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第三章 魔法と神力と神聖儀式
SS それは共に歩むこと 〜ゼスと妹
しおりを挟む僕がフェルダーン家のお屋敷に預けられてから半年が経った。毎晩僕が寝ている間に当主様が魔力補給をして下さっていると、叔父さんに聞いた。僕は当主様の為に何か出来ないだろうかと相談したら、「アルバート様の為に、勉学で結果を出す事」だと言われた。勿論、それは当然の事としてやるべき事なんだけど、もっと感謝を伝える何かがしたかった。
ザザナームの季節も中盤に入り、窓を開けると熱風の様な風が部屋に充満して、魔力欠乏により体温が低くなった僕の体を温めてくれる。
「んーっ!体が軽いっ!今日の勉強は終わったし、フリム卿に御指南頂けないかな?」
コンコン。
部屋の扉を誰かがノックして、僕は振り返った。
そこには母さんが立っていて、その腕には産着に包まれた赤ちゃんを抱いていた。
「ゼス、具合はどう?」
「母さん!どうしたの?母さんこそ具合はもういいの?」
「出産は病気じゃないわ。この子の首が座ったし、当主様にお顔見せの為に伺ったのよ。勿論、貴方に会いたかったのが1番だけど」
悪戯っ子の様な顔で、母さんは僕に笑顔を見せてくれた。出産が思いの外大変だったのだと父さんから聞いて心配していたけれど、元気そうで安心した。そして、母さんの腕の中でモゾモゾと動く妹に、僕は目が行った。初めて赤ちゃんを見た僕は、あまりに小さくて壊れそうなその存在に驚いた。
「うわっ!小さいんだね、赤ちゃんって」
「でもね、この子は貴方より大きく産まれて3700グラムなのよ?貴方は2900グラムだった」
「えぇっ!そうなの?すごいなぁ、僕の妹は」
「ふふ。さぁ、お兄ちゃん。抱っこしてあげて」
僕は恐る恐る妹を母さんから受け取ると、その甘い香りのする体を抱き寄せた。ふわりと広がる甘い熱が僕の冷えた体に熱を与える。何故か体の至る所が過敏になった様に、音を、色を、空気に漂う魔力を感じさせる。
「幸せだなぁ。何でだろう?妹ってこんなに可愛くて幸せにしてくれる存在だったなんて。貴族学院の友達は皆、妹なんて可愛くも無ければ煩いだけだと言っていたのに。嘘ついていたんだな、きっと恥ずかしくて言えなかったんだろうな。……ふふふっ可愛いなぁ」
「あら、さっそくお兄ちゃんをメロメロにしたわね?旦那様も、お父様も、お母様も、ロベルナーのお父様達も首ったけなのよ?」
「そうだろうなぁ。だってほら見てよ!笑った顔がとっても可愛い」
「良かったわ。貴方がこの子を受け入れてくれて」
「当たり前じゃない。僕が夢を叶える代わりにこの子は犠牲にさせられるんだ……絶対に悲しませないよ。僕は当主様を信じて必ず病気を克服するよ?諦めない」
ケネットは、ゼスがフェルダーン家に移ってからずっと心配していた。夢を奪われ、妹を犠牲にしなくてはならない事実を知れば、今までの様に純粋でいられるとは思えなかったからだ。しかし、久しぶりに会った息子は以前にもまして夢に向かって頑張っていて、何よりも事実に目を背ける事無く、アルバートを信じて諦めないと言っている姿が凛々しかった。
「ゼス、きっとこの子は分かっているのよ。貴方に自分が必要だという事を」
「……ごめんな。兄様が守ってやらないといけないのに。ごめんな」
「ゼス、守る事は何も力を使う事だけじゃないわ。この子は名前を得られない……学校に行く事も許されない。でも、それを貴方が補ってあげるの。いつか必ず当主様が解決法を見つけてくださるわ、それまで貴方とこの子は互いに支え合って成長するの」
「うん。ありがとう母さん、大丈夫。当主様の言葉が僕を心の闇から守ってくれているから、落ち込まない」
「そう。やはり私達の当主様はご立派なお方だわ。当主様の盾となる為にこの家門に生まれた事、母さんも父さんも誇りに思うわ」
仕えるべき主がいる事は何よりも幸せな事だと思う。そしてその主人が命を捧げるに値する立派なお方であるという事に、僕は父と母に感謝してもしきれない思いだ。
「母さん、僕を産んでくれてありがとう。当主様に会わせてくれてありがとう、こんな幸運を得られた僕は世界で1番幸せだと言っていい程だよ」
「ゼス!」
母さんは僕と妹ごと抱きしめて、声を上げずに泣いている。ポタポタと溢れる涙が僕の頭に落ちて、僕はそれがとてもくすぐったかった。
「母さん。僕は今、当主様から軍略についても教えて頂いているんだ。それに、この前は新しい戦法を考えてご提案したらそれを採用して下さったんだ。しかも、司令官からは参謀として試験を受けないかと誘って頂いたんだよ?幸せ過ぎて、魔力欠乏症に悩む暇もないんだ」
「そう、そう、そうなのね?あぁ、母さんも、父さんも貴方を誇りに思うわ」
すると、ぎゅうぎゅうに抱きしめられていたゼスの妹が、苦しいと泣き出した。その泣き声の力強さにゼスは驚き目を瞬かせた。
「わぁお!大きな声!」
「そうよ、この子の声はとーっても大きいの。きっとこのお屋敷からでも耳を澄ませば聞こえる筈よ?」
「あははは!それはすごいな、僕の愛しい妹。声が聞こえたら直ぐに君の元に行くからね、兄様は君の為ならなんだってしてあげるんだから」
ゼスがフェルダーン家の屋敷で暮らした一年はあっという間で、アルバートはもう少しここで暮らして騎士団に入らないかと聞いた。しかし、ゼスは父の元で官僚について学び、15になったら官僚候補生の試験を受けると言った。
「ゼス、お前と王宮で仕事が出来る日を楽しみにしている。そしてエセル、ケネット。ゼスの様な息子を得た事、これはフェルダーン家にとっての誉である。胸を張るといい、そして娘についてはこちらに任せておけ、養育費もこちらが持つ。いいな」
「「身に余るご厚意、感謝致します」」
動き出した馬車を、アルバートはその姿が見えなくなるまで見送った。そして、彼等に姿を見せなかったトルソン卿が門柱から姿を現した。
「何だ。気不味くて表に出れなかったのか?」
屋敷に戻るアルバートの後ろをトルソン卿はニコニコと笑いながら着いて行く。そしてアルバートの横に並ぶとヒラヒラと手を振った。
「まさか。私の姿は見たくは無いだろうと気を遣ったのですよ」
この男、本当に面倒臭い性格をしている。そう思いながらトルソン卿の頭をぐっと寄せて目を見て言った。
「ふん。言ってやれば良かったのに」
「何をです?」
白々しい顔でトルソン卿はアルバートに不思議そうな顔を見せ、その頬を両手で包みぐいっとつまんだ。
「えぇい、放せっ。はぁ、お前だろ?ケネットの出産の際に祈祷でフェリラーデ神の祝福を願ったのは」
「そんな事、私がするとでも?」
「お前しかおらんだろうが。薄紅色の神色の光、あれを見てフェリラーデ神からの祝福だと誰もが分かる。だが感謝する。お陰でケネットも赤子も死なずに済んだ」
難産であり、出産までに4日を要した。しかし、その道のりは険しく、何度も危機が訪れていた。それは2日目の朝、ぐったりとしたケネットは、力むちからも無く意識も薄れていて、慌てたエセルが教会から助祭を呼んだ。助祭が確認すると、既に胎児の心音は止まりかけていて、治癒魔法も虚しく心音が止まったのを教会の助祭が確認した。だがその時、フェリラーデ神の象徴である蝶を模した魔力が部屋に溢れた。その魔力はケネットの腹部に集まると、一つの魔力となり吸い込まれる様に消えたと言う。それは誰かが祝福を神に願ったのだという事が容易に想像できた。
後日その話を、アルバートはカナムの父、セルブ•ロベルナーから聞いて直ぐにトルソン卿が祈祷したに違いないと思った。
「さぁ?何の事やら。私は現地に着いてから先程までずっと人を殺めていました。生きるか死ぬかの瀬戸際で、遠いこの地の妊婦1人を助ける為に魔力を使い祈祷をする。そんな余裕があったとでも?」
「あったんだろうなぁ。死神トルソンにはな」
「死神は死を与える神ですよ。助けは致しません」
「まぁいい。誰かの手柄だとしても取っておけ」
「おぉ、これはラッキー。誰とも知れぬ人が得るはずの褒美が私の手に!」
「言ってろ」
笑いながら肩を組み、アルバートはゼスを騎士に出来なかった事が悔やまれると言い、魔力核を修復する実験をするからと言って呼べば良いとトルソン卿は笑った。
「にーたま、ぎゅーちないと」
3歳になったゼスの妹は、魔力補給を言い訳にして数分置きに抱きつく程彼に懐き、またゼスも学院から戻ると直ぐに魔力が足りないと言い訳しながら妹を常に抱いていた。
「僕の天使、今日はどんな事をして遊んだんだ?」
「ねこたんと、いぬたんと、じーじとばーばとあそんだ」
「そうか。楽しかったかい?」
「たのちくない」
「えっ?あれ?大好きなお爺様とお婆様が居たのにかい?」
「にーたまいない。たのちくない」
その言葉に、ゼスは蕩ける笑みで妹の頬に口付けする。そして、いつの間にか身に付けた魔力補給の効果は絶大で、ただ彼女がゼスに抱きつくだけで魔力が溢れる程ゼスの体に流されていた。
「体は辛くないかい?」
「?」
「兄様に抱きつくと痛かったり、苦しかったりしないかい?」
「ないよ?あちゅいのなくなって、すーってしゅる」
「う、うん?暑いの?」
「あちゅい。おててぽっぽして、にーたまにぎゅっしないと、あちちなの」
ゼスは、それはまた別の何かが妹の体を蝕んでいるのでは無いかと不安になった。後日、たまたま父への遣いで王城に入る機会があったゼスは、アルバートに会いに聖騎士棟に向かった。
「どうした。珍しいな、ここにくるなんて」
「シャナアムト神の動かしたる秒針重なる折を逃せず罷り越しました。ご迷惑と存じておりますが、何卒お時間頂けませんでしょうか?」
「構わん。用件を言え」
「はい。早速なのですが……」
ゼスは妹の事をアルバートに話して聞かせた。そして、それが異常な事なのかどうかが分からず、名無しの為教会にも連れて行け無いと相談した。
「分かった。ちょっと待ってろ」
アルバートは席を立つと、別の部屋にいたトルソン卿を呼んで来て、ゼスの言った事を聞かせた。しかし、アルバートの顔はニヤニヤしていて、ゼスは何故当主様は笑っているのだろうかと首を捻った。
「あ、あー。そうですね、えぇっと」
トルソン卿は相談内容を聞くと、困った顔をしていた。僕は急に不安になる。卿の医療知識は教会にも劣らないと聞くので、もしかしたら妹の事が分かったのかも知れない。
「トルソン卿、教えて下さい!妹は、妹は大丈夫なのでしょうか?」
「言ってやれよ。トルソン卿、お前の加護神はどなただったかな?」
「副師団長。戯れはよしてください!」
「トルソン卿!」
「ほら、言ってやれよトルソン卿!」
「トルソン卿!お願いします!」
「ほらほら、言えよトルソン卿」
「あぁっ!もう。本当にフェルダーン一族とはなんて面倒な方々ばかりなんでしょう!良いですか、それは病気でも何でもないのです。魔力が人より多いんですよ。きっと魔力核も普通より大きいから、魔力生成が活発で巡りが良いんです。ゼス君が魔力を多めに貰えば落ち着く筈です」
その言葉に、僕は胸を撫で下ろした。良かった、何事も無くて。妹に何かあれば僕は、生きてはいられない。大切な妹が健康であってくれるだけで嬉しい。
「良かった、トルソン卿!ありがとうございます!」
「いえいえ。それより副師団長。わざわざ私に相談しなくても分かってましたよね?」
「あぁ、知っていたさ。お前がフェリラーデ神の加護持ちで、ケネットと子供をその祝福を以て救ってやった事。そのフェリラーデ神の祝福が2人に今もベッタリくっついているお陰で、あの子の魔力は底上げされてただでさえ多かったのに、今や大人並だ。ゼスの悩みの原因はお前なんだから、お前が説明すべきだろ?」
何だって?母さんと妹を助けてくれたのはトルソン卿だったのですか?まさかっ、戦地から母さん達の為に魔力を使って祈祷して下さったのか?あれからトルソン卿の事を父さんはあまり良く言いはしなかったけれど、もしも父さんが言う様な方なら、わざわざ無理を押して祝福なんて、しかも他家の為にするもんか!当主様のご友人だと言うし、きっと良い人に違いない。妹を助けて下さった恩人に感謝しなくては。
「ですから、それはっ」
「トルソン卿、ありがとうございます!ありがとうございます!僕を助けて下さった上に、母と妹を助けてくださり、本当にありがとうございます。このご恩は一生忘れません!いつか、必ずトルソン様のお役にも立ってみせます!」
「あ、いや、ゼス君?ちょっと待って」
「流石当主様です!トルソン卿の様なご友人がいらっしゃるなんて、フェルダーン家は実に恵まれておりますね!」
「あぁ、そうだなぁ。フェリラーデ神の加護は誰でも貰えるとは言え、神査の厳しい加護だからなぁ。そうそういないよなぁ?俺はそんな加護持ちの男が友人で恵まれているよ。全く!」
「アルバート!」
「照れるな、照れるな。良い加減、人の好意にお前は慣れた方がいい」
どう言う事なんだろうか。人の行為に慣れておいた方がいい?トルソン卿は、人が好きでは無いのだろうか?いつもにこやかで、人当たりの良い御仁だと思うのだけど、好意に嫌悪感があるのだとしたら、以前何かがあったのかもしれない。
「魔力補給は双方の命に関わる行為だ。名前を持てば神罰が下る事もある……名無しとするのはそれを防ぐ為だ。だが、それでも救いたい、この世に生きて欲しいと願う者を、お前が救ったのだと良い加減認めろ」
「トルソン様、今度是非当家へお越し下さい。助けて頂いた妹に会って下さいませんか?」
「あ、いや。結構です。その、私はあまり幼児が得意では無くてですね。本性を簡単に幼児は見抜きますから、怖がらせるのはね」
「まさか!トルソン卿を怖がるなんて事妹はしませんよ!あの子の前に行くと、僕にも吠え掛かる獰猛な番犬ですら甘えてお腹を見せるんですよ?」
「ははっ、番犬と同じにされても困るのですが……人の心内の恐ろしさは獣の持つ獰猛さとは違う物なのですよ。きっとトラウマになります」
そうだろうか?妹の反応を気にして悲しげな顔をなさるトルソン卿は、とても繊細でお優しい方だと思うんだけど。
「にーさま、今日の補給したでしょ?」
「もう少し。あと少し欲しいんだ」
はぁ。5歳になった妹が可愛過ぎて離せない。クルクルとカールした薄ピンク色の髪。真っ白でふっくらしたほっぺに、ピンクの瞳。デュード家にこんな色の人間は居ない。4歳を過ぎた頃から色が変わり始め、皆驚いた。けれど、これはフェリラーデ神の祝福を受けた影響だろうと当主様は仰った。
顔は母様にそっくりだし、何よりフェルダーン家一族特有の聖魔力を持っている。でも、最近では僕にちょっと冷たくて寂しい。
「にーさま!わたし、とるそんさまにあいにいくの!」
そうなのだ。実は一週間前、フェルダーン家のお屋敷で開かれた当主会合の帰りに、向かいのメイヤード執事長の家から出てきたトルソン卿とすれ違い、妹は一目惚れしたと言う。確かに、トルソン卿なら僕だって異論は無い!けれど、もう少しだけ僕だけの妹でいて欲しいんだ。
「なまえがもらえたら、わたしのなまえ、とるそんさまよんでくださるかしら?」
「あぁ!きっと優しいお声で呼んで下さるよ」
そんな日が来るのだろうか?未だ僕の魔力核を治す手立ては見つかっていない。僕は妹のお陰で、剣術も習える様になったと言うのに……妹はずっとこのまま日陰の存在で、死ぬまで僕から離れられないのだろうか。
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