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悪役王子の断罪(1)

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決定的だったのが学園5年の夏の事件だ。
殿下は最近お気に入りの侯爵家の三男サーシャを連れて食堂の個室にケトラを呼び出した。ケトラは足元をふらつかせながら席に着く。だいぶ睡眠が足りてないような濃い隈と血色の悪い頬をしていた。
エンツは思わずオーブリーの後頭部を睨んだ。
オーブリーはニヤリとしながらサーシャのシャツに手を突っ込んだ。ケトラの瞳が目いっぱい見開かれた。視線をさまよわせた後エンツの方を見る。エンツはその痛々しさに目をそらした。

ケトラはそれでも完璧な食事マナーで昼食を食べきると席を立った。
エンツは目の前でサーシャと戯れているオーブリーを信じられなかった。さらに追い打ちをかけるようにオーブリーはケトラに毒を吐き、サーシャに薬を飲ませた。

すぐに眠りに入るサーシャ。
下手な芝居を始めるオーブリー。
自分を律しながら去るケトラ。

エンツはこの場に居合わせたものの何も守れなかった。それでも何とか体を動かす。校医を呼びに行き、サーシャを見てもらう。オーブリーはサーシャが飲んだのは睡眠薬だと答えていた、エンツはさらに動揺した。オーブリーはいつから睡眠薬を持ち歩くようになったのだろう。保健室に運ぶのを手伝い。すぐさま、オーブリーを食堂に迎えに行く。生徒たちは次の授業のためにいなくなっていた。オーブリーはそこに一人ぽつんと立っていた。

オーブリーを引っ張って空いているサロンに入る。
オーブリーは瞳の色を暗くして口角だけを上げて笑う。いつからこんな風になったのか。
エンツはオーブリーの頬を両手で挟み正面から見る、殿下の目の下には濃い隈ができていた。キラキラとした金の髪も艶が無い。

エンツはオーブリーの隣に座ると強引に引き寄せて膝に頭をのせて寝かせた。
「ブリー。いつから眠れなくなったのですか、薬はいつから?」
オーブリーは両手で顔を覆いながら大きくため息をつく。
「3年前…」
それはエンツと距離を取り始めた時だ。
「ブリー…どうして…」
だが、オーブリーは答えることなく、寝息を立てて眠りについていた。髪を梳いていると無意識に手を握られる。甘えるような仕草にオーブリーを嫌いになれない自分が中途半端で苛立たしかった。
3年…自分が離れていた間にオーブリーはズタズタに傷ついていた。オーブリーを守るのは外敵からだけではない、内側からも守ってやらなければならなかった。殿下がこうして無防備になれるのは自分だけだと分かっていたのに……エンツは流れ出す涙を止めることができなかった。


オーブリーはぐっすり眠った。サロンの窓に映る茜色が差し込み夕方であることを教える。
「おめざめですか?」
エンツの低い声が降ってくる。見上げると、少し困った顔をしたエンツがオーブリーを見下ろしていた。
「今日の出来事、謝りましょう。そして、ちゃんと償いましょう」
だけど、オーブリーは首を振る。
「俺はケトラとの婚約を破棄する」
オーブリーは瞳を揺らす。この人はいつだって不器用だ。この婚約破棄だってきっと今思いついたものではない、きっと、ずっと今まで頭の中で考えてきたのだろう。
「殿下…」
エンツが呼び名を変えたことにオーブリーがうつむく。
「殿下、私が至らないせいです。護衛失格です。辞めさせてください」
オーブリーから返ってきたのは強い視線だった。
「エンツ、お前まで俺を見限るのか」
お前まで…となると。自分以外にも彼に言った人間がいる。
「誰も俺に期待なんてしてない」
吐き捨てるようにつぶやくオーブリーの頬はまだ青かった。この人はどこまでも不器用な人だ。自分がダメな人間だと思い込んで絶望し、巻き込みたくないために下手な芝居を打つ。それでどれだけの人が巻き込まれて心を痛めたか想像できない。
可愛そうでバカな人。
つい先ほど決意したことを覆すが、エンツはこの人が堕ちていくなら付き合おうと決めた。
「わかりました、辞するのは撤回します。俺はブリーについて行きます」
オーブリーは目をみひらくと、唇を歪ませた。オーブリーは小さな子供みたいに大粒の涙をこぼす。抱きしめずにはいられなかった。この人の手は絶対に放すことはできない。エンツは場違いに高鳴る心臓を隠すように笑う。


サーシャの事件は騒ぎにはなったが、悲しいことにオーブリーの思い通りにはいかなかった。婚約破棄とはならなかったのだ。猛烈な王妃の反対にあい。婚約破棄を前提とした話し合いとなってしまった。

オーブリーはまた沈み込むようになった。

サーシャは良くも悪くも野心的な男だった。
校内中に噂を撒き、あたかも自分が婚約者だという振る舞いをする。そして、人目が多いところでは見せつけるようにオーブリーにしなだれかかった。
おかげで、校内ではもう婚約破棄は秒読みだとされていた。オーブリーはそれを受ける形で先輩の卒業パーティーにサーシャを同伴して参加した。
なのに、誤算だったのが、サーシャの後ろで王妃が動いていたことだ。
結婚はケトラと、サーシャは愛人にすればいいと美しい顔を歪めながらオーブリーに吹きこんだ。
オーブリーは怒りが湧いた。王妃の言う事はケトラもサーシャも傷つけて。オーブリーの気持ちを無視する自分勝手な言動だ。


オーブリーはそれとなくケトラに王妃のことを伝えたくて目で追うようになった。それに、最近ケトラがサーシャの一派や生徒会を蹴散らした話を聞いて気になっていた。
最初は大袈裟なだけだと思っていたが、ケトラの側には騎士科で成績優秀と評される男がいて、二人は笑みを交わしながら歩いていた。以前のようなおどおどした様子はなく、ケトラの楽しそうな顔を見たのは久しぶりだった。今のケトラなら追いかえすぐらいできるだろう。愛されるためにあるような笑顔をするあの顔を歪ませて泣かせて、それで昏い自尊心を満たしていたオーブリーは自分自身に嫌悪感が募る。

サーシャはケトラを目で追うオーブリーの様子に危機感を感じていた。
王妃が思うよりサーシャは野心家だった。そして、婚約者になるべく事件をおこした。
ケトラの側にいる男は騎士科のクレインという青年だった。サーシャはクレインに階段から突き落とされたと言い出したのだ。クレインは押していない、サーシャは押されたと言い決着がつかず校内裁判になった。
オーブリーはそれを利用する算段を思いついた。

オーブリーの言動を訝しんだ、ケトラから呼び出しを受ける。
サロンに呼び出されていくと。ケトラの後ろには騎士科のクレインが立っている。鋭い視線でオーブリーをにらみつけた。こいつがケトラを大事に思っているのが手に取るように分かった。ケトラも開口一番に「クレインは何もしていない」と言った。それだけで二人が思い合っているのに気付いてしまった。
オーブリーはうつむいて笑ってしまう。いつだってそうだ、ケトラはオーブリーが欲しいと思うものを簡単に手に入れている。

煽ってみれば案の定受けて立つと言った。その真っすぐさにまた笑いがこみ上げてくる。
うまく転がせれば、婚約破棄に持ち込めると思った。きっとケトラの心はオーブリーから完全に離れている。ケトラはまっすぐにオーブリーを見つめてくる。

「殿下は好きな人に好きって言える私がうらやましかったんでしょう?」

オーブリーはこめかみを引きつらせた。それだけじゃない。それだけじゃ……!
何もかもだ、立っているだけで周りから愛されてる容姿。頑張ればすぐ結果が出せる才能。仕事で忙しくしているが、いつだって気にかけてくれる親。
オーブリーに無いものを持っているケトラをうらやましいとずっと思っていた。

自分の矮小さが情けなくてオーブリーは笑うしかなかった。
ケトラ自身にも慕う相手ができたからだろう。ずっと隠し通せると思っていた思いまで言い当てられた。誰にも気づかれず終わると思っていた感情まで言い当てられると。もう、降参だ。
一生敵わないと認めるしかなかった。

そこからは騎士の二人を追い出して確実に婚約破棄に至るための計画を打ち合わせた。
「サーシャは傷つきませんか?それに、エンツには何もおっしゃらないのですか?」
ケトラは澄んだ目でオーブリーをまっすぐ見てくる。オーブリーはこの目が苦手だった。不自然に逸らして低く唸る。
「サーシャはきっと俺が王都を追い出されたらついてこないよ、それにエンツは困らせたくない」
ケトラはへにょりとまゆげを下げてため息をつく。
「オーブリー、私はいつも迷って悩んで考えています。あなたもたまには諦める以外の選択をしてみてはどうですか?」
ケトラは妙な迫力を持ってオーブリーを見据えた。
「……分かった」
珍しいオーブリーの反応に、良い笑顔でケトラはうなずいた。

オーブリーはあらかたの筋書きを決めると、エンツと連れだってサロンを去る。エンツが心配そうな顔をしていた。オーブリーは閉じ込めきれなかった気持ちが漏れないように、眉間にしわを寄せて不機嫌そうにして見せた。その仕草は照れ隠しだ。エンツは一歩前に出て何も言わないオーブリーを覗き込む。
「エンツ、心配するな。俺は今度こそ自分で決めるから」
オーブリーはエンツの目を見ることができなかった。

学園裁判は学園あげての大騒ぎになった。
ケトラは背筋を伸ばして関係者席に座る。クレインと目が合うとにっこりと優し気にうなずいて微笑む。エンツにとってケトラは守られる生き物で。こんな風に堂々と立ち向かう人ではなかった。エンツはまたしても自分の至らなさに気付く。ケトラとクレインの関係はたかだか1年だ。それなのにここまでしっかりと絆を結べるものなのか。オーブリーを見ると楽し気に裁判の行方を見守っていた。

エンツが暗く沈んでいる間に裁判はあらぬ方向へ進んでいた。オーブリーは立ち上がると
「ケトラは私の婚約者にはふさわしくない! よって、ここで婚約破棄を言い渡す!」
と叫ぶ。エンツは信じられないものを見たような気だ。
「婚約者がありながら、不貞を働く殿下を信じられません。私はそれを受け入れます!」
すくりと姿勢を正して一心に前を見て声を張り上げるケトラをエンツは見た。そして、ケトラが口にしたのはオーブリーの横暴の数々だった。
「……殿下は王弟としてふさわしくありませ……」
ただそれだけは最後まで言わせたくなかった。確かにオーブリーはひねくれていた。だけど、それでも王弟として踏ん張ろうとした時期もあった。その努力を知っているのは他ならぬケトラだろ。そう思うと反射的にケトラの襟首をつかんでいた。オーブリーが慌ててエンツを止めに入ったがケトラの白い首筋に赤い痕が残った。

気付けば学園裁判は終わっていて。サーシャの自作自演が明らかになった。

エンツはオーブリーに手を引かれるままその場を去った。ケトラは心配げな顔をエンツに向けるが何も声をかけなかった。
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