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生きる希望をあなたに
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死を望む死刑囚に刑を執行することは、刑罰足りえるのか。
死刑になるために凶悪犯罪を起こす者が後を絶たなかったこの国では、「死刑にすることが犯人の望みを叶えることになるなら、被害者遺族の人権が守られない。別の刑罰を考えるべきだ」という声が、死刑制度の賛成派・反対派の双方から多数上がっていた。
代案として死ぬまでの無期刑や超長期刑が検討された。しかし、刑務所の数と収容人数の問題が足かせとなり、結局代案は遅々として進まない。そして世論の不満がくすぶる中、再び死刑を望む若い男による大量殺傷事件が発生した。三本のシェフナイフと金槌を用意していたその男は、人がごった返すショッピングモールで、老若男女問わず無差別に襲い、十三名を死傷させたのち取り押さえられた。
決定的だったのは、その事件で幼い息子を失った父親の訴えだった。何をしても息子は帰ってこない。ならばせめて、被告の望みを叶える形ではなく、死の恐怖を植え付けて死刑に処したい。
慟哭とともに発せられた心の叫びは、国を二分する激しい賛否を招いた。そして人々の熱狂的な共感を呼んだ。いつか、自分の子供が同じ目に合うかもしれない。この国ではその恐怖が現実味を帯びるほど、無差別殺傷事件が日常化していたのだ。
世論が盛り上がりを見せる中、うつ病やパニック障害、解離性障害などの精神疾患治療で、極めて高い効果が期待されていた「電気刺激治療」において、バーチャルリアリティー技術を活用した新たな手法が考案され、大きな注目を集めた。まだ実用段階にはなかったが、この技術を使えば、死刑を望む者に「生きたい」という希望を与えられるのではないか。
国会では喧々諤々の大論争が巻き起こった。だが、なんの腹の足しにもならない「倫理的高潔さ」よりも、「世論」と「自分の都合」を重視するのが政治家の常である。「犯罪被害者の権利を考える会」という団体を支持基盤に持ち、過半数の議席を占めていた与党が、「死刑囚の人権が守られるよう、最大限の配慮を講じる」という有名無実な一文を添えたうえで、死刑囚を対象とした電気刺激治療の臨床実験を許可する法案を賛成多数で可決。すぐさま法律が成立した。
「この実験が成功すれば、うかつに死刑を望めなくなる。そうなれば凶悪事件を未然に防げるようになるだろう」
ある与党幹部は法案可決後、数の論理で強行採決を実施したことを批判するメディアからの取材に、胸を張ってそう答えた。
―――
会議室のモニターに、人影が映った。ヘッドギアを外され、ストレッチャー上で眠っている拘束衣姿の死刑囚のそばで、その影はピクリとも動かず、じっと張り付いている。
「あ、あの人......」
映像に気付いた若い男が声を出す。
「そりゃ来るさ。あの人がいなきゃ、この実験は行われなかったんだからな」
ノートパソコンでこれまでの検証データをまとめていた中年男は、スマホを片手にリモコンアプリを起動すると、画面に表示されたOFFボタンをタッチした。ブツンと、巨大モニターが真っ黒になって沈黙した。
―――
スタジオの中で、フォトパネルを脇に抱え、左手に白い花束を持った大柄な男が、直立したまま死刑囚を覗き込んでいる。照明を強く反射する剃り上げた肌色の頭には、ぼこぼこと血管が浮き出ている。
しばらく微動だにせず見下ろしていた男は、ようやく視線を切ると、ローテーブルにフォトパネルを置いた。そしてその横にある、空になっていた花瓶に、手にしていた真新しいホワイトガーベラの花を活けた。A2サイズのフォトパネルでは、幼い男の子が幸せそうに、満面の笑みを浮かべていた。
「お前は、事件を起こす前に、殺してくれと、願ったらしいな」
花瓶をゆっくりとテーブルに置いた男は、花瓶から一輪の切り花を抜き取った。そしてゆっくりと死刑囚の視線を戻す。
「心配するな、お前の願いは必ず叶えてやる」
目の前の男に自分の息子を殺された父親は静かにそう言うと、手に取ったホワイトガーベラを拘束着の上にそっと置いた。死刑囚の口元が、かすかに微笑むように、「ナージャ」と動いた。
死刑になるために凶悪犯罪を起こす者が後を絶たなかったこの国では、「死刑にすることが犯人の望みを叶えることになるなら、被害者遺族の人権が守られない。別の刑罰を考えるべきだ」という声が、死刑制度の賛成派・反対派の双方から多数上がっていた。
代案として死ぬまでの無期刑や超長期刑が検討された。しかし、刑務所の数と収容人数の問題が足かせとなり、結局代案は遅々として進まない。そして世論の不満がくすぶる中、再び死刑を望む若い男による大量殺傷事件が発生した。三本のシェフナイフと金槌を用意していたその男は、人がごった返すショッピングモールで、老若男女問わず無差別に襲い、十三名を死傷させたのち取り押さえられた。
決定的だったのは、その事件で幼い息子を失った父親の訴えだった。何をしても息子は帰ってこない。ならばせめて、被告の望みを叶える形ではなく、死の恐怖を植え付けて死刑に処したい。
慟哭とともに発せられた心の叫びは、国を二分する激しい賛否を招いた。そして人々の熱狂的な共感を呼んだ。いつか、自分の子供が同じ目に合うかもしれない。この国ではその恐怖が現実味を帯びるほど、無差別殺傷事件が日常化していたのだ。
世論が盛り上がりを見せる中、うつ病やパニック障害、解離性障害などの精神疾患治療で、極めて高い効果が期待されていた「電気刺激治療」において、バーチャルリアリティー技術を活用した新たな手法が考案され、大きな注目を集めた。まだ実用段階にはなかったが、この技術を使えば、死刑を望む者に「生きたい」という希望を与えられるのではないか。
国会では喧々諤々の大論争が巻き起こった。だが、なんの腹の足しにもならない「倫理的高潔さ」よりも、「世論」と「自分の都合」を重視するのが政治家の常である。「犯罪被害者の権利を考える会」という団体を支持基盤に持ち、過半数の議席を占めていた与党が、「死刑囚の人権が守られるよう、最大限の配慮を講じる」という有名無実な一文を添えたうえで、死刑囚を対象とした電気刺激治療の臨床実験を許可する法案を賛成多数で可決。すぐさま法律が成立した。
「この実験が成功すれば、うかつに死刑を望めなくなる。そうなれば凶悪事件を未然に防げるようになるだろう」
ある与党幹部は法案可決後、数の論理で強行採決を実施したことを批判するメディアからの取材に、胸を張ってそう答えた。
―――
会議室のモニターに、人影が映った。ヘッドギアを外され、ストレッチャー上で眠っている拘束衣姿の死刑囚のそばで、その影はピクリとも動かず、じっと張り付いている。
「あ、あの人......」
映像に気付いた若い男が声を出す。
「そりゃ来るさ。あの人がいなきゃ、この実験は行われなかったんだからな」
ノートパソコンでこれまでの検証データをまとめていた中年男は、スマホを片手にリモコンアプリを起動すると、画面に表示されたOFFボタンをタッチした。ブツンと、巨大モニターが真っ黒になって沈黙した。
―――
スタジオの中で、フォトパネルを脇に抱え、左手に白い花束を持った大柄な男が、直立したまま死刑囚を覗き込んでいる。照明を強く反射する剃り上げた肌色の頭には、ぼこぼこと血管が浮き出ている。
しばらく微動だにせず見下ろしていた男は、ようやく視線を切ると、ローテーブルにフォトパネルを置いた。そしてその横にある、空になっていた花瓶に、手にしていた真新しいホワイトガーベラの花を活けた。A2サイズのフォトパネルでは、幼い男の子が幸せそうに、満面の笑みを浮かべていた。
「お前は、事件を起こす前に、殺してくれと、願ったらしいな」
花瓶をゆっくりとテーブルに置いた男は、花瓶から一輪の切り花を抜き取った。そしてゆっくりと死刑囚の視線を戻す。
「心配するな、お前の願いは必ず叶えてやる」
目の前の男に自分の息子を殺された父親は静かにそう言うと、手に取ったホワイトガーベラを拘束着の上にそっと置いた。死刑囚の口元が、かすかに微笑むように、「ナージャ」と動いた。
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