者だった……。ローマ王(ナポレオン2世 ライヒシュタット公)の両親の結婚から、彼がウィーンへ幽閉されるまでを、史実に忠実に描きます。
カクヨムから、一部転載
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる