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第二章 盾と剣

3 大人の苦労子知らず 〜アルバートの怒り

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 昨晩、奉納祭からハリィと聖が戻って来た時、既にあいつはハリィの腕の中で眠っていた。ハリィはベッドに寝かせるとメイヤードの家に我が物顔で戻って行ったが、その時問題など無かった。

 翌朝、唐突にラナが聖を起こしに向かったが起きないと俺の執務室に駆け込んできた。

「旦那様、ど、どうしましょう!フロリア様がお目覚めになられないのです」

「……大方はしゃぎすぎてまだ眠っているんだろう。そう言えば今日はケネットが来る日だったな。カナム、時間をずらして貰え」

「畏まりました」

「旦那様!おかしいんですよ!一度診てあげて下さいませんか⁉︎」

 何がどうおかしいのか。ただ眠っているだけなんだろう。どうせ夢の中で馬鹿な事をしているだけだ。

「はぁ。で、何がおかしいんだ」

「その、眠ってらっしゃるのは確かなのですが……魔力でしょうか、部屋中に充満していて。しかも突然その力が溢れたり、治ったりして!私ではそれをどうしようも出来ませんでした。お声掛けを何度も致しましたし、ベルも鳴らして……そして突然また溢れ出して、私は部屋に入っていられなくて。それでラーゼンハイム卿に魔力の除去をお願い致しましたが、ラーゼンハイム卿でも難しいと」

 何を言っているのかよく分からんな。部屋に魔力が充満?そんなのフリムなら自分の魔力で室外に押し出せる筈だ。そもそも聖は自分で魔力を扱えもしないのに、眠っている状態で魔力を扱うなど無理だろう。しかし、こうも慌てているラナの表情はハカナームト神を前にした時と同じ様に動揺している。

「はぁ……分かった。ちょっと待ってろ。カナム、モートレーをハリィの所へ向かわせろ。呼んで来い。後、この資料を閣下に届け承認を貰う様伝言も頼む」

「はい。こちらですが従僕でも問題はありませんか?」

「いや、執事の中から行かせろ。騎士本部に直接行く様伝えてくれ」

「畏まりました」

 それから、俺はラナとカナムの補佐レベットを連れて聖の部屋へと向かった。東棟の執務室から本館へと移動し、私室のある階へと繋がる階段を登り始めた時だった。魔力の圧縮と解放が何度も行われているかの様な、異様な力が溢れていた。

「なっ……何だ……これは!ま、まさかっ」

 俺は駆け出し階段を登り、苦しむラナ達を無視して部屋の近くまで駆け寄った。聖の部屋の扉は開け放たれて、フリムが前屈みで踏ん張る様にして部屋に向かって自分の魔力を放出しているのが見えた。

「フリムッ!」

「だっ旦那様!これは魔力ではありませんぞ!私の魔力がっ!部屋に届かないのです!」

 まさか、まさかここで魔人なんかになってはいやしないだろうな⁉︎

「どけっ!」

 アルバートは、体に魔力を纏うと聖魔力を使用するため祝詞を早口で唱えた。

「聖なる加護を与えしハカナームト神よ、御身の威光を我に貸し与え賜え!顕現せよ聖鎧せいがい!」

純白の鎧がアルバートの身を包む。そして部屋の中に突入したアルバートは「うっ!」と口元に手を当て床に膝を着いた。

「これはっ!神力しんりょくだっ!なんっ、くそっ……」

 体を起こそうとすればする程、頭を、肩を押さえ付ける様な力にアルバートは屈しそうになった。

 何だこの圧は!ハカナームト神でもこれ程ではなかったぞ?聖、何をやってるんだ!起きろ!俺の声が聞こえるなら起きろ!

「アルバート‼︎どう言う事ですっ!」

振り返ると、そこにはまだ隊服を着ていない私服のハリィが苦しそうにこちらを見ていた。

神力しんりょくだ!」

「なん……で。ハカナームト神はまだ上神はさせないと!」

何の話だ!ハリィ、お前ハカナームト神と一体何の話をしたんだ!

「部屋を出るっ!ふ、封鎖しろ!」

「アルバート⁉︎」

 俺はなんとか部屋を出ると、ハリィ達を連れて本館の西側外れの談話室に入った。どうしたら良いのか、聖は大丈夫なのだろうか?

「アルバート、どう言う事ですか!」

「それはこっちのセリフだっ!お前、ハカナームト神と何の話をしたっ!上神って何の事だ」

 ハリィはアルバートの問いかけに、息をふっと吐くと真っ直ぐに彼の顔を見て言う。

「以前話した様に、フローの身体はフェリラーデ様の欠片と加護、祝福、調愛の塊なんです。それが意味するのはフローが次代の聖女であり、フェリラーデなんです。ハカナームト神は仰った、この国の加護、守護はフローの誕生により保ってあと5年前後。その間にフローを聖女とせよ……そして国と、教会の……主を変えろと」

 絶句とはこの様な状態なのか。俺は何に驚けば良いのか、あの馬鹿女が次代の聖女であり女神だと?そして陛下と教皇を……引き摺り下ろせと?馬鹿な。どちらも馬鹿げている。100歩譲って聖が聖女や女神は許せる、扱い易いあいつは俺達にとっちゃ好都合だ。だが、陛下や聖下をどうやって変える、そして誰に?

「お前……は、何て答えた」

「私1人で成せる事ではないので……ならば国を捨てると」

「で、ハカナームト神はそれにどう答えた」

「国が滅びるだけ……と。また、人の力でそれを成し得ぬ場合、フローがこの国の存続だけでも良しとするのなら我らがそれを……成すと」

 国が……滅びる?何だってそんな話になるんだ。それは何か?前聖女はそれを望んでフロリアを産んだって事なのか?いや、逆か。彼女はこの国の加護と祝福、調愛が薄くなっている事に気が付いていた。だから残り少ないフェリラーデ様の力であいつを産んだ。

「お前、本気で国を捨てるつもりだったのか」

「はい」

「聖騎士なのにか」

「元々私は人では無かった。ですから国に恩義や愛着はありませんでしたし、フローが国家滅亡を望むとも、上神したがるとも思えません。ならば私が選べる道は一つだと」

「……お前、本当それで良く加護を得られたな」

「えぇ。私も神を騙せるなんて思ってもみませんでした。偽りの恭順で3柱から加護と祝福を頂けるとは……」 

ちょろい。とでも思っていたんだな?普通はそんな嘘、簡単に見破られて消し炭になってただろうよ。だが、本当のお前は神に救いを求めていた……そうだろ?でなくてはフェリラーデ様の加護なんて得られない。

「国家転覆、神教冒涜……どう足掻いても堕落の烙印は免れないな」

「神の意志です」

「はっ!こんな時だけ信心深いな」

「ハカナームト神を目の当たりにして、信じずにいられますか?」

「……確かにな」

 ハカナームト神のご意志が撤回される事は無いだろう。後5年、後5年で国が滅びる。上手く世代交代をさせなければ神の手によって滅亡させられる前に周辺国によって潰されるぞ。

「ならば現実的な話として、ヤーリス、オルドレイン、メリトルク、ガインヤーべ。この4国を帰順させねば国の衰退の機運に乗じて攻め込まれるぞ。それこそあの馬鹿が最初の贄になる」

「唯一神としてハカナームト神、土地神ライデオン、アルケシュナー神、想像上の神獣メシャーナムを信仰する国です。もしもフローが生き神として立つならば帰順は容易では?まぁ、ヤーリスは難しいでしょうけど」

「そう簡単に行くかよ。ヤーリス以外の3国の信仰心の厚さは紙切れ同然だ。神罰を与えられる事すら稀な程だ。だからあいつらは聖が聖女として立っても恐れず突っ込んでくるぞ……それに、あいつの存在は邪教と映るだろう。くそっ!今から作戦変更は無理だぞ。もっと前に分かっていたならヤーリスを叩き潰して取り込めたのに」

「ですが、そうなればフローの存在を公にしなくてはならないでしょう?」

 まだそんな事を言ってやがるのか?もう隠せない。隠してちゃ神罰で国が滅ぶ!

「どのみち聖女にしろと言われているんだろ」

「上神すればその必要は無いと……ですが、そんな事許せる訳も無く、国を出れば全てのしがらみを断ち切れると思いました。しかし甘かった様です」

「甘過ぎだ!副師団長のお前がその程度でどうする?今回の聖戦が俺は怖くなって来たぞ。そもそも何で頭を挿げ替える必要がある。陛下と聖下にご不満ならば神罰を与えれば済む話しだろう」

「フローの命を狙う可能性がある事、聖下の信仰に二心あり。邪教徒を我の庇護下にある国の子とはせぬと…陛下については神の存在を否定した。それが原因の様です」

 俺の危惧していた事がドンピシャ過ぎて頭が痛い。だが、まだ道は残されている。聖が上神すれば良いんだな?

「上神したらどうなる」

「……神になるのですから、天上界へと昇るのでしょう」

「天上界に、昇……る。それは人としては死ぬと言う事なのか?」

「そうでしょうね。神が人の世に、神力しんりょくを以て加護等を与える以外で直接関わる事は本来無いそうです。世界を変えるか、フローを返すかどちらか選べ。そう言う事でしょう」

 俺はその言葉にハリィを心配した。こいつはもう聖の存在無しに生きては行けない。上神、そうなれば間違いなくこいつも後を追うだろう。行き先が違えど聖の存在しない世界に未練など無い筈だ。

「陛下については考えがあります。ですが、そうなれば私はあの子を永遠に娘として迎える事は出来ません……それでも、あの子を失う位ならそれ位我慢出来ます。ただ、聖下の邪神を信仰と言うのがいまいち分からないのですが」

 邪教と言えるかも知れない。聖下の信仰心は本物だ、それは疑いようも無い事実。だが、それと同じ位あの方は亡くなった大司教ウルネリスを愛し、彼女の力を崇拝していた。聖下ご自身は5柱の加護と3柱からの祝福を受け教皇となられたが、ウルネリスは違う。8柱の加護に5柱の祝福、2柱からの調愛を得た奇跡だ。それに、元聖女候補でもあったが、聖魔力の有無の差だけで前聖女エルリン様に取って代わられた。

「聖下は邪神を信仰しているわけじゃ無い。第3夫人だったウルネリスに心酔しているんだ」

「あぁ、あの神に最も近い国教信徒ですか……なる程。愛が重過ぎれば邪教徒扱い方される訳ですか。ならば私もそう見られているのでしょうね」

 何を笑ってやがる!笑えないぞ。全く笑えない!

「笑えない冗談はそこまでにしてくれ!」

 俺がそう言った時だった。

「旦那様、騎士団本部より早馬で御伝言をお預かりしております」

「入れ」

 カチャリと音を立てて、執事メイヤードが部屋に入ってくるなり駆け足でアルバートの側に立った。そして慌てて言った。

「猊下より、この度の聖戦に皇太子がお出ましになると」

「「⁉︎」」

 何故皇太子が出征する必要があるのか。俺は嫌な予感がした。
 波はある物の聖の神力が落ち着いたの確認した俺は、嫌がるハリィの首根っこを掴んで騎士団本部へと向かった。


 それから3日間、俺とハリィは騎士団本部に詰める事になってしまい、日に2度程メイヤードが衣服の交換や屋敷の状況を伝えに来ていた。

「メイヤード、どうなんですかフローの状態は!」

「変わらずでございます。それよりも別の問題がございます旦那様、トルソン様」

「別の問題?何だ」

「教会より当家周辺の聖魔力の上昇が著しく、聖魔力保持者の非登録保有の懸念有り。敷地内調査の命が聖下より下されたと協力者より連絡が」

 思ったより早く動いたな。まぁいい、今回の聖戦における戦力補強として屋敷に居た者は全員編成に組み込んで、既に聖騎士団に身柄は移動させた。探した所で見つかりはしない。だが、聖はどうする?

「……昨晩、念の為と神力しんりょくが収まったのを確認してカナムがロベルナー男爵の保有領地にフロリア様を匿う為に出立しました。旦那様のお部屋の転移魔法の使用を、申し訳ございませんが私が許可致しました」

「構わん良くやった!ロベルナー男爵にくれぐれも宜しく頼むと伝えてくれ。後、聖の部屋を片付け祈りの間の様に見せておいてくれ」

「旦那様の奉納によるハカナームト神からのご加護だとお伝えすれば良いのですね?」

「あぁ、頼んだぞ」

 あの神力しんりょくの量だ。残滓はそうそう消えないだろうからな。実は以前より神託を得ていたがハカナームト神より秘匿を約束させられたと言い逃れるしかない。最悪メイヤードとラナ達をハカナームト神との邂逅の証人として出すしかあるまい。

「メイヤード、フローは。フローはどんな様子でしたか?何か、こう……何か目覚めの気配や苦しんでいるような事はありませんでしたか?」

 ハリィは、目に見えてオロオロと狼狽している。流石に3日も会わずに居る事が無かったせいか、微かに指先が震えていた。しかし何だ……こいつとあの馬鹿はフェリラーデ様の結にでも縛られているのかねぇ?俺は慣れたとは言え、あの死神トルソンが能天気でクソ生意気なあのガキにかしずくが如くの態度に、いつも生暖かい不気味さと言うか、理解し難い物を感じている。人はここまで誰かに執着出来る物なのか?

「そうでございますね。お苦しみになられている……と言いますか、何かこう両腕を上げ下げなさっては息を荒げてらっしゃいまして」

「ど、どんなふうにですか⁉︎」

 メイヤードは、失礼しますと言いジャケットを脱ぐとシャツの袖を捲り、水を掬う様に手を合わせ天に掲げては何かを撒くように腕を開いた。そして両手を胸で交差させ、前に突き出すと同じ動作を繰り返した。

「「?」」

 アルバートとハリィはその動きをじっくりと見ていたが、何の動きなのか全く検討が付かなかった。

「旦那様、愚考を申し上げても宜しいでしょうか?」

「構わん」

「私が10代の頃でしたでしょうか。春の聖光せいこう奉納祭の時、先先代の聖女様の奉納を拝見した事がございました。奉納の儀を終えた聖女様は、確かこの様な動きをして集まった聴衆に祝福をお与えになられていたと記憶してございます。これは、フロリア様が神力や魔力の扱い方を夢の中で習得なさっているのではないでしょうか?」

 その言葉に、ハリィはガタリと音を立てて席を立つと部屋を出て行こうとした。

「ハリィ!何処へ行く!」

「フローの所に戻ります!聖女になどまださせない!」

「っ!聖騎士第1師団ハリィ•トルソン副師団長!命を下す。今より皇太子オルヴェーン様の率いる黒騎士団の参謀として加われ、以上!即時当団編成を離脱せよ」

「師団長⁉︎」

 こいつを今聖の元には戻せない。今戻れば教会にあいつの居場所がバレる恐れがある。それに、皇太子が参戦する理由がヤーリスの戦力の中に魔獣が組み込まれていると報告が入ったからだったが、武人としての腕が幾らあろうと、聖魔力の扱いに馴れていない皇太子は足手纏いの何者でも無い。ならばこいつを補佐に付けて置くしかない。その役目は部隊長にやってもらうつもりだったが……こうも混乱しているこいつを抑えるには互いの存在を首輪にして繋いでおくしか無いだろう。

「そんなっ!どうして!」

「どうしてもこうしてもあるか!お前のその後先考えない行動であいつの存在が教会にバレたらどうする。お前達の為に一族の命を掛けて協力してくれているロベルナーがどうなるのか、考えているか?セルブ•ロベルナーは男爵とは言えフェルダーン家の分家の一つだ。次期当主候補でもある。お前は俺の一族すら危険に晒す覚悟があって聖の元へ行こうと言うのか?もしもそのつもりなら俺はお前達よりも一族を取るぞ」

「……もうし、わけ……ありません。師団長」

 ハッとして、目を瞑り頭を下げるハリィ。だが、これまで幾度と無く思ってきたのだろう事を口に出したアルバートの目は、冗談でも脅しでも無く「見切り」を付けた、そんな眼差しだった。

「ハリィ、今すぐ登城しろ。何かあれば必ず連絡する、それまでは大人しくしていてくれ。……それと、俺は今までお前達を家族にする為、国の為に折らずに済む骨を折ってきたつもりだ。その苦労をお前が足蹴にするなら覚悟しておく事だ」

 ハリィは失敗した。そんな表情で執務室を出て行った。その後ろ姿を見送ったアルバートは、溜息と共にドサリと背凭れに背を預けた。

「はぁぁぁっ!クソっ!」

「旦那様こそ、冷静になってください。あれではトルソン様がお可哀想ですよ」

「分かっている!だがな、あいつの行動のせいで無駄な厄介事はもう抱えたく無いんだよ!」

「子を想う親とは、得てしてそう言う物でございますよ。旦那様にもお子がいらっしゃれば、理解される筈でございます」

「はんっ!あんな爆弾みたいな子供が我が子となる位なら俺は一生独身で構わん」

 メイヤードは、困った様に笑うと「いえ、必ず旦那様はトルソン様の様になります」と言うと部屋を出て行った。残されたアルバートは、聖戦を前にこれからをどうすべきか。チェスにも似たボードゲームの駒を置きながら溜息を吐いた。




















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