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第三章 魔法と神力と神聖儀式

15.5 選べない答え 〜聖の決断

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 キリークは、自身の質問に対して青褪めるハリィにそれ以上は聞かなかった。そもそもその答えを聞いた所で同調は絶対すべき事で、ハリィの答えなど必要なかったからだ。だがキリークは、盾としてフロリアの側に居続ける事を決めている彼に覚悟する時間位はやるべきだと思った。

「私が恐れているのはこの子を愛した日々が失われる事です」

『それはフロリア様の記憶が失われると思っていると言う事か?』

「いえ……いつかは変わるという事はわかっています。ですが」

『己が選ばれぬかもと思っておるのか』

「いつかはこの子も恋をするでしょう。そして私の手を離れて遠くに行くかもしれません……思い出に出来る自信もない。フローのまま居てくれたなら、私は変わらず側に居れる」

『愚かな事を思う物だな』

「永遠を生きる神にはそうでしょうね。ですが、我々人の子の命は有限。なので少しも良い状態のままでいたい。失いたくは無いのです……過去も、未来も」

 すやすやと眠るフロリアを見つめ、ハリィはその頬に触れた。温かいその肌が、いつかは熱を持たぬ神となってもその心に自分の居場所が欲しい。そう切望していた。

『踏み出さねば分からぬ事に思い悩んで何の意味がある。其方の為のフロリア様では無い事など言われずとも理解しておろう』

 そう、フローは私だけの物にはならない。なってはならない存在。そんな事は百も承知で、だからこそ望んでしまうのは人の欲深さ故でしょうか。そしてキリーク様の言葉に、フローが求めてくれる限りそんな欲望を捨てずに済むと思っていた己の浅はかさを思い知らされた気分です。

「えぇ、えぇ……分かっていますよ」

 生まれてから何かを欲した事は無かった。欲望という物の存在を知らず、弱さを憎しみと怒りで覆い隠して来た半生。与えられる物を盗まれぬ様、無くさぬ様にと周囲を警戒し威嚇して来ました。だから私は初めて欲しいと強く願った物を失いたく無いのです。

 ハリィはこれ以上ラナ達に弱い自分を見せたく無いと、部屋から出る様に指示した。2人も、ハリィの見たこともない様な弱々しい姿に何も言えず、一礼すると部屋を後にした。静かな部屋に、フロリアの間の抜けた様なプスプスという寝息が響いていた。

『我はフロリア様より名と神魂を得て、眷属神として生まれたのはこの下界ではまだ半年程だ。しかし、天上界ではハカナームト神の時巡りにより億年という時の流れを、命の川を覗いて来た。其方の様に恵まれず、ただ一滴の雫を後生大事に抱え、結局飲めも触れる事も出来ぬまま失った者を多く見た。故に思うのだ』

 キリークはフロリアの額に指で何かを描くと、それに神力を流した。それは淡いピンクの光を放っていた。

『結局その雫を飲もうが飲むまいがいつかは消えてなくなる。ならば今生巡り会えたその雫で乾きを癒しても良いのではないかとな』

 キリークはハリィを見て問うた。存在を守る事で満たされるのかと。

「どうしろと言うんだ!今に満足してはいけないのか?この子がパパと呼んでくれて、側に居てさえくれれば何も要らないんだっ!」

『それも後5年も続けられぬぞ?我が子と言いつつその成長を望まぬのに、それでも親になれると思っておる其方が不憫だな。それに、聖殿の人として生きて経験した負の感情はフロリア様が他者を理解するには必要なのだ。ご自身ではその様な辛い思いをする経験など出来ぬからな』

 ドクンと胸が鳴る。鈍器で頭を殴られる様な感覚とはこの事なのか。このままが良い、変化はまだ先の事。そう言い聞かせて来たハリィにとって聖を贄とする訳とその言葉程鋭利な物は無かった。

『今一度、聖殿と話すと良い。彼の方は其方を思うて眠られて居るのだから……そうで御座いましょう?聖殿』



 目覚めの良い朝を迎えた事?そんなの生前は無かったよ。就職するまでは、いつも死んだのがお兄ちゃんじゃ無くてお前なら良かったと母親に言われる日々で、寝付きが良くなる訳もなかったし。就職してからは仕事がカオス過ぎて仮眠と言う名の睡眠しか取れなかった。目覚めと共に襲ってくる疲労感、倦怠感は私の親友だった。
 いつの間にか死後の世界に私は存在していて、そこで素敵な人に出会った。体は自由にならないし、子供みたいに貪欲に愛情や刺激を欲する心。頭では気持ち悪いと思いながら本能に負ける屈辱を何度も味わった。それでも『良いんですよ』そう言って大切にしてくれる人がいた。
 多感な時期に親に死ねと言われてきた私の本能は、彼に親としての役割を求めていたのかもしれない。けれど、その気持ちは簡単に恋心に変わった。笑顔がとても素敵だったから。
 あぁ、駄目。彼は駄目、彼は私に純粋さを求めてる。無邪気で、天真爛漫な子供の様な心を。そんな物、とっくに失っている私にはあげられない物だ。
 大人になっても我慢には限界があって、その限界を作るのはいつも子供のフロリア。そして鏡を見るたびに、理解に苦しむ現状が私の心を疲弊させる。
 抱きしめてくれるその意味が男女の愛ならこんなに幸せな事は無い。けれど、そんな事この状況であり得る訳もなく……次第に子供のフロリアに身を委ねた。そして最悪は最高の瞬間にいつでも訪れる。私は私の精神年齢に近い身体を得て、焦って告白紛いの事をした。玉砕覚悟だったけれど、やっぱりそれを目の当たりにして起きて居られる程私は強く無い。

「恋愛なんて望んで無かったのになぁ」

 そう、そんな物望んでいたんじゃ無い。今世では穏やかに細く長く生きたいと思ってた。なのに簡単に恋の落とし穴に嵌るなんて間抜けにも程がある。私の意識に居座る彼の残像よ、さっさと消えて。

— フロリア様の成長の贄として人の魂は呼ばれたのだ。消えるのは聖殿だ。

 そう、死んでも尚そんな惨めな状況に私は置かれるのか。もうどうでも良い。死んだなら在るべき場所に行かせて欲しい。

 そう望んだのに、何故また起こされるのだろうか?

『おはようございます。聖殿』

 何だかなぁ。初めてハリィさんとアルバートさんを見た時の再現の様でうんざりする。誰よアンタ……また無駄にイケメン呼んだなぁ。フロリアよ。

「どちら様?」

『貴女の眷属……しもべにございますよ』

「はぁ……ならお願い。もう眠らせて、起きて居たく無いの」

『それは困りますね』

「困らないよ、大丈夫。フロリアが何とかするから。おやすみしもべ君」

『フロリア様はこのままですと永遠の孤独に生きる事になりますよ』

「……意味わかんないし、人がいる以上孤独にはならないよ」

『この星の命が全て消えても、フロリア様はたった1人ここに縛られる事になります』

「ならハカナームト神の所に行けば?喜んで迎え入れてくれるでしょ」

『聖殿が居らねば上神も叶いませんよ』

「良い加減にして。私は貴方達の玩具じゃないの……フロリアの為に呼ばれて使える物は全部奪っておいて後は用無しだと捨てるんなら、私は私の意思で私を捨てるよ。もう神様の言うなりにはならない、そんなの真平ごめんよ……今度こそおやすみ。二度と起こさないで」

『何に悲観なさっておいでなのです?』

 無理やり布団を剥がすキリークに、目覚めた聖は睨む事しか出来なかった。贄と言われて憤慨せずに居られない、だがそこにハリィが居る事に気付いてしまって、フロリアの文句は言えないと口を噤んだ。視界に映る泣きそうな顔のハリィを見て、更に自意識が怒りを抑え込んだ。

「何も……悲観なんて、してない。お願いだからもう解放して。嫌なの、自分の身体だと与えられた筈なのに私は存在してはいけないと言われている様な世界で生きたく無い。それに、フロリアを嫌いな訳じゃ無いけど、フロリアに私が使われるのは嫌」

『何故ですか?聖殿はフロリア様の一部として何故生きてはいけないのですか?』

「は?贄だと言われて、共に生きていける訳ないじゃん!馬鹿なの?貴方みたいに私は神を敬って無いの!神罰?下しなさいよ。ほら、やってよ!今なら痛みがある方が嬉しい位よ!」

「ヒジリィ様!何故そんな事を仰るのです!」

 ハリィさんにだけは言われたく無いよ。何故?一番貴方がそれを望んでいるからでしょう?ムカつく、本当にムカつく。何で顔を見たら全てを許したくなるの!許せないでしょ、私のお陰で存在できたフロリアしか見ていないのに、まだ私の犠牲が必要だと。だから消えてくれるなとその口で言うんでしょう?残酷な世界だ。戦争がある世界よりも残酷だ。死んで終わりじゃ無いこの世界なんて消えて無くなれば良いのに。貴方ハリィに出会わなければ良かったのに。

「お願い、もうこれ以上私を殺さないで……譲ってあげたじゃない。フロリアにあげたじゃない!これ以上何が欲しいの」

『はぁ。盾よ、我が話をしよう』

 敢えて話を聞かせ理解させようとした事が裏目に出た。キリークはまだまだ実地が足りぬなとため息を吐いたが、ハリィは首を横に振った。

「ヒジリィ様。私と少しだけでいいのです、お話を致しませんか?」

 もう勘弁して。多くを望んでいる訳じゃ無い、ただ安からに眠らせて欲しい。ただそれだけなのに、何でそれすら認めて貰えないの?

「ハリィさん、あと名前は知らないけどしもべ君。お願い、もう放っておいて。フロリアは好きに生きたら良いよ……でもさ、私はね。他人に迷惑を掛けて生きてはならない、その精神が魂に根付いているの。そういう世界に生きて居たから!だから言うよ、迷惑なの!自分達の為に私に犠牲を強いる貴方達は迷惑なの!……そう、思わない?」

『ならば申し上げます。貴女の魂は貴女の物では無い、世界を構築する為の一粒の砂塵であり、神もまたその一つなのです。神と人の存在が世界を作るのですから』

 は?何気取った事言ってんの。人を怒らせる天才とはこう言う奴のことを言うんだよ。ならアンタが贄になんなさいよ!

「キリーク様!何故そんな事を仰るのです。ヒジリィ様のお立場になってみれば、とても受け入れられる言葉ではありませんよ」

 一触即発の様な緊張感に、ハリィが2人の間に立ったが、キリークはその身体を押し除けるとベッドの上に登り、聖の上に跨った。

『永遠の眠りにお付きになりたいのならば、贄になろうと構わないではありませんか。何をそんなにお怒りなのです』

「……ならアンタが贄になんなさいよ。私が私の為に私を犠牲にする事を厭わなくても、誰かに、自分の意思に反して利用されるのは真平ごめんと言ったでしょ?理解出来てる?ねぇ、私の言葉分かる?」

『貴女様はフロリア様と一つになるのです。貴女はフロリア様として生きて行けるのに、何故拒まれるのか』

「ねぇ、そこに私の意思はあるの?もしも一つになったとして、私は聖だと言えるのかな。私は自分をフロリアとは呼びたくないんだけど!」

 その言葉に、キリークは首をぐっと押さえつけると怒りを込めた眼差しで聖を睨みつけた。自身を眷属として生み出したのはフロリアで、それ以外の全ては、その存在を至高とする為の贄でしかないキリークは生まれて初めて本当の怒りを知った。

『愚か者め!神の一部となれる恩寵を足蹴にするとはトルトレス神が許しても、我が許さん!』

「……ほら、やんなさいよ。そのまま息の根を止めなさいよ。簡単でしょ?そのまま手に力を入れればいいんだから!神が神を殺す事は出来るのよね?神体だか何だか知らないけど、殺してくれるなら有難いよ」

 キリークの手に、その手を添えて聖は上から力を入れた。そしてその目は酷く澄んでいて、天上界の済生の地の空の様だった。キリークはハッとして手を離そうとしたが、聖のその手はそれを許さない。

「フロリアにはこれ以上何もあげない。私が望む物全て譲ってあげたんだからそれで満足しなさいよ。成長のため?ふざけないでよ、他人を踏み台にして何が成長よ!……どうしたのよ。力を入れなさい」

『は、離せっ!』

「ヒジリィ様!おやめ下さい!」

 ハリィに弾かれた手は空を切り、聖はドサリとベッドに横たわった。見上げたハリィの顔は歪んで、憎らしい物を見る様な目に聖には見えた。その絶望感、悲しみにまた聖は傷付いて行く。

「もう良い……ハリィさん。2人で話しをしましょうか」

「はい」

『……すまなかった。我は一時天上界へ戻る』

 そそくさと、キリークはバツの悪い顔で姿を消した。神となっても、やはり生まれたてではその経験不足は否めない。

 別れ話が拗れた時よりも、ずっと苦しく、何とも言えない感情がハリィの中で渦巻いている。憎い気持ちは無く、ただただ悲しい。そのたった一つの感情が身体を動かした。

「申し……訳ありません」

「抱きしめないで、これ以上惨めな思いはしたく無いんだけど……ちょっと、何でハリィさんが泣くの。泣きたいのは私だよ?泣いたもん勝ちじゃ無い。何も言えないよ」

「すみません。辛い、こんなにも辛い感情は初めてだ」

「言えば良いのに。それだけフロリアが大切なんでしょう?あの子さえ居れば良いって……」

「くっ……」

 女って損だな。いつだって男の犠牲になる事を厭わない、そんな感情でも備わっているみたいで鬱陶しい。

「確かに眠りたい私、生きて居たいあの子。利害は一致してる……でもさぁ、でもさぁ……嫌なの。分かって貰えないかもしれないけどさ。何、一つになるってどう言う事?私は私で居られるの?消えるの?」

「……わかりません」

「だよね」

 聖は、抱きしめられる事に喜びを感じた自分が憎かった。彼はフロリアを抱きしめているのであって、私を抱きしめたいのでは無い。そう思えたからだ。

「ハリィさん」

「はい」

「この世界の神様も、人もさぁ……圧倒的に説明が足りないと思わない?最初から目的を言ってくれれば覚悟も出来るのに、唐突に要求だけしてくるじゃない。自分がそうされても不満が無いからそうするのかな?」

「申し訳ありません……」

「謝ってばっかりね」

「申し訳……ありません」

「ハリィさんが選んで」

「な、何をです……か?」

「フロリアの贄となるか、このまま眠らせるか」

「ハッ……ハッ……あ、あぁ」

 柔らかく笑う顔は、愛しいフロリアの顔では無い様に思えた。そこに居るのは1人の女性で、美しいその目が言っている。

贄になってあげる、だから貴方の口で言って、と。

「言えない……言えません」

 肩を掴む手に力が篭り、ハリィは首を振ってただ「言えない」と言い続けた。

「ならアルバートさんに選んでもらうしか無いかな。アルバートさんなら即断即決出来そうだし。それにさ、強制的に起こされたのって時間が無いからなんでしょ?諦めは着いてるの、でもせめて他人の所為にしなきゃやってられないの」

 聖はハリィの腕を解くと、ベッドから降りてドアを開けた。そして大声でアルバートを呼んだ。

「アルバートさんっ!今すぐ来てっ、早く来て!アルバートさん!」

 廊下で立って居たラナは、室内の会話が聞こえていたからか蹲り泣いていて、ロアは眉間に皺を寄せ足元を睨んでいる。護衛騎士はフロリアの大声に驚いた物の、フロリアが主人を呼んでいると慌てて駆け出した。

「ヒジリィ様っ!私が選びますっ!私が引き受けます……全て共に受け入れます。だからっ、戻って来てください」

「出来ない事はすべきじゃないよ。分かってて言った私が悪いんだけど、ハリィさんにはきっと背負えない。それに、次フロリアに会った時どんな顔で会うつもり?ずっと愛するんでしょう。だったら罪の意識を持つ様な真似はしちゃだめだよ。だからアルバートさんに言ってもらうよ」

 ダダダっと駆け上がってくる足音に、ハリィは聖の腕を掴むと部屋に引入れ抱きしめた。

「何故そんな苦しみを受け入れられるのです!」

「……仕方ないじゃん。ハリィさんを好きになっちゃったんだもん。そう、仕方ない。貴方の為に出来る事がこれしか無いんだから」

「……眠って下さい。いつか必ず方法を見つけますから!それまで、どうかお休み下さい」

 聖は笑う。まるで小説の中のヒロインかヒーローみたいじゃないと呟きながら。そして血相抱えて現れたアルバートの腕を掴むと言った。

「アルバートさん」

「なんだ?何があった!」

「何も言うなアルバート!何も答えるな!」

「は?」

「アルバートさん。フロリア大事?」

「はぁ?何訳わからん事を……お前、フロリアだよな」

「聖だよ。人間の魂の聖」

「……何があった。フロリアはどうした」

「アルバートさんなら言ってくれそうね」

「やめろ!アルバート、黙って部屋を出てくれ!」

 ハリィは聖を抱き上げ部屋の隅に蹲る様に身を縮こまらせたが、聖が背中をトントンと撫でる様に叩き何かを囁いた。その言葉が何なのかはアルバート達には聞こえなかったが、心の叫びだけはアルバートには聞こえていた。そして聖はハリィの腕から離れるとアルバートの前に立ち言った。

「フロリアの成長にどうしても必要な犠牲があるの」

「犠牲?何の話だ、ハリィ!どう言う事なのか説明しろ!」

「あのね、フロリアには私の犠牲が必要なの。でも、私もハリィさんもそれを決断出来ないの。だからアルバートさん、言ってくれない?」

「な、何をだ」

「馬鹿聖、お前が贄にならなきゃ始まらねぇんだよ!グダグダ粘るなって、今まで寝てたんだから聖が消えて無くなっても一緒だろって!言って」

 真っ直ぐに聖の目を見つめるアルバート。そして聖の頬を両手で掴むと、額をくっつけて囁いた。

「そんな事思う訳ねぇだろ。俺にとってお前も、フロリアも……大事なフェルダーン家の人間だ。贄になるとか消えるとか、当主である俺が許すと思うのか。そのままで良い、もしも神罰が下るなら俺が引き受けてやる、お前はここに居て良いんだ……泣くな聖。答えが一つしか無いなんてある訳ないんだ」

 


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