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第二章 盾と剣

6 転機 2

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 あれからハリィはフロリアの側に居て、小さな手を握ったまま離れようとしなかった。
 
 次第に日は傾き、あっという間にフロリアの部屋は暗闇に呑まれていく。ラナは部屋の明かりを灯すとフロリアの眠るベッドサイドまで近寄って、「フロリア様のご様子は如何ですか」とハリィに問いかけた。

「特に変化はありません……一体ハカナームト神と何をしているのでしょうか」

「さようでございますね。また、あの時の様にフロリア様がどこかへ行ってしまうのではないかと思うと」

「ラナ!」

 ハリィは考えない様にしていた事をラナが口にした為、思わず声を大きくした。

「も、申し訳ございません!」
「い、いえ。私こそ大きな声を出してしまって……」

 フロリアの部屋には未だ神力しんりょくが漂っている。
既にフェルダーン家にあった魔石の多くを使っていたが、それでも次々に消化されて七色に色付いた魔石が本館の談話室には山の様に積みあがっていた。

「トルソン様。あの、魔石の事なのですが」

「はい。魔石がどうかしましたか?」

「当家の保管庫にあった物は既に底を付きかけています。ロベルナー男爵より馬車3台分の魔石が送られてきましたが、それも明日の朝まで保つのか……それに、旦那様もトルソン様も明日ご出立でございますよね?我々だけでフロリア様をお守り出来るのか不安で」

 ハリィもその事はずっと考えていた。聖戦へは必ず向かわねばならない、だがフロリアをこのまま放って置く事も出来ない。ならば魔石を準備するしかないが、騎士寮にある自分の魔石などあって無いに等しいと考えていた。

「出立は夜明けです。それまでに時間が無い……フローの神力に染まったこの魔石から神力を抜く事が出来れば再利用できるのですが。この後、元帥達がお見えになられたら相談してみましょう」

 ラナはその言葉に、フェルダーン家筋の者以外にフロリアについて教える事に懐疑的であったが、これ以上アルバートやハリィに対策を立てる術が無いのだと分かると「宜しくお願いします」と言った。

「それにしても、とても……美しいですね。フロリア様の本当の瞳の色と同じで、乳白色に七色の光が向きを変えるとキラキラ光って。フロリア様を見ている様な、心が躍る様な気持ちになります」

「そうですね。私は明日、これを持って出立しようと思っています。フローが側に居ると思えるから」

「そうだ、宜しかったらネックレスにしませんか?それか先日の収穫祭で購入されたリボンを使ってブレスレットを作りましょう!」

「え?ネックレスに…ブレスレットですか?」

 ラナは、フロリアのベッドに置かれた魔石の中から親指の爪程の大きさの物を2、3個選ぶと、枕元に置かれた紺色の巾着袋からリボンを取り出した。

「ラナッ!それはフローのリボンですよ?」

「ふふっ。実は、このリボン……きっとフロリア様がトルソン様にミサンガというブレスレットを作る為に準備した物だと思うのです。先月、私が着れなくなったフロリア様のドレスのリボンを解いて、ブローチの飾りに作り変えていた時なのですが、トルソン様のお守りを作りたいから……着なくなったり、不要になったアルバート様の衣類の中から革製品やリボンを沢山集めて欲しいと。そして、その中からトルソン様に似合った物を選んで自分で作るのだと…仰っていたんです」

 ラナはフロリアの前髪をそっと左に流すと、頭を撫で微笑んでいる。
しかし、その瞳には薄っすらと涙が見えた。

「そんな……事を、フローが言っていたのですか?」

「えぇ、パパには絶対に生きて帰ってきてもらうんだと。帰ってきたら一緒に暮らすのだと仰っておられましたよ。その為にも自分でお守りを作らないと駄目なんだと、このぽっこりお腹を突き出して、ふふっ胸を張っておいででした」

「フロー。帰ってくるから、必ず貴女の側に戻ってくるから。だから、起きてください……貴女が心配で聖戦どころでは無いのです」

 ハリィはフロリアの横に寝ると、ぎゅっと抱きしめ目を閉じた。

 ラナはリボンと魔石を手にそっと部屋を出て行く。そしてアルバートの部屋から丁度出て来たカナムを捕まえると、フロリアに頼まれていた物を作る為自室に戻ると言って西棟へと戻って行った。





 闇の始まり6の刻、一台の馬車がフェルダーン家の門の前で止まった。先触れが来ていた為、アルバートとハリィ、メイヤードを筆頭にすべての執事と側使え、護衛騎士達が屋敷の門の内側で待機していた。

「閣下、司令官。お待ち申し上げておりました。本日は当家にお越し頂き誠にありがとうございます」

 アルバートが礼を述べている間にも、メイヤード達は頭を下げたままロヴィーナが返答するのを待っていた。

「おや、副師団長も一緒かい?」

「おい、なんだってハリィが居るんだ」

 その言葉に、ハリィはいつもの仮面の様な笑顔を見せた。
アルバートは、事情がございまして。というと、二人とその側使えを引き連れ東館の方へと足を向けた。

「申し訳ございません。本日は当家東館のホールにておもてなしさせて頂ければと思います」

「お、なんだよ。そのお嬢様ってのは騎士でも目指してんのか?東ってお前、私兵を訓練してる屋敷じゃねぇか。それより、クロ―ヴェル神のヴェールは取っ払えたのか?」

「え、えぇ。ご心配お掛け致しました。なんとか」

本館にお連れすれば、閣下と司令官筋肉馬鹿の事だ。すぐに聖の事を嗅ぎつけるだろう。まずは事情を話した上で、聖に合わせた方がよさそうだ。

「私はどこだって構わないよ。今晩はごちそうを頂きに来たわけじゃないからね」

「……」

 その言葉に、アルバートを含め皆背筋に一筋の汗が流れる様な、嫌な緊張感を感じた。

「メイヤード、直接東館にお連れしてくれ」

「閣下、申し訳ありません。私は本館より伺わせて頂きますので、後程また」

「畏まりました旦那様。ラヴェントリン様、ヴォルフ様。こちらへどうぞ」

「あぁ、宜しく頼むよ」

 アルバートはハリィを伴いその場を離れると、北エントランスの扉から屋敷へと入って行った。




「ババァ。何でまたアルの所に来ようと思ったんだぁ?」

ダダフォンは、隊服の胸ポケットから煙草を取り出すと指先から小さな炎を出して火を付けた。そして、大きく煙を吸い込むとロヴィーナに向かってふぅっと煙を吹きかけた。

「あんたは一体部下の何を見てるんだい」

「あぁ?」

「このままじゃ、アルバートとハリィは教会とぶつかる事になるよ」

「聖戦の前だ、下手な加護を与えられたら隊員の生死に関わる」

 その言葉に、メイヤードは一瞬目を見開いた。しかし、何事も無いかの様に東館へ案内すると、扉を開けて2人を屋敷に迎え入れた。

 東館のエントランスにはメイドや従僕達が待っていて、2人をホールへと案内して席に付かせると、メイヤードは「今暫くお待ちください」と言ってホールを出て行った。

「ババァ、教会とぶつかるってどういう事だ?」

「あんた、教会にはどれ位の頻度で行ってるんだい」

「あん?そうだなぁ、汚染除去に週に一度……いや、2週間に一度って所か?」

「なら分かるだろう?」

「何がだよ」

「神力だよ。アルバートとハリィからとんでもない密度の神力を感じないのかい?」

そう言われ、ダダフォンは目を瞑りウンウンと唸る。しかし、彼にはそこまで感じられないのか、そうかぁ?と気の抜けた返事を返した。

「1週間とは言わないけど、それ位からかね。あの子達から神力を感じてたんだよ」

「ならわざわざ屋敷に来なくったって問質といただせば早いってもんだろ」

「騎士棟でそんな話が出来るとでも思ってんのかい?教会と繋がってる子弟が一番多いのは聖騎士団だろうが」

「なら騎士団の本部でも良いじゃねぇか」

「もっと駄目だろうが!この抜け作め。いつ皇太子殿下が来るか分かったもんじゃない」

「あぁ、なる程な」

2人が、周囲の反応も気にせず話す内容に、多くの事情を知らないメイドや従僕達は不思議そうな顔で2人を見ていた。

「お待たせ致しました。早速食事を運ばせますが宜しいでしょうか?」

「あぁ、構わないよアルバート。やぁ、いい匂いだね。そう言えば、ジャンバールは息災かい?」

「えぇ。最近の父は記憶の混濁が激しい物の、肉体は至って健康ですよ」

「アル坊!それは一番面倒くせぇ状況じゃねぇか」

「ハハハッ、確かにそうですね。元々聖騎士上がりですから、老いても尚といった所ですよ」

「セイラはどうしてるね。あの子のフェリラーデ結び癖は治ったのかい?」

「今は領地で新しい事業の立ち上げを行っていますよ」

「あの人は新しい対象でも見つけたのでしょう、こちらは平和そのものですよ」

 他愛もない、そしてどうでも良い会話が続いている。ロヴィーナはアルバートが切り出すのを待っていて、アルバートは彼女から切り出される事を待っていた。

「あぁっ!しゃらくせぇなぁこう言う無駄な会話!ハリィもそう思うだろ?」

「私ですか?いえ、興味深く拝聴させて頂いていますよ」

「マジかよ?ババァの話は核心に辿り着くまでが長ぇんだよな」

「馬鹿もん。お前の様に下品な貴族と一緒にするんじゃないよ」

「で、何でお前等神力なんざ持ってるんだ?どうやって手に入れた」

 その言葉にロヴィーナは頭を抱え、アルバートはやっと本題に入れるとグラスを置いた。そして、ハリィは懐から薄い手の平程の大きさの魔石を取り出した。

「な、なんだよそれ!魔石か?」

「アルバート、これは元からそうなのかい?それとも……」

「後者です。実は当家で子供を預かっていまして」

「それがあれか?クロ―ヴェル神のヴェールを纏いそうになったお嬢様か?」

「はい。ハリィが養女にと望む子供です」

 ロヴィーナとダダフォンは目を見開いてハリィを驚いた顔で見ているが、ハリィは誇らしげに魔石を撫でながら「養女でなくともフローは私の娘です」と言った。

「おいおいおいおい!マジかよ。あの死神ハリィが子供?カミさんが良く許したな」

「いえ、マリーナにはまだ。あの子はちょっと色々ありまして、養子に出来るかもまだ……」

アルバートは魔石を手に取り、ロヴィーナの所へと向かう。

「どこからどこまでを……どうお話すべきか」

「そうかい。なら最初からゆっくり話してごらん」

「はい。ですが、私からよりもハリィから説明させた方が良いでしょう」

「そうですね、フローを見つけ世話をしてきたのは私ですから」

ハリィは大きく息を吐くと、ロヴィーナを見つめた。そして約1年前、そう言った時だった。

シャン…シャン…。

 シンバルの様な、鈴の音の様な音がどこからともなく鳴りだして、
皆何事かと周囲をきょろきょろと見渡した。次第に体が地面に抑え付けられる様な感覚に、アルバートは両手で顔を覆った。

「まさか嘘だろ?勘弁してくれよ!またハカナームト神と一緒に戻って来るつもりかよ!」

「え?えぇ?そんなっ。だって部屋で寝ていましたよ?」

「アルバート!ハリィ!一体何が起こるんだ?すげぇなこの圧!」

「閣下、司令官、こんなのまだ序の口ですよ!これからもっと酷いのが来ます!踏ん張ってください!」

「お、おいっ!これより酷いって……うぉぉぉぉっ!すっげぇぇ!!太腿にくるぜぇ!!」

「なる程ねぇ、これが神力かい。アルバート、ハリィ。あんた達これを何度経験した?」

 既に、アルバートとハリィ、ホールに居た者達は床に膝を付いていた。しかしロヴィーナとダダフォンは何ともないのか涼しい顔をしている。そんな2人を皆は驚愕の目で見上げ、化け物!と心の中で呟いた。

 2人を除いて皆が慌てふためく中、何もない空間から業火とも言える炎がボゥっと立ち上がる。そして、その炎は人の様でいてまるで鳥の様な姿の女性へと姿を変えた。

『フェリラーデ様の愛し子の祈祷により戦神レネベント様の傷は癒され、愛し子の願いは聞き届けられた』

 その姿、声に、ロヴィーナとダダフォンは本能的に神に連なる者だと理解し、その場に恭しく跪いて頭を垂れた。

『我はレネベント様の眷属にして護衛を任された炎の化身法炎ほうえんが一つ聖琰せいえんなり』

聖琰せいえんと名乗ったその炎を纏う鳥人の女性は、皆を見渡し問いかけた。

『パパとやらはどの子じゃ?我が前に進み出よ』

「お、恐れ……いり…ますが、御力を……抑えて、頂けますと…」

ハリィは苦し気にそう言うと、聖琰せいえんを見上げた。

『ややっ。これはすまなんだ、人の子には強すぎた様じゃ』

「「感謝致します」」

ふっと軽くなった空気に、皆ほっとしつつハリィが一歩前に進み出た。

「恐れ入ります。娘にはパパと呼ばれていますが、もしやフロリアとレネベント様は邂逅なさったのでしょうか?」

『おぉ、そうじゃ。そうじゃ。パパとやらの命を必ず守れと厳命された』

「わた…くしの命を、ですか?」

『そなたがそうか?ハリィ・トルソン聖騎士副師団長とはそなたの事で間違いないか?』

「はい、間違いなく私の事でございますが…あの、質問をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」

『構わぬ。我は既に其方の加護となったのだからな!何なりと聞くが良い』

 その言葉に、ロヴィーナは立ち上がろうと腰を上げた。しかし、今まで以上の神力によって、その背は押さえ付けられてしまった。

「うっ!」

『ならぬぞ、我が前で無礼を許せるのは愛し子が許しを与えた者のみ。その方は下がっておれ』

「…失礼致しました」

「くくくっ、怒られてやんの。ババァがしゃしゃり出るからだぜ!」

ロヴィーナはギロリとダダフォンを睨む。その殺気に、ダダフォンは首を窄めて床に視線を落とした。

『して、なんじゃ?質問とは』

「恐れ入ります。娘は、フロリアはいつお返し頂けるのでしょうか?」

『さぁなぁ。レネベント様は既に社にお戻りじゃし、その内帰って来るのではないか?』

「その内って…そんな馬鹿な事がありますか?どなたが娘を天上界へ連れて行ったのでしょうか?」

『分からん。我とてレネベント様に命じられた故ここに来たまでじゃ。何故あそこに愛し子が居ったのかまでは知らぬ』

ハリィは床に座り込むと、がくりと肩を落とした。アルバートはハリィの肩と掴むと、「それより、神力の事を伺え!」と言い魔石をハリィに手渡し、また跪いている。アルバートの言葉にハリィは頷くと立ち上がり質問を始めた。

「恐れ入ります聖琰せいえん様」

『様は要らぬ。其方は我を敬う必要は無い、礼は十分に貰っておる故な』

「礼?ですか…それは先程仰った祈祷でしょうか」

『そうじゃ。あの愛し子の祈祷は誠良い!我の神力が業火の様に燃え上がり、今ならばこのオーウェを丸ごと焦がせそうじゃ!そなたこの世界を燃やしたいか?』

「え、良いんですか?世界というより、この国の王宮と教会をお願いしたいのですが可能ですか?」

『教会かぁ。それはちと困るが、嫌いな聖職者がおるのか?そ奴に神罰を下す様レネベント様に頼んでやろうか』

「でも、世界を燃やすのでしたら、教会も一緒に燃えますよね?」

『それもそうじゃな。教会を燃やすとレネベント様に叱られる故などうするかの』

「でしたら、娘を狙わないようレネベント様から教会に神託を頂けませんでしょうか?」

「「おいっ!馬鹿野郎」」

 真顔で聖琰せいえんに頼み込むハリィに、アルバート達は思わず肩を掴んでしまい、ハッとした彼等は慌てて聖琰せいえんの反応を見た。聖琰せいえんは紅い瞳で彼等を、特にロヴィーナを睨んでいる。

『我は同じ事を何度も言わせる奴が嫌いじゃ』

「「失礼致しました!」」

『なんじゃ、愛し子は狙われておるのか?』

「そうなのです。聞いて頂けますか?」

『うむ。言うてみよ』

 それからアルバート達が正座している中で、聖琰せいえんとハリィは井戸端会議をしている主婦の如くフロリアとの出会いから、今日この日の事まで、そして懸念事項を話して聞かせた。

『その様な状況であったか』

「えぇ、分かってくださいますか?聖琰せいえん

『うむ。分かるぞ!だが案ずるな、既に愛し子はトルトレス神の神力と繋がっておるし人の子如きでどうこうはできぬぞ?気に入らぬ事があるのであれば、その時は我の名を呼ぶが良い。我がその者達を黙らせてやろう』

「本当ですか?助かりますよ!」

『うむ。ただ、愛し子に頼んでくれまいか?』

「何をでしょうか?」

『その、なんじゃ。祈祷だけではなく聖願せいがんも頼めぬかと』

「まだあの子は小さいですから、聖願せいがんが行える程の体力が……」

『そうかぁ、それはまっこと残念じゃ!あぁ残念じゃ!あれ程我等が傷を癒す祈祷は初めてじゃったからの、聖願せいがんであればどれ程の法炎ほうえん達の力を底上げ出来るか!しかし、傷が癒えるだけでもありがたい!しかと祈祷をしてくれる様頼むのじゃぞ』

「娘が戻りましたら、しかとその様に」

コンコン

「失礼致します。旦那様……」

扉が開き、顔を覗かせたのはモートレーだった。しかし、彼はホールの中で主であるアルバートや、その上官達が正座をしている姿を見るや否やそっと扉を閉めてしまった。

「モートレー、何だ?」

「……フロリア様がお目覚めになられました」





















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