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獣語 躍動編
出立式
しおりを挟む私は輿入れの際に心に決めた事がありました。
言葉を信用しない。
陛下への忠誠を決して失わない。
妃嬪達とは上手く付き合いをする。
子供には愛情を注ぐ。
陛下との結婚は政治的な物だと分かっていましたし、荒廃する国を私は一国民としても憂いていました。だからこそ、この結婚に意味はあるのだと思っていたのです。
そして正妃として迎えられる筈だった物が、側室と格下げとなっても私はがっかりもしなかったし、なんなら標的にされずに済むのでは。
そんな甘い考えを持っていました。
ですが、王宮とは、後宮とはこの様に賤しい場所なのかと輿入れの日に
興醒めしたのは懐かしい記憶です。
「サリュー様、お時間です」
「はい。参りましょう」
サリューは控えの間を出て、サロンを横切り闘技場に向かう道をドレープを優雅に揺らし凛として歩いた。
側室として王室に入り、初夜を迎える為にこの道を歩いた。
あの日の私はどんな顔をしていたんでしょう。
結局心通う事もなく、私と陛下は夜を過ごしました。
こんな物だと思っていても、寂しさと言うのでしょうか。
侘しさと、虚しさ。どれ程心が折れた事でしょう。
それを埋める術も、埋めさせてくれる時間も与えては貰えませんでしたね。バシャが生まれても、心に決めた愛情を注ぐ事も叶わず突き放す方法しか見出せなかった己を今でも許せません。
「バシャの準備、抜かりはありませんか?」
「ございません。サリュー様」
「そう」
抜かりがあれば、私は今ここには居なかった。
私とバシャは王族派、摂政派。そして民政派に王妃派と、
まな板の上の何とやらで。
獲物を見る様な目があちらこちらにあって、恐怖と常に張り詰めた日々に、気を休める事など死ぬ事以外ではあり得ない。
そう思ったものです。
そう、長らく私は私ではありませんでした。
ナナセ殿とケード殿に会うまでは。
界渡の人は、不思議な生き物だと思います。
生きた世界が違う、文化も思考も何もかもが違う。そんな事を羨んだり
しませんでしたが、彼等の穢れのない純粋さは私の心の壁を溶かし日差しの様にすっと入ってきました。
ナナセ殿やケードさんのマグマの様な熱い情。彼等は苦しむ者、弱き者を見捨てられず涙するのです。
その涙の美しさは、この世界では決して見る事は無かった物。
そしてケードさん、貴方のその吹き抜ける一陣の風の様な優しさは…
私とバシャの背中を押した。
次はいつ会えるでしょうか?
彼の状況は、愚かな私から見ても安心など到底出来ぬ物です。
もしかしたら、今生で会う事は叶わないのでは無いでしょうか?
追憶の中で、サリューは孝臣とナナセを想った。
そして病から救い、愛する我が子と向き合える機会をくれた孝臣の為に何が出来るだろうか。そんな事を考えていた。
バシャの遊学は国民に広く伝わり、亡国となった自国の唯一の希望として、皆バシャに期待していた。そんな国民の孫の様な存在のバシャが遊学に出るという知らせは、国民の足を出立式が執り行われる闘技場に向かわせる。ある者は家族を失い絶望の中に希望を欲し、そしてまたある者はその飢えを無くしてくれるのではと、バシャに未来を託す思いでいた。
「バシャ様、ロードルーでどんな事をするんだろうな?」
「何でも雷刀に弟子入りするらしいぞ?」
「まさかぁ!王族が冒険者にでもなるつもりか?」
「いや、雷刀って黒狼の番だろ?だから、人と獣人が上手くやっていける様に、二人から学ぶ為に彼等の元で暮らすってよ?」
「へー、すげぇや。人間と暮らすなんて俺たちにゃ無理な話だよ」
「だからだろ?これからはそんな事言えない世の中になるんだ。俺達の希望が率先して融和へ歩き出したんだ…もう嫌いだなんて言ってらんねぇよ」
詰めかけた群衆は、バシャの姿を一目見ようと闘技場の外にまで集まっていたが、みな騒ぐ事なくその時を待った。
「皆の者、よく集まってくれた」
闘技場の中心に設けられた魔導マイクの前に見違える様にしっかりと立つドルザベル王は、昨晩ロードルーから戻ったにしては疲れも見えず、生気が満ちていた。内乱や国の憂いが落ち着いたからなのか、ロードルーで国王としての地位だけは留め置かれた所為なのか。
王族としての威厳がそこにはあった。
「本日、皇太子はロードルーにて人間との暮らしを学ぶ為に出立する。今後当たり前になるであろう人との交流は我々にとって未知のことではあるが、ここに集まった皆の日常となるものである。この国は国として滅びはしたが、ロードルー国王並びに各国の国王はいずれ再興を許すと
言ってくれた。王室はそれまで皆の為に尽力すると誓う。皇太子が戻る3年後…成長した皇太子と共にこの地で皆の前に立つと約束する」
ドルザベルの言葉と姿に、民衆は歓喜の声を上げる者や泣き出す者もいた。その中で、市井の者が着ているようなシャツにパンツ姿のバシャが登壇した。
「獣人並びに本日ご列席頂いた各国の使者の皆様には御礼申し上げます。獣王よりお言葉を頂きました様に、本日私はこの地を離れロードルーへ参ります。多くを学び、必ずや皆様の為に力となれる様励みます」
破れんばかりの拍手や歓声が闘技場を包んだが、バシャは俯いて顔を上げず震えている様に皆には思えた。そして、バシャは涙声で話し始めた。
「ただ一つ。この遊学で楽しみにしていた事がありました。その人は、人間であり、界渡の人。そして冒険者としても名を馳せ、第二の母と慕う者です。皆様も彼の事は存じているでしょう。そう、この遊学では彼の元で学ぶ筈でした」
この言葉に、群衆は騒めいた。人間で界渡。そして冒険者と言えばナナセの事である事は誰もが分かっていたからだ。
「彼はナナセ。ロードルーで多くの功績を上げた。そんな彼の為人は、皆が噂聞く物とは少し違う物でした。怪物の様な大男でも無く、人をたらし込み操る様な狡猾な人でも無い。ただただこちらが醜く感じる程に優しい人でした。そして他者の為に強くなれる人でした…彼は…私の呟きを聞き逃さずその手で掬い上げ…真綿に包む様に抱きしめてくれた…
あの者以上に優しい人も、獣人も私は知りません…そんな彼とその家族と過ごせるであろう日々を指折り楽しみに数えました…」
少しの沈黙は、その後に続く言葉を待ちながらも何処か不安を掻き立てられる物で、列席していた賓客の中にも騒つく者達が現れた。
「私は…昨晩…ナナセが…死んだ事を知らされました。バシャールへ派遣要請を受け出立した後、邪教の者達に殺められた…そう…私の…母が殺された…叫びたい事、怒りを吐き出したい想いはこの身体で渦巻いています…ですが…私はナナセの為に我を失ったりしない!彼も愛してくれたこの地を必ずや復興させ、その暁には…彼が安らかに眠れる場所を作りたい!だから私は遊学をやめません。トーマス王に師事し、ギルドマスタードーゼム殿から人との暮らしを学び、必ずや成長して戻ってきます!」
沈黙と驚き、そして力を振り絞り、泣き叫びながら所信表明をするその姿はナナセの死が真実なのだと思わせるには十分であった。その場に居た誰もが、バシャの言葉に隣り合わせた者の顔を見て言葉を失っている。SSランクの冒険者が邪教徒に殺された。
それは衝撃として一時の沈黙の後会場を包んだ。
だが、ドルザベルはその場に立ちながら毅然とした態度で声を張った。
「泣くなバシャ‼︎」
ザワザワと騒めきがある物の、その声の覇気に皆中央に視線を戻した。
「バシャ!立ちなさい」
「うぅっ…ふぇっ」
「ナナセにその様な姿を見せるつもりか!彼は死んだ!だが、誰よりもお前が見える場所でいつも見ているのだ!立てっ!」
「父…上…はい…はいっ!」
「皆の者、動揺させたな。だが我々は進まねばならぬ!そして、もう一つ皆には伝えねばならぬ事がある…サリュー」
手を差し伸べられて、サリューは登壇するとその手を取った。漆黒の装いに身を包み、サリューはドルザベルの横に立つとバシャの肩を抱き寄せ立ち上がらせた。
「皆様、今ここには喜びと悲しみ、驚きで混乱しています。ですが、全ては起きてしまった。予想だにしなかったナナセの死は…私達家族を悲しみに突き落とした。ですが、我々にはナナセに代わり護らねばならぬ者がいます…気落ちなどしては居られない程大事な事です。ケードさん、ファルファータ事務次官こちらへ」
ファルファータ。その名を聞いて、国民は嫌悪の眼差しで歩みを進める彼等に注目した。
「皆様は、ここに居る者を存じてしますでしょうか?」
その声に、ある者が声を上げた。
「売国奴だっ!人間世界に尾を振る売国奴だっ!」
「そうだっ!こいつのせいで俺の家族は人間に殺された!」
「店を潰された!」
「獣人の面汚しだっ!」
その言葉を聞いて、孝臣はファルファータの肩を抱き寄せるとその耳に手を当て塞いだ。
「皆さんは大きな勘違いをしています。彼は皆からの罵詈雑言、憎しみを偏にその身に背負い、王室の為に尽くしてくれた忠臣です。事の全ては我々王族の弱さから始まった。王族でありながら威光を示せず、ただ王家という飾りにしがみつき政治を、国を混乱させました…この国が、獣人が…まだ獣人として生きているのは彼が外貨を稼ぎ、ギリギリの所で各国を抑えてくれていたからです…そして家族を失い傷付いた…それも王族の弱さが招いた悲劇です…これを公表しなかったのは…我々では皆様の怒りを、不満を受け止められなかったからです…バシャの新たなる旅立ちと共に、我々も生まれ変わります」
ドルザベルは王冠を外し、ローブを外すとサリューに並び立った。
バシャは涙を拭うとサリューの横に立ち胸を張る。獣人の王、大地の覇者たる獅子族はその傲慢さとプライドを捨てた。
「この場を借りてボルチェスト家の皆に謝罪ならびに感謝を」
新たなる正しき一歩を踏み出す為に、サリュー達はファルファータとリルド、そしてリンに向かって深々と頭を下げた。そして民衆は沈黙した。長く染み付いたその感情をどうすれば良いのか分からなかったからだ。だが、ピカピカと頭を輝かせる人間にもたれ掛かり嗚咽を上げる妖狐の姿に、頭を下げる王族の姿にそれを嘘だとは言えなかった。
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