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第二章 盾と剣
19 涙の後先 〜アルバートの後悔
しおりを挟む陛下はユミエールナが捕縛されてから、教会裁判の行われる法廷にも姿を現さなかった。俺は毎日の様に親父と、時にハリィと共にあいつが収監されている教会監獄に行った。だが会えたのはこの日が初めてだった。
「ごべんでぇ、おんなずがたでぇ」
鼻は潰れ、唇は腫れ上がり前歯の殆どは欠けていた。そしてその目は見えているのかいないのか、瞼が薄ら開いていた。
以前の美しかったユミエールナの姿はそこには無い。
無惨にも引きちぎられたプラチナブロンドの髪はまるでモップを被った様だったし、首元には手の跡が痛々しい。
「……ふぅ。姉さん、欲しい物は無いか」
「うぶぶ。れぇざんて、まらよんでくべて…うでじいわ」
「治癒魔法すらかけてもらえねぇのか?」
「……」
「ハリィ、頼めるか?」
「えぇ、勿論です。ユミエールナお嬢様、お顔を寄せて頂けますか?」
ハリィが鉄格子に手を差し入れた時だった。看守がハリィの腕を掴んだ。
「申し訳ありません。囚人に魔法を使用する事は禁止されています」
「あ?こんなんでどうやって聴取したんだ。まさか聴取すらしねぇで裁判に掛けたのか⁉︎」
「口は聞けますし、耳も問題ありません。必要なら筆談も出来ます」
「……ハリィ。やってくれ。俺が責任を持つ」
「いえ、結構です。私に迷惑を掛けて困る家族は居ませんから」
「おやめください!」
「癒しと結びを司る済生の女神、フェリラーデ神よ妹神オーフェンタールと共にこの者を癒し賜え。聖霧」
全ての汚れを落とす様に、ハリィの治癒魔法がユミエールナを包み癒して行く。欠けた物を再生させる事は出来なかったが、腫れ上がっていた目や口元が綺麗になっていた。
「馬鹿かお前。こんな結果の為に神託を無視したのか?」
「えぇ。そうよ」
「なら良かったな。悔いがないなら……俺は、」
何を言おうとしているんだ俺は。悔いが無いなら何だというんだ、悔いが無くともお前が死んで何が残る。俺は治癒魔法を受けても尚、見ていられない程ボロボロなままの姉と言う名の女を前に、俯いていた。
何故陛下は姿を現さずダンマリなのか。孕ませた女に全ての罪を着せて本人はのうのうと玉座に居座り続けると言うのか。そんな事を考える事でユミエールナと向き合う事を避けた。
「アル、少し席を外してくれない?ハリィと話がしたいの」
「……俺がいたら不都合なのか」
「ハリィにしか頼めない事なの」
この期に及んでまだ隠し事があるのか。厄介な女だ。
俺はこの怒りを何処にぶつければいいのか分からず、席を立つと監獄棟の待合室へと向かった。
「ハリィ。ごめんなさい」
「謝るのは私にでは無くアルバートにお願いします」
「いえ、貴方に謝っておきたいの」
「何故ですか?」
「重荷を預けたいの」
「……これ以上の重荷があるのですか」
「ふふ……懺悔、いえ、私の本当の気持ちを彼に伝えて欲しいの」
「なら何故本人に言わないのですか?」
「私からは言えないからよ」
ハリィは黙って鉄格子に手を掛けた。
「終わったか」
「えぇ。話を聞きたいですか?」
「お前が言いたければ聞くが、言いたく無い事を聞きたいとは思わん。どうせあの女の事だ。俺にあいつを憎む様に言い含めろとでも言ったんだろ」
「えぇ……その通りですよアルバート。酷いお嬢様ですよ」
「全くだ。言われなくともあんな女に似た奴なんか選びはしない。つくづく自意識過剰な女だ」
何処まで話を想定していてそんな返答をしているのか、ハリィはアルバートの顔を見た。しかし、アルバートは何処かおかしそうな顔で笑っていて、まさかとハリィは目を瞑る。
「嬉しいんですか」
「あ?」
「お嬢様が残す言葉が貴方についてなのが嬉しいんですか?」
「馬鹿言え。俺は笑えて仕方ねぇんだよ。予想を裏切らねぇあの女が愚かすぎてな。大方陛下を誘惑したのだって親父や教会への当てつけだろう?はっ、本当に阿呆らしくてやってられねぇよ」
その言葉にハリィはその言葉が嘘でも本心でも、ユミエールナの語った本音は黙っていようと心に決めた。
それから2ヶ月が経った。ヒルトは王妃と教皇に会う事を拒否し、私兵でユミエールナを襲った者達を探し出していた。彼女を襲う様に仕向けたのは王妃ベリエリィだった。しかし、そう指示した証拠も当人達の言質だけで物証も無く追求は暗礁に乗り上げたまま、判決日を迎えた。
「ジャンバール、アルバート。力を貸してくれないか」
「陛下。何を今更……娘は今日判決を受けます。何が出来ましょうや」
「今夜ユミエールナを逃すつもりだ」
「「……」」
「私はユミエールナを愛している。子は失ったが、あの子だけは失えない!私の宝なのだっ」
なら何故、こんな状況になっているのかとアルバートはヒルトを殴りつけたい気持ちだったが、グッと堪え拳を握る。
「陛下、ならば何故娘を側妃となさらなかったのです。陛下ならば王妃を説得出来たではありませんか」
「ジャンバール!私とてそうするつもりであったに決まっておろうが!
だが、ユミエールナが嫌だと言ったのだ。神託がある故名を捨てる以外に私と家族にはなれない……ならば子が生まれたら市井に下り、子と2人で私の帰りを待つと。時折平凡な家族の様に過ごせれば良いと言ったのだ」
ユミエールナは平民の様な普通の家族に憧れていたのだろうか。だが愛した男が陛下ならばそれが叶わぬ事は百も承知だったろうよ。陛下もお可哀想な方だ。あんな女に振り回されて、暗君と呼ばれる日もそう遠く無いだろう。それでも尚、あの女を選ぶのか。
「陛下、フェルダーン一族はユミエールナに下される聖裁が何であれ受け入れる事を決めました。もう、あの子の事はお忘れください」
「⁉︎」
まさか俺達が本気で手を貸すとでも思っていたのか?この状況を作った張本人である陛下の為に?冗談も休み休みにして欲しい。
「お前達は家族だろうが!何故ユミエールナを見捨てる⁉︎」
「陛下、お言葉ではございますが、見捨てられたのは我々フェルダーン家の方です」
「……なっ」
「神託を無視した挙句に陛下との密通。隠すならば何処までも隠し通すべきでした。何故安易に探りを入れられる私邸なんかに隠したのですか!」
「それはっ!聖騎士棟にも近い故、家族に会いたくなれば会いに行けるからと……ユミエールナが」
「……愚かだ。陛下もユミエールナも愚かにも程があります」
もしも本当に聖女がいやなのならば、俺はあいつを逃したさ。しかし、あいつは逃げるという選択肢を見出さなかった。
「もう良い。私1人でもユミエールナを逃す」
「何処に逃げられる場所が?何処にも無いではありませんか!陛下がなさるべきは教会を納得させ、王妃を抑え込む事だってしょう!」
皆は既に終わりを受け入れていた。早熟で、早くから当主となるべく教育を施され、文武共に父に扱かれたアルバートだが、まだ15歳になったばかりの少年で、出来る事は何も無く諦めるしか無かった。ジャンバールもユミエールナを系譜から抹消していた。
その日の午後、判決は下され月末に刑の執行を待つばかりとなった。しかし、その日の晩に愚かな国王は暴挙に出た。ユミエールナを逃したのだ。そしてその捕縛に駆り出されたのは当時の聖騎士団司令官ジャンバール、副師団長ダダフォン、アルバート、ハリィだった。初任務が家族の捕縛となり、最悪の事態にとうとうアルバートの心は折れた。捕縛の隊列からハリィと黙って離れ帰還したのだった。
ユミエールナ再捕縛の夜からの日々は、アルバートにとって己を鍛える日々だった。これから先、同じ様な事があっても己の力で守れる様にならねばと寝食を忘れ鍛錬と時期当主としての公務をこなす。
「アルバート、大丈夫ですか」
「あぁ。やっと終わるのかと思うと清々しくさえある」
「痩せ我慢は似合いませんよ」
「……いや、本当に清々しいんだ。不思議とな」
「思っていたよりもユミエールナ様への情が無かったからですか?」
「そう……なんだろうな。こんな状況で何も出来ず狼狽えるしか無かったが。2度とそうはならないと決めたらな。あいつの事などどうでも良いと思えたんだ」
「もう直ぐですね」
「あぁ。あいつと、俺達の苦痛がやっと終わるんだ」
明日からは涙は流さないと決めた。ユミエールナの事は、情に心を揺さぶられる事の無い強さを得る為の試練だったのだ。
鐘が鳴る。1人の罪を贖う鐘が。
ハリィは鐘の音を聞きながら、聖魔力を纏い剣舞を舞うアルバートを眺めた。神への奉納か、偲ぶ為の物なのか。いやその両方なのだろうと考えながらユミエールナとの会話を思い出す。
「アルバートの事を愛していたのでしょう?」
彼女の見開いた目が、答えを聞かずともその問い掛けを肯定していた。ハリィは顔色を変えずに淡々と続ける。
「お嬢様がアルバートを見る目は、他の人とは違っていましたし。何故急に官僚試験なんかと思いましたけど、少しでもアルバートと関わりのある仕事を選びたかったのでしょう?」
「……」
「聖女になれば護衛騎士は騎士団の管轄。聖騎士団は本教会には行きませんしね……騎士教会に聖女が居を構える事は出来ませんから、選択肢は宮廷官僚か皇女の側仕えですか」
「全部お見通しなのね」
「お嬢様がわかりやすいんですよ」
「嘘よ」
「それにしても、陛下に一目惚れなんて嘘が良く通りましたね。フェルダーン家と王家の確執は何代も続く物です。その事は私生児のお嬢様でも真っ先に教えられる事では?」
全てがお見通しなのだと分かると、ユミエールナは顔を上げた。そして涙を目に溜め想いを吐き出した。
「私ね、初めてアルバートを見たのは屋敷では無いの」
「以前どこかで?」
「貴方とアルバートが貴族学院の騎士団養成科に入った日よ」
「……」
「私は教会の帰りだった」
「ならばさぞ印象深く、忘れられなかったでしょうね。あの日のアルバートは男の私が見ても格好良かったですから」
「ふふ。そうね、私にはアルバートの姿しか映らなかったわ。太陽の光に透けるプラチナブロンドの髪はきらきらしてて……空色の瞳は狼の様に強くて……まだ幼いのに私と変わらない様に見えたの」
「……まだ彼は当時7歳位でしたよ?嘘でしょう?」
「勿論、あんな小さな子供にって思いもしたわ。それでも不思議ね、当然の様に惹かれた。そして颯爽と貴方と共に歩くアルバートを追いかけたわ。名前や何処に住んでいるのかを知りたくてね」
「あの時私達はフェルダーン家に住んでいましたね」
「えぇ。貴族街に当時の私は入れなくて……教会裏から見える貴族学院を眺める為に毎日騎士教会に通ったのよ?」
「あそこは貴族門と平門の中間にありますしね。そう言えば、お嬢様のお母様は平民だったのですか?」
「没落したのよ。エバノン子爵家と言えば分かるかしら」
「……教会を冒涜した罪でしたっけ」
「ただ信徒に襲われそうになった私の叔母を祖父が助けただけなのにね……教会を非難した、冒涜だと言われあっという間だったらしいわ」
「そうでしたか」
それからユミエールナの母とフェルダーン侯爵は騎士教会で会ったのだと彼女は言った。そしてまだ結婚していなかった侯爵はいずれ迎えに来ると約束したが、平民と貴族の婚姻は許されておらず策を考えている内に月日は経ち、侯爵と太公外戚の伯爵令嬢との婚姻を国王により結ばれたのだと言う。2人は静かに離れていった。だが、ユミエールナの母は侯爵には子が出来ていた事は言わなかった。
「母は父上を愛していたから、拾い子として教会に登録した私を隠していたわ。酷いと思わない?実の子を拾い子にするなんて……でも愛は人を非情にするわ。私よりも父上に迷惑はかけたく無いって……それでも、神託が下された事、母自身が自分の死期が近いと分かった事で、私の将来を心配して父上に存在を知らせた……そこからはご覧の通りよ」
「ではさぞ驚いたでしょう。アルバートが弟だと知って」
「えぇ。絶望で死にたいと思ったのはあれが初めてよ」
「良く耐えられましたね」
「耐えられなかったわ。だから必死に勉強したし、魔法の特訓も欠かさなかった。早く屋敷を出たかったから」
ハリィはそっとユミエールナの手を握り目を見た。そして少しの怒りを込めて聞いた。
「ですが、何故陛下だったんです。あんな下作を選ばなければ……私に相談してくださればもう少しまともな策を講じましたのに」
その言葉に、ユミエールナはおかしそうに笑う。そしてハリィの手を解くと牢の中のベッドにトサっと座ってお腹を撫でた。
「アルの子供が欲しかったの。ちょっと生意気で、大人ぶってても子供らしい所もあって……正義感の強い彼との子が欲しかった」
「……確かに陛下の見た目はアルバートに似た所はありますが、アルバートと見るには正直無理があるでしょう?目を細めなくては誤魔化せませんよ」
「最初はね。同じ系譜を持つとは言え、陛下をどう頑張ってもアルと思う事は無理だったわ……でも会えない日々が私をおかしくしてしまったの。今では陛下とアルバートの区別もつかないのよ?不思議でしょ?」
「……名前を捨ててまでアルバートの子が欲しかったんですか」
「欲しかったわ。年齢など瑣末な事よ?お父様と義母様だって15も違うじゃ無い?私はアルを愛してるの。何を捨てても、誰が死のうと構わない程にね。だって、私はフェルダーン一族に何の恩義も感じていないもの。母を捨てた父上なんて死んだ所で何とも思わないわ……でもアルバートが悲しむでしょう?」
「その結果、最もお嬢様がアルバートを悲しませていると分かっていますか?」
ユミエールナが捕まった事に誰よりもショックを受けていたのはアルバートだった。口に出さずとも、自慢の姉だったユミエールナを何とか出来ないかと日々ハリィに相談していた。
「嬉しい。私が彼を傷付けたのね」
「彼をどこまでも縛り続けるんですね」
「そんなつもりは無いけれど、そうならどれだけ幸せか」
「ならば、私はこの話を墓場まで持って行きますよ」
「駄目よ!ちゃんと伝えなさいっ!そして私を貶して、憎ませ恨ませて‼︎……あんな女を姉だと思わない、将来は理性的で自分を理解してくれる女と俺は結婚すると言わせるのっ!私をちゃんと憎ませてあげて……じゃ無いと、彼の傷は癒えないわ」
何と愚かな。ハリィはそう呟くと牢に背を向ける。
— 貴女がハリィに傷を付けたのに、恨ませ憎ませろとは良く言えた物だ。悲しいのは貴女を愛しているからじゃない、まだ幼く、何も出来ない未熟な自分を思い知らされるからだ。
ハリィはそう心で毒吐いた。
「ハリィ!」
舞終えたアルバートの声にハリィはハッとして首を振る。目の前には笑顔のアルバートが手招きしている。
「何ですか?」
「俺は後悔している」
「え?突然なんです」
「言えなかったんだ」
「……アルバート。その先は聞きたくありません」
「?」
「勘弁してください。私の肩の積載量はすでに限界を超えています」
「何を言っているんだ?」
「愛を語るのでしょう」
「は?愛⁉︎俺が愛を語る⁉︎どうしたハリィ。お前、熱でもあるんじゃ無いのか?はぁ。また馬鹿な事を考えている様だな」
「じゃあ何なんですか」
「……言ってやれなかった事を後悔していた。お前を守ってやると。弟として、お前の剣となり戦ってやると。陛下を愛しているなら貫け、その為の面倒は俺が斬り捨ててやるってな、子供だからと堪えず言ってやれば良かった」
ハリィはアルバートの頭を抱き寄せ肩に押しつけた。永遠に降ろせなくなった重荷が、アルバートの涙と共に地面に落ちて、少し軽くなった気がした。
「次はちゃんと言いましょう。生きていれば必ず逢うはずなんですから」
「あぁ。……だが、そいつが姉さんみたいな奴なら勘弁だ」
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